不思議な仮面
俺は、今朝教室に行く道中に見覚えのある誰かとすれ違った。
そいつの顔はとても女顔で髪の毛は短めだったが、
男にしては長めだったので、多分女子だったかもしれない。
眼鏡や髪留めなどの特徴もなかった。
白いシャツで、ネクタイを外していたので、教師か生徒かも分からなかった。
ただ俺が言えることとしては、
その人は酷く疲れているようだった。
その人はとても急いでいるようだった。
俺は女子とは全くといっていいほど関わりがないので、
その人は誰かとでも似ていたのだろうか。
その人は紙を一枚落として、それを俺が広い渡すと俯いたまま受け取った。
礼も言わず走り去ったその人が持っていた用紙は、
教師が配るようなプリントのようなものだったので、
その人は委員長のような人かはたまた生徒会関係かかもしれない。
教師が礼を言わずに走り去るようなことをするわけはないし、
礼を言わないところと、俯いたままのところを見ると、
人と話すのが苦手な気弱な人間だったのかも。
俺は特に気にもせずしゃがんだままの体制から立ち上がり、
そのまま教室に向かおうとした。
「ああ、折角会えたというのに」
誰かの声がした。
女子としては低めで、でも男としてはあまりにも綺麗な声だった。
一瞬しか見ていない人のことを、何故俺が気にしているかというと。
その人は、とても疲れているようだったのに、不敵に微笑んでいて、
その表情が、俺にはとても不気味に思えたからだ。
4月中旬、多目的B教室にて。
「はい、じゃあ今日は初授業ということで、俺の自己紹介からいきますよ」
ああ…本当にあの先生だ。入学式で会ったあの…。
俺はなんとも言えない感動で水沢先生に釘付けになっていた。
今まで頭の中を占拠していた人間がいきなり都合良く俺の前に現れて平然と授業をしている。
それが当たり前のように。俺がここにいるのが、先生が授業をするのが当たり前のように。
いや、当たり前なんだけど。
この学校は無駄に大きく、教師全員の顔を覚えられる奴なんて、
どこぞの真面目野郎か、生徒会役員ぐらいだろうし、そのくらい教師の人数も多かった。
そんななかで、俺が水沢先生と授業が出来るということ自体、俺にとってのイレギュラーでもあり、
異分子でもある。
だから、そんな奇跡に対して、俺は感慨を覚えた。
「ねえ恭介、あの先生なんかふわふわしてるねー」
神崎はふわふわしながら俺に話しかけてきた。
水沢先生も、お前に言われたかねえだろうよ。
「へーへー。そーですか、お前ほどふわふわしてねーよ」
俺はこちらに椅子を傾けながら座る神崎の椅子の脚に圧力をかけ、
こちら側に傾かせないように足に力をいれた。
「え?何?弾圧されてる?」
「いや、これ以上近づかれたら気持ち悪いし」
「………」
神崎がなんとも言えない表情になる。
「うっぜ」
「…何も喋ってないよ……」
そんなことはどうでもいい。今はあの先生だ。
そういや、初めて会った時から思っていたが、水沢先生は少し女顔で、
格好いいというよりは、綺麗、という言葉の方が似合う顔立ちをしている。
まあ、女顔だけを見れば神崎のほうが女顔なのだが、綺麗を含めるとあの教師が一番綺麗だと思う。
仕草や言葉遣いが一つ一つ丁寧で、声も穏やかだし落ち着いている。と率直な感想。
いや違えよ。
何でそうなるんだよ。で好感度が上昇してるんだよ。
なんだろ、顔のいい男ってずりぃな、チートだな。
知らないうちに自己紹介が終わっていた。
思いのほかあっさりしていたので、内容があまり頭に残っていない。
先生は手を叩き、生徒の視線を教卓側に引き寄せ、
「はあい、ではやることもないですし、何かしますか?」
と、初授業早々、トンデモ発言をかました。
何かしますかって何だ。
「んー、授業に関係することでもいいですし、無くてもいいですし」
先生は顎に手を添えて考えるようなポーズをとった。
いいのかよ。
「ふふ、皆さん静かですね。こんな楽な授業は最初だけなんですから、もっと気を楽にしてください」
先生は微笑ましそうに話を続ける。
そういう問題じゃない気がすると思っている奴は、俺以外にも沢山いるであろう。
「……どうでもいい話でもしましょうか」
くす、と笑ってから両手を合わせた。
いきなりどうした。
「俺、少し前に面白いグループ見つけたんですよ」
先生は笑顔を絶やすことなく、にこやかに話す。
それは、自分が思ってた以上に、物凄く、どうでもよかった。
そして先生は、とても完璧な笑顔だった。
水沢先生はまあ見てて下さいとかいって、綺麗な手をキーボードに這わせ、
パソコンの画面をプロジェクターに反映させた。
そして、動画を流しる。
何か曲に沿って人間が踊る?というか動く?というかスローモーションのあれだ。
いや、でも結構すごいなこれ。人間の動きじゃない。
おお、でも何かすごい幾何学的?てゆーかなんていうか…。
「ふふ、これって曲の一つ一つにテーマがあるらしいんですよ」
ちゃんとテーマに沿ってるんだ…へえ、よくできてるな…。
3分弱の動画が終わった。
感想はいくらでもあるが、一つ言わせてもらえば、
特に英語に関係する動画では一切なかった。
「……っていうね、ふふ、面白いでしょう、これ」
へへ、と嬉しそうに笑って合わせた両手を顔の前に持ってくる。
まあ思いのほか面白かったのは事実だ。
でもこれは授業には全く関係ないと思うんだが。
授業って教師が生徒に面白かったことを話したりとか、おすすめの書籍やバンドを紹介したりとか、
車がどうのこうのとか、そういう話をする時間じゃないと思うんだけど。
何だろうこれ。今の動画意味あるんだろうか。
俺は、先生の雰囲気に飲み込まれる。
いや、ほんとついていけないというか、引っ張られるというか。
「ふふふ…他にもあるんですよ、あ、皆さん何か見たいものでもありますか?」
みんなが呆然としていた。
この先生のマイペースぶりに。
こういうときに馬鹿騒ぎするDQN共は大抵体育を選択しているので、
ここにいる奴は真面目共か適当にやり過ごせばいいかと思っているような奴ばかり。
驚いているか、興味が無いかのどちらかしかいなかった。無駄に騒がれないのは幸いだな。
ちなみに、俺はその中の比較的驚いている部類に含まれている。
まあこれは驚かないわけがない。いや、そういうのじゃないな。
うーん、何というか…。雰囲気が、不思議?というか。
皆、雰囲気に引っ張られてしまっているというか、相手のペースに飲まれているように見える。
そのとき、先生が不意に微笑んだ。
俺が先生のことを考えている真っ最中に、その綺麗な顔を眺めていた時に。
最初から曖昧にうふうふと笑ってはいたのだが、確かな意思的なものを感じる笑いは初めてだ。
先生の顔を見つめていたせいで、俺は先生と目が合う形になり、それが俺には少し気恥ずかしい。
そんなことを悠長に思っていた矢先。
その目の、瞳の奥が、黒く、光った。
気がする。
それだけだった。それだけなんだ。
それだけなのに、貫禄というか、見透かしたようなその目が、綺麗すぎて近寄りがたいその身体が、顔が。
とても、怖い、と思った。
俺はその瞳を見た瞬間、寒気がした。引き込まれるかと思った。
瞳に吸い込まれて、という、そんな古臭い言い回しは本当にあることだった。
何故だろう、こんなに飲み込まれてしまうなんて。
少々人見知り気味な俺が、あまり関わったことのない人と目を合わせてしまったからか。
はたまた不意打ちを食らったことで、心臓に悪かったのだろうか。
否、そんなはずがない。
それはただの言い訳にすぎない。
恐怖、俺はとても怯えている。この俺が。
とっくに腐ってて、どうしようもなく不必要で、人間にも値しない、この俺が。
言葉に出来ない。安易に言葉にしてしまったら、その価値さえ失ってしまうぐらいに。
とにかく俺は、謎の存在感のような何かで圧倒された。
もっと的確に言うと、恐怖で支配されてしまった。
そして俺は気付いた。
違和感。
それは不思議だからとか、妙だからとか、おかしいからという理由だけじゃない。
何かがおかしい、間違っている、そんな違和感に。
この違和感は何だろうか。
俺はそこまで頭が回らない。
考えても考えても、あの笑顔が張り付いて、邪魔をする。
初対面でしかも数十分で異様な奴を一から十まで理解しようといのが無理があるのだろうか。
でも、素早く回答を出さないと気が済まない、手早く解決させないと、いけない。ような。
元々持っている気弱な性格が、相手の事を十まで知らないと恐ろしい、と俺を急かす。
何らかの、恐怖。
俺は神崎に肩を叩かれ、我に返った。
神崎は、俺の様子がおかしいことに気付き、心配してくれたようだ。
流石は俺の専属ストーカー野郎だ。
授業が全く頭に入っていなかったが、まともな話をしている様子も無いので気にすることは無いだろう。
「あ、これからの授業について話しておくことがありました、忘れてましたよ、ふふ」
先生はしまった、というい顔もせず、平然と話す。
動画見るより先に説明しろよ。
そんなツッコミを入れるほどの余裕さえ、ない。
俺はほんの数分前、水沢先生の異様さに気づいた途端、
この先生の切って貼り付けたような曖昧かつ完璧な笑顔に何故か恐怖心を抱いた。
ふふ、という笑い方にも凄みが含まれているように感じ、この場から立ち去りたいとすら思い始めた。
何故だろうか。
怖い理由なんてどこにも見当たらないというのに。
どこもかしこも完璧で、見誤る余地すらないというのに。
なのに、何故ここまで底知れない恐怖を感じているのかが、自分でも分からなかった。
その恐怖は、今まで何も思わなかったのが不思議なくらい、唐突にやってきた。
その瞬間、先生の存在自体が作り物めいたものに見えた。
率直な感想は、怖い。恐い。
小学生が作文に書くような稚拙さでしか表現できない、俺の言葉のボキャブラリーの乏しさに後悔する。
綺麗な、作り物の、その人が、とても、怖い。
一度そう見てしまったら、他の見方が出来なくなる騙し絵みたいだ。
もう、この先生が、ただの綺麗で笑顔を絶やさない先生には見えなくなってしまった。
俺がここで思ったことといえば、先入観ほど怖いものはないな、という事だ。
自己紹介とこれからの活動方針と無駄話を話し終えたところで授業は終わった。
授業中いきなり長瀬話を始めたり、壁の落書きを摩擦熱で擦り落と始めいたりと、
また随分とマイペースな奴だった。
しかし、あれさえなければ、俺は普通にこの先生とうまくやっていけたと思ったのに、
もう見てしまっては遅い気がする。
俺は一つのターニングポイントを過ぎてしまったようだ。
もう元のようには戻れない。
一瞬のうちに植えつけられた恐怖心は、もう完全に取り除かれることは無さそうだ。
この先生の前では恐怖心のようなものさえ煽られ、警戒態勢は崩すことができなくなった。
つまり、だ。
俺はこの先生を最初、いや、授業の始めあたりで思っていたように、
この教師に対しての変な興味や好感はもうすっかりなくなり、
そのかわりに、敵意識よりも解くことの難しそうな警戒心という心構えを埋め込まれてしまったようだ。
第一印象はそう簡単には変わらないからな。
先入観ほど手強い的はいないのだ。
正直そんなことを思っている奴なんて、俺以外にいそうにもないし、
周りや、神崎もふわふわした教師とぐらいにしか思っていそうにもない。
もしかして、俺が気にしすぎなだけなのか?
気味が悪かったのは一瞬だけだった。
ひょっとしたら、俺の見間違いかもしれない。
光が反射したのかもしれないし、角度的にそう見えたのかもしれない。
それなのに。
何だか、気味が悪い。
次の授業はいつだったかな、週に一度ほどあるはずだが、その日が来るのが恐ろしい。
怖い、恐くてたまらない。
俺は、あの先生にもう会いたくない。
まあ本日の授業もすべて終わったところで、俺は帰る支度をする。
神崎が俺の周りをうろちょろして心配してくれていたが、正直鬱陶しいにも程がある。
後半は返事をするのすら面倒で、何を話したか、全く覚えてない。
面倒だなあ。今日は少し考えすぎたから、もうこれ以上頭を使いたくねーな。
俺らしくもない。全くだ。
俺は鞄に荷物を詰め込み、蓋をする。
もう帰るだけだったし、神崎も既に支度が出来ているようだったので、
鞄を背負い、神崎に声をかけるだけだった。
俺はヘッドフォンを取り出した。
神崎と帰るので、流石にずっと着けとくわけにもいかないが、
肩にかけておいたほうが落ち着くので一応身につける。まあ、俺の気分的な問題だ。
なあ神崎、今日はどこによってく?俺久々に甘いもの食いたいなぁ、って。
俺は言うだけだった。それを伝えたら一緒に帰って、適当にぶらぶらして、家に帰って。
今日は何か疲れたから、ファミレスにでも寄って、いつもより少し特別な日にしようと思ったのに。
だから俺にはもう、特に学校にいる必要はなかった。帰るだけだった。
少し歩くだけで、玄関に着いて、この校舎から出られたのに。
それだけだったのに。
「坂田恭介くん」
振り返ると、あの先生が教室の出口付近で微笑んでいた。
俺が今。一番会いたくない人物。
俺の本能が、そいつの存在を拒否する。
水沢一彰。
会いたくなかった、もう帰るだけだった、あと少しだった。
あと少し早く帰っていれば、その先生に話しかけられることはなかったはずだ。
いや、どうかな。
それすらも、間違いかもしれない。
何もかもの行動が、あの先生に見透かされている様な気がしてたまらない。
ああ、もうこのヘッドフォンで何もかも遮断してしまおうか。
それももう遅いんだが。
でも、俺は、もう分かってしまった。答えが。
何でこんなことに気付いてしまったんだろうか、気付かなければ、気付いてさえいなければ、
もう少し、気を楽に出来たかもしれないというのに。
ほんの気休め程度にもなったというのに。
「ふふ、少し、お話しましょう」
そう、先生はずっと俺を待っていたのだ。
俺は強張る顔で、不自然な会釈をする。
先生も微笑みながら会釈を返してくれた。
俺は、神崎の背を出口側に押して、先に帰るように促した。
神崎はえ?え?と阿呆みたいな顔をして俺を見たが、
俺の目を見ると何かを感じ取ってくれたようで、不本意ながらも帰ってくれた。
流石は長年俺に付き纏ってきただけある。こんなに簡単に意思疎通出来るとは思っていなかった。
「ごめんなさいね。お友達と帰る約束でしたでしょうか?」
くす、と笑って軽く謝罪する。
俺は、その教師の笑顔が、純粋に怖かった。
ぐへえ疲れた。
今回は多分今後公開していく小説のなかでも、最もぐだぐだじゃないかと思いますよ。
そのくらい坂田くんが頭の中で物を考えすぎちゃってます。
水沢先生の印象が
不思議→綺麗→違和感→恐怖
になってます。そりゃこんがらがるわ。
まあ目があったときに怖くなった。と思えばわかりやすいかと。
あい!次回予告ですが!
水沢先生に呼び出されちゃった坂田くん!
坂田くんは無防備にもホイホイついていっちゃうのでした…
なにこれ、ヤマジュン臭半端ねえ。
それはさておきとりあえず次回は案外すぐ書きます!
もうお話は考えちゃってるので。
では、ここまで読んでくださってありがとうございました。