橋本奈々未の消失に関して
プレリュード
「橋本奈々未と生田絵梨花は性的関係にあるかもしれない」という推量は妙な説得力を帯びて、陽の昇る明るさと陽の沈む明るさの区別もままならないまま、明白にそこに感じられたのです。親密さの象徴以上の意味を持たないそれが二人を接続する事は、まるで水が高い所から低い所に下って行くくらい当たり前のように思えました。生田絵梨花はある種の苔から作られる試験紙の役目を果たしたかもしれません。そして最も大きな変色を見示した人物こそ、橋本奈々未に他ならなかったのかもしれません。
マズルカ
北海道の歴史が内地と決定的に異なる点は、つい百年前まで農耕文化がなかったということである。明治以前、蝦夷の地は大原始林に覆われ、人々は鳥獣を狩り、魚を捕まえ、野草を摘んだ。しかし彼らは文字を使わなかった為、詳しい歴史はよく分かっていない。
バラード
なぜ可愛い女の子に惹かれるのか。それはなぜ僕はハンバーグが好きなのかという疑問と同じくらい答えを導くのが難しい問いでありまた真剣に考える気にならない問いでもある。さながら存在しないものを追いかけているようであり、そもそもの問題設定を厳密に行うことすら至難だ。そこまで考えてまた僕は諦めた。あるいは気づいたら別の事を考えていた。その境界は曖昧だった。
エチュード
ワルシャワと言ったか銀河と言ったか、ふとその光景を思い出した。いやもしかするとそれは丁度今、目の前で起きているリアルなのかもしれない。光るような和音が無を有に変え、一枚の葉っぱが落ちた。新芽の子葉のようにも見えたし成熟した枯葉のようにも見えた。それは目前に広がる壮大な映像のほんの1ピクセルに過ぎなかったのに、なぜだか当たり前の全てであるように錯覚していた。どうしてこんな簡単なことを、数秒前の僕は勘違いしたのだろうか。そうかきっと夢を見ているから、と閃いた。葉っぱはもうどこにも見つからなかった。
スケルツォ
ほんと毎日大変。それなりに疲れることやらされるし、同じ事の繰り返しで、終わったときの開放感だけが至福。昔の自分が今の自分知ったらなんて思うかな。でもそんなこと考えるのもだんだん面倒になってきちゃった。ま別にいいやって思ってる。なんだかんだ満足はしてる。
コンチェルト
鼻が高かった。横から見ると特に際立った。それを見て、優しさとはなんだろうと考えた。首が長かった。意識して見ると、驚くほど長いことが分かった。民主党はどうなっただろうと考えた。
ソナタ
橋本奈々未の存在はすっかり消失しました。客観的な世界の話ではなく主観的な私の話です。無論多くの物事はそもそも存在していません。確かめた経験がないからです。私は自分がどこに立っているのかも知らない。地球が丸いことも。他人を信用していないのかもしれない。自信の大きさが過ぎるのかもしれない。ともあれ彼女の存在は、数多の存在しないものと比較しても、より強く存在しないものとなったのです。すなわちアイドル。アイドル?
ワルツ
「私は乃木坂らしいですか?」
ポロネーズ
生田絵梨花が肩を並べていたのは、生駒里奈、橋本奈々未、高山一実。乃木坂46には二種類のメンバーがいます。生田絵梨花を本当に凄いと思っているメンバーと、そうでないメンバーです。
ノクターン
果たしてこれは現実だろうか。これが現実なら何が非現実なのだろう。美しい容貌の女性(あるいは少女、あるいは全く神秘的なもの)たちが秀麗な衣服を纏い、統制された踊りをやりながらリリックを口ずさむ。もっとよく見た方がいい。グルグル巻かれたプライバシーの中にも容易に差し込んでくる太陽の光。会いたかった。とても、会いたかったかもしれない。しかしそれ以上に会いたくなかった。だから会わなかった。
ファンタジー
「ないものねだり」のミュージックビデオを見たのです。それは一回目ではありませんでした。しかし何回目なのかは分かりませんでした。四回目のような気もするし五回目のような気もするし、百回目のような気もしました。今、私には書かなければならない事も、書きたい事も沢山あります。富士山に持って行かれたポテトチップスの袋のように不自然な膨張。鬱陶しいことにそれは下山に成功しても解消されることはないでしょう。そういう考え方で解決できる問題ではないのです。彼女は偉大にも完全に消失してしまったのですから。