一枚の用紙
水沢先生こと水沢一彰とは、俺が入学式の時一度対面している。
たった一度だけだけど。
少し助けてもらい、微妙な会話を交わしただけの相手だが、その先生の異様な存在感のおかげで、今までずっと頭の中は先生に占拠されていた。
俺は名前も知らない相手を必死に調べ上げた。
まあ、名前は判明したものの、結局入学式以来あっていないのだが、こう簡単に再会する機会が訪れるとは思ってもいなかった。
それはあまりにも出来すぎていて、何もかもが完璧だった。
だからこそ。
4月中旬、教室にて。
ああ。眠い。死にそう。
「高校生活も二週間を過ぎたところだがー、お前らはもう慣れたかぁー?」
担任の長瀬がよく通る声で呼びかけている。
眠い頭にガンガン響く。正直五月蝿い。
俺は鞄に入っているであろう音楽プレーヤーに手を伸ばす。
なんかすごくうるさいから現実をシャットダウンしようか。
そう思ったが、今は授業中ということに気付いてあえなく断念。行き場の無い手が宙を泳ぐ。
長瀬は適当にプリントを机の上で纏めながら、だらだらと話す。
長瀬を含む全ての先生方よ。いつもお疲れ様って感じですね、はい。
まあ、心底思ってないんだけど。殆どの教師が爆発すればいいとしか思ってないんだけど。
眠い。俺は机に顔を伏せてプリントを眺める。
校内安全なんとかかんとかっていうどうでもいいことが書いてある紙を、
ろくに読みもせず、半分に折り曲げた。
「あー、んー。やっぱまだ慣れねーか。まあそーだよな。うん」
長瀬は適当に話も纏める。
俺は最初、この担任を正直苦手だと思った。
理由は簡潔、俺は熱血系が大嫌い、それだけの理由だ。
見た感じから体育教師だし、始業式あとの初めてのHR一番最初の言葉が
「俺に不満があるやつは出てこい!運動で勝負だ!!」
だったからだ。なんだこれ。
教卓の前で仁王立ちでドヤ顔している長瀬の顔は一生忘れられそうにないな。
しかも熱血系といっても普段からにっこにこしていて、
勉強何それおいしいの?みたいな、あの鬱陶しいやつかと思っていたら、
堅い、真面目、勉強も人並みにできる、なんか怖い、乱暴、そんな奴だった。
いや、運動大好き少年がそのままでっかくなったみたいな奴は奴で嫌なんだけど。
まあそんなわけで第一印象最悪だったのだが、そんな奴じゃないらしい。
そんなことを、この一、二週間で実感した。鬱陶しいほど。
なんというか、言葉で表現できないのだが、なぜか好印象。
まず、何といっても教師によくある上から目線の物言いや、その他諸々、
この教師には全くと言っていいほど見当たらないのだ。
教師という自覚がないのだろうか。いや、むしろ自分のことを大人だと思っているのだろうか。
それにお堅い人じゃないようだし、心が広くて、妙に気遣いが出来るので、
生徒うけが非常に良いのも納得できる。
そうして、いつのまにやら俺も、この長瀬智哉を信仰する連中の一人になっていた。
どうしてこうなった。
この鬱陶しいアホに好印象を持ってしまうなんて、どっからでもいいから人生やり直したい気分だ。
「ところでだが、この学校には選択授業という科目があるんだがー、
その授業では選択した科目を特化してー…ってなんとなく分かるよなー?
そこは察しろー」
長瀬は片肘をついて、指をくるくると宙で回した。うざい。
先生ー意味が分かりませーん。
眠気に負けず、俺が大声で叫んだというのに安定のスルーだった。
「じゃあプリントを配るからなー、そこに4つの教科書いてるだろー?
好きなの選んで丸付けて、うしろの人が集めて俺に提出しろよー」
あ…それからー…と長瀬が続けるがどうでもいい。
あと、プリントの説明はプリントを配ってからしろ。
俺は心の中で注意する。俺の気持ちよ、長瀬に届け。
「科目はそこに書いてるとおり、科学、英語、体育、芸術だー。
人数が決まってるから、体育、芸術はそう簡単に入れると思うなよー。
あと希望した科目になれなくても俺は知らんからなー」
なんというかなんなんだろうかコイツは。
少しは「俺、教師やってます」みたいな態度とってみろよ。
「担当の教師を読み上げるぞー、科学は木原先生、英語は水沢先生ー・・・」
長瀬は肩肘ついたまま、適当にそこに書いてある文章を読み上げていく。
科学は木原先生、英語は水沢先生。
……………水沢先生?
え?今なんて言ったんだ?長瀬の滑舌が悪かったのか?
それとも俺の耳が悪いのか?
「おいっ、神崎!今長瀬なんて言ってた?」
俺は前の席でうつ伏せになっている奴の背中を高速で何度も叩いた。
「……………寝てた人に分かるわけないじゃん……………」
目すら開けられない状態の神崎が、船を漕ぎながら答える。
呂律が回っていなくて、文章の半分近くが聞き取れなかった。
寝てたのか。役に立たないな。
「英語の担当がさ、聞き覚えあるやつでさ……」
「なんだ恭介、お前俺の話聞いてなかったのか?」
長瀬はこんな時だけ、俺に向かって格好よく指を指した。
なんでこんな微妙なタイミングで話に割り込むんだ、この教師は。
今は大事な話をしてるんだよ。馬鹿。
俺に答える間すら与えず、長瀬はもう一度プリントに目をやった。
「もう一度言うぞ、科学は木原先生、英語は水沢先生、んで体育は…」
間違いない、俺の聞き間違いじゃないようだ。
少し前に俺が調べたんだが、この学校には水沢という姓は一人しかいない。
水沢一彰に間違いないだろう。
でも…本当だろうか…。
本当に入学式であったあの先生に間違いはないのだろうか…。
あの、長瀬以上に教師臭がするけど、長瀬以上に教師以下な、よく分からない変な奴。
俺はあの教師にもう一度会うために探し回った。
会う理由とかは特に無い。
ただ、俺があの教師に興味があるだけ。それ以外には無い。はず。
それにしても、あれだけ苦戦していたというのに。
校内を走り回っても見つからず、写真も数えるほどしか残ってなく、後ろ姿すら目にしなかったのだ。
それなのにこんな簡単に事が進むなんて、少し違和感を感じる。
本当にあの教師で間違いはないんだろうか。
「なあ、これって本当に水沢先生だと思う?」
俺は神崎を再び起こし、プリントを神崎の顔の前に挿頭して見せた。
水沢一彰。俺の目にはそう映るんだが。
「……………どうみても…水沢って書いてるよ……」
やはり、どうみてもどうきいても水沢先生のようだ。
「………そうなのかなあ………。やっぱりあの先生かなあ……」
水沢先生か。あの先生なのだろうか。
俺は、正直期待した。すごく期待した。
何故かって、そいつともう一度会えば何かが起こる気がしたから。
いや、そんな明確な理由は無い。
ただ、俺が会いたいだけ。
何故かも分からずに、会いたいだけ。
「…神崎、選択英語って、やっぱ面倒なのかなー」
「…………面倒っていうか…………授業じゃん………まさか英語にするとか言わないよね…」
神崎は寝ながら話す。
「………そうかなあ。俺は面白いと思うんだけど」
「……………………………恭介……」
神崎は少しだけ戸惑いの色を見せた。
ああ、分かってる。長年付き合ってきたこいつはもう分かってる。
やっぱり友達ってすごい、怖い。
「んー、神崎は何にすんの?選択授業ー」
神崎は無言だった。
俺にべったりだった神崎は、いまごろ驚いているだろう。
恭介が自ら勉強を選ぶなんて。
っていう具合で。
「…僕は…………どうしよっかな……」
俺はとりあえず、英語に丸をつけた。
というわけです、はい。
誰か文才くれ。
でも安心してください、次はもうちょっとまともなのです。