1. 依頼を受けた。荷物は……女?
荒廃した日本。それは世界から見捨てられ無法地帯と化した大地である。
時は暗闇。崩壊した世界に華やかさの欠片はなく自然の成り立ちで形作られる。舗装されているはずのコンクリートはひび割れ隙間から雑草が生え渡りまるで人間が存在しない旧時代へと向かっているようだ。
「東京エリアの人間はろくな奴がいないな」
「まぁ、軍人さんばかりですからね。規律重視の国家ですので」
既に放棄されいつの時代の遺産かも分からない崩れた家屋の一室に薪の明かりがゆらめく。埃をかぶり年期とともに劣化したクッションのないソファに賀堂は座っていた。
よれたダークスーツを身にまとい、シャツはだらしなくズボンからはみ出しネクタイも緩く垂れ下がっている。
「俺はどうも軍人が嫌いだ。自分を特別な人間か何かと勘違いしてやがる」
厳つい顔の賀堂はため息を付きボサボサの髪をかきながら目の前のイスに座る少女に目を向ける。
「それに荷物は年端もいかないガキと来たか……」
「ひどいですよ! 私は17歳です。子供ではありません。あと沙耶って呼んでください!」
そう言い返すのは赤いリボンが特徴のセーラー服を着た少女だ。白いシャツは薄く汚れている。
「俺は荷物と聞いて東京まで来たんだ。金も良かったからな。お前はどこかに売られるのか? 苦労してんな」
「そのかわいそうな人を見る目をやめてください! まるで人身売買みたいに聞こえるじゃないですか!」
顔を赤らめて後ろめたいことは何もないと主張する沙耶だが賀堂はまじまじと少女を見るとそうは思えない。
「その格好を見ればな。マニアは好んで高い金を払うだろうに」
沙耶の顔つきはお世辞を抜きにしても美貌と言わざるを得ない。年相応のかわいらしい顔つきにクリッとした瞳。ショートカットに黒髪は崩壊した時代にしては手入れが行き届いている。胸は大きく膨らみセーラー服は大胆に盛り上がっている。
「え、えっちなことはダメです。もう、だから男の人は!」
沙耶は手で胸を覆い隠すが賀堂は気にもしない。
「娯楽の少ねぇ世界だ。人間がやる事と言えば限られてくるだろう。それはお前もよくわかっているはずだ」
「し、知ってますとも。大人ですからね。そこら辺の子供と緒にしないでください」
「ほう。まぁいいさ。思春期真っ盛りだ。この先嫌でも分かってくるさ」
「嫌でもですか……」
平然と話す賀堂に比べ沙耶の表情は硬い。それもそのはずだ。彼女は世界について何一つ知らないからだ。
「お前、東京エリアから出たことないんだったな」
「はい。ずっと壁の中にいましたので。それよりも賀堂さんについて教えてくださいよ」
彼女は賀堂について知らない。二人は太陽が南に上る正午に出会ったばかりなのだ。
「運び屋だ」
「知ってます! 名前とか出身とかあるじゃないですか!」
「そう大きい声を出すな」
やれやれと口を開く。
「賀堂奏。出身は名古屋エリアだ」
「商業国家の名古屋エリアですか! いいなぁ、一度行ってみたいです。お洋服とかアクセサリーとかたくさんあるって聞いたことあります」
「確かにあるぞ。だが立ち寄るには寄るが遊びはなしだ」
「……まぁ、仕方ないですね」
まだ17の沙耶は遊びたい気持ちがいっぱいだろう。本来の高校生とはそういうものだ。だがそういう訳にもいかない事情が彼女にはある。
「俺は運び屋だ。仕事をしなくてはならん」
「運び屋って珍しいですよね。普通は商隊を組んでやるものだと思っていましたけど」
「普通はそうだ。だが察しも付いているだろう。俺は普通の人間じゃねぇ」
賀堂の普通とはごく一般的な生活を送っている人間の事ではない。また職業柄の話をしているわけでもない。この崩壊した日本の過去に起きたウイルス感染によって身体を侵食された者たちの事を指す。
「やはり適合者でしたか」
「あぁ、適合者・グラトニー。暴食を意味する名前だ」
「感染者は寿命では死ぬことはないようですね」
「もう何年生きているかも覚えてねぇ。100年を超えたあたりから面倒になった」
感染者。それは崩壊世界の象徴ともいえる存在だ。
現代を生きる人間はどのような過程でバイオハザードが起きたのか知る由もない。明確な文献や資料はほとんど残されていない。だが誰もが共通して同じ言葉を言う。
『ロストエコロジー』と。
通称、LEと呼ばれる。失われた生態を意味し日本における人間社会が崩壊した日でもある。
未知のウイルスが蔓延した日本に突如として全土に無数の爆弾が落とされた。破壊をもたらす弾頭はどこからやってきたのか。知るものは誰一人としていない。
「いつ頃から感染者に?」
「俺はLE以前に感染が発覚した」
「まさか……。LE以前の人が存在するとは」
「珍しいだろうな。生きていてもほとんどが脳無しになるのがオチだ」
「能無し? あぁ、『モータル』の事ですね」
本来、感染すればたちまちに脳が侵される。行きつく先は人間の三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲を求めさまよい続けることになる。それがモータルだ。だが時にウイルスに抗体を持つ人間も存在した。
賀堂はその一人である。
脳は侵食されず生き残った。しかし感染者・グラトニーであることは変わらない。理性を保つことができる反面食料を膨大に消費しなくてはならない。つまり金を稼がなくてはモータルへと化してしまうのだ。
「俺は死んでも脳無しは御免だ。それなら自殺を選ぶがましだな」
「死ぬですか……」
死という言葉に異様に反応する沙耶の表情は重い。LE以降の人間の平凡な生活などたかが知れているものだがそれでも17にしては程遠い言葉だ。それほど死の境界が彼女に近づいている他ならない。
「そういえば重要なことを聞いていねぇ。俺は確かお前を福岡エリアに送り届けることは聞いているが内容までは知らねぇ。全部言えとまではいかないが話してもらおうか」
「え? 聞いていないのですか?」
「あぁ、なんせ知り合いの優秀な情報屋が持ってきた仕事だからな。しかも急にだ」
「優秀……ですね」
深いため息をつく賀堂を慈愛の目で見つめる沙耶。わずかだが苦労をしていることを察しただろう。
「えぇとですね。結論を言いますと私は実験台にされます!」
賀堂は目を丸くする。
「実験だ? 人体実験は禁止……。いや、今の時代だ。法なんてもんはなかったな」
「はい。正確に言いますと感染適合実験です」
「……なんだと?」
作り笑顔だろうか。明るい表情からスンとも変わらない沙耶だが賀堂は違う。長年生きてきた彼だが人工的にウイルスの適合者を作るなぞ聞いたこともない。万が一やったとしてもだ。
結果は目に見えている。
「お前……死ぬ気か?」
適合とは偶然にもウイルスに抵抗持っていただけの事だ。それが解明されていると賀堂は耳にしたことがない。つまり、沙耶はその実験のモルモットでしかないことは容易に想像できる。
「はい。私の命は高値で買われました」
沈黙が訪れる。自分よりも大きく年下の彼女が生に抗わず死を受け入れる様子が信じられない。この崩壊した世界に絶望することはあるだろう。だが希望は捨ててはならない。
「私、東京エリアでは孤児だったんです。私以外にも子供はたくさんいるのですよ。でもお金がどうしても足りなくなってしまって。そこで軍が人を募集していましたので」
「……それで?」
「応募者は少なかったようですが運よく私が選ばれたのです。その日からは私の体は軍に買われました」
曇ることのない沙耶はそれでも続ける。自分の内に貯めていた言葉を今日あったばかりの賀堂に漏らしていく。
「軍の方からは福岡エリアに優秀な研究者がいるって聞きました。おそらく大丈夫……だと」
「悪いがそれは嘘だな」
「……知っていますよ。私だって大人です。別に死ぬのが怖いわけではありません」
だが言葉とは裏腹に体は小刻みに震える。何かにおびえるように、何かに恐怖するかのように。彼女の意志とはそぐわない結果が待っているかもしれない。
「じゃあ、何がそんなに怖いんだ?」
賀堂はゆっくりとした口調で尋ねる。
「もし、いや、適合しなかった場合、私は絶対に人を襲います。それが怖いのです」
「お人よしだな」
「賀堂さんに言われたくありません! 貴方だってモータルになりたくないから生きているくせに!」
「……クソガキが」
鋭い言葉が胸に刺さった。もっともな言葉に言い返す言葉はない。それとも返せないというのが正しいだろうか。
「賀堂さん、私のお願いを聞いてもらってもいいですか?」
「まぁ、ここで出会ったのも何かの縁だ。些細なことなら聞いてやるよ」
「もし、私が適合しなかったら迷わず私を殺してください」
火花散る。闇を照らす明かりが彼女の頬の滴を捉える。少女は自身の意志と裏がえしの言葉を漏らす。それが最悪の決断だとしてもだ。人を傷つけるぐらいなら自らを差し出すのをいとわないだろう。
「ふははは。馬鹿か」
だが賀堂は笑う。沙耶の決断をあざ笑うように、踏みにじるように。
「おい、沙耶。よく聞け。人生は最後まで抗うもんだ。ダメだと思っても抗え、死ぬと思っても抗え。それでもダメならこの俺がてめぇを殺してやる」
賀堂の言葉は沙耶にとっては心に残るだろう。生をあきらめた者ならばすがる言葉だ。
「……見た目とは違いますね」
「うるせぇよ」
彼女は思うだろう。この男が運び屋で良かったと。彼ならすべてを預けてもいいと。まだわずかな時間しか共にしていないが賀堂にはそう思わせるほど魅力あった。
「俺のとこにこの仕事が来た理由が分かった気がする」
「どういうことでしょうか?」
「俺は感染者だ。さらに適合をしている。そしてお前は適合実験のモルモットだ。後は分かるだろう」
「適合者だから信頼できるということでしょうか?」
「それもあるが俺は長年運び屋をしている。依頼者からの信頼だ」
賀堂は小腹がすいたためかジャケットのポケットからビスケットを取り出す。沙耶にも袋ごと分け与えた。
「もしこの依頼をどこぞの知らない商隊がやってみろ。適合者を知らねぇ人間もいるからな。さらにだ。お前を売った方が金になるかもしれん」
賀堂は沙耶を顔を指さした。
「これなら高値が付きそうだな」
顔から大きく盛り上がる胸、そして引き締まった腰へと指を動かす。
「ま、まさか、私を売る気ですか!」
「俺が新米の運び屋ならな」
「私にお金を払う人なんているのでしょうか」
「あぁ、それも大勢な。金持ちでもほしがるだろう」
ニタニタと怪しげな笑いを続ける賀堂に沙耶は身の毛がよだつ。
「私はもしそうなったとしても屈しませんよ!」
「残念だがそういう奴に限って墜ちるのが早いな」
「そんなことありません」
「なら試してみるか? 薬を使えば一発だ。頭の中がスカスカになるぜ。己の欲するままに股を開けばいい」
賀堂は楽しんでいる。思春期真っ盛りな少女に性の話をすれば顔を真っ赤にして抵抗する。その姿がたまらなく面白いのだ。
「えっちなことはダメです!」
「俺はあいにくガキに興味はねぇし。何より胸よりも尻が好みだからな」
「へ、変態!」
「男ってのは皆変態だ。一つ勉強になったな。外の世界はこんな奴ばかりだからな気を付けろよ」
賀堂のいうことはあながち嘘ではない。過去の日本に存在したと言われる娯楽のほとんどが失われた世界だ。ならその中で人間がやることは何か。
男女が無人島に漂流したと想像すれば性の発散は娯楽の一つに十分に成りうるだろう。
「私はどうなってしまうのでしょう」
外の世界が自身の想像したものよりも残酷だと知り愕然とする。東京エリアの壁に囲まれた安全地域で過ごしていたのならば外の世界は憧れの一つだったろう。だが現実は甘くない。理想を掲げるものほど理想とは程遠いのだ。
「安心しろ。お前は俺の荷物だ。責任もって福岡エリアに運ぶ」
「途中で売ったりしないですか?」
「お前が反抗的なら売っていいかもしれん」
「意地悪ですね」
沙耶は笑みを浮かべた。賀堂にそれを向けるも彼は無表情のままだ。まだ自分は子供だと思われているかもしれないと。ならどうしたら対等になれるのかなと。そう思ったに違いない。
「さぁ、寝るぞ。明日も歩くからな」
「え〜、今日もかなりの距離を進んだ気がしますが」
「馬鹿を言うな。まだ名古屋エリアまでかかる。子供はさっさと寝とけ」
「分かりましたよ」
不満を漏らす沙耶に賀堂は座っていた古ぼけたソファを譲る。
「地面で寝るより幾分かマシだろ」
「賀堂さんはどちらに?」
「俺はムーの餌をやってから寝る」
「あぁ、牛さんの事ですね」
「だからムーだって言っているだろ」
「は〜い。ではおやすみなさい」
沙耶は目を閉じ横になる。布切れ一枚もない寝床は初めてだろう。しばらく寝付けないと賀堂は思った。彼は部屋の扉のない入り口をくぐると外へと出ていった。
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