3. 朝が来た。ったくだらしねぇ顔だ。
夜が明けると大地を照らす太陽が落盤した天井から光を刺す。まばゆい日差しに晒された賀堂は自然と目を覚まし起きあがる。固い地面で寝ていたせいで体中が軋む音がする。だがもう慣れたものだと固まった筋肉をほぐし始めた。
「だらしねぇ顔だな」
そういうとまじまじと沙耶の顔を眺める。やはりどれだけ大人ぶっていても年齢は十七歳。まだ子供だ。成長期には多めの睡眠が必要である。仕方あるまいと目を離して外で待つムーの餌やりでもするかと歩きだそうとしたときだ。
「……賀堂……さん?」
どうやら人の気配に気が付いて目を覚ましてしまったようだ。身を起こすと手を上に上げ伸びする。同時にあくびを手で押さえながら目をこすりながら立ち上がった。
「おはようございます。朝は早いのですね」
「まぁな。それよりもお前……鏡を見た方がいいぞ」
手鏡を沙耶に投げつける。受け取ると何を言っているのかと言わんばかりに鏡をのぞき込んだ沙耶は顔を赤らめてしゃがみ込んだ。
「み、みないでください! あぁ! もう!」
縮こまって必死に手でボサボサになった髪をといていく。
「まぁ気にすることない。外の世界じゃそんなもんだ」
「嫌ですよ! 女の子にとって髪の毛は大事なのです!」
東京を出る昨日までは比較的日用品がそろった生活をしていたと思われる。しかし今いるところは壁の外。贅沢はできない環境であり何より物資は限られている。
つまり沙耶は生活水準が下げた生活を強いられる事になる。潔癖の人間にはできないだろう。言葉を悪くすれば不潔がつきまとうからだ。
手入れの届いた黒髪は次第にボサボサとなり潤いは消えていくだろう。もちろん高価ではあるが美用品がないという訳でもない。稼ぎのない沙耶にとってそれは手が届かないものであることは変わらないが。
「髪は手でやるもんじゃない。これを使いな」
賀堂がよれたスーツの内ポケットから取り出したのは年期の入ったクシだ。手入れはされており十分使える代物である。
「賀堂さんってクシを使うのですか?」
最初からボサボサの髪型である賀堂の頭に目を向ける沙耶。どう見ても使っているようには思えないその姿から疑問が湧いているようだ。
「使うわけねぇだろ。以前もらったもんだ」
「プレゼントした方の気持ちは良く分かります。昔からボサボサだったでしょう?」
沙耶は二タァと笑う。どうやら図星らしい。
「髪の毛なんぞどうでもいい」
「ほらほら。そんなこと言わないでこちらに来てください。私がしてあげますから」
なぜか膝を叩いてこちらに来てと合図しているが賀堂は断じて動こうとしない。
「なんで俺がお前みたいなガキに世話されんといかんのだ」
「またそんなこと言って。美少女が賀堂さんのことを思って優しくしてあげようとしただけなのに。うぅ、ひどい!」
まさにわざとらしく振る舞うが大根役者感があふれ出ている。押しつけではあるが親切を無下にするわけにも行かず賀堂はため息をついて沙耶の前で座った。
「そうです。最初からおとなしく従っていればいいのですよ」
「おめぇ、将来は性格の悪い女になりそうだな」
「まったく口が悪いですね。もっと大切に扱おうとか思わないのですか? ほら、私は荷物ですよ!」
「そういうところだよ」
沙耶は賀堂の髪をクシでといていく。髪は男性にしてはそこそこ長いのであちらこちらに跳ねている。
「賀堂さんは見た目を気にしないのですか?」
「そりゃ基本一人でいるからな。気にしても仕方ないだろ」
「今は私といますよ。そのスーツも変えた方がいいと思いますよ。色もあせていますし」
いつ頃からこの服を使っているのか本人でさえも把握していない。定期的に洗っているぐらいしか思い出せないのだ。
「お前もその制服一枚じゃねぇか。人の事言えんな」
沙耶の手荷物は一切ないので東京を出てきた時に来ているセーラー服一枚しかないのだ。それも真っ白とは言えず薄く汚れもこびりついている。
「だって突然でしたもの。お洋服ぐらい持ってきたかったですよ。特に……」
スカートを押さえもじもじとし始める。
「ん? なんだ?」
あまりにも小さい声量で聞き取れないようだ。
「パ……。なんでもないです!」
羞恥にもだえたかと思うと独りでに怒り出し外に出て行ってしまった。もちろん賀堂なんのことか検討もつかない。
「まったく面倒な荷物だ」
つぶやく賀堂も出発の準備をするためにムーの元へと移動する。
外に出ると家にいたよりもまばゆい光が体中に当たる。時期で言えば春にあたる季節。温かい日光は目覚めの朝としては最高の時である。
「ったくあいつはどこに行きやがった」
暗闇で見えなかった景色。ひび割れた道路を挟み列をなす住宅街。すべて原型を留めていない。年月とともに風化しツタが生い茂っている箇所は目立つ。
「こっちですよ。賀堂さん」
声がする方向に顔を向けると沙耶はムーと戯れていた。
「なんだ、もう懐いたのか」
「ムーちゃんはいい子ですから人を見る目があるのですよ」
「それだとまるでお前が善人のように聞こえるな」
「あれ? 間違っていますか?」
同意を求める笑みを浮かべる。その姿を見て賀堂は何言ってもだめだろうとため息をついた。
「あぁ、間違ってねぇよ」
「お! 素直になりましたね。物わかりがよくて偉いです」
上から目線ではあるが賀堂は気にもとめない。ムーの餌やりをすませ朝食を取り終えると積み荷をムーに縛り付ける。
「出発するか。と、その前に」
賀堂が積み荷の中から木箱を取り出すとその蓋を開け中身を沙耶に見せる。
「さてLE以降に開発された最新のモデルだ。名前は『H6-改双』。受け取れ」
「不思議な形をしていますね」
沙耶が受け取った拳銃には小さなレバーがつけられている。いわゆるボルトアクション方式を採用したものだ。
弾倉は銃内部に取り付けられ弾を一発一発込めなくてはならない。
連射性能は自動拳銃より劣るが単純な構造ゆえに頑丈で信頼性が高い。物資が少ない現代の日本ならではの拳銃といえるだろう。
ホルスターを右足の太ももに取り付け銃を納めた。
「賀堂さんっていろんな銃を持っているのですね」
「まぁ職業柄仕方ねぇというか傭兵っぽい事もやっているからな。自宅に行けばまだあるぜ」
「え? 運び屋の方は傭兵なんてやるのですか?」
「全員がそうじゃないけどな。だが大半はやっているだろう」
報酬はピンキリだが時々おいしい依頼もある。以前賀堂も護衛の依頼を受けたが外敵からの襲撃はなく護衛対象を村に送り届けたことがある。もちろん危ない仕事もあるが報酬が高く見積もられるので見分けることは容易だ。
「じゃ、行くか」
「はい! 今日はどちらまで?」
「そんなの知らん。歩けるところまでだ」
「あら、無計画ですね」
目的地は名古屋。一度、物資の補給をしてから福岡へ向かおうという算段だ。二人はたわいもない話をしながら住宅街の道路を進んでいった。