5
その声に誘われて階下に降りたオッサンは手に持ったバックについてグレイスの父親に訊ねた。
彼はグレイスの持っているカバンを見ると渋い顔をしながら教えた。
案の定、グレイスが十歳を迎えたときのプレゼントだった。
オッサンの良心がガリガリと削れるのが解った。彼は話を逸らそうと、声も気配もしないグレイスの母親の事をたずねた。
昼食の支度を終えて、急な注文が入ったので商品の配達に出かけたと告げられ、その後で近場の店だからすぐに帰ってくると言われた。
店番をしなければいけないので、先に食べてくれといわれ、オッサンは明け方朝食を取った場所へと向かう。
明け方見た部屋の様子が薄墨の目には違って見えた。
明り取りの窓から差し込む光で、辺りは明るくなっていた。
食卓にあった物を見ておっさんは戦慄する。
朝食に食べた物と同じ物だった。
ただ、朝食で食べたものより幾らか具が少なく、汁多めといったところ。
あえて言うなら、朝食の残りと言った方がいい。後パンと言うより味のしない硬いビスケット。
それらが食卓の上に並んでいた。
「ホント、うまくないんだよな、これ」と、オッサンは朝座っていた席に着く呟いた。
薄墨は言葉に出すつもりはなかった。スープを見たその瞬間、オッサンの心情がそのまま出てしまった。そして失言した事に気がついた薄墨は辺りを見回した。
薄墨の視界には誰もいないことに安堵する。
オッサンはため息をつきながらも食事に手をつけた。
一口、掬い口に入れる。不味いと思う自分と不味くない自分がいるのをオッサンは自覚する。何故これがうまいと感じるのか、わからん。と、心の中でぼやく。
自分が今置かれている状況を理解しながら、食べられる事に一応は感謝する。
しかし、それも一口、二口と食べ物を口に運ぶともっと、うまいものを食べたいという欲求が出る。と同時に、これは食材が悪いのか、調味料のせいなのか、料理の仕方の問題なのか、作り手の問題なのか、という疑問がわいてくる。
よく見ると豆のようにも見える雑穀の粥みたいな代物に動物性のたんぱく質なのだろうが、肉と言うにはおこがましい物。あえて言うなら肉脂肪の塊みたいな物でブヨブヨとした物、これがなかなか噛み切れない。噛むと肉汁が出るのだが、生臭い、油が痛んだような味があふれ出る。
口に入れてもごもご噛み締めるたびに出る汁に薄墨は顔を歪ませ、声に出ないよう気お付けながら心の中で毒づいた。
何の罰ゲームだ、と。
薄墨はすぐにも
スープは野菜などの色素が溶け込み幾分色がついてはいるが、透明度は高く皿のそこが見える。
皿は、深い緑色をした陶器だった。食べなれぬ、具を汁を残して全て浚ったそのスープにぼんやりと見慣れぬ顔が映る。
髪の毛や目の色など詳しくわかるほどはっきりと映りこんではいないが、目鼻立ちぐらいはわかった。
これが俺、いやグレイスの顔か?
薄墨は左手で顎をなでてみる。ぼやけた姿に手が映る。
どうやら自分、今現在の姿だと認識すると薄墨は何ともいえない気持ちになった。
薄墨がいた日本の価値観でいうなら、俗に言えばイケメンの部類だろう。
薄墨自身、おおかっけー、と賞賛する。が、薄墨の中の何かが引っかかる。妬みか、それともそれ以外か、それらを含む何かか。それが何なのかはわからない。
これがグレイスと呼ばれる人間であると言う事を今初めて薄墨は認識したのだった。
自分なのに自分じゃないというわだかまりを抱えつつ、薄墨は残ったスープに匙を入れすくったスープを飲む。
クソ不味い。
先程の気掛かりな懸念材料を思考を吹き飛ばす程の不味さが薄墨を支配した。
本来、食事と言うものは数少ない手の届く幸せの一つだという考えが薄墨にはあった。そして、その幸せをかみ締めるもっとも尊い時間だと、薄墨は思うのだ。
そんな高いものじゃなく、手の込んだものでも無くていい。野菜炒めみたいな簡単な物でも旨い物は美味いのだ。塩味とニンニク、唐辛子、しょうが、コショウと言ったもの
だから、『もうちょっと、なんとかならんのか』とか。『もっと何かやりようが、有るんじゃないか』とオッサンは思わなくは無い。
普段なら食が進むような代物ではないはずなのだ。いくら薄墨の母親のメシマズで鍛えられたとしても、この食事に食指が動くのに薄墨は自身吃驚したし、またその事に少々違和感を感じていた。
そして次にどうすれば、それなりにおいしく食べれるかという考えに移行しながら、オッサンは口にする。味噌があれば、それなりにごまかせるのだろうな。という考えに至るがどうなのか、と考えていた。
そうこうしている内に器の中身が後一口で終わりそうになったころ、店頭が騒がしくなった。
オッサンの耳に幾人かの子供の声が届く。その応対をしているのはグレイスの父親だ。
途切れ、途切れ聞こえてくる会話の中の言葉からグレイスの友達か。と、オッサンは当たりをつける。
彼らの声を聞いて、なぜかオッサンの心とは別の何かが、いや体がざわめいた。
オッサンからしてみれば聞いたことのない声だった。だが、懐かしいさといっていいのか、とにかく居ても立ってもいられない。すぐに、何もかも放り出して駆け出したい気持ちになる。
突然友達が遊びに誘いに来て、勉強やら宿題やらやらねばならない事を後回しにして遊びに行った子供時代をオッサンは思い出す。
その後、親と現実と、十年先の未来の自分にツケがやってくる。四十過ぎても払えない利息に四苦八苦する。もう元本に届いたのかオッサン自身わからない。考えなくてもいいことまで思いを巡らしたオッサンは声変わりしていない声で我に返った。
体が覚えているという事なのか、ともオッサンは思い浮かんだが、実際のところわからない。
ただ、この機会を逃す手はオッサンにはなかった。
頭に浮かんだ事を書き留めた時、生まれ変わりか、狐付きや悪霊付きと呼ばれている類のものなのか、それともそれ以外の何かなのかと思い悩んだ。
散々悩み、悩んだ挙句答えが出なかった。次に、元の世界、日本に戻る為にはどうすれば良いのか、と言うことも考えた。戻るとしたら何時戻るのか、結局わからない。最悪、ここで生きねばならない、という答えがでた。
とにかくオッサン自身、この体の持ち主、グレイスと呼ばれる少年の事もこの世界の事も知らない改めて認識した。
だが、…とオッサンは考えた。彼らに何か聞いたり、訊ねたり、問うたびにこちらの神経が削れる表情を浮かべられるのは正直、遠慮したいところだ。と、オッサンは思う。もちろん、そんな事は言ってられないのはわかっているが、心情的に拒否感があった。
だから、グレイスの両親には出来れば、聞きたくはない。聞くとすれば、あれは最後の手段だと。
では、両親以外で気楽に聞ける人間は? と、いうとグレイスと言う人間の交友関係か、新たに人間関係を構築するしかない。
この世界の社会体制が判らない状態で新たに人間関係を築くのはオッサンにはハードルが高すぎる。この世界に奴隷制度があるかどうか、わからない。へたに、何も知らないで話し掛け、騙されて奴隷になるかもしれない。
ただ、同じ年の友達だったらどうだろう。と、考える。危険度はぐっと下がるのではないか。もちろん、だからといって、油断はできないが…。と、薄墨はそう答えを出すのだった。
だが、その友人たちも名も知らず、何処にすんでいるかもわからない。ここら辺の地理もわからない。
如何したものかと書き留めていた当初頭を悩ませていた。なるべく両親に聞かずに知識を仕入れたいと考えていた
それが向こうからやってきた。さて、どうしたものか。と、オッサンは逡巡しながら、器に残った汁をスプーンで掬わず器ごと口に付け、スープを飲み干す。胸のむかつきを感じながら、薄墨は急いで声の元に足を運んだ。
店頭にいたのはグレイスの父親だけだった。丁度、仕事に掛かるところだった。
「あれ? 今誰かと話してなかった? 声を聞いたら、ちょっと表現できないぐらい心が掻き乱されたんだけど…何か懐かしい…と言うか、もしかして友達か何か?」
オッサンがそう言うと、グレイスの父親はまじまじとグレイスを見返し、「そうか」と吐き出す。それから、言葉を続けた。
「グレイスが倒れたとき、知らせに来てくれた子達だよ。良く遊んでいた。お見舞いと言うか、その後の経過はどうか心配してきてくれたようだ。だから、今は気を取り戻して、大事を取って安静にしていると言っておいた」
「体調はもう大丈夫だ…よ。会って礼を言っておきたっかたんだけど…」
オッサンは話している途中で、十歳の子供、いやグレイスがどんな口調で日常的に父親母親に接していたのかと、ふと意識した。とたん、ちょっと、しどろもどろになって仕舞った。
「いや…、しかし…。彼らを覚えているのかい? 記憶が戻ったようには見えないのだが…」
そう言ったロレン顔は、困惑と期待に満ちていた。
薄墨は彼の表情を読み取り、心の隅で謝った。
「覚えてもいないし、戻っていないけど…。記憶を戻すためにも、彼らにきちっと礼を言って、今の状況を正直に話して、協力を仰ぎたい。それも早いうちに。時間がたつと礼を言いそびれてしまいそう…」
そう言いながら果してこちらの十歳はこんな事を口にするのかと言う疑問を持ちながら、
「それとも僕が記憶を失った事を他人に言うのは、店にとっても…、風聞が悪い?」
と言ってオッサン首を傾げつつ言ってみた。そして、そう言いながら薄墨は後悔した。
「いや、そんな事はない」
父親は狼狽し、否定してから逡巡する。それから自分に言い聞かせるように
「そうだな…。確かに早めに言った方が善い…」
と呟くのだった。
「じゃぁ、ちょっと行って来るよ」
グレイスの父親ロレンの許可を得て、薄墨は駆け出しドアに手を掛けた。
「あっ」その友人たちの顔を知らない事を思い出し、慌てて振り返る。
「どんな服を着ていた」
ロレンは呆れと他の何かが混じった表情をしつつ答える。
「緑色のローブを着ているよ。学院から帰りがけに寄ったといっていたから」
そう言って、父親は入り口のドアを開ける。と、その次いでとばかりに、顔を外に出して左右を確認する。それから、店内にいるオッサン顔を見ずにを手招きしながら、声を上げる。
「おーい、ちょっと待ってくれ。君たち!」
手招きに応じ近寄ってきたオッサンの背を押しながらをドアの外に追いやり、
「グレイス、彼らがそうだ」
と指差しながら、教える。
そこには緑色のローブを着た三人がこちらを見ていた。
「ありがとう。ちょっと話してくる。もしかしたら遅くなるかもしれないけど、なるべく早く帰るように努めるよ」
オッサンは扉から顔を出しているグレイスの父親に話しかけると下り坂の途中で手を振っている子供たちに駆け寄った。
下りの途中でグレイス=オッサンを確認した彼らはそれぞれ、大きく手を振たり、ピョンピョン跳ねて身体全体を駆使した歓迎の意を伝える。
三人の中で一番背の低い男の子が数歩前に出て、ピョンピョン跳ねている。一緒に栗毛の髪の毛も跳ね上がり日の光を受けを毛先が綺麗に光っていた。
その脇には女の子が、笑顔を見せながら小さく手を振っている。外されたフードから出ている金髪の髪の毛が光を受けている。可愛らしい笑顔を向けていた。
背の高い男の子は大きく手を振り続け、その表情とともに喜びを表現している。その事により被っていたフードがずれ、短めに切りそろえた赤い髪の毛をしていた。笑顔がまぶしい。
それを見て、微笑ましく思うオッサンがいた。そして何よりも羨ましいとも思った。グレイスと言う人物を。
もし、自分が結婚していたら、多分、目の前にいる子供たちの年齢位だろか、薄墨は考える。
姿は子供でも中身は四十を超えたオッサンだ。それをもし、正直に伝えたらどうなるだろう。そう考えると、彼は少し微妙な感じを受ける。
そして、自分が子供のときこれほど友好的に迎えられたことがあっただろうか、ともオッサンは思うのだ。
何はともあれ、どうやらグレイスと言う子供は自分と違って友好的に人付き合いをしていたようだとうらやみながらも安心した。
さて、こんな時どうすればいいのかとオッサンは、はたと考える。外見は十歳かもしれないが中身は四十歳を越える。プライドなのかはわからないが、抵抗があるのは確かだ。
が、身体自然と動き、オッサンの意思とは与り知らぬ間に彼らに駆け寄っていた。内心驚くも、ある意味、歳相応の行動かも知れない、と。
そして、走っている間、どう話しかけようかと悩んでいたが、答えが出る前に彼らの前に着いてしまった。
息を整えつつ、思いついた事を意気おいでとりあえずオッサンは話し始めた。
「父さんから聞いたよ。君たちが倒れている僕を見つけて、父さんを呼んでくれたんだってね。ありがとう。何が起こったのか、今でもわからないんだけど、お陰で助かった。本当にありがとう」
口から勝手にグレイスの父親の事を父さんという言葉が出たことに驚きつつ、また何とも言えぬこそばゆさと抵抗を感じながら、そこまでを一気にオッサンは言った。また、こちらの世界の感謝の気持ちを伝える作法は知らないが、オッサンは思わず出た日本式の作法で頭を下げた。
顔を伏せている薄墨には見えなかったが、呆気に取られた彼らの顔がそこにあった。
彼らの沈黙がオッサンの心をかき乱す。
やっべ。しくじったか、とオッサン内心焦るも、顔を伏せたまま言葉を続ける。そして焦りすぎて、ぐだぐだの言葉が出てきた。
「それと、お見舞いいに来てくれて、本当にありがとう。心のそこから感謝している。感謝してもし足りない」
彼らの中で倒れる以前のグレイスとかけ離れているのか、それとも別の何かなのかオッサンには計り知れない。
ただ、彼らもそんなグレイス=オッサンを見て取り乱していた。
「ちょっ、ちょっと。どうしちゃったの?」
真っ先に言葉を掛けてきたのは金髪の女の子だった。その言葉にピョンピョン飛び跳ねていた男の子が我に返り、声を張り出しながら、
「そうだよ。そんなことするなよ」
と、困惑した表情を浮かべて言った。
「友達だろう。気にするな」
と言いながら背の高い赤毛の男の子と共に背の低い子が、グレイス=オッサンの下げた頭を肩をつかんで引き起こす。引き起こされたオッサンは頭一つ分背の高い子を見上げると、彼はグレイス=オッサンを見ながら言葉を続ける。
「感謝されるような事はしていない。当然の事をしただけだ。待ち合わせの場に行き、そこで倒れていたグレイスを見つけた。だから、君の家の人間に知らせた、それだけだ。君だって同じ事をするだろう。もし僕が同じように倒れていたら、僕の家の人間に知らせるだろう」
おおぉ、と内心オッサンは驚いた。自分のお目が見開くのを自覚しながら黙って彼を見て、首をかくかく縦に動かす。
齢十歳でこういう言葉が出てくる彼をオッサンは素直にすごいと思い、また尊敬すら覚えたのだった。そして、自分が同じ年だった時の頃どうだったのかと邂逅するのだが、自分はそんな受け答えが出来るほどしっかりしていなかった自信がある。
当時の自分なら、かっこつけてるだの、暑苦しいだのと批判、いやあれはやっかんでいたというのが正しいだろう、そうオッサンは彼を見て思うのだ。
だが、目の前にいる若者達とは命ある限り、無二の親友として互に存在し続けるようにするにはどうすべきなのか、オッサンは過去の自分の間違いを振り返ろうとするがそんな時間はなかった。互に触発され、高めあい、認め合う。そんな関係が築ければ良い、とオッサンは思う。
ただ、友達づきあい、友達同士の距離感がつかめず四十年を過ごしてきたオッサンにはどう接していけば良いのか、ハードルが高い。
「友達なんだから、当然だ」
と、背の低い子が後ろからぽんぽんと肩を叩き、同意する。
「そうよ、友達なんだから当たり前よ」
紅一点の女の子も赤毛の男に賛同し、愛くるしい笑顔を振りまく。
この子の父親は絶対、彼女が男を連れてきたらその男をぶっ飛ばすに違いない。
オッサンが働いていた職場で子供を自慢する人間がいたのを思い出す。
すごくうっとうしい男だったが、今なら彼の気持ちが少しわかる気がした。
少なくとも自分がこの子の父親だったら、お父さんは赦しません、と言って箱入り娘決定だ、オッサンはそんなことを思っていた。
「それより、身体は大丈夫なの」
ナイスだ、お譲ちゃん。話の流れをどうそっちに変えようか苦慮していたオッサンは喜び、彼女を内心ほめた。嬉しい気持ちを外になさぬよう気をつけながら、彼らとの関係を友好なものにするため誠実にオッサンは話そうと努めるのだった。
「身体は、大丈夫。怪我もない」
わからないことは言わない。自分が日本人でと言う事は触れない事にして、それ以外のわかっていることだけを話そうと考えた。
「ただ…、何と言えば良いかなぁ…。記憶がない」
「「「記憶って」」」
一緒に揃って目を見開いた上に声まで揃っていた。
オッサン、彼らのコントのように揃ったリアクションがなぜかツボに入った。
薄墨自身、それの何処が面白かったのかわからなかったが、笑っちゃいけないと思うとよけいに込み上げる物があった。
薄墨は視線をわずかに下にして伏せ目がちにした。それから、深呼吸をしてから話し始める。ゆっくりと、そしてしっかりした口調で。
「まず、自分が誰であるのかわからない…。あと、両親の記憶がなかった。もちろん、両親の名前も顔も忘れている。ただ、覚えていることは…うん、懐かしいとか、何と言えば良いのか、言葉が見つからないけど…守られてるような、温かいとか、ほっとするとか、何か心が落ち着くとか。…そういう感じでしか覚えていない」
オッサンはそこまで話した後、彼ら三人の反応を見るため視線を上げる。
三者三様の表情をしていた。
栗毛の男の子はものすごく困っている様子で視線が安定しない。
ヘビーな話だもの、どう対応して良いか迷うよな、とオッサンは彼の様子を見て申し訳なく思う。
「えーっと、それは何といえば 良いのか…」
という言葉を彼は搾り出す。
それを聞いてオッサンは、うん、そうだよね、そういうよね、俺も君の立場ならそう言うと思う、と胸のうちで同情した。
「何か想像できないな。怪我は一切なく、記憶だけないなんて。ちょっと信じられん。グレイスを信用していないわけではないが、ちょっと、はい、そうですかと受け入れられないな。…、疑る訳ではないけど、かついでる訳じゃないよな」
赤毛の男の子が、ローブが暑いのか腕をまくって腕を組みながら言う。肌の色は浅黒く、歳の割に健康的な筋肉がついているように見える。
「もちろん、そんなことはない。何より、君たちの信用を落とす行為だと思う。そんな事をしても、意味がない。…まぁ、両親も戸惑っていたし、それに近い事を言っていた。だから、君たちに話したら、多分そう言うだろうなぁ、と思ってはいた。ただ、その証を見せろと言われても困る。どうすれば身の証が立つのか、自分もわからない」
赤毛の彼はウーンとうなって空を見上げた。
薄墨は、グレイスの友達と言う事ですべてを打ち明けると言う選択肢も考えないわけではなかった。
実際の所どうだろう、とオッサンは頭をひねる。
秘密を漏らさないか、と言う問題において彼等は守れるか。彼らの親兄弟に話さずにいられるかと言う問題が立ちふさがる。大体、親に漏れるというのが相場だろう。
それに…、と薄墨は外見は子供で中身は四十歳と言ったらどう反応するか。
面白いと思わなくは無いが、危険で破壊的だ。彼らの親に伝わり、その後どうなるか。計り知れない。薄墨の中でそんな破壊的な衝動が鎌首を上げ、慌てて否定する。
彼らに今の状況をすべて打ち明ける、と言う選択肢は今のところない。
転生なのか、狐付きといわれるような憑依なのか、それ以外の何なのかがはっきり解らない上に、この世界でそういった人間をどう扱うのか解らない。現時点で解らない以上、自分の身だけでなく、自分と関った人間の身の事を考えると今できる一番の最善手ではないのかとオッサンは考えるのだった。そして、心の底から彼らに対して申し訳ないとオッサンは思うのだ。
「何て言えばいいかなぁ。とにかく、自分を含め両親との関わりやら、すべて。記憶だけではなく常識すべてない、と思ってくれていい」
赤毛の男の子をはじめとして彼らにそう話しながら、どう伝えればいいのか薄墨は苦慮していた。
「でも…それって、もしかして私たちも…?」
と、金髪の少女が上目遣いで見る。
「あぁ…、うん。すごく言いにくいことだけど…。誰が誰なのか覚えていない…」
おっさんキラーか、と内心ドキッとした事を隠し、オッサンは申し訳なさそうに言葉をつむぐ。
「言い訳がましいと思うかもしれないが…。君たちが、家に訪ねて来たとき、丁度君たちの声を聞いてね、その時、何ていえばいいのかな…。居ても立ってもいられなくなった。親しみというのか、それに近いものを感じたのは確かなんだ。だからこうやって追ってきた。何か、思い出すかもしれないから」
「いや、それはどうにもならないだろう。自分の親の名前や顔も忘れてるぐらいだ。逆に俺たちの事を覚えている方がおかしいと思う。いや、覚えてくれていれば、嬉しいけど…。あぁ…、そうか…。じゃぁ、グレイスは今、俺たちの名前忘れてるって事になるんだな」
折り合いをつけたのか、赤毛の男の子はそう言ってから「じゃぁ、あらためて」と自己紹介をする。
赤毛の男の子はフォレスト、栗毛の男の子はケイン、金髪の女の子はリディシュ、呼び名はリディとそれぞれ名乗る。オッサンも改めてグレイスと名乗りをあげた。
その事が面白かったのか、少女を含めた少年立ちは互いに顔を見合わせ笑い始めた。
一通り笑い終わると、オッサンは彼らに話しかけた。
「で、申し訳ないが頼みがある」
と、次の言葉を発しようとした時、
「協力できることならするよ」
と言う言葉をケインが入れて遮った。
「でも…、ずーっとは無理よ。あと早くても、一ヶ月、遅くても二ヶ月で寮に入らなくちゃいけないから」
金髪のリディはさっきまで愛くるしい笑顔を振りまいていた表情を曇らせながらいう。
「あぁ、そうだった」
赤毛のフォレストも今思い出したように呟いた。それにあわせて栗毛のケインも何度も頷く。
「うん? 寮? あれ? 今は自宅から?」
「もちろん、そうよ」
リディは表情で同然でしょ、と付け加える。他の二人も頷き、赤毛のフォレストが説明役を買って出た。
「何でも今年から他の地域の交流と親睦を目的として、神都の住民も寮に入る事になったんだ。ただ、肝心の寮の建築が遅れてる」
「前々から決まってたって。本来なら学院に入学したときから寮に入るはずだったらしいんだけどね。ただ、建築に携わっている人たちの体調不良とかで人数が揃わなかったりして、遅れに遅れたみたい。まぁ、今は体調不良の人間も持ち直して、仕事に戻って、当初の遅れを取り戻そうとがんばっているみたい」
ケインが補足説明をしてくれた。
「なるほど。それじゃぁ、しょうがない。で、君たちが寮に入るのは、早くて一ヶ月てこと? それより早まる事はない?」
おっさんはまだ、計画らしい計画を立ててはいなかったが、彼らを当てにしていたので、少々うろたえた。
「それは何ともいえないなぁ。ただ、学院の話だと一応、受け入れの準備もあるみたいだから、完成してから、十日をめどに考えておけと言ってたな」
これはフォレスト。
「三日前の時点で学院の関係者が、早くても、一ヶ月って言っていたな」
ケインがまとめた。
「そっかー。それは残念だなぁ」
薄墨はこの時点で何を優先して学習するべきか考えていた。時間は一ヶ月しかない。彼らにおんぶに抱っこするわけではないが、時間を有効に使わなければ、あっという間に時が経つのをオッサンはその身をもって知っている。
ここで根を張るには何が必要か? 我を忘れておっさんは自問自答をしていた。
そんなオッサンに努めて明るく振舞うフォレストはいう。
「一生会えない訳じゃない。そんな顔するなよ、グレイス」
「夏季休暇、冬季休暇があるから会えない訳じゃないわよ」
とこれはリディ。
「うん、聞ける時間が一ヶ月しかないから、どうしようと思ってね」
「一ヶ月も、あるじゃない」
「「そうだよ」」
その答えに、これが若さか、とも思った。が、理由はわからないがオッサンはイラッとする。
「じゃぁ。まず、何を聞きたい?」
リディは小首をかしげながら、可愛らしい笑顔で聞いてきた。
その笑顔に苛立ちが引込む。
結果として、薄墨は彼らから二十数日にわたって、文字と数字、長さ、重さ、時間、お金の単位と流通している貨幣の種類などの社会の常識、この街の案内等。それと直近のグレイスの事についての思い出やなどを教わった。
オッサンは彼らに恩義を感じずに入られなかった。
薄墨としては色々聞きたいことが山ほどあった。文字は薄墨の中でも最優先だったが、今言ったところで互に準備ができていない。
なので、まずはじめにオッサンはグレイスがどこに倒れていたのかを聞いて、その場所に案内してもらう事にした。
一応、オッサンはグレイスの父親に断った後、彼らと共に出かけたのだった。
彼らの案内を受けて住宅街の坂を下る。ここで始めて道が石畳である事に薄墨は気がついた。
異国情緒というわけではないが、風情があるなと足元を見つつ、彼らの背を追った。
神都の幹線道路に当たるのか道幅は広く、日本で言うところの普通乗用車同士の擦違いが出来て尚且つ歩行者が通れるぐらいの広さがあった。
人通りも少ないため、ちょっとした見晴らしがいいちょっとした展望台になっていた。
しかし、広それが時間帯によるものなのか、オッサンには見当がつかなかった。そのお陰もあり、他人を気にせず見渡せる。
薄墨は思わず見入る。
雲はあれど、空は高く、青く透き通っている。
広がるは、大地の地平線。赤茶けた大地、遠くに見えるは砂丘か岩か。その色の対照が際立ちが薄墨の目と心を奪う。
所々、見える緑は低木の木だろうか、その木の下に枯れ草色をした合間から草の緑がオッサンの目に映る。
かつて幼き頃にオッサンが学校で学んだ知識が蘇える。熱帯気候のサバンナ気候か、乾燥気候のステップ気候かオッサンは迷う。
も
それとは別に遺跡と言っていいものかなのか、それとも廃墟なのか、判断に困るが風化した建物がいくつか建って、それがまた、オッサンの心を鷲掴みにした。
海の地平線は見たことあれど、オッサンは生で大地の地平線は見たことがなかった。目にした事があったも、TVや写真、そしてインターネットといった画面と言った小さな枠でしか見た事が無い。
肉眼で自分の目で見たのは、薄墨は初めてだった。
とにかく今置かれた自分の状況など忘れるぐらい、オッサンは目の前に広がっている壮大な風景に心奪われていた。
立ち止まったグレイス=オッサンを彼らは「どうした」と声をかけ、その声にオッサンは我に返り先導する彼らの後を着いていく。
オッサンは先導するケインの後に付いて石畳の道路の脇にある階段を下りる手前で、オッサンの隣を歩いていたを歩いていたフォレストが、「ここから見えるかな」と呟き背伸びしながら位置を確認していた。
グレイスが倒れていたのは一層目の開拓放棄地と二層目の農耕地の境界にある祠の近くで倒れるていた、とケインはグレイス=オッサンにその場所を指差して教えた。
オッサンは彼が指差した方を見る。その視界の端っこには、子供が追いかけっこをして、じゃれている。
石組みの塀のようなものが、やけに小さく見える。
ここからあそこまで距離はどのぐらいだろうと目を凝らしつつ薄墨は考えていた。
その途中に土が隆起した場所があり、その隆起したの中腹に平らな場所に家が建っていた。また、裾野の場所に納屋のようなが建っているのが見えた。
その周りに広葉樹のような木が見える。背はあまり高くは無いように薄墨にはみえた。ただし横に大きく広がっている。ある意味カッコがいい。
オッサンは指差された方を見ていたが、彼らがどこを指し示しているのか、わからなかった。
その事をオッサンは彼らに告げると、彼らは笑いながら「チラッとしか見えないから、気にするな」と慰められた。
それから石の階段を下りながら、オッサンは開拓放棄地について尋ねた。
彼等はそれぞれ、答えに窮する表情を浮かべていた。どう説明していいものか言葉を捜しているようだった。
はじめに沈黙を破ったのはケインだった。ケインの説明にリディとフォレストが補足を入れる。
彼らの説明を受け薄墨なりに解釈するならば、神都は山を元にした城塞都市で、雛壇の様な構造をしている。
一番下の大地からの立ち上がった所を一層目とすると、一層目と二層目が開拓放棄地になる。
居住区は三層目と四層目。五層目、六層目は学院がある場所。もっともこれは人によって様々で、論争があるらしい。
人によって八層、九層という人間がいる、そこら辺は、はっきりしないということだった。ただ、大筋で神都は六層の台地と言う事になっている。
一層目は昔の城下町の跡。今では廃墟となっている。その下の層は農作地と放牧地が在ったらしいが、今は放棄され荒れ果てている。
その原因だが、地震とその後の戦争が原因で復興を諦めた。
二層目は今は使われていないが農耕地と放牧地。
ここも一層目と同じに地震と戦争のあおりを受けた。一層目の地震の後に復興の資材置き場になっていた。その最中に戦争になり防衛の為の最前線となる。
その為、農耕地が使えなくなった。魔法学院が総力掛けて食糧増産の技術を確立、その後、安定的に食料が供給されるようになった。
近隣の村などの作物とかち合わないように、作物の調整をしながら現在に至る。
戦争が終わると元の農作地は農耕地として役目がなくなっていた。
神都を管理している学院
また、そこを守っていた人間も地震と戦争で死んだりし、その農耕地で働いていた家の数は大きく減らした。
それでも細々と続いてはいたが、跡継ぎがいなくなったり、病気で亡くなったりと一軒一軒と数を減らす。
そして、今では神都に住む子供たちの遊び場となっている。
そんな説明を受けながらオッサンが、彼らと共に開発放棄地に足を踏み入れる。
そこは、枯れ草に混じり青々とした草が、踝位まで生えていた。
薄墨は辺りを見回した。
薄墨が上で見た際には気がつかなかったが、二層目から三層目の立ち上がりの壁際には広葉樹が一定の間隔をあけながら植えられていた。
枝振りが見事で、その枝先にはススキの穂のような物が幾つも垂れていた。
その枝先の物を馬に似ている動物が二匹、じゃれあうように食んでいた。
薄墨は一回視界に入れたものの、興味を無くしすぐに三人の姿を納めるが、違和感を感じて馬に似た動物をもう一度見る。足が六本足だった。
見間違いかと思い何度も見直し、その結果、指差し確認で数えて確認する薄墨だった。
最終的にファンタジーだからと言う答えを出し、オッサンは馬を見ていた。
一匹が食んでいると横からそれを食べだす。はじめに食べていた一匹がそれを嫌い移動し別のを食み出すとそれを横からまた食べだす。
その様子を薄墨は見て苦笑していた。
そんなグレイス=オッサンに彼等は声をかける。彼等は薄墨の気がつかないうちに先に進んでいた。
薄墨にとって何もかもが目新しく、目に移るものすべてに興味が移っていた。彼は慌てて先行している三人のもとに駆け寄った。
ただ、ちょっと、オッサンは不思議に思った。
それは元農地とはいえ整地されているようには見えなかった。山と言うか丘といっていいものか判断に困るぐらいの起伏がいくつかある。
風の吹き溜まりに土が運ばれ、長い歳月によって次第に大きくなったのか、それとも戦争の為に陣地を構築しその後、放置されたものなのか。
オッサンは伺い知ることは出来ない。
そんな事を夢想し、オッサンは彼らの後を追う。
どのくらい歩いただろうか。結構な距離を歩いた気がする。オッサンが三層目から見た二軒の小屋はすでに越えていた。
その時、彼らからあの家の大家は二軒ともグレイスの所だと聞いて、オッサンはちょっと驚いた。
なんでもグレイスの母親の祖父がここらの農地を管理していた、と。いまは住んでいる人間はいないが、倉庫として使っていると彼らは伝え聞いていると言った。
オッサンはそんな話を聞きながら家の脇を通り過ぎていった。
家の脇には簡素な机と椅子が置いてある。おそらく農作業の合間の休憩で茶を飲んだり軽い食事を取るか、それとも道具の手入れをする為の作業机だろうと薄墨は妄想しながらその脇を通るのだった。
小屋を超え、しばらく先に進んだ辺りから草が徐々に勢いを増し、踝から膝、膝から腰、腰から胸近くまで背を伸ばしていた。
また膝から腰にかけて草が茂るようになると獣道のようなものが出来ていた。
その辺りになると歩く順番が、自然と先頭が背の高いフォレスト、次にリディ、その後にオッサン=グレイス、最後にケインという列を組んで歩くようになっていた。
そして獣道のように細く、道も多少うねっていた所為で、前方の視界が悪い。葉っぱがちくちくとオッサン=グレイスの顎をさすようになったころ、視界が開ける。
オッサンの目に石でできた踊り場が見えた。
二層目と一層目の境界となっている腰高の石塀に沿って二十から三十メートルぐらいの間、刈り込まれた様に草は踝くらいの高さしか育っていなかった。
オッサンは彼らの後を追うように一歩、二歩と後に続く。
彼らが道中説明してくれた構造になっていた。踊り場をはさむように石の欄干の脇には祠のようなものがあった。
「あそこだ。グレイスが倒れていたのは」
フォレストは歩きながら指で指し示す。
オッサンはその指差した方向を見た。
「あの祠の前で倒れていた」
オッサンが三歩足を進めた時、ケインの声をどこか遠くに聞きながら、オッサンはその祠周辺を見ていた。
「何か思い出した?」
「おーい、聞いてるかー」
オッサンはその場所を良く見よう動こうとしたが、足がすくんで動けなかった。いや、声も出せないほど固まっっていた。
様子が変な事に気が付いたケインが、グレイス=オッサンの身体を揺するまで、オッサンは身体を動かせなかった。
「おい、グレイス! どうした! 大丈夫か?!」
「顔が真っ青」
オッサンは彼らの声を受け止め、彼らに大丈夫だと言う意味を籠めて笑いかける。それから、オッサンは後ずさりながら、来た道を戻ろうとする。
何故、後ずさったのかオッサン自身もわからなかった。ただ、この場所には居たくないという恐怖が、じわじわと湧き出し、そのような行動に出たのだった。
フラフラと覚束無い足取りで後退するオッサンを彼らは慌てて支える。それから、彼らは口々に掛け声をグレイス=オッサンに掛けながら動きに合わせ運んだ。
オッサンが草むらの中に身体を入れたとき、身体の硬直がとけ膝から崩れ落ちた。深い溜息をついた。それから息を整え、心配そうに見守る彼らに「大丈夫。心配掛けて、ごめん」と伝えた。
「「「本当に大丈夫?」」か」
「うん、もう大丈夫」
「どうしたの?」
「わからない。ただ二、三歩歩いたら足がすくんで、それ以上前に進めなかった。声を出そうとしたけど、声も出なかった」
「記憶が戻ったの?」
リディが表情を曇らせ訊ねた。
「記憶…か。何て云えばいいかな…。記憶にはないけど、体が覚えている…って言ったほうがいいかも…しれない…」
オッサンは最後の方を自分自身に言い聞かせるように話した。
「まぁ、あそこで何かあったということはわかった。ただ、何があったのかはわからない。それが残念と言えば、残念だ。何があったか、知りたいけど、しばらく近づきたくはないな」
オッサンがそういうと彼等は解った様な、解らない様な困惑の色を浮かべていた。
それから暫らくして体調を整えたグレイス=オッサンと彼等は来た道を引き返すのだった。
その帰り道、何ともいえない重たくなった空気を振り払ったのはケインだった。
ケイン自身も雰囲気が悪かった事に耐えられなかったのだろうとオッサンは想像し、その話題に乗った。また、ケインなりの気遣いなのかもしれない、とも思い、心の奥で感謝した。