Y県S村におけるカワバ伝承についての調査フィールドワーク報告書
華菊毛金太レポート #77
Y県S村におけるカワバ伝承についての調査フィールドワーク報告書
著・華菊毛金太
編・藍植りん太
一、事の始まり
二〇〇X年六月初頭、私の研究室を体格の良い若い男性が訪ねてきた。彼の名はD(仮名)といい、先日私が発表した「天狗信仰の地域ごとの差異及び密教伝播との関連性」の論文を読み、私を訪ねることに決めたそうだ。
「華菊毛先生は、過去様々な妖怪やUMA(未確認生物)について画期的な学説を発表されておられますね。率直にお聴きしますが、なぜそんな……ええっと――」
「――『そんな居もしないものを真面目に研究などするのか』……ですか」
「ああ……まあ――すみません」
「いえいえ、構いませんよ」
私はにこやかに微笑んだつもりだが、Dは済まなそうに目を逸らした。そんなことは訊かれ慣れているので、本当に今更気にもならないのだが。
「天狗、ツチノコ、人魚、鬼……それらは確かに存在しないものかもしれません。ですが『存在したという逸話』は確かに存在します。火の無いところに煙は立たぬと言いますが、煙が存在するからには、絶対にそれを生じさせた『何か』がある。その『何か』が一体何なのかを解き明かすのが、とにかく楽しくて仕方がないのですよ」
「なるほど……」
「それに――」
「……なんです」
「ああ、いえ、何でもありません」
――それに、稀に火種そのものと邂逅することもありますからね。
そんな言葉が思わず零れそうになったが、寸でのところで堪えた。
「それで、本日おいでになられた訳をお聞かせ願えますか?」
私が話を逸らすと、Dは頷いて、口を開いた。
「あのですね……えっと……こんな話、お聞かせしても笑われるだけかもしれませんが……」
「ご心配なく。私はこの目で見た物以外も否定しません」
それでもDはなかなか決心がつかないのか、はたまた話がうまく纏まらないのか、何度も話し出そうとしたが要領を得ない言葉が続いた。
数分後、遂に意を決した彼が私に投げかけた問いは、これだった。
「先生は、河童についてどう思われていますか」
「河童、ですか――」
河童。別名・河太郎。水神、またはその依代、仮の姿とも言われ、日本全国で伝承されている。鬼や天狗と並んで最もポピュラーな妖怪のうちの一つだろう。
「有名なイメージとしては、全身を緑のウロコに覆われ、甲羅と嘴と水かきがあり、頭の皿は常に濡れていて、キュウリが好き……といったものでしょうね。人型の爬虫類といった感じです。しかし、実際に目撃例が多いのは、実はこのタイプではないのです」
「河童にもタイプがあるのですか」
「ええ。こちらは爬虫類よりも類人猿に近い。全身を毛で覆われ、口には牙。頭には窪みがあり、甲羅もない場合が多い。近世、特に昭和以降の目撃例としては、ほとんどがこちらです」
「先生は、河童は存在するとお考えで」
ふむ、河童の存在についてか……不思議と今までしっかり考えたことが無かったな。
「そうですな……所謂『河童と呼ばれるもの』がなんなのか……。仮に『河童が存在しない』とすると、『河童』とは何なのか。様々な説があります。例えば、溺死体が正体という説。皮膚は緑色に変色し、川底との摩耗で頭髪がすり減り、さも尻子玉を抜かれた跡かのように肛門が拡大し、ガスで膨張した身体は甲羅を背負っているようにも見えます。また、水死体が浮かぶような場所は危険なので、子供が近づかないように妖怪の言い伝えを作り出したとも考えられますね。他にも、弾圧から身を隠し、暗闇の中で水浴びをしていたキリシタンであるという説。間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説などもあります」
「……では、仮に『河童が存在する』とすれば、どんな仮説が――」
「――『妖怪』ではなく、『UMA』としての河童と捉えると、あくまで仮にそのような生物が存在するのだとすれば、まず爬虫類型よりも類人猿型の方が可能性は高いでしょう。古今東西の目撃情報を纏めると、背丈は大きくとも一五〇㎝を超えない程度。小型サイズの、人間のような形の生物。オカルト方面に明るい方ならば、いくつかそんな条件にあてはまる存在が浮かんできませんか?」
「あー…………チュパカブラとかですか」
「そうですね。南米のチュパカブラ、他にもアメリカ合衆国マサチューセッツ州のドーバーデーモン、オハイオ州の蛙男、そして所謂〝宇宙人〟と呼ばれるリトル・グレイもそうです。これらのグループが、我々の知らぬ進化ルートから発生した未知の生物種である可能性は否定できません。事実『人類は進化の過程で一度水生生物を経由している』とする『水生類人猿説』が提唱された例もあります」
「では先生は、河童が生物として存在していてもおかしいことはないと」
「少なくとも、真っ向から否定することは出来ません」
その言葉を聞いて、Dはハァと息を吐き、少し肩の力が抜けたようだった。私に河童の存在を否定されることがそんなにも恐ろしかったということだろうか。そしてDは再び話を始めた。
「私が今日ここに出向いたのは、華菊毛先生に河童の存在を実証して欲しいからなのです」
二、Dの回想
Dには恋人がいるのだという。名を仮にJとしよう。
Jとは新宿のバーで知り合い、その場で意気投合。そのまま付き合いが始まったそうで、順調に仲が深まっていったのだが、ある日ふとしたことから喧嘩になったのだそうだ。
その原因こそが、河童なのだとDは言う。
「私とJは、その日も二人で新宿のバーに居ました。いつものように取り留めのない話をしながらのんびり飲んでいたのですが、そこに一人の男性が現れました」
「その男性が何か」
「いえ、その人はただその店に普通に入店し、私達の後ろを通り過ぎただけだったのですが……その、別にその人を悪く言う意図は全く無かったのですが、酒も入りハイになっていたのもあり、つい口からポロっと出てしまったのです。『あのおじさん、河童みたいだ』と……」
「河童みたい、とは」
「深い意味はないです。ただその方の頭が、えっと、頭頂部だけ丸くハゲになっていて……ああ、フランシスコ・ザビエルっているじゃないですか。あんな感じです」
「なるほど、続けて」
「はい。今思えば酷いことを言ったものですが、その言葉は男性本人には聞こえていなかったようで特に揉め事にはなりませんでした。しかし、そこでJが『そういえば、祖父の田舎に河童がいるらしい』という話を始めたのです」
「ほう……」
「私は河童なんて信じていませんでしたから、普段なら鼻で笑っているところでしたが、酒の肴にとそのまま話を聞いたんです。しかしJもあまり詳しい話までは知らないらしく、田舎がY県のS村というところだということ以外は特にこれといった情報は無かったのです」
「Y県のS村……」
日頃から日本全国のドがつく田舎にしょっちゅうフィールドワークに赴く私だったが、S村という地名には聞き覚えが無かった。
「なので私は『どうせその話も嘘っぱちだ。河童なんているわけがない』というようなことを言ってしまったのです。いつもならそこで笑い話で済むのですが、酔っていたJもむきになって『そんなことはない。絶対に河童はいる』と言い張り始めたのです」
「そのまま喧嘩になったと」
「いえ、私もそのころにはベロベロに酔っていまして、Jがあまりに強情に言い張るものですから、いつのまにか『あー、確かに河童いるかもね』と懐柔されてきたのです。しかしそこでJが『まあでも所詮妖怪だし、やっぱいるわけないかー』などと言い始め、あれほど言い張っておいてそれはないんじゃないかと私はカチンときてですね。結局いるかいないかの喧嘩に……』
喧嘩は喧嘩でも酔っ払い同士のグダグダなじゃれ合いではないか。それを聞かされて私はどうすればいいのだ。
「……で、私に河童の存在を証明させて恋人の鼻を明かしたいと……」
「お願いします! もうあれから険悪な仲になってしまって……仲直りするにはもう河童問題に決着をつけるしか……」
他に方法などいくらでもあるような気はするが、私も学者としてS村の河童伝承については気になってしまう。
「分かりました。ではS村に出向いて調査を行いましょう。あなたの彼女さんにぎゃふんと言わせるためにもね」
「あ、いえ、彼女じゃないです。彼氏です」
「……………………」
新宿か……なるほど。
私はずり落ちたメガネを直した。
三、実地調査
六月一三日、駅からバスで一時間、さらに最寄の停留所から地図を頼りに歩くこと二時間、遂に私とDはS村に足を踏み入れた。
最初は私一人で出向く予定だったが、どうしても自分の目で河童を見たいというDのたっての希望で同行することとなった。
「本当に……山の中ですね……」
「この近くにT川という清流がある。その畔にある集落がS村だ。もし話通り河童がいるのだとしたら、そのT川ということになるのだろうが……」
そして一六時頃、やっと我々は民家を見つけ、そこがS村であることを確認し、さらに村長に御目通りが叶い、話を聞くことが出来た。
村長は優しそうな田舎のおじいさんのイメージそのままな方で、突然現れた我々を快く歓迎してくださった。
河童のことについて話を切り出すと、村長は少し考えて何かを思い出したようだった。
「もぉすかすて、あなたたつのいっどるのは『カワバ様』のことかんべぇ」
「『カワバ様』ですか」
河童は地域によって様々な名で呼ばれる。河童が訛ったガワッパ、ガワワッパ、ガラッパ。河太郎が訛ったゲータロ、ガタロウ、ガータロー。川童からくるカワエロ。水蛇の訛りと思われるメンドチ、メドチ、ドチガメ、北海道のミンツチカムイ。他にも淵猿、猿猴、シバテン、エンコ、ガオロ、ゴンゴ、カワコ、カワノモノ、タビノヒト、ガウル、ケンムン……
だが『カワバ』というのは初耳だ。響きは『カッパ』に似ていなくもないが、恐らく『川場』から来ているのだろう。『様』と付けているあたり、信仰の対象でもあるのかもしれない。名をそのまま呼ぶのも恐れ多い目上の存在を、その者の住む場所や建物で呼ぶことは日本では古来より普通にあった習慣だ。
「おう。おんらたつがわっぱんごろ、よーくじーさんばーさん方んに言われとったもんじゃいの。川で粗相ばすっとカワバ様がおごって脚さひっぱられこっけて溺れっちまうっべぇよぉて」
「ふむふむ……実際にカワバ様をご覧になられた方はいらっしゃらないのですか」
「あー、むっがしはちゃーりちゃりおったっけどんも、ここしんばらぐはとーんときかんべぇなぁ」
「なるほど……」
どうやらこのS村におけるカワバ様の伝承も、全国に伝わる河童の逸話から大きく外れることはないようだ。
その後も数人のお年寄りに話を聞いたが、いずれも似たような話でこれといった収穫は得られなかった。
夜の帳が降り、この村に宿が無いことは予想していたため持参したテントを張っても良い場所を村長に尋ねたが、是非とも村長宅に泊まっていけと勧められ、我々は喜んでこの申し出を受けることとなった。
明日、東京へ帰る前に村長の案内でT川を調査する旨を相談し、私とDは客間へと通された。
四、一夜の過ち
明日も早く出なければ東京に着く前に日が暮れてしまうため、早めに床に入って眠りについた私達だったが、寝床が合わなかったのか私は真夜中に目が覚めてしまった。時計を見るとまだ日付が変わったばかりである。
「先生も眠れませんか」
声をかけられ隣を見ると、Dも目を開けてこちらを見ていた。
「眠っていたんだけどな、やれやれ、高血圧のせいだろうか。いつまでも若いつもりだったが、まるで爺さんだな」
私ももう三〇代後半に差し掛かり、いろいろと体にガタがくる歳だ。いつまでも無茶はできない。
「でも先生まだまだお若いですよ。外見も、三〇とか言っても通るんじゃないですか。体型も筋肉質で、腹が出てるなんてこともないし」
「まあ、しょっちゅうこんな感じで日本中を旅しているからな。登山道なんて無い山を登るのもほぼ日常だ」
「凄いですね……本当に尊敬します」
「そういう君こそ、その鍛え上げた逞しい身体。何かスポーツでもやっているんじゃ」
「ええ、高校からずっとラグビーを」
「ラグビーか。通りで……こんなにも……素晴らしい」
私はいつの間にか布団から手を伸ばし、Dの肩から胸にかけてをそっと撫でていた。堅く、鋼鉄のように引き締まった体躯が私の琴線をくすぐる。
「あの……先生、何を……」
「分かるだろう、君も雄同士の交わりを嗜む者ならば……」
私は身体を起こし、Dの布団を捲った。思った通り、彼の寝間着のズボンは彼自身の劣情の滾りによって雄々しく隆起していた。
「そら、見ろ。君自身はこんなにもはちきれんばかりに期待している。溜まっているのだろう。私も同じなのだよ」
「しかし……私には恋人が――Jが……――」
復縁するために居るのかどうかもわからない河童を探しにくるほどに想い続ける、自らの愛しい男の名を口にしたDの口を、私は己の唇で塞いだ。
「んっ……! はぁ……せ、先生……!」
「君の気持は分かっている。だが今だけは、その名を出すのは無粋というものではないか」
「先生……」
「さあ、君はどうしたい。ここには私と君だけだ。明日、東京に帰れば他人に戻る、ただそれだけの関係に過ぎない。ここで交わり互いの身体を貪ったところで、その間だけの関係だ。私さえ口を閉ざしていれば、Jに伝わることもない。肉欲に身を任せてしまえ、D」
「先生……ああっ、華菊毛先生……!」
「よーし、いい子だ。さあ、脱ぎなさい」
「ああ先生……先生にかかれば、Jにしか見せたことのない僕の尻子玉だって簡単に……――」
その時だった。
扉が開き、閉まる音が家の中に響いた。間違いなくこの村長家の玄関の扉だ。
「……こんな時間に外出か、村長は」
村長は奥さんに先立たれ、一人暮らしだった。他に住人がいない以上、出ていったのは村長以外ありえない。
「臭うな……」
「えっ、そうですか? 毎日洗っているんですが……」
「君自身の話ではないよ。むしろ芳しい香りさ。そうではなく、村長だ」
我々は交わりもそこそこに、村長の尾行を開始した。
五、S村の真実
夜空に煌めく星々を邪魔する街の灯りから遠く離れた山中の村。当然街灯などは無く、尾行対象の村長に気付かれないよう懐中電灯すら着けられぬ状態だったが、幸いなことに今宵は満月であり、煌々と白く登った月の光の下で、私とDはなんとか村長の姿を見失うことなく後を付けていった。
村長は集落を離れ、舗装されていない道を進んでいく。足音をたてないよう慎重に進む私達の耳には、やがて微かなせせらぎの音が聞こえてきた。
到着したのは河原だった。丸い石だらけの広めのスペースの向こうには、恐らくT川の流れがあるはずだ。我々はとりあえず茂みの影に隠れて、河原の様子を窺った。
「何でしょうか、あれ……」
「分からないな……」
我々の視界には、明らかにこの平穏な山奥の村の日常からはかけ離れたイメージの光景が広がっていた。
河原のこちら側には、二本の篝火が焚かれ、その周りには既に十数人の男達がたむろしていた。村長もそこに混ざっている。そして川に近い側にも同じくらいの人数の人影が見えるが、そちらには篝火などが無い為姿は見えない。
そしてその中間の位置に、土を盛って作られた山のようなものがあった。形は上から見ると正方形で、高さは大人の膝くらいだろうか。平らに押し固められたその上には、藁を小さい俵状に編んだものが丸く円を描くように並べられている。
あれは……どう見ても──
「土俵、ですよね。あれ」
そう、大相撲で使われる土俵そのものだ。
相撲とは神事だ。今でも全国の土着の祭で相撲はよく見られる。もしかするとこれもS村の伝統的な祭事なのかもしれない。私達に一言も無かったのは、外部の人間には知られてはならない秘密の儀式だからということならば納得だ。
──この文章を書いている今だからこそ言えることだが結果的にこの私の推論は正解だった。だからこそ、この時点で私達は引き返すべきだったのだ。
秘密には、秘密たる所以がある。
知られてはならない理由がある。
そんなことは分かっていたのにもかかわらず、私は学者としての好奇心に抗えなかった。
私にもう少しでも危機感というものがあれば、あんな悲劇は起こらなかっただろうに──
村長で最後だったのか、それ以降参加者が増えることはなかった。しばしの間を置いて、こちら側と川側の集団が向かい合い、篝火のぱちぱち燃える音と川のせせらぎだけが響く中で、村長が一歩進み出て、相対する集団へ恭しい態度で何かを言った。しかし、よく聞こえない。
「何て言ってるんでしょう……」
よく聞こうと、Dが身を乗り出した。私は小声でそれを制しようとしたが、間に合わなかった。
足元の石ががらがらと崩れ、大きな音が河原に響いた。しまった、と思い村民達の方を見ると、村長もスピーチを止め、明らかに全員がこちらを見ている。
「見つかった……」
「ど、どうしましょう先生……! 逃げますか!」
「どこへ。最寄りのバス停まで昼間でも二時間かかるというのに、夜の森をさ迷うのは自殺行為だ。それに土地勘のある地元の人間から隠れ応せられるわけがない。諦めよう」
私はその場を去ることなく、逆にどっかりと腰を下ろした。そもそも私達は「見るな」とは言われていないのだから、何か約束事を破ろうと思って破ったのではない。これは事故であり、むしろあちらさん側のミスだ。「今夜は村以外の人には見せられない儀式があるから、夜間は出歩かないようにしてくれ」と言われていたなら、いくら私だってその言いつけを守った。だからこちらが罰を受けるいわれはない。というか、そもそも罰を受けるかどうかもまだ分からない。もし何らかの制裁があるというのなら、無謀にも逃げた上で掴まって制裁にあうくらいなら、その制裁も含めて堂々と体験してやろう。
隣のDはおろおろしていたが、構わず私は村人たちの観察を続けた。すると、土俵の向こう側の集団の中の一人が村長に話しかけた。村長はびくりと怯えるようにそちらを向き、へこへこと頭を下げてから、早足でこちらに向かってくる。
「なんぜこっこにいらっしゃるんで……!? おめぇさん方ぁ……ほっじょ大変なこっつに――」
私達の隠れ場所に辿り着くや否や、村長は顔を脂汗で光らせながら捲し立てた。私が何かを言う前に、彼は私の腕を掴み、我々二人を急かし始めた。
「とんにかく、こっちゃ来てくんじゃい! ほっじょおめぇさん方は……なんつー……なんつーこつ……」
「あの……これは一体どういう――」
「えんか!? 火んとこさついだら、ひとっことも喋っちゃなんね……! ぎっどおめぇさん方にゃ腰さぬがすことだじょ思うけっども、おんらに任せで下向いで黙ってな……!」
鬼気迫る表情で念を押す村長の迫力に、私たちは黙って頷くしかなかった。
村長がぐいぐい引っ張っていくので、篝火のところにはすぐに着いた。周囲にいる村中の男達――過疎化が進んだ村の為、ほぼ全員が高齢者だ――は皆一様にこちらを絶句したまま目を見開いて窺っている。
「お、仰せの通り、お二人をおづれいだすますた……」
村長が土俵の向こう側へ深々と最敬礼しつつ、震える声で報告をした。向こう側には、やはり人影は見えるが、暗闇に紛れて良く見えない。村長の口ぶりから察するに、村民よりもかなり立場が上の者達のようだが……
村長の言葉を聞き届けたのかどうか、向こう側の集団は静まり返ったままだったが、少ししてから何かが聞こえてきた。
――なんだ、この音は……うどんを激しく啜る音と、土砂降りの夕立の音を混ぜたような、雑音としか思えない音声。明らかに向こう側の集団のどこかから聞こえてくる音だが、それを聞いた村長の顔色が一層悪くなった。
「そ、そげなこつ……こんの人らはたんまたまいらっしゃっだだけんのお客人様がたでして……こんの村とは関係さこれっぽっぢもないわげでして……い、いやいやいや! そげなつもりはまったぐ! わ……わがりました……仰せの通りにいたじます――」
村長は一礼をしてこちらに向き直ると、全身を震わせながら私達に小声で言った。
「ほっじょ申し訳ね……おめぇさん方、ええか、絶対に勝ったらいけん……! 何があろうと、淡々と負けるこっです……!」
何の事だかさっぱりわからない。勝つ、負けるというのは相撲の話だろうか。私達も相撲に参加するのか? 村長は何と会話をしていたんだ?
溢れる疑問を解消しようと口を開きかけたが、村長に無理やり口を手で塞がれた。どうやら「一言も喋るな」という命令はまだ生きているらしい。
こうなれば、腹をくくるしかない。考えてみればいい機会だ。結果的に、閉鎖された集落に秘密裏に伝わる謎の儀式を調査するばかりか、参加することまで出来るというのだから、研究者としては願ったり叶ったりのシチュエーションである。
不安を押しのけて、そんな期待感と知識欲が私の心を支配していた。楽しみさえ覚えていた。
しかし、次の瞬間。いよいよ儀式が始まるのか、向こう側の集団から一人が土俵へ登り、その姿が篝火の淡い光の中に浮かび上がった途端に、驚きのあまり私は呼吸を忘れた。
まず違和感を覚えたのはその者の目だった。明らかに人間のそれよりも大きい。巨大と言ってもいい。顔の三分の一を二つの真っ黒な瞳が占めている。白目は無い。鼻は外鼻が全くなく、目の付け根辺りに二本の切れ込みのように穴が開いているだけだ。唇も判別できない程に薄い。一糸まとわぬ肌は灰色で、全体がてらてらと不気味に光を反射している。背丈は小学生くらいだろうか。髪の毛に当たるものは見受けられない。
どう考えても、その人型の生物は――人間ではなかった。
私は今まさに『煙を立てた火種』そのものと邂逅している。
間違いない。
「『カワバ様』……!」
隣でDが息を飲む音がして、私は呼吸することを思い出した。
以前私が話した『類人猿タイプの河童』に属するのだろう。特徴がリトル・グレイやドーバーデーモンと瓜二つだ。
そして向こう側にいるその他の人影も、おそらく全てが同様のカワバ様なのだろう。
これで証明された。
『河童は実在した』!!
あとは生きて帰れれば、今回の調査旅行は成功だ。
トップバッターのカワバ様に続き、こちら側から土俵に上がったのは村長だった。行事は居ない。二人は目を合わせると、揃ってゆっくりと蹲踞の姿勢を取り、拳を地につけ――立ち上がった。緩やかな立会。大相撲のようにダイナミックな相撲が繰り広げられるなんてことは、こちらが年寄ばかりな以上思っていなかったが、やはり儀式としての形式が重要なのか、お互い本気で取っ組み合っているようには見えなかった。
しばらく攻防が続き、村長がころんと転ばされ、カワバ様の勝利で一番が終了した。
勝ってはならない、と釘を刺されたのは、カワバ様を勝たせろ、ということだろう。実際、愛媛県の大山祇神社の「一人角力」に代表されるように、見えない神相手に相撲を取り、わざと勝ちを譲ることで五穀豊穣などを願う相撲神事が存在する。
その後も、カワバ様と村人から一人ずつ土俵に上がり、相撲が行われた。全て同じように村人が転がり、カワバ様が勝利するという内容だった。
やがて、私の番が回ってきた。
一人のカワバ様が土俵に上がると、村長が私の背を押した。やはり未知のものに飛び込んでいくのだから恐怖と緊張で背筋がびりびりと痺れる。私は大きく息を吐き出すと、一歩ずつゆっくりと歩き、土俵に上がった。
目の前のカワバ様の巨大な双眸が、その漆黒の曲面に私を映す。目を逸らしたら何が起こるか分からない恐怖に怯え、私も真っ直ぐその目を見つめた。
他の村民に倣って、ゆっくりと蹲踞の体勢をとる。カワバ様も同時に同じ姿勢になった。そのまま拳を土俵につけ――立ち上がる。
頭二つ背の低いカワバ様がすぐに私の懐に潜り込んできた。表面が粘液で光っているため冷たいのかとも思ったが、予想に反して温かい体温を感じた。やはり類人猿と同じく恒温動物の哺乳類に属するのだろうか。頭の皿は確認できなかった。
背は小さいのに、カワバ様はかなり力があるらしく、元より勝つ気は無かった私だが、わざと転ぶ前にすんなりと投げられ土俵に尻もちをついてしまった。
これで良かったのか心配になったが、カワバ様はすぐに回れ右をすると、さっさと他の仲間のところへ戻ってしまった。私も元居た場所へ戻ると、村長が小さく頷いた。どうやらOKだったらしい。
次は最後の一番。Dの番だった。
しかし、どうもDの様子がおかしい。顔面は蒼白になり、若干の過呼吸を起こしている。私のようにこういった事態の経験があるわけでもない普通の人間なのだから、気が動転するのも仕方がないだろう。
「大丈夫だDくん。怖いことなどない。普通にやれば大丈夫だ」
私がこっそり小声で語りかけると、Dはコクコクと痙攣するように頷いた。視線は土俵の方を向いたまま。これはどう見てもガチガチに緊張している。
向こうの最後のカワバ様が土俵に上がった。最後だから横綱にあたるのかどうかは分からない。村長がDの背をそっと押すと、Dは覚束ない足取りで土俵に立った。
油を差していないロボットのような動きで一連の動作を行い、立会となったが――
「うっ、うわあああああああああああああああああああああああああ!!」
完全に気が動転したDが、奇声を上げながら全力でカワバ様に突っ込んだ。ラガーマンであるDの渾身のタックルに、カワバ様は為す術無く押しつぶされた。
「Dくん!」
「いかん!」
この相撲はカワバ様を勝たせなければならない。Dくんは勝ってしまった。カワバ様を負かしてしまった。
村長を始めとする村人たちが息を飲む中、向こう側のカワバ様の一団から、先ほどの雑音のような音が轟轟と鳴り響いた。
「カワバ様が怒っているのか……? Dくん! 早くこちらへ――」
「だんめじゃ! 先生様、もうあんの若者は諦めなんじゃれ!」
Dを呼び寄せようとした私を、村長が身体を張って止めに来た。
「なぜです!?」
「カワバ様に勝ってはいけん……もう無理なんじゃい……」
いくら理由を尋ねても、村長の口からは謝罪の言葉と「駄目」「無理」「諦めろ」という内容の文句しか出てこなかった。
そうこうしている間に、向こう側にいたカワバ様たちが次々と土俵に上がり、Dの周りに集まっていた。
「Dくん! やめろ! Dくんに何を!」
私の叫びは完全に無視され、激しく抵抗するDを集団で囲んだカワバ様は、そのままDを連れてT川へ帰って行った。
「そんな……Dくん……こんな……こんなことになるなんて――」
私はその場に崩れ落ちた。
私の愛した男は、清らかなせせらぎの中へと消えたのだ。
六、真相
その日は真面に話ができる精神状態ではなかった為、村長への質問は翌日に行った。
村長曰く、カワバ様との相撲の儀式は、毎年この時期の満月の夜に執り行われるらしい。
その起源は古く、室町時代にまで遡る。
伝説では、嘗て『川の民』であったカワバ様(当時は対等な関係であった為、カワバ「様」と呼ばれていたかは疑問である)と『丘の民』であった人間は共存していたのだが、些細な出来事が原因で殺し合いが起こった。結果、人間側の死者が膨大に出た為、貢物と共にカワバ様の怒りを鎮めることにした。カワバ様はこれを受け入れ殺し合いは収まったが、カワバ様側も被害が小さくなかった為、交換条件を突き付けてきた。それは「我々川の民を、汝ら丘の民よりも上位とし、二度と反乱が起きぬよう、毎年丘の男の力試しを行い、我らを倒しうる力を持つ者が居た場合はその者を贄として差し出すこと」というものだった――という。
その後、村民もわざと負けるようにして生贄も出すことなく、カワバ様達も戦いを望んでいるわけではなかった為、平和が続くうちにその力試しの儀は形骸化し、現在のような儀式のみの形になったという。
だからDの勝利もおそらくカワバ様にとっても予想外のことであり、向こうもきっと処遇に困った挙句に、結局は古からの習わしに従い生贄として連れ去ったのだろうということだ。
村長には何度も何度も深々と謝られたが、これは悪い偶然が重なった事故であろう。
たまたまこの儀式のタイミングで私たちが来てしまい、人の良い村長は追い返すことも出来ず、さらに「河童を探しにきた」という私達に儀式のことを話してしまうと、カワバ様について不用意に嗅ぎまわされるかもしれないと心配で、何も話せなかったのだという。
Dの消息については、未だようとして知れない。
私はただ、彼の無事を祈るばかりである。
【追記】
このレポートは東京に帰ってすぐに書き上げたものだが、それから二週間後――Dの遺体が発見された。
遺体はT川の下流に流れ着いており、腐食が激しく肌の色が変色し、頭髪は無くなり、その姿はカワバ様に似ていた。
私はこのレポートを未発表のまま、Dの記憶と共に墓まで持っていくことに決めた。
それがせめてものDの供養になると信じたい。
●あとがき●
どうも、藍植りん太です。
華菊毛金太先生は僕の尻愛――ではなく知り合いの大学教授で、僕が高校生の頃からの突き合い――じゃなくて付き合いです。
(漢字変換の調子が悪いようです。ご了承ください)
このレポートは、先生が公開を取り止めたものだそうですが、今回僕の献身的な申し入れ(意味深)によって許可をいただいて掲載に踏み切りました。
先生は嘘や冗談が好かない方ですので、信じ難いことですが恐らく内容は事実だと思われます。
ええ、本当にびっくりですよね。まさか先生が僕以外の男と――なんでもありません。
(キーボード自体の調子も悪いようです。ご了承ください)
ところてん――いえ、ところで、先生の手元にはまだたくさんの未発表レポートがあるそうです。
今後許可がいただけるようならば、少しずつ発表していきたいと思っていますので、お楽しみに。
※この文章はあとがきを含めてフィクションです!
華菊毛金太という人物は実在しません。
そして僕もゲイではありません。
本当です。




