9.ごめんなさい……ご主人様。
「……ここは?」
少女が目を開くと暗闇だった。遠くの方で水滴が落ちる音が鳴り響く気味の悪い場所。冷気が体中を覆い寒気を感じる。背には岩肌のような感覚。足元は砂地である事は理解する。おそらく自然にできた洞窟か何かに手を加えたのだろうと思った。
突如、肩に激痛が走る。天井から垂れる鎖で手首を縛られ自由がきかない。強く引っ張ろうがびくともしない冷たい枷だ。
まだぼんやりとして思考がうまくできない。確か森林で霧が出たかと思うと腹部に強烈な一打をもらった感覚が残っている。この腕ではさすることもできない。
捕まってしまったんだ。
今の状況からそう思ったに違いない。リーパーは賀堂たちが森林に侵入したときから好機を狙っていたのだ。そして獲物は私だったのだと。
「これからどうなるのでしょうか」
吊るし上げられた腕の感覚はみるみるとなくなっていく。座りたくても鎖の長さが足りずにできない。かかとから痛みが足に回るのも時間の問題だろう。
しばらくすると目が闇に慣れ始める。目の前を凝らしてみると棒のようなものが何本も建てられていた。いわゆる牢屋であることが分かる。
どうにかこの鎖を外そうと辺りを見回すがめぼしい物は何もない。石ころしか転がっていなかった。
足音が聞こえる。ザッザッと砂地を歩く音が次第に大きく響き始めた。
誰か来ているのだろう。おそらく音から一人ではないだろうかと沙耶は思う。
足音が止まった。その時には牢の前には人影が見える。暗闇では人がいるとだけ分かるがそれが誰なのかは検討も付かないし分かるわけがないだろう。
牢の鍵を開けると中へと入ってくる。まるで亡霊が沙耶へと近づいているかのようだ。それほど明かりとは縁のない場所だ。
「久しぶりだな。まさかここで会えるとは思っていなかった」
口調は男らしいが紛れもなく女性の声だ。
誰だと思うのが普通だろう。だが沙耶は声を聞いた途端に体中を痙攣させ怯え始めた。口元はガクガクと震え声がまともに発することができない。
人影は手に持つ松明に明かりをつけ壁に掛けた。黒を基調とした軍服を着る女性の顔が現れる。キリッとした顔つきにやせ形の体系。背中に伸びる艶やかな髪の毛が大人びた印象だ。
「な、なぜここに。扇!」
瞬間、沙耶の腹部に重い一撃が飛ぶ。
「か……はっ……」
呼吸がままならない。空気を求めて息を吸うが取り込める量は少ない。呼吸をするたびに腹部に激痛が走るからだ。
「気のせいか? 私の呼び方が間違っている気がするのだが?」
サディスティックな表情で沙耶の後ろに周り顔を触り始める。首筋を舐めながら自由の効かない沙耶の代わりに腹をさすっている。
「あ~あ、こんなだらしない顔しやがって。痛かっただろ? でもな、沙耶が悪いんだ。きちんと教えたとおりにすればいいんだよ」
意識が朦朧とする沙耶にまともな思考はできない。でも本能や体が覚えていることは自然とできる。虚ろな表情で沙耶は答えた。
「ごめんなさい。ご主人様……」
「良い子だ。最初から反抗しなかったら沙耶の大事な体を傷つけずに済んだのに」
「はい。気を付けます」
扇は従順な沙耶の頭を優しくなでた。沙耶も喜びの表情を見せる。
「お前が東京から消えたときは驚いたものだよ。それに福岡に送るはずの部下が死体で見つかってね。何か知っているかい?」
沙耶は答えない。だが体は小刻みに動いている。
「別にいいんだよ。一人ぐらいいなくなったところで構うものか。私は沙耶が無事ならそれでいい」
扇の手は次第に苛烈さを増していく。沙耶の体中を揉みまわすように触り続ける。沙耶の吐息の量も連れて大きくなる。
「なぁ、そこで頼みがあるんだ。適合者の研究資料やら研究員をぶっ殺してきてくれないか? 元々派遣する部下の仕事だったんだ。上の命令なんだよ。なぁ、いいだろう?」
「わ……私は……」
「どうした? できるだろ? うまくいったらいい夢を見させてやるからさ」
断ることはできない。もし逆らったらまたひどい目に会ってしまう。頭ではダメだと分かっていても体は言うことを聞かない。沙耶はうなずいた。
「沙耶は本当にいい子だ。初めて会ったときの反抗的な態度が懐かしいな。あれはあれでいい物だったんだけど。やっと家畜としての自覚が出てきたな」
再び頭をなでると沙耶の顔をほころぶ。扇も沙耶の表情を見てまるで小動物を愛でるかのようだ。
しかしだ。扇の口調はここで一転する。
「沙耶、よく聞いてくれ。私はこのままおとがめなしでもいいと思っているんだ。だけどな、規律がそうはいかないんだよ。許してくれ」
「ご主人様……どうかお許しを……」
「あぁ、私のかわいい沙耶。大丈夫。悪くはしないさ」
扇はべったりと密着していた沙耶から離れると持ってきた袋を引きずる。何か重たい物を引きずるような音だ。
「何にしようかな。首輪にしようか。沙耶に似合うと思って買っておいたんだよ。気に入ってくれるかい?」
元は犬に着けるような鈴のついた首輪を沙耶に取り付け始めた。最後に爪ぐらいの小さな鍵で錠を掛けると扇は鍵を自らの舌においてのみ込んだ。
「丈夫なんだよ。どんなに引っ張っても切ろうとしても外れないんだ。よく似合っているじゃないか」
動くたびに鈴の音色が狭い空間を響かせる。
「ありがとうございます。ご主人様」
「かわいい沙耶のためだもの。他にもいろいろ持ってきたんだ」
袋から中身をすべて出すと拷問器具が出てくる。そしてどれを使おうかと吟味しているのだ。
「どれがいいかな。そのでかい胸にピアスもいいな。そしてリードを付けたら可愛くなる。首よりも最高だ」
狂気。一言で表すならそれがふさわしい。不敵な笑いと狂った思考回路。いや、彼女の場合はそうではない。高等な遊びとでも捉えているのだろう。凡人にはたどり着けない高貴な領域にいるのだと。だから最も人間らしく生きるのは私の他誰もいないと思っているに違いない。
「ヒヒッ。これがいい」
彼女が持ち上げたのは鋭利な刃物でもない、重圧な鈍器でもない。一本の注射針だ。
「や……やめっ」
調教された沙耶が発したのは本能の言葉だ。松明の明かりに反射する短い針の先には液体が垂れ流れている。どれだけ泣こうが叫ぼうが注射針を持つ人間は狂った扇だ。人間ではない。自分の快楽の為に他人を廃人とするのに抵抗がない化け物だ。
「なぜ嫌がる? これを打てば沙耶はもっとかわいくなれるのに。さぁ、こちら側においで」
「お願いします! それだけは!」
必死に掴まれる腕を振り払おうと抵抗をする。だが扇の細い腕はか弱そうに見えてそうではない。軍人として鍛えられた柔軟な筋肉が付いている。
結果は明白だ。一瞬の隙に注射針は沙耶の首元に突き刺さっていた。