30.我慢が……できない!
寝室となる部屋には一人で使うには大きすぎるベッドが中央に佇む。他にもソファやら本棚やら机やら。くつろげるスペースは設けている。賀堂は明かりも付けず服も着替えずうつらうつらと前に進むとベッドに倒れ込んだ。
「賀堂さん。大丈夫ですか?」
照明をつける沙耶の言葉に返答はない。寝息が聞こえるのみだ。ベッドの使い方を見るにどうやらこの部屋は賀堂の寝室だろう。
「ほら綾崎さん。まだ寝てはいけませんよ」
ウトウトと瞼が閉じようとしている綾崎を起こすと寝起きのような声を上げる。しかし何を言っているのか聞き取れはしない。
「どうやらここは賀堂さんの寝室ですよ。綾崎さんの部屋はどこですか?」
「う~ん、ここ」
指の方向は賀堂の隣だった。確かに大きいベッドであるので大人が寝転ぶスペースはあるのだが違うことは確かだろう。
「絶対違いますよね。嘘を言ってもダメですから」
「いや、違う。本当にここなんだってば」
綾崎が違う違うと駄々をこね始める。沙耶もため息をついて綾崎の肩を放すと賀堂のベッドに上がりこみ横になり始めた。
「もう怒りますよ」
「怒らないでくれよ。だっていつもこうして寝ているんだもん。だけど奏が起きていると追い出されるからこっそりとね」
つまり賀堂は綾崎が毎晩こうして寝ていることに気が付いていないのだろうか。そうだとしても寝つきが良すぎるのではと思ってしまう。
「沙耶ちゃんも一緒に寝るかい? でも奏の隣はダメ。僕の横ならいいよ」
「むぅ、結構です」
少しだけ横になりたいと思ったのは黙っておく。
「ならそこらのソファで寝るといいよ。ただし邪魔はしないでくれよ」
「分かりましたよ。私はここで寝かせていただきますから。って邪魔とは?」
沙耶はソファに腰を掛けると邪魔というワードが頭に強く残る。ふと綾崎の方向を見るとなぜかタンクトップを脱いでブラジャーを外す手前だった。
「な、何をしているのですか!」
突然、大きな声を出した沙耶に驚いて綾崎が振り向いた。
「そんな大きな声を出さないでくれよ」
「それよりもなぜ脱いでいるのですか!」
綾崎は沙耶ほどではないが胸はある方だ。細身で身長も女性にしては高いのでスタイルが良いと言える身体だ。
「なぜって? やりにくいからに決まっているじゃないか」
「何って……」
「そんなこと乙女に言わせないでくれよ」
恥じらいを隠せないのか顔を隠しながら言う。しかし、なぜ顔なのだろうか。上半身は裸同然だというのに。それに引き換え賀堂は既に夢の中に入っているようでちょっとやそっとでは起きることはまずないと見受ける。
「い、いいですから! 言わなくていいです! だから服を着てください」
「せっかくのチャンスじゃないか。今なら何しても起きなさそうだし。もう我慢できないからね」
沙耶の目から見ると大人の女性。むしろ艶めかしい色気のある顔だ。綾崎はお世辞を拭きで綺麗な顔だ。可愛らしいよりも美しいだろうか。そんな綾崎に迫られているのにも関わらず賀堂はなぜ振り向かないのか沙耶は不思議に思う。
「それでもダメです。誠実に生きてください」
「嫌だ! 誠実は悪だ。自分の欲求にしたがい自由に生きるこそこの時代を生き残る術なんだ。これぐらいしか楽しみがない!」
綾崎は賀堂に抱き着いてそう言った。賀堂も似たような事を出会った時に言っていたことを思い出す。どうやら人間は法の届かない所では、むしろ法すらない所では自分の欲求に従う方が楽な生き方なのかもしれない。
「そんな事言わないでくださいよ。私たちは別の部屋で寝ますよ!」
綾崎を無理にでも引っ張ろうとソファから立ち上がって近づく。しかし綾崎は何一つ言わない。
「ねぇ、沙耶ちゃん。本当に我慢が出来ないんだ」
その言葉は酔いが混ざっていない。冷たく針を刺すような鋭さだ。沙耶もその変貌に異変を感じて身構える。
ゆっくりと綾崎は沙耶に目をやる。その目は瞳孔が開き歯を食いしばり口を閉められないせいでよだれがだらしなく垂れている。
「どうされましたか?」
狂気じみた表情は身の毛がよだつ。
「だから言っているじゃないか。我慢が……できない!」
体中を震わせながら綾崎は口を開いた。冗談で言っているのではない。身の欲求が、理性が壊れそうになる状況だ。
「沙耶ちゃん。君に分かるか? 僕の辛さが分かるか?」
賀堂から離れると綾崎は乱暴に沙耶の胸倉を掴む。細い腕の力とは思えないほどの勢いで綾崎の胸元まで引き寄せられる。
「痛いです。やめてください」
沙耶の言葉は耳に届きはしない。綾崎の苦しそうな表情から見て取れる。
「僕は君が何をするか知っている。君が卑劣な人間だと知っている。だからあえて言うぞ。適合者は辛い。この身と付き合っていくのは覚悟がいる!」
「……それって」
沙耶は何となく綾崎の体の異常を理解できた気がした。そして賀堂が綾崎に迫られても手を出さない理由が分かった気がした。
「そうだよ。僕は……ラスターだ」
それは適合者の一つ性欲のラスターである。




