54.構いません。お願いします
時は少し遡る。
沙耶は賀堂と別れた後に宮内に案内されるがままに研究所内を歩いていた。
殺風景な廊下。白衣を着た宮内以外の人間は誰とも会わない。自室に籠り研究に没頭していることだろう。
「東京からは一人送ると言われて詳しくは教えてくれなかったけど君のような女の子だとは思わなかったよ」
「意外ですか?」
「そうだね。てっきり人生を諦めたような人が来るとばかりに。いや、やめよう。君が被検体に選ばれたのも訳あっての事だろうからね。ところで君の首輪は趣味かい?」
「それについてはお話しすると少々長くなりますので触れないでください!」
問いかけに慌てる。動くたびにリンリンとなる鈴が付いている以上避けられない話題であるのは仕方がない。
首輪をつけてから多くの時を過ごした。とても長い時間。賀堂と長い路道を歩いた記憶。名古屋の出来事。扇との再会……。
東京から逃げて成り行きで福岡まで来てしまった。初めは生への渇望。扇に逃げたい一心で外に出ていった。
しかし、いざ外に出れば運び屋という仕事をする人間がいた。その人は不器用だけど優しい。騙し続けることは良心が痛む。
だから最後まで荷物としての責務を果たそう。そしてうまく事が進めばここから逃げ出して再び賀堂の元へ行ってすべてを話そうと決めていた。
「準備は出来ている。まずは君の健康診断からだ」
案内された一室の椅子に座る。目の前に座る宮内は資料をペラペラと確認後、鉛筆を走らせた。
「最近体調が優れなかったことはあるかい?」
「いえ、全く」
健康診断と言っても本格的なものではない。崩壊世界で正確な健康を調べるにはそれなりの施設へと出向かなくてはならない。
実験体にそこまで手間を取ることはない。簡易的なものでいい。
「ここ三日間で食べたものは覚えているかな? 分かる範囲でいいから書いてほしい」
真っ白な紙と鉛筆を渡される。沙耶は思いつく限りの食べた物を書き込んだ。ほとんどが缶詰ばかりだがグラトニーである賀堂のおかげか食料に困ることはなかったことを思い出す。
「ふ~ん。君、中々いい物を食べているね。僕もこんな贅沢をしたいよ」
「そうなのですか?」
「うん。缶詰食は安全が確保されている証拠だからね。もしかして水も透明だった?」
「え、えぇ、その通りですが……」
「貧困層は濁った水を飲むよ。綺麗な水は結構値が張るからね」
沙耶は今まで飲んだ飲み水は確かに無色透明だったことを思い出す。賀堂との食事の時はもちろんだが孤児院にいたときもだ。つまり、東京に住んでいた時も透明な水を飲んでいた。
「君は随分と待遇が良かったんだね。うらやましいな」
宮内は呟きながら作業を進めていく。実感が湧かない沙耶は疑問混じりの返答をするだけだった。
「大丈夫そうだね。心の準備は出来ているかな? そうでなければ少し待つけど」
それは実験を始めても良いかという問いだ。宮内も非人道的な人体実験をする研究者だ。最後の心遣いか沙耶に気づかいを見せる。
沙耶が時間を下さいと言えばある程度は許されるだろう。しかし、時間を延ばしたところで何かあるわけでもない。
「構いません。お願いします」
力強く答えると宮内は答えるように頷いた。
「そこで横になって」
同室内の中央に置いてあるベッド。だが、普通のベッドではない。被検体が暴れることが出来ないように四肢を固定するベルトが取り付けられている。
沙耶は言われた通り横になった。
「規則なんだ。締めさせてもらうよ」
パチン、パチンと音を立て固定されていく。冷たい革製のベルトが手首、足首を締めていく。
「今から君の体にウイルスを打ち込む。成功すれば経過観察をするし、もしダメならば分かるね」
「はい。分かっています」
この機に臆することはない。ただ、目を瞑っていればいい。目を開けた時、それがその時の自分となるのだからと悟る。
「じゃあ始めるよ」
宮内はアルミケースから注射器を取りだす。透明な液体。まさにそれが体内に入ろうと針を刺す時だった。
轟音。爆発音。グラグラと揺れた。
「一体なんだ?」
宮内は異常事態と察し注射器を素早くケースに仕舞う。
「大変です。東京軍が襲撃をしてきました!」
名も知らぬ、顔も知らぬ白衣の男が扉を勢いよく開けて叫んだ。
「なぜ東京が……。まさか!」
宮内の顔色は優れない。何か問題があるのだろう。
「君は研究所の奥へと急ぎたまえ。大切な被検体だ」
固定されたベルトを外すと宮内は「ついてきなさい」とケースを片手に部屋を飛び出した。
何が起こったのか分からないが今は従うほかない。しかしなぜ東京軍が。
ばれたのか……。
「なぜ東京軍が来たのですか?」
走りながら宮内に問う。
「僕らの研究を良く思わない派閥が東京にいるんだ。強引な手は使わないと思ったけどまさか本当にやるとは思わなかった」
「派閥?」
沙耶は自分が思っている以上に事が大きくなっているのを瞬時に理解した。知らないところで何かが起きている。そう思えて仕方がないのだ。




