46.そこが山場だな。死人が大勢でるぞ
早朝のこと。靄が掛かるひび割れた道路を歩く隊列は散開を始めた。それもゆっくりと、足音を抑えて移動する。崩壊してから幾年が流れたのかすら定かではない市街地。植物の力強さを強調するように建物に巻き付き生い茂った木々が生える影の下で息を潜めた。
「どうだい? 何か見えるか?」
とある一軒家の屋根に綾崎と賀堂が伏せて双眼鏡に目を当てる。賀堂は左から右へと視線をスライドさせて辺りを見渡した。
「見える範囲ではいないな。影に隠れているだろう」
「一度降りようか。他で見えた奴がいたかもしれない」
二人は即席で作ったはしごで足場が不安定なベランダに降りる。いつ崩れるか分からない建造物に身を預けるのは不服だが高い位置から目視で見なければ感染生物が見えないのだ。
玄関の扉は外れている。外に出ると控えている人間たちが腰を下ろして待機していた。
「変化はあったか?」
舞と沙耶が賀堂の報告を聞きにやって来た。
「俺からは何も。他の観測からは見えたかもしれないが……」
しばらくすると賀堂らの他に観測を行った者が返ってくるなり第一軍商混合大隊の隊長に報告をする。賀堂は何一つ報告することもする義務もないが情報共有の為に名も知らない隊長の元へと向かう。
軍服を着る中年ぐらいの男が手ごろの瓦礫クズを椅子にし地面に地図を広げて作戦を練っている途中だ。
「俺からは何も見えなかった。他の報告を聞かせてほしい」
「お前は賀堂か。独立小隊のお前は報告する義務はないが礼は言っておこう。結果はさっぱりだ。斥候を出しながら前に進むしかない」
「そうしかないな。一か所に長居は危険だ。もう、移動した方がいい」
「助言感謝する。お前はこれからどうするのだ?」
もっともな質問だ。独立小隊と言えど大隊の作戦を阻むような行動をするならば止めなくてはならない。元より戦闘経験豊富な賀堂が面倒を起こすことをするとは思えないが。
「俺たちは第一大隊のケツにくっついていくさ。戦闘になったら好きにやらせてもらう」
「分かった。こちらは擲弾筒、即席爆弾を使用することもある。巻き込まれないようにな」
賀堂は返事をすると小隊員がいる場所へと戻っていった。引き返す道で見た光景。商隊出身は武器が貧相でも長年の経験と座った肝を持ち合わせている。
比べて軍隊出身の人間は恐らく名古屋の壁から出るのが初めてなのだろう。全員とは言わないが多くの人間は平常心を装っていてもわずかに震えている。それに軍配給の武器を使用できるのは軍人だけだ。荒くれものが集まる商隊出身が使っても有効に扱えないだろう。如何に軍商が連携するかが勝利への道だと感じる。
「準備をしろ。あと、何か少し食っておけ。そろそろ動き始める」
「分かりました。……賀堂さん、あれは何でしょうか?」
沙耶の視線は空を向いている。賀堂から見える人間も徐々に同じ方向を見始めた。何事かと上半身を捻り沙耶が指を指す方向に目をやる。
黒色の大群。青い空を覆う黒色の羽を羽ばたかせた鳥の大群が押し寄せてきた。だが、距離は保っている。けして第一大隊がいる上空付近にはやってきていない。
「おいおい……嘘だろ。こんな時にか……」
名を『クラウノス』カラスが感染して変異を遂げた怪物だ。くちばしは鋭く、急降下で的確に目を狙い、または肉を食いちぎる厄介な生物だ。
「走れ! あれは敵の襲撃だぞ!」
誰かは分からないが男が叫んだ声だ。確かにクラウノスを上空に配置して別の生物が襲撃を仕掛けてくる事は有りうる。しかし、賀堂らも目視で偵察を行い遠方に敵を見ていないのを確認している。
ならばクラウノスがやって来た理由は何だ。賀堂は考えた。現状の攻勢、部隊の配置、ガルバニス陣営の状況。そして答えが浮かぶ。
威力偵察だと。実際に攻撃を仕掛けてこないが近くまで接近し人間の出方を伺っている。それにクラウノスだけでノコノコとやってくるのは采配ミスだ。撃ってくださいと言っているようなもの。
つまり攻撃を仕掛けてくる気はない。だが、射程距離に入らない位置には存在する。それも目に入るようにわざわざ進行方向を飛んでいる。ガルバニス陣営も窮地に立たされ時間を稼ぐ狙いもあるだろう。人間側も分かっているが迂闊には動けない。まさに探り合いが行われている。
「移動を開始する。後に続け!」
クラウノスが手を出しては来ないと判断して前進の命令。建物の陰に隠れながらの歩みは遅い。万が一、斥候を出しながら前に進むので襲撃してきたとしても準備をする時間はある。だが、多くは上空のクラウノスに釘付けをされていた。
「厄介だな。地上も上空も居てはこちらが不利だな」
弩を背負った舞が賀堂の隣にやってくるとクラウノスを見上げながら話した。賀堂も頷く。
「そこは大隊長が考えているだろう。さっさと丘に陣地を作っちまえば奴らは襲ってこないだろう」
「そこが山場だな。死人が大勢でるぞ」
経験から賀堂は分かっている。地上から襲い掛かってくる生物に気を取られると上空のクラウノスが狩人の様に狙いを定めてくるはずだ。連携が取れなければ大勢が死ぬ。独立小隊長である賀堂はどう第一大隊を支援できるか考えなければならなかった。