奪還篇 山奥の名医②
『お出しした料理は楽しんでいただけたようで。そうと判っていれば毒を混ぜとけば良かったと後悔してね、茶には入れといたけど飲んでもらえるかい?』
邪気のない笑顔で対面に腰掛ける三十路そこそこの女性は薄水色の液体が入ったカップを掲げながら、表情とは裏腹な毒を投げかける。
異世界人といっても女性は楠木達と一見変わらない姿形だが、その両眼は接待役である騎士ファランと同じく石のような物質で出来ている。
赤色の宝石とでも呼べばいいのだろうか。硬質な光放つ石がその眼孔にはぴたりと収まっていた。先ほどの魚もどきも眼は石となっていた。
文字が強い意味を成すこの世界において石のような目が何らかの優位性があり、生物が持つ特徴となったのだろうかと楠木は暢気に考える。
リドナーと名乗ったこの女性が十二聖書に選ばれた聖人の一人であり、カルネイド世界にいくつかある交差外路を一元的に総管理し、異世界関連事項に関する責任者だという。
彼女の執務室に通された楠木達は、応接用のソファーで腹の探り合いを早速開始していた。
「あぁ、それなら大丈夫ですよ。俺はともかく姫さんに毒なんて通用しませんからね。きっかり貴女とそのお仲間をまとめてぶっつぶして、敵を取ってくれますから」
「あら……楠木様に信用されておりませんのかしら? 楠木様を失ったなら悲しみの余りこの世界その物を潰しますのに」
敬語をまぜた言葉遣いでリドナーと同種の友好的な笑顔を装った楠木が、これまた直接的な毒を投げ返すと、合いの手を入れるように左隣に座った姫桜が下手な泣き真似を始めた。
だが手の間から覗かせる両眼は、楠木に手を出したらただじゃ置かないと雄弁に物語り、全身からは寒気とおぞましさを含んだ鬼気を滲ませる。
リドナーの牽制と姫桜の気配に耐えかねたのか、背後に控えているファランが胃のあたりを気にしていた。
一方で姫桜の横に座る楠木も心臓をわしづかみにされたような恐怖感を感じ笑顔を引きつらせる。
遊び半分といえ姫桜が醸し出す威圧は小動物なら殺し、植物も枯らしてしまうほど。背筋を伝わって這いずり上がってくる冷気は正直身体に悪い。
影響を受けまくっている男二人に比べて女性陣は平然な顔を浮かべたままだ。
発生源である姫桜は未だ下手な泣き真似を続けており、内心は判らないが変わらない笑みを浮かべるリドナー。
そして楠木の右肩に腰掛ける神様に到っては、下らんとばかりに欠伸を浮かべる始末だ。
「まったく……痴れ者しかおらんのか。話が進まん。玖木の娘。無駄に喧嘩を売るな」
縁いわくこの程度の鬼気『黄泉比良坂』で慣れたとの事だが、そんな大層な物と比べられても感心すればいいのか、勘弁してほしいと思うべきなのか判断に困る。
縁の注意に姫桜がクスクスと笑うと、室内に充満して気配があっさりと霧散した。
『……って事はあんたに何か無い限りは、クキの姫君の事はそう心配しなくても良いってことかい?』
気配が収まった所でリドナーが笑みを潜めて真剣な顔を浮かべる。
返答次第では一戦やり合うのも仕方がないとでも思っているのか、赤眼が放つ光が強まった。
やはり一番の心配事はそれか……
予想した通りの状況にどう答えた物かと一瞬思い、結局いつも通りにいこうと楠木は口元に人の悪い笑みを浮かべる。
「今の姫さんは特二じゃありませんからね。俺と同じ特三。正義の味方ですよ」
巫山戯た物言いをはき出した楠木はソファーの背へとその長身を預けながら、横に座った姫桜の頭へと左手を伸ばして、その頭をぽんぽんと軽く撫でて、ほれこの通りと示してみせる。
もっとも楠木のこの行動は、唸り声をあげている猛獣の口の中に頭を突っ込み安全性を示すパフォーマンスとさほど変わらない。
相手がどう捉えるかは微妙な所だ。
「えぇ今は楠木様と同じ”自称”正義の味方ですので、貴女方が私共の世界に仇なす悪者でない限りご心配なさらずに」
クスクス笑いながら姫桜がそっと楠木へと身を寄せる。
先ほどまでの鬼気を身体が覚えているのか、反射的に思わず姫桜から逃げようとする身体を楠木は無理矢理押さえつける。
このくらいのことで姫桜が傷つくわけはないのだが、逃げないのは姫桜を誑かし利用している楠木としての最低限の誠意だ。
もっとも客観的に見れば姫桜の方から好き好んで誑かされ利用されているとも言えなくもないのだが。
「姫さん。そろそろ遊びは終わりにしてくれ。あとで相手してやるから」
「あら。では楽しみにしておきます」
乱れる脈を静めながら楠木が軽く頭を下げると、思っていたよりもあっさりと姫桜が身を離す。
2人のやり取りを真剣な顔つきで見ていたリドナーは軽く息を吐いて緊張感をとくと手に持っていた茶を一気に煽った。
『失礼したね。この通り毒なんて入れてないさ。安心して召し上がってくれ。この辺りじゃ一番上等な茶葉だよ』
「そりゃどうも。ご馳走になります…………」
安全性を示すと言うよりも喉がからからに渇いていただけではないかと思いつつも、楠木もテーブルの上に置いたままだったカップへと手を伸ばして口に含む。
薄水色の液体は泡もないのに炭酸のような刺激があり何処か薬品くさい。中途半端なぬるさが香りを余計に引き立てる。
だがこの一度飲んだら忘れられない懐かしい味。
まだ小学生だった時の幼なじみと繰り広げた稽古勝負のなかでもっとも過酷だった罰ゲーム。
「ドクターペッパーホット風味……縁様、姫さんどうする?」
カップに口を付けたまま楠木はリドナー達に聞こえないようにそっと囁くと、縁は懐から小さな巾着を取り出し中から飴玉を取り出し転がし始め、姫桜はにこりと微笑み楠木に自分のカップを差しだした。
「……リドナーさん。俺好みの味なんでポットに残っているお茶全部戴いてもかまいませんか」
友好の茶を拒否して敵対も馬鹿らしい。楠木は口元に引きつった笑みを浮かべながら覚悟を決めた。
「……いやはやそれにしても焦ったよ。召喚の相手国がニホン。しかも来るのが噂に名高いクキの姫君って聞いた時は。生きた心地がしないとはこのことだね』
先ほどまでの一見友好的な態度は形を潜め、近所の定食屋のおばちゃんといった愛想のよい雰囲気を出しながらリドナーが息を吐いた。
どうやらこちらが地のようで件の茶をすすりながらリラックスした表情を浮かべている。
「気持ちは分かります。しかも姫さんの場合は噂はまだ温い話ですからね。なんせ噂が立つって事は生き残ってる人がいるって事ですから」
リドナーに相づちを打ちながら楠木はちびちびとドクターペッパー茶を片付ける。
噂が立つくらいの生存者がいるならまだ良い方。姫桜の本領は噂すら残らないほどの徹底的な殲滅にある。
村、街、国、大陸、状況によっては世界丸々一つ。
姫桜がどれくらいのことをしてきたのか楠木も正確な数は知らないが、少なくとも楠木が知り合ってから姫桜によって壊滅した召喚主一味は両手両足の指を全て足しても足らない。
リドナーの立場からすれば姫桜の来訪は、大魔王降臨といった所だろうか。
「あら? 楠木様違いますよ。生き残ったのではなく無関係だったからです。いくら私とて無辜な方々まで手に掛けたりいたしません」
その大魔王といえば楠木の言葉に拗ねた顔を浮かべながらクスクス笑うという器用な真似をしていた。
『無関係ね。そうするとあんた達的にはあたしはどっちなんだろうね?』
リドナーが意味深な言葉を吐くと。楠木を試すかのようにその紅眼で見つめる。
どうやら本題に入ったようだと空気を察した楠木も微かに表情を改め、
「まぁ、こっちは素直に返してくれさえすれば、なるべく大事にしないってのが方針ですが……で、筑紫先生は返してもらえそうですか?」
一拍間をおいてからぐっと一気に踏み込む。
リドナーが筑紫亮介を召喚した人物を知っており接触しているという確信を持って。
『回りくどい腹の探り合いは嫌いじゃないが、そうも言ってられないしね。腹を割ろうか…………どこまでこっちのメッセージを受け取ってもらえたのか教えてもらえるかい?』
踏み込んできた楠木の言葉は予想していたのかリドナーは焦る様子も見せず茶を飲みながら尋ね返す。
「そうですね。貴女方は召喚した犯人。聖人を知っている。その聖人に対して姫さんが暴挙に出る事を恐れている。貴女方自体には俺たちと敵対する気は無く、むしろ味方となり得る……って所までは。いろいろ訳ありのようですし。ちなみにこちらも現時点で貴女方と敵対する気はありません。協力できることがあれば協力します。その方が筑紫先生を早く返して頂けそうですので」
『そこまで信頼して頂けてるとはねぇ。恐悦至極』
楠木はにやっと人の悪い笑顔を浮かべて予測と希望を話してみせると、リドナーも僅かに口元に笑みを浮かべ答える。
どちらも浮かべるのは善人とはとても言えない性格のひねくり曲がった、俗に言うイイ性格をしている人間が浮かべる笑みだ。
「この狸共め……もっともこちらの女狐に比べれば幾分かましか」
楠木とリドナーの笑いにどうやら根っこの部分が似ているらしい同種の性格を感じた縁は一つぼやいてから、忌々しそうに姫桜を見る。
「あら。そうでしたの。お恥ずかしながら私全く気づいておりませんでした……”後ろめたいこと”が本当にお有りだったのですね。そうと知っていれば”城塞事破壊”していたのですが」
縁に女狐と評された姫桜は、楠木達の会話に驚いた表情を浮かべ口元に手を当てていた。
白々しいにもほどがある下手くそなわざとらしい演技。
それを楽しそうにやっている姫桜に楠木も肩をすくめる。
(ほんと大物だよ。このお姫さんは…………)
心の中で呆れ混じりの賞賛を贈っていた。
楠木がこの世界の異世界機関に敵対の意志はなく、むしろ消極的な協力者であるかもしれないと思いはじめたのは塔へと案内されている途中のことだ。
ファランは会話の中で、楠木達へと情報を与えようとしている節が所々にあった。
それ以外にも塔最上階からの眺めを説明するときにも、違和感は存在した。
綺麗に整えられた中庭がよく見える南側ではなく、遠くの平凡な山並みしか見えない北側のテラスへとファランはなぜか案内した……それは縁が、筑紫一家の『縁』と、大きな力を感じている方角であった。
そして極めつけは料理だろう。
豊富な種類と華やかな飾り付けと手の掛かったとおぼしき料理。
異世界人である楠木達に味は別としても、見た目だけでも楽しんでもらおう。
創意を凝らして歓迎しよう。心から歓待しようという意図が見受けられたのだ。
だが軟禁するという楠木達への対応はそれらの予測と相反する。
兵士の一団に囲まれて、そのまま歓待という名目で身柄を拘束された事。
わざと情報を与えてきた騎士。
玖木姫桜の悪評を知っているとみられる騎士達の反応。
まぎれもない歓待の意志……ご機嫌伺いの意図が籠められている料理。
以上の点を踏まえ状況を読みリドナー側からの『少し待って欲しい』という無言のメッセージと受け取った楠木は、『待つので状況を説明しろ』と言う返答を投げ返していた
それが姫桜との食事中の会話である。
あえて此方の知っている事、判っている事、予想できたことを姫桜と話す事で、盗聴しているであろうリドナーに、楠木達に協力するのなら強行的に進める意志はない事を伝えてみせていた。
もっとも楠木は差し障りの少ない話で適度に刺激しようとしたのだが姫桜は違った。
『後ろめたいところをすべて明かせ。さもないと城塞諸共破壊する』
言外に挑発して決断を促した姫桜の大胆不敵さには楠木は舌を巻いていた。
それに関してはリドナーも楠木と同様の感想を抱いていたようだ。
『さてお姫さんが怖いから単刀直入にいうよ……私達は違反者を確かに知っている。そして違法召喚に気づいてからは、召喚者をすぐに返還するようにと説得をし続けている。だが本人がうんと言わないのさ。そうこうしているうちに、あんたらが来ちまったんだよ。しかも殲滅のクキ……とりあえずしばらくはあんた達に逗留してもらって、その間に何とか説得して丸く収めようとしていたってわけさ』
サバサバとした調子でリドナーは話を始める。
その説明は楠木が予想していた状況とほぼ変わらない。
「なるほど……それで召喚主はどこのどなたさまですか?」
『ディアナ・クラントっていう私の馬鹿弟子。そしてもっとも新しい十二聖人の一人でもある娘さ……』
リドナーは深い溜息を吐きながら、召喚主の名前を口にし掻い摘んだ説明を始めた。
十二聖書に選ばれし十二聖人とは、この世の全てを現す聖書に新たなる記述を書き込む事が出来る者達の事をさす。
彼、もしくは彼女たちが新たな理。新たな概念。新たな生物、新たな技術を書き記していく事で、カルネイドにも新たな理が根付いていく。
彼等十二聖人は聖書に書き込むべき新たなる記載。
カルネイドをよりよき方向に導く理を求め異世界を旅し、深く学び、持ち帰る事が義務づけられている。
しかしディアナは聖人はその義務を嫌がり出奔、行方をくらましていたという。
それが三年前の事。
十二聖人の失踪など、この異世界の根源を揺るがす大事件を公表出来るはずもなく、表向きは知識をもとめ異世界に渡ったとし、裏では必死の捜索を続けていたという
『ともかく能力だけは高い子でね、私らの探知にも引っかからないでずっと行方がつかめなかった。ところがだ。裏市場で発見されたみた事もない薬草と傷薬を調べていくうちに、ディアナが学び知った事しか書き込まれない十二聖書の一つ『二月の書』にそれらが新たに記載されてた事が判明したんだよ。どうやら異世界から、何かもしくは何者かを無断で召喚して知識を得たんだろうって考えるのは難しくなかったよ。私がこの世界の異界渡り全般を管理しているからね。そこで調査は表向きには一端中止。一応どこの世界と繋がっているかも問い合わせたんだけどまさかニホンとは思いもしなかったけどね。秘密裏に流通経路を辿りあの子の居場所を割り出したんで、私が直々にわがまま娘にきつい灸を据えてやろうとしたんだけど……」
一端言葉を句切ったリドナーが非常に不機嫌そうに顔を歪める。
どうやら余り思いだしたくないのか、声に苛立ちが混じる。
『ポータルポイントを自力で製作していたらしくて、そこから膨大な力を引き出していたディアナに返り討ちになっちまってね……あんの小娘め。力じゃ勝てないってのは判ったんで、今度は交渉で何とか馬鹿な事を止めさせようとしたんだけど、言う事を聞きもしない。その内ディアナのポータルポイントはより強大化。他のポイントにまで影響を与えて、そして今に至るってわけさ……腐っても愛弟子。クキの姫様に殺されるようなことだけは避けてやりたい。だからあんたらに少し待っていて欲しかったのさ。悪かったね。まわりくどい真似して』
説明を終えたリドナーは申し訳なさそうに頭を下げる。
この様子を見ていれば今の話が嘘が本当かを見分けるのはそうは難しくない。
楠木は真偽を確かめるでもないと判断し、気になったことを問う。
「そのお嬢さんが、何で聖人の義務を嫌がったのか教えてもらえますか?」
『まぁあれだね。要するに色恋沙汰さ。義務として異世界に渡っている間に、自分の男が違う女の所に行くんじゃないかとか、時間の流れが違う世界で過ごすことで年齢が離れるのを嫌がったりとかね…………ちなみに相手の男ってのはディアナと一緒に行方をくらました私の馬鹿息子。だから公人としても、師匠としても、私人としても私が何とかしなくちゃいけないのさ』
「……そいつらの年は?」
『いなくなったのは両方とも12才の時。駆け落ちするって書き置きを残してね。今は15才になったのかね……あの色ガキ共。親にこんだけ心配掛けさせやがって。捕まえたら死ぬほど後悔さ』
説明しているうちにどんどん表情が険しくなったリドナーの額に青筋が浮いてくる。
どうやら相当腹に据えかねる物があるようだ。
『リドナー様。その辺は後で私が聞きますので』
話が脱線し掛かっているのを察したのか背後の騎士ファランがコホンと小さく咳をして話の腰を折る。
『あ……すまないねファラン』
溜息と共に表情を沈めて後ろの騎士に向かってリドナーが軽く手を挙げて礼を伝える。
やけに態度が気安い。
この中年騎士を腹心として扱っているのだろうか。それにしては少し距離感が近い気もする。
『逃げ込んだ先の山奥の村で世話になったらしくてね。今はそこに暮らす連中の為にってのも目的でいろいろ小細工しているみたいだね。それが薬草の育成や薬の製造とかのようだね。でも正直なところ私からすれば目先しかみない子供の浅知恵って奴だよ。狭い目線でしか物をみない。世界のことを考えてない。その果てに今度の大騒ぎを起こしちまったんだからね。どう言い繕っても師である私の責任だ…………少し甘やかしすぎたかも知れないね』
自分を取り戻したリドナーは落ち着いた口調で話しを続けると、最後に僅かに後悔の残る表情を覗かせながら息を吐いた。
その顔は師というよりも心配を掛ける子供達を心配する母親の成分が幾分か強い。
「なるほどの。力だけはある童か。拙い技を補うために力任せに召喚しおったな。それで跡があれほど残っていたというわけか……どうする。此奴を信じて待つか?」
今回の召喚先が早く判った理由に合点がいったのか縁が小さく頷きながら、楠木へとこれからの方針を問う。
奪還者はあくまでも楠木であり、自らは力を貸し与える存在であるというスタンスを縁が貫いているからだ。
楠木は即答せずに口元に手を当ててしばし考える。
今の話を聞く限り相手側に強い悪意はないように思える。
召喚者が非道な目にあっている可能性は、今までの経験から極めて少ないと勘が訴えている。
しかしだからといって何もせずにいるわけにもいかない。
優菜、優陽には早く連れ戻すと約束した以上、手をこまねいているのは楠木の主義ではない。
「姫さんのことは? 『殲滅の九鬼』が来たって事を伝えれば少しは考えが変わるのでは?」
『言ってはみたさ。鬼が来たよって……まぁ、そうしたらさ。今から言うのは本人の言葉だからね。私の言葉じゃないよ……誰それ? 鬼なんてつくぐらいだから不細工な術者でしょ。どこの誰だか知らないけど、あたしに勝てるわけ無いじゃん。師匠も耄碌したね……だと。怖い物知らずの天才だからね』
肩を竦めたリドナーは姫桜の気分を害さないように気をつけなるべく感情がこもらないようにしているのか淡々とディアナの言葉を伝えるが、鼻っ柱の強い小娘という雰囲気が言葉の端々からどうしても滲んでくる。
「あらあら。そうですか」
リドナーから伝えられた言葉に、姫桜は口元を隠してクスクスと笑い出す。
心の底から楽しそうである姫桜の忍び笑いに、楠木はげんなりとする。
姫桜という人間は、誰かに罵倒を浴びされても、侮辱されても怒ることはない。
なぜならそういった言葉を吐いた人間を、徹底的にいたぶるのが心底楽しいという性癖の持ち主であるからだ。
侮辱されれば侮辱されるほど、後の楽しみが増す。
それに怒る理由はないというわけだ。
「あー姫さん。背筋が寒くなってくるんで、そろそろ止めといてくれ。つってもあれか要はガキの我が儘としょあーない。リドナーさん。ここからは俺の本音っていうか提案だ。俺達に任せてくれねぇか? 奪還ついでにそのお嬢ちゃんにちゃんと反省させてやる。二度と無断召喚なんてしないようにな……だから協力してくれ」
楠木としては一刻も早く奪還してあの姉妹の元に父親を帰したい。
リドナーとしても、問題をなるべく早く出来れば穏便に解決したい。
両者の望みを叶えるためには力尽くで行ってみるのが一番早道だろうと楠木はにやりと笑う。
『ん? 聞こうじゃないか』
「調子くれてるガキに大人の怖さを教えるって事で、ここは玖木の怖さを骨の髄まで知ってもらうってのはどうだい? ……死ぬほど怖い思いをしてもらうのさ」
『なるほどね。あんまり遅くなると他の十二聖人も痺れをきらしちまうから、早めに片を付けるに越したことはないさね……でも強いよ。あの娘は。クキを恐れないって言うのも信じちまいそうになるくらいに。勝てるのかい?』
楠木の言葉に同意の意思を覗かせながらもリドナーは僅かに顔を曇らせる。
それだけディアナという少女が強いのだろう。
だが楠木は心配などしていない。
姫桜は確かに絶対的な強さもあるが、それ以上に得意なことがある。
「なに大丈夫さ。相手がどれだけ強かろうと関係ないさ。姫さんほど人に”恐怖”を与えるのに長けた人物はいないって俺は信頼しているからな。姫さん。そのガキに自分がしでかした事で、優菜と優陽が負った”失う恐怖”ってのを10倍返しで教えてやれ……もちろんいけるよな?」
「心得ました。楠木様の頼みとあらばこの玖木姫桜。鬼でも蛇にでもなってみせます」
人の悪い笑みを浮かべる楠木に対して、姫桜がにこりと微笑み返す。
楠木の企みを詳しく聞かなくとも、だいたい判っていると姫桜の笑顔は物語っている。
召喚者奪還の為ならば手段を選ばない楠木と、違法召喚主を罰する為ならば何でもしでかす姫桜。
「その娘に同情しとうなってきた。妾が知る限り此奴らほど悪辣な者達は無量大数の世界においてもそうはおらんからの……」
そんな楠木と姫桜のやり口を一番間近でみてきた縁は、死ぬほど後悔させられる少女を思い哀れんでいた。