21.……胸が見えているぞ
「失礼しま~す」
賀堂が先に浴場に入っていることもあり入ることを告げるがもちろん返答は帰ってこない。湯けむりでうっすらと賀堂の背中を確認すると隣のシャワーの前に座った。
「よりにもよって隣に座るか」
「折角ですからね。サービスですよ」
「俺はガキには興味ねぇ」
賀堂は黙々と自身の髪を洗っている。
沙耶の体つきは女子高生にしては発達している。つまり年相応の貧相な体つきではない。身長こそ高くはないが胸は平均以上の物で体全体も引き締まっている。誰もが欲情しもおかしくない身体だ。
沙耶も薄々は気が付いている。自分が女性の平均以上の胸の大きさであること。それは東京の時でもそうだった。普通の男性であれば視線が吸い寄せられていくだろう。結果的にいやらしく見ているのと変わりない。
だが、賀堂はそれがない。全く女性に興味がないわけではないだろうが沙耶の姿を見てもいつも通りだ。恥ずかしがる様子も男としての生理反応もない。堂々としていた。
つまり沙耶が賀堂の隣に座るのも安心から来ていることだろう。賀堂なら変な目で見ることも手を出すこともない。一緒に入りましょうと誘ったのもそれが関わっている。
「じゃあ賀堂さんは誰に興味があるのですか?」
沙耶も久しぶりに体の汚れを落とせるとあって機嫌が良い。高価なシャンプーのボトルをプッシュして泡立て始めた。
「なぜてめぇに言わなきゃいけねぇんだよ」
「てめぇじゃありません。沙耶です。いい加減覚えてください」
「名前ぐらいは知っている」
「そういう事を言っているのではありません」
沙耶は感じている。賀堂が女性の話をするとさりげなく話の話題をずらそうとしていることを。それはなぜなのだろうか。女性が嫌いだから。それとも苦手意識を持っている。
どれもが違うだろう。女性の扱いは長けている人だ。それに口こそは悪いが子供にも優しく好かれる人間だ。
沙耶は皐月の話を思い出す。賀堂には子供がいたことを。つまり結婚していたということだ。恐らく好きな人の事が忘れられないのだろうか。だがもうLE以前の事。何百年と生きているだろう賀堂にとっても遠い記憶に違いない。もしそうだとしたらなんて一途な人なのだろうか。
皐月は賀堂に聞いてみたらと言っていた。だがそれを聞いてどうする。奥さんもいない、子供もいない賀堂に聞いて自分は何ができると言うのだろうか。沙耶は悩んだ。他人の領域に土足で踏み込むのは無礼であろう。もし、自分が少しでも役に立てるなら。半ば賀堂をだまして福岡へと向かおうとしている沙耶にとっては力になりたいと思うだろう。贖罪というには重たい。
死んでしまうかもしれないこの命を少しでも活用できればそれでいい。
「賀堂さんって子供さん……がいたのですよね?」
沙耶の言葉に賀堂は手が止まる。少しばかり空気が止まった。沙耶も触れてはいけないものに触ってしまったのかもしれない。ここで賀堂が怒りの表情を見せてもおかしくはなかった。
しかし、賀堂の様子は至って落ち着いていた。そしてゆっくりと呼吸して、いつものため息をついた。
「……皐月から聞いたか」
小さくつぶやいた。
「えぇ……、だって賀堂さん。女性に興味がなさそうでしたので。もしかすると以前の奥さんが忘れられないのかなと……思ってしまいまして」
沙耶自身、自分が何を言っているのか、とても失礼な事を言っているのではと真っ白な思考をしていた。傍から見ればそうであろう。賀堂は別に怒りはしない。それは自分よりわずかにしか生きていない沙耶に言われたのだから。
怒りよりも虚しい、いや、情けないと思うだろう。
「そう見えるか。……まぁ、そうかも知れないな。だが安心しろ。別に女に興味がないわけではない」
区切りは遠い昔に付けた。だから別にやろうと思えば他の女に手が出せる。そう思っていたが取り分け気に入る女性が現れたわけでもない。のうのうと暮らしているうちに時間が過ぎてしまっただけの事。だが、今はそうもいかない。ためらってしまうのだ。
賀堂が真の底から他の女に目移りしない理由、できない理由は隣で優雅に頭を洗っている少女であるからだ。
沙耶は知りもしないだろう。出会ったときから賀堂の複雑な想いを。いや、知る事自体が無理だ。それは賀堂の内に硬く紐が縛られているからだ。
「……胸が見えているぞ」
お構いなしに体を洗い始めた沙耶に釘を刺した。さすがに全部を見られるのは恥ずかしいのか腕で隠す。多少の恥じらいを見せるがそれでも嫌がるわけでもない。
「えっちです。全く賀堂さんは」
「この距離で見られない方がおかしいだろ。それとも誘っているのか?」
「ば、ばか言わないでください! 私はそんなに安くありませんよ!」
「……左様で」
ならば賀堂の近くにいなければいいのだが。賀堂は沙耶の心中は分からない。ただ、仕事として請け負った荷物であるのと変わりないのにこうも懐くとは気味が悪い。人として考えればまだ成人をしていない少女だ。男に肌を見せるのも抵抗があるだろうに。
分からない。そう、分からないのだ。沙耶の考えていること、自分自身の気持ちがくみ取れない。
リンッと鈴の音が鳴る。沙耶の首輪の音だ。
沙耶は賀堂の背中に回り腕を首に回した。体を隠していたタオルはタイルに落ち、豊満な胸を背中に押し付けていた。
「でも……いつかは誘ってください。私は良いですよ」
甘くささやくように吐息を耳に吹きかけた。そして強く抱きしめる。
「俺はお前が分からん。何を企んでいるのかもな」
「別に良いじゃないですか。私は後僅かな命です。男遊びだってしてみたいですよ」
人間はひどく汚れている。どれだけ純潔、清楚を繕おうが結局は欲に従う生き物なのだ。沙耶もそれに習う。隠していようが歪んだ性癖の持ち主である事は変わりない。
「いい加減離れてくれ」
賀堂も男だ。限度がある。しかし未成年であり仕事の荷物である少女に手を出すことは出来ない。理性と本能のせめぎ合いが行われている。
「あら? こういうのはお嫌いですか?」
いつものよりも大胆になっているのは不思議だ。何かに酔っているのだろうか。まぁ、あり得ないが様子は徐々に変になっているのは目に見えて分かる。
「それを答えさせるか」
「あぁ、なるほど。そういう事ですね。よく分かりました」
笑顔で答えて賀堂から離れる。そのまま浴槽で足から入り肩まで浸かる。身をもって賀堂をからかうが結局手を出すことはないと証明した。開放的に入浴したいのかタオルを身に着けることはない。恥じらいは捨てるようだ。
「賀堂さんもこちらに来たらどうですか?」
「なぜ隠してねぇんだよ」
賀堂こそタオルを腰に巻いている。だが湯につかる沙耶は布一枚も付けていないのだ。
「賀堂さんは女性に興味がないようですのでこの格好でもいいかと思いまして。正直、タオルを外した方がリラックスできますから」
賀堂の立場を良いことに利用する。興味がないから手を出さないのではない。出せないの間違いだ。それは賀堂の複雑な心境から来ている。
「図太い神経だな。出会った時とは大違いだ」
賀堂も入浴をする。もちろん沙耶から一番離れたところだ。
「このご時世ですから。女の子も強く生きていかないといけませんからね。身なりに構う暇がない時もあるかもしれないですし」
「それもそうか」
沙耶が言うことも一理ある。名古屋で確率は無いに等しいが壁の外で水浴びをしていた時に襲われたらと考えると服なんぞに構っていられない。
恥じらいがないなら都合がいいこともある。二人きりで旅をしなくてはいけないとなると常に一緒にいなければならない。男女である事からそれなりの配慮をしなくてはならないが今の沙耶を見る限り大丈夫だろう。
湯は心地よい。冷え切った体を温めてくれる。しばらくはゆっくりできるだろう。
それに特例法があるのだ。賀堂はしばらく名古屋を離れることが出来ない。近々、連絡が来ることだろう。それまで体を休めなくてはならない。その内、死者が出るほどの戦闘が待っているからだ。