7.私ってイケない子
「ん~。おいしいです!」
夕食の時間となり賀堂たちは皐月の家、もとい村長の家で食事を取っていた。食卓に並ぶ料理は皐月の腕によるもので沙耶にとっては久しぶりのまともな食事だ。東京を出てからは携帯食料や缶詰ばかり食べていた。バランスのとれた栄養は取れるが味はいまいちで沙耶の舌には合わなかった。
「そう言ってくれると嬉しいわ。いつもならおと……、おじいちゃんと居候しかいないからね」
「おい、じいさん。言われとるぞ」
賀堂は自分の事は言われていないと思っているようだ。沙耶にとっては居候は賀堂だと思っているのだが当の本人は誰だと思っているのだろうか。
「何を言っておる。お前さんの事だよ」
高齢であり背は曲がり動作は非常にゆったりとしている。長く伸ばした白いひげを振らしながらしゃがれた声を出した。
「残念だけど俺はじじぃでも居候でもないのでね。じいさんがちょうど当てはまっていると思ったのだけどな」
「ほぉ、面白いこと言うじゃないか。ワシはまだ若い。それよりもお前の方がワシより歳を食ってるだろ。皐月はワシの娘だから居候はおかしいのぉ」
今にも手を出しそうに睨み合う二人だ。でも村長は賀堂と比べると体も小さい。老いもあるので賀堂には敵わないだろうなと沙耶は二人のやり取りを見ていた。
「皐月さん。あの二人って仲が悪いのですか?」
皐月も苦笑いしながら言う。
「まぁ、悪いと言えばそうなのだけど実際はそうでもないのよね。昔、いろいろあったみたいなの」
さすが長年生きている適合者とあって火種は撒いているようだ。村長も負けずと威勢のいい言葉を言っている当たり勝算があるかもしれない。
「ほらほら、喧嘩ならあとでやりなさい」
手を叩いてその場を取り計らう皐月の言葉で大人しくなった。何か物を言わせない何かを持っている。
「喧嘩か……。昔のように相手してやるかのぉ」
「はぁ? そのなよなよした体でか? 若い時とは違うんだ。じじぃは大人しく散歩でもしてな」
「ほぉ、なら試してみるか?」
「いいぜ。表に出な」
威勢よく立ち上がろうとした賀堂の背後には皐月の影。
「私の話を聞いていないのかしら? なんなら私がまとめて相手をしてあげてもいいわよ?」
「さぁ、飯でも食おう。ほら酒が足りないんじゃねぇか」
「おぉ、すまんの。お前が持ってきたもんだからよけ美味いわい」
なんだろうこの人たちと言わんばかりに三人のやり取りを見ている沙耶。本当に仲がいいのか悪いのか分からない。でもこの空間が非常に楽しいということは間違いない。外の世界ば新しい事ばかりで新鮮だ。それが自分にとってどれほど意味のある事か分からない。こうして大人たちに囲まれて食事するのも初めてのことである。
来客の音がする。扉を乱暴にドンドンと叩く音。皐月は返事をしながらドアを開いた。沙耶も皐月の動きに合わせて視線を動かす。皐月が扉を開けると外には男の姿があった。
「……っえ? うん。分かったわ。私たちも探してみるわ」
皐月が扉を閉めると深刻そうな顔で戻る。それを察したのか皐月がいなくなった途端、いい争いをしていた賀堂と村長も口論をやめる。
「何があった?」
賀堂が低い声で尋ねる。
「どうやら子供が一人家に帰っていないようなの。この辺りにはいないらしいわ」
「それはまずいのぉ。もしや外に出たかもしれん」
「面倒なことになったな」
つまりコミュニティーの領域外に出た可能性があるということだ。村という言葉が分かりやすいだろう。村の中にいたのならば捜索に出た大人が見つけているはずである。だが今はそれが叶っていない。
村の中は比較的安全だ。だが一歩でも外に出れば怪物たちがうごめき、リーパーたちが潜んでいるかもしれない。
「奏も手伝ってくれるかしら」
「しかたねぇ。んじゃ行くか」
賀堂は立ち上がり皐月の後を追って家を出ていこうとした。
「待ってください。私も……」
行かせてくださいと言おうとしたに違いない。しかし賀堂が遮る。
「ダメだ。ここで待ってろ」
賀堂だけではない。皐月は何も言わないが鋭くなる目つきは身の毛がよだつ。
何もできない気持ちと役に立ちたい気持ちがぶつかり合う。私は大人だ。子供のようにわがままを言って困らせることはしたくない。
「分かり……ました」
「おい、そう気落ちするな。自分のできることをやればいい。無駄に背伸びはしなくてもいい」
「賀堂さんはずるいです。いつもそうやって自分だけでやろうとします」
「ほんとめんどくせぇ奴だな。ガキはガキらしくなんも考えなくいいってことだ。ここは大人に任せておけ」
賀堂は沙耶の頭をこつんとする。だが不満そうな顔だ。大人ぶっているがまだ子供だなと賀堂は思った。
「それではお父さん。ここはお願いします」
皐月は村長に向かって言う。
「言われんでも分かっておるわい」
特に慌てる様子もなく料理に手を着ける。その堂々とした態度はさすがコミュニティーをまとめるだけのことはあると分かるだろう。弱弱しい印象はもう見受けられない。
「じいさん。沙耶を頼んだ」
賀堂と皐月は扉を開け出ていった。
家に残るのは沙耶と村長だけ。沙耶も再び床につき、囲炉裏の火を見つめていた。
「沙耶ちゃんは東京から来たんだったかな?」
気を利かせてか村長はうなだれる沙耶に声を掛ける。
「あ、はい。そうです」
「外の世界には慣れたかな?」
「自分では分からないです。もう慣れたかなと思う時もあるのですけどそうでもない時もあります。何でしょう。自分が分かりません」
揺らめく火を見てつぶやく。こうして火を見つめていたのは何度目だろうか。賀堂とこのコミュニティーに来る前にも何度も見ているはずだ。でもなぜか、口では慣れた、大丈夫とは思っていても実際はどうだ。もしかすると強がっていただけかもしれない。
「ワシもこの世界には慣れんの。本当に殺伐としておる。力なき者はすぐに死に絶える」
「おじいさんから見て私はどう見えますか?」
ふむと言い沙耶を鋭い眼差しで足から頭までを見る。
「自分ではどう思うかい?」
「私は……」
強き者と言えない。沙耶は口を噤んで床に置いたエムナインや拳銃の改双に触れる。賀堂にもらったこの二つがあれば自分の身は守れる。いや、賀堂だって守れるはずと思うに違いない。
だが村長は沙耶の本心に気が付いている。外の世界で長く生きた人間だ。まだ子供が銃を持つということがどういったことかはよくわかっている。
「自分で分かっているならそれでいい。慢心は身を亡ぼす」
そして村長は床で寝ている銃に指をさした。
「それはあくまでも身を守るものだ。沙耶ちゃんの場合はね」
そうですねと現状の自分の弱さを受けいれざるを得なかった。沙耶は自分よりも何倍も生きている人には誤魔化すことはできなかったのだ。
「もとよりそんなものを使わない方がいいのだがな!」
笑みを浮かべる。だがその笑みは何やら不気味なものだった。それは本心かと沙耶は思う。言葉とは裏に何か違うものを持っているようだ。
それはそうとしてもう遅いから寝なさいと離れの一室を紹介される。が、沙耶は寝付けないでいた。
今頃、賀堂はどうしているのだろうか。行方が分からない子供は大丈夫なのだろうかと頭の中は考えることで埋め尽くされていた。
暗闇の一室には目につくものは何もない。空いた窓から顔を覗かせる月の淡い明かりの中で反射する銃たち。沙耶は何気なく床に置かれたエムナインとH6-改双に触れる。
持ち上がるとやはりずっしりと金属の重みが腕に伝わる。日中は肩に下げ、足に取り付けているせいか特に意識しているわけではない。しかしこうして銃と向き合って持ち上げてみると違う。それが悪夢を呼び起こすのだ。
実際に銃を撃った感覚。弾丸を食らい力が抜けたように倒れる人間。必死にもがき私に向かって呪いの言葉を放つ。
そう、私は人を殺したことがある。それは事実なのだ。
どれだけ繕おうとも変わることのない事。思い出すと手が震える。この震えは怯えなのだと思っていた。いや、怯えだと思い込んでいた。賀堂に自分の為に戦いたいと話したことも本心だと思っていた。だけど……、だけどそれは嘘なのかもしれない。
だって、あの感覚が忘れられないから。あの衝撃が焼き付いているから。
指を引くだけで人間は死ぬ。たった一発の弾丸が憎い人間を殺す。あの時の男の顔ときたらそれは至高のものだった。満たされない心に染み渡るように快楽が流れ込んできたのだ。
沙耶の顔はほころぶ。
外の世界に出たのだ。東京から出たのだ。いつ、その機会がやってきてもいいはずなのにまだ巡り合えていない。
「あぁ、待ちきれない。これで感じる時はいつなのかな」
少女とはいいがたい。何かにとりつかれた女の顔だ。満たされない体を鎮めるが如く銃口の匂いを嗅ぐ間、かすかな硝煙の匂いが全身を感じさせる。
「はぁ……はぁ……、ふふっ、私もイケない子ですね。賀堂さんに見つかったら怒られてしまうかもしれません」
沙耶は自分の体の異変に気が付いた。
「あ~あ、どうしましょうか。やはり賀堂さんに下着を買ってもらわないと」
指を舐めあげて妖艶な笑みを浮かべる。味わうように、しゃぶりつくすように舐めた後は横になり目を閉じる。明日になれば楽しいことが待っているかもしれないとワクワクした気持ちを抑え眠りにつく。