17.雨天の街道
徒歩にしては厳しい天候となった。賀堂らが東京を出てから晴れが続いた。しかし本日は雨。今までの分が一日に凝縮されているかのように土砂降りとなった。
「賀堂さん! 雨で前が見えません!」
二人は名古屋がすぐそこであること、道は比較的整備された街道であることを理由にこの天候化でも歩き続けていた。
「はぁ? なんだって? 聞こえんぞ!」
「だから! 前が見えないです!」
「お前だけじゃねぇよ! はぐれないように捕まっておけよ!」
沙耶は賀堂のずぶ濡れのスーツの裾を必死に掴んでいる。でなければ強烈な雨天ではぐれてしまいそうになる。そっけない態度だが賀堂は沙耶だけに構ってはいられない。右手でムーの誘導を行わなければならないからだ。
ムーは天候にも強く雨だろうが嵐だろうが動ける生物だ。ただ突然変異をした動物ではないことを証明するように力強く賀堂に付いていく。唯一の欠点は誰かが引っ張ってやらないといけないことだ。
「方向はこちらであっているのですか!」
まさか視界が見えないからと言って闇雲に進んでいるのではないかと疑念を抱いてしまう。
「んなわけねぇだろ! 何十年この道を使っていると思ってんだ!」
「いやだってこんな視界じゃ疑いたくもなりますよ!」
目を開くのも困難。そしてレインコートなど雨具を持ち合わせていないので服が水を吸い込んでどっしりと重くなる。当然、歩く速度は遅い。
「寒いです! 早くお風呂に入りたい!」
「風呂みてぇなもんだろ! 汚れは落ちたから文句を言うな!」
「水風呂ってことですか! しかも服着たままですよ!」
「おめぇは一々うるせぇな! だったら脱いじまえ!」
沙耶は賀堂の言葉に反応して雨粒が押し寄せる中、力を振り絞って背中をたたき続ける。
「馬鹿じゃないですか! 女の子にそんな事言わないでください!」
「だったら口を閉じて前に進め。さっきから重てぇんだよ!」
「失礼な! 私は重くありません! 軽い方ですよ!」
「はぁ? 何言ってやがる。ムーの事だよ!」
どうやら悪天候のおかげか二人の会話はけんか腰になる。別に口論に発展するわけではないがそれほど声を出さなければ雨音でかき消されてしまうのだ。
「騙しましたね! その言い方だと私に言っているとしか思えません!」
「騙すも何もお前が間違えたんだろ! むしろこの世界じゃ騙される方が悪いんだよ! 頭に叩き込んどけ!」
沙耶はどうにも納得いかない様子だが声を上げたせいで息が荒くなる。今まで大声を出したことのない沙耶にとっては体力が奪われる行為だった。だが、体力を削ってでも言いたいことだってある。それを言ったまでだ。
「まだですか! もうこの雨の中、随分と歩いていますけど!」
「もうすぐだ! そろそろ見えるはずなんだが」
誰も通らぬ街道の先を見る。晴天ならばすれ違う小隊や旅人、その他様々な人間と情報交換をするがこんな状況じゃ叶うはずもない。
本来ならここから名古屋の壁が見えるはずなのだが視界は遮られている。もう少し近づかなければ見えないようだ。
天候も鬼ではないようで次第に勢いは衰えていく。それでも足場や視界は悪いが多少はマシになる。そこで賀堂が見た光景は思いもよらぬものだった。
「な、何だこれは……」
決して起きてはならない。滅多に、いや、賀堂の年齢でさえも稀にしか見ることのない事。それが名古屋で起きていた。
「が、賀堂さん。あれ……」
沙耶も気が付き目を開いて凝視する。まずありえないと考えるだろう。そして恐怖が襲うのだ。絶対に安全な場所はどこにもないということを痛感する。
二人が見た光景は名古屋の壁の一部が倒壊していたのだ。
「か、壁って壊れるものなのですか!」
「い、いや。滅多に起きねぇぞ。そもそも、あの大きさの壁を壊せる生物なんて数えるほどしかいねぇはず」
歳の壁はまさに要塞の如く頑丈で防衛設備を完備されている。並大抵の生物では破壊することも近づくこともできない。壁には常に軍隊や観測員、自警団なる者が四六時中見張っているので万が一攻め込まれても撃退するには容易い。
だが、今回の一件はそれが叶わなかったようだ。壁の損傷がそれを証明している。
「名古屋は大丈夫なのでしょうか」
沙耶が気になるのは壁の中だ。壁が壊れるということは即ち、ウイルスで変異した生物が襲ってくることを意味する。なら壁内は怪物たちの巣になっているのではと考えるのだ。
「それはねぇな。いくら一部が壊れたからと言って安々と中に入れるほど名古屋はヤワではない。まず、そこは安心しても大丈夫だ」
賀堂は恐らく壁を倒壊させて一度撤退したのだろうと考えている。それには賀堂が今までに経験したことが根拠になる。
本能のまま食の為に人間を襲う怪物たち。同種のみしか結束しない習性を持っているのだが例外があるのだ。賀堂はそれに心あたりがある。
「賀堂……さん?」
歴戦の賀堂の表情が強張り始めた。余裕を出すことができない何かが名古屋に近づいていると言うことは一目瞭然。沙耶もそれには気が付いている。
「よく聞いておけ。もしかすると俺はしばらく名古屋を離れることができないかもしれない」
「……それはどういう事ですか?」
「詳しくは俺の家でしてやる。今は急ぐぞ」
雨粒の弱まったこともあって足早に移動をし始める。その背中は何か焦っているようだ。怯える様子ではない。でも、勇ましいわけでもない。ただ、急いで壁の中に行きたいという気持ちが現れているようだ。