25.そんな事言わないでおくれよ。サービスするからさ
賀堂邸を出ると少し肌寒いと思えるが繁華街に出るとそれはどうでもよくなる。人が溢れかえり熱気で暑さが勝るだろう。明かりは煌々と灯され男女構わずトタンやら木材だか廃材だか分からない材料で建てられた露店の席に座り食事を取り、酒を飲んだりどんちゃん騒ぎとはこのことだ。
その光景に驚愕するのは沙耶。驚きで口が開いている。人も冷たければ街も冷たい東京都は大違いだ。名古屋はこれほどまで人も物も豊であると自身の目で見たのだ。
「名古屋って毎日こんな感じなのですか?」
意気揚々と辺りを見回す沙耶は賀堂に尋ねる。
「まぁそんなところだろう。名古屋は経済が安定しているからな」
「それに流通の拠点になる場所だからね。仕事も多いのさ」
付け加えるように綾崎が話した。そして沙耶の横に並ぶと耳打ちをする。
「沙耶ちゃん。気が付いているかい? ここにいる奴らはみんな君を見ているんだよ」
「えっ? そうなのですか?」
注意深く立ち行く人や席に座る人らを見ると確かに視線がこちらに向いているのが目に見えて分かる。
「ど、どういう事なのですか?」
「そんなの簡単じゃないか。君を狙っているのだよ」
艶めかしく言った。沙耶は綾崎に肩を寄せると顔を真っ赤にして俯いた。綾崎は沙耶のに顔を寄せ、黒い髪を触りながら続けて言う。
「いいかい。男ってのはどいつもこいつもロクでもない奴らばかりだ。ヤルことしか考えていないからね。君も気をつけることだね」
「な、何をどう気を付ければいいのですか」
「そりゃ簡単だよ。私か賀堂の側を離れないことだね」
無知な少女があたふたとする姿を見て楽しむ綾崎だが後ろから頭を叩かれる。
「イタッ。何をするんだい」
「それはこっちのセリフだ。変なこと吹き込んでんじゃねぇ」
「別に本当の事じゃないか。あぁ、なるほど」
綾崎は勝手に何かを理解して頷き始めた。
「あれだな。お気に入りの沙耶ちゃんが心配なんだろう。だったら片時も離さないことだね」
その言葉に目を丸くして賀堂の顔を見つめる沙耶。しかし賀堂の表情は変わらず。いや、むしろ隣にいる綾崎の不敵な笑みを見れば適当な事を言っているにしか思えないだろう。
「こいつは荷物だ。俺は見張り番みたいなもんだ」
「あら、それは可哀そうに。聞いたかい沙耶ちゃん。君はただの荷物だそうだ。何か言ってやると言い」
確かに沙耶は荷物であることは変わらない。しかしそうも荷物荷物と言われるのも癪に障るところもあるだろう。
「いいですよーっだ! 今日は賀堂さんにおいしい物とかいろんなものを買ってもらいますから!」
「あぁ、いいとも。何がいいかい? 奏は金を持っているからね。だから僕もおごってもらうことにしよう」
「なぜ俺は綾崎の分まで金を出さねばならんのだ」
沙耶の言葉に許可を出したのは賀堂ではなく綾崎。しかし賀堂は口では文句を言うが結局のところ何を言っても金を出す羽目になると分かっていた。綾崎は手荷物を一切持っていない。そしてポケットにも財布が入っていないとなると諦めるしかない。
「いいですよね、賀堂さん!」
満面の笑みを浮かべて上目遣いで賀堂の腕に抱きつく。どうにも沙耶は自身が女である事を有効に使う事を覚えてきているようだ。賀堂もため息をするしかない。
「……あぁ、勝手にしろ」
「綾崎さん。賀堂さんの許可は取れましたよ」
腕を抱きしめたまま綾崎に声を掛ける。綾崎も沙耶の姿に少しばかり驚くが手を顎に当てる。
「へぇ~沙耶ちゃんやるね。僕もあぁすればおねだりがうまくいくのか」
綾崎も賀堂の横に並ぶと胸を強調するかのように空いた片方の腕を抱く。そして沙耶に劣るまいと亜麻色の前髪から覗かせるように上目遣いをする。
「ねぇ奏。今欲しい下着があるのだけど。買ってほしいな」
「自分で買え」
「そんな事言わないでおくれよ。サービスするからさ」
胸の谷間で腕を挟む。賀堂は柔らかく人肌ほどの暖かさの感触が腕にあるだろう。しかし、動揺することはない。
「てめぇのサービスは信用ならん。さっさと離れろ」
「なんで僕にはそんな態度なんだよ。沙耶ちゃんばかりずるいじゃないか」
「私、荷物ですから!」
すると綾崎は潔く腕を話すと腹を抱える。
「いや、ほんと。沙耶ちゃんはいいね! 自分の立場をよく理解して使いこなしている。奏は元々子供にも女にも甘いから沙耶ちゃんのが上手だね」
黙っているが渋い顔だ。それもそのはず。図星だから言い返せないのだ。沙耶は賀堂の事を理解してそこに着けむので質が悪い。
「最近、賀堂さんの扱いが分かってきましたので」
「あらあら、こんな可愛い子に尻に敷かれるとはね」
いいものが見られたと綾崎は満足の様子だ。賀堂は沙耶を振りほどこうとしているが予想以上に固く締め付けられているのでしばらく諦めるしかなさそうだ。
「とりあえずどこの店に入るんだ。肉か魚か? 俺は何でもいいが」
「まずは酒だろ。それがないと話にならない」
「誰もお前に聞いてねぇ。で、どこがいいんだ?」
賀堂は掴まれている腕を動かしてお前だと合図をする。沙耶もそれに気が付くと唸り悩み始めた。しかし、視線が気になって考えるどころではない。沙耶のすぐ横にはまじまじと恨めしそうに見つめる綾崎の顔がある。
「あ、綾崎さんのオススメのお店でいいかな?」
「さすが沙耶ちゃん! 分かる子だね」
自分のお気に入りの店でもあるのだろうか。喜ぶ綾崎を見て賀堂は頭をかいている。
「まぁ、どこでもいい。綾崎、案内してくれ」
「あぁ、もちろんさ。さぁ、ついてきてくれ」
綾崎が先導すると賀堂と沙耶は人込みをかき分けながら後ろを付いていく。沙耶は初めての経験で未知なる土地を冒険しているような気分でワクワクしていた。
「んだと! もういっぺん言ってみろ!」
突如、男の声が響いた。
多数の人間の話し声をかき消すように耳にする声。よほど大声でなければ聞こえることはない状況でのことだ。
「なんだ? 喧嘩みたいだね」
綾崎が面白がって口を開いた。次に言う言葉は大体予想は出来る。
「分かった。見に行くか」
賀堂は綾崎の言う言葉を予想して先に動き始めた。さすがと言うと綾崎は賀堂に付いていくので沙耶は戸惑いながらも二人を追いかけるしかなかった。