2. 敵が現れた。問題ない。たったの三匹だ。
夜の月明かりは淡く大地を照らす。薄暗い景色を見渡しても分かる惨状。建物は崩れ、大地は爆発物の影響でえぐられ、自然はそれを補修しようと草木が無造作に生える。
街灯なんてものはない。既に捨てられた地域に貴重な電気を送る余裕は人類に残されていないのだから。
賀堂は誰一人としていない住宅街を見て昔を良く思い出す。
道路には車が走り、バイクが走り、建築士が腕を振るって建てた家屋が立ち並んでいた。だがそれはとうに昔の事。
現状はさび付き、タイヤは劣化し動くことのない車両。重力に抗えず落盤する家屋。窓ガラスは割れる、または汚れがこびりつき透明度が失われている。
未来なんて明るい言葉はない。
無法地帯となった日本は地獄だ。よく生き延びてきたと思う時がある。
「待たせた」
休息を取る崩れた一軒家の目の前に水牛のような生き物がいる。似ているだけで実際は異なる生き物だ。
人間だけでなく動物たちもウイルスのより突然変異をした。ムーも無数にいる動物の一体だ。研究者によると牛が感染して突然変異で生まれた生き物と言われているが定かではない。何分研究できるような施設は日本に残されていないのだから推測の範囲でしかない。
ただ分かっていることはムーは人間と共存できるということだ。性格は温厚で荷物を運ぶのに適している。運び屋なら一体は所有している動物だ。
「今日もご苦労さん。ほら、飯だぞ」
ムーは鈍い鳴き声を上げて与えられた餌をゆっくりと食べ始める。
「明日もよろしくな」
言語は分からないと思うが労いの言葉を掛けて休もうと家に入ろうとしたときだった。闇に紛れうごめく影を見つける。
「っち。来やがったか」
闇よりうごめく三匹の影。月明かりを避け物陰に潜みその姿を現そうとしない。うなり声と大地を掛ける足音が響き渡り賀堂に距離を詰めていく。
「お前らに会いたくないんだけどな」
懐から光沢が失われた古ぼけたリボルバーを取り出すとシリンダーを回す。
「一匹に二発か。まぁ、大丈夫だろう」
LE以降に製造された回転式拳銃『H2-雷針』。製造技術が失われた世界で新たに考案された拳銃として出回るものだ。安価で丈夫、弾薬も手に入れやすいことから使用者も多い。だが決して精度が良いとは言えない。あくまでも護身用として使用する範囲に留まる。
「こっち準備オーケーだ。さぁ、かかってきな」
鋭い眼差しは影を追う。連携のとれた犬のような形をした影は走り出すと同時に月明かりに照らされる。
体毛は失われ皮膚が素で晒される。薄黒い肌色は清潔とは程遠く過酷な環境で生き延びてきた事を証明する。
人間と共存したはずの犬がやがて野犬となりウイルスの元で変異を遂げた。それが『ヘルハウンド』である。愛らしい姿は消えただ食す為に行動をする。だが食物連鎖の中では下層に位置するヘルハウンドは小動物または人間が餌となる。
「ヴゥ、ヴゥゥ!!」
おぞましい雄たけびを上げ、賀堂を食らおうと襲い掛かった。
「さすがに三匹を相手にするのは厄介だな」
飛び掛かるヘルハウンドの一匹の脳天に弾丸がめり込むと頭蓋骨を砕き脳漿が飛び散った。だが仲間が一匹殺されたところで臆することなく第二波が到来する。
賀堂は狙いを定めて引き金を引くがヘルハウンドは素早く左右に展開する。弾丸は対象物を外れ彼方へと飛んでいった。
一匹が首を目がけて跳躍し鋭い牙を首に突き立てようとする。目にも留まらない速さでの動きに目は追いつかない。賀堂は今までの経験からヘルハウンドが狙う個所は知っていた。咄嗟の判断で噛みつかれることは避けたが地に背中を着ける。左腕をヘルハウンドの首に押し当て猛攻を阻止する。
「腹減ってんのはお前らだけじゃない!」
銃口を腹に押し当て二発打ち込む。力が抜けた隙に腕力でヘルハウンドを投げ飛ばし体制を立て直す。だが悠長に待ちはせず第三波が来る。
今度は足を狙い右へ、左足へと噛みつこうとするが華麗なステップで賀堂はそれを避け代わりに強烈な蹴りをくれてやる。
脳震盪を起こしているのだろうヘルハウンドの動きはもつれている。だが賀堂は情けを掛けることはない。再び頭部を狙い足蹴りをする。
必死にもがき足を動かすが命令系統がマヒした状態ではままならない。ゆっくりと近づきしゃがみ込む。
額に銃口を押し当て引き金を引く。鮮血が飛び散り賀堂にも降りかかる。
「まだ一匹いたな」
腹に二発お見舞いしたヘルハウンドが荒い呼吸でぐったりと倒れている。歩み寄りしゃがむと同様に頭部を狙い最後弾丸を放った。
ふぅ、と息をついた。ちょうど良い瓦礫に腰を掛けあたりを見回す。
三匹のヘルハウンド、元は野犬だ。こいつらも腹を空かせていたに違いない。だが人間とて安々と食われるわけには行かないのだ。少なからず賀堂には帰る場所がある。
既に長く生きている。本来の帰る場所なんてどこにも残されていない。だが、それでもこの世界で自分を待ってくれる奴らがいる。だから死ぬことはできない。
「……賀堂さん?」
銃声が響いたせいか家屋から沙耶が出てきた。
憂鬱そうにあたりを見回す賀堂に不思議な感情を抱いただろう。自分よりも何倍も何十倍も生きていた人間があのような表情をするとは思わないと。彼もまた適合者・グラトニーである前に人間の感情を持つ者だと。
「起きちまったか」
「外が騒がしかったもので」
「そうか。もう襲ってくることはないだろう。さぁ、寝て来い」
半ば突き放すような言い方だ。
「賀堂さんは?」
貴方は今から何するの? と言わんばかりのニュアンスだ。
「俺はしばらく外を見ている」
「それ、見張りって言いますよ。それでは賀堂さんが休めません」
「俺は適合者だ。飯さえ食っていれば大丈夫だ」
だが沙耶は賀堂の言葉が気に入らないようで渋い顔をする。
「それでは私も外にいます。気兼ねなく寝られませんので」
「クソガキが。面倒なことは大人にやらせておけ」
「ほんと口は悪いのに優しいのですね」
微笑む沙耶の顔を直視できない賀堂は視線を逸らす。そしてため息を付く。
「めんどくせぇ奴だな」
「ふふっ。いーですよーっだ」
「馬鹿か」
幼稚な沙耶をあしらうが笑顔は絶えない。賀堂も真に面倒とは思っていないだろう。いや、それよりもたった一人で運び屋をしている賀堂にとって言葉を交わせることに喜びを感じているやもしれない。
「賀堂さん。……私、荷物、嫌です」
「はぁ? 何言ってやがる」
突如、目的を放棄したかと思う発言をする沙耶の隣で賀堂は耳を疑った。でも一瞬だ。彼女の顔を見れば思いもなしに物を言うとは考えられないだろう。薄暗くはっきりとは見えないが真剣な表情は賀堂にも読み取れるはずだ。
「私は荷物の前に人間です。外の世界に出た以上自分の身は自分で守りたいです」
もっともな意見だ。外の世界に出るなら自身を護衛するすべを持っていた方がいい。いや、持つべきだ。
だが賀堂はそれを良しとしない。
荷物だから? 未成年だから? もしくは少女だから?
どれも含まれるだろう。
「それは命を奪うと同等だぞ?」
「知っていますよ。その覚悟は持っています」
先ほどの賀堂がそうだ。生きるためには生存競争に勝つ必要がある。それが怪物と化した異形の物なら腹をくくれる者もいるだろう。なら人間だったらどうだろうか?
世の中には自身さえ生き残ればいいと考える人間も少なからず存在する。終末世界のならず者、略奪者たちを総して『リーパー』と呼ぶ。
リーパーに遭遇した場合、捕まれば最後、楽な死に方はできないと思ってもよい。拷問はこの世界にとって至高の娯楽だ。泣き叫ぶ声、苦しむ嗚咽、助けを請う叫び。どれもが甘美な歌声だ。
さらに沙耶のような少女となればなおさらだ。好むリーパーは大勢いる。
「例えそれが人だとしてもか?」
「……分かりません。けど……。けど!」
沙耶は声それ以上の言葉を持ち合わせていなかった。だが感情とは違い命を奪うこと、そして命を守る事の双方の葛藤があるのだ。
「けどなんだ?」
「私は戦いたい! 自分の為に。そして賀堂さんと一緒に!」
真剣なまなざしで賀堂を見つめる。ただ気の迷いで安全な東京エリアを出てきたわけではない。怪物やならず者がひしめく世界に覚悟なしに足を踏み入れた者は必ず死が待っている。沙耶はそれを理解して壁の中から出てきたのだ。
それを察してもなお賀堂は拒む。けして自分の世界へ引きずり込んではいけないと。
「……はぁ」
ため息をつく。沙耶が冗談で言っていないことは重々承知している。
「あのな……そう安々と――」
「私……人を殺したことがありますので」
「……何?」
まさに予想できなかったであろう。純粋無垢な少女は安全な壁の中で過ごしていたはずだ。なぜ人を殺めたことがあるというのか。
「お前……何を……」
「嘘だと……思いますよね。でも本当なのです」
疲れた笑顔とでもいうのか。確かに笑みを浮かべているのだがそれは作られたようなものだ。
「まさか壁の中ってことはないだろ? あそこは安全のはずだ」
「いいえ。壁の中です。小規模の反乱に巻き込まれました」
「軍事国家の賜物か。だから軍は嫌いだ」
軍事主義の東京は賀堂の考えと合わない。常に弱者を見放し、軍人と名乗るだけでなんの功績もないような兵士がえばり腐って市民から搾取する。暴動が起きるのも避けられないだろう。だが改善することもない。偉いのは我々であって暴動を起こすのが異端であると。そう考えるに違いない。
「……その時のことは今でも覚えています」
そうつぶやくと自分の震える両手に目をやる。傷一つない女子高生らしいみずみずしい肌をした手で人を殺めたこと。沙耶は片方の手で止めようとするがそれは叶わない。
その時、角ばった手のひらが小刻みに動く沙耶の手に触れる。
「やっぱり怖えのか」
「……はい。でも……それでも外の世界に出た以上甘えは許されません」
賀堂はしばらく沈黙をした。自分はどうあるべきか。そしてどう導いてやればいいのか分からない。
「はぁ……。分かった」
賀堂は深いため息をつくとムーの元へ行く。そして積まれる荷物を漁り始めた。
「ほらよ。そいつをやる」
沙耶に投げたのは紛れもなく短機関銃である。賀堂が保有するLE以前の代物である。
「んでこいつがマガジンだ」
続いて弾が込められた弾倉を乱暴に投げつける。
「こ、これは?」
「お前がほしかったもんだ」
「いただいても?」
「あぁ、名前はエムナイン。過去に日本が使っていたものだ」
対象物を狙って撃つというよりもばら撒く用途から賀堂は使用していなかった。だが今まで定期的にメンテナンスをし、部品を取り換えるなどいつでも使えるように整備をしていた。
「銃の使い方は分かるか?」
「え、えぇ。学校で習いましたが拳銃でしたので」
「今どきの高校は銃の扱い方も勉強するのかよ。たまげたな」
言葉だけ驚いたように言うが実際はまぁそうだろうと思っている。
「拳銃もあとでくれてやるよ。まぁ、粗悪品だけどな。とりあえずこいつの使い方を教えてやる。がその前に一服させてくれ」
賀堂は近くの小枝を集めて火を起こす。そして積みにから引っ張り出してきたドライフルーツの封を切ると口へすぐに運んだ。
「よく食べますね」
火の向かいに座る沙耶が口を開くが賀堂は袋のフルーツを一気に口に放り込んで飲み込んだ。
「食わないと俺は人を襲うからな。まずお前が喰われるだろう」
「私はおいしくありませんよ」
冗談はさておきと賀堂は沙耶に渡したエムナインを受け取ると扱い方を話した。標準を仕方、弾倉の交換のやり方など。
「実際に撃ってみろ」
「今ですか? こんな暗いのにどこを狙えばいいのでしょか? それよりも音で誰かに気が付かれないでしょうか?」
「お前が心配しなくてもいい。なぜ俺がここを休息地にしたか考えろ。まぁ、ヘルハウンドは誤算だったが」
「あら、ベテランが聞いて呆れますね」
「減らず口が。なんでもいい。あそこの木でも狙ってみろ」
沙耶は頷いて賀堂がやったように銃を構える。そしてトリガーを引くと毎分約千二百発の九ミリパラベラム弾が銃口から飛び出す。発射された弾は樹木の幹に着弾しそれをえぐる。
弾が射出するたびに反動が沙耶の体を振動させる。必死に制御しようと力を込めるがどことなくぎこちない恰好になってしまう。
「最初はそんなものだろう。次第に慣れていくさ」
「すごいですね。まさかこれほど扱いが難しいとは」
拳銃とは違い引き金を引いている間は弾を打ち続ける短機関銃。まだ余韻が残る振動が体に刻まれマヒしたような感覚に陥っているのだ。
「まぁそういうことだ。精々、努力してくれ」
「分かりました。って賀堂さん? どちらに?」
「そりゃ寝るに決まってんだろ。誰かのせいで遅くなっちまったけどな」
「そ、それは誰の事でしょうか?」
まぁ、誰でもいい。そう思ったはずだ。それが人と関わりを極力避けた賀堂の本心である。沙耶という存在は昔を思い出させる。それはLE以前の事。賀堂が感染者・グラトニーになる以前の事だろう。
「明日は早いぞ。お前もさっさと寝ろ」
「待ってくださいよ! あ、おやすみなさい。ムーちゃん」
鈍い声で反応するムーの体をポンポンと叩いた沙耶は賀堂の背中を追ってドアのない家に走っていった。