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第三交差外路

 夕暮れの地方都市の駅前広場は、学校帰りの学生や家路に向かう会社員達が行き交い混み合いはじめていた。

 徐々に増え始めている人混みの中で目立つ人影が二つ。 

 一人は窮屈そうなスーツの上に黒いコートを羽織、なぜか背中に竹刀袋を担いだ大男。

 もう一人は大男のその三歩後ろでその影を踏まず静々と歩く純白の白地に舞い散る桜が描かれた艶やかな着物を身に纏う和装の美女。

 周囲より頭一つ飛び抜けた巨漢に、深窓の令嬢然とした大和撫子は人通りの激しい駅までも目立つ存在だ。

 名家のお嬢様と護衛とも見受けられる二人は、駅を目指して雑踏の中を進む。

 巨体の放つ威圧感と和服美人のもつ圧倒的な存在感が、群衆をかき分け彼等の行く先に道が自然と開いていく。

 スーツ越しでも判る鍛えられた肉体にどこかのプロ格闘家と、巨漢の顔を車内からまじまじと見るタクシー運転手。

 駅前のコーヒーショップの二階席で雑談をしていた男子高校生の集団が、艶のある色気を醸し出す女性を無遠慮にも携帯で写真を撮り始める。

 周囲から集まる好奇の視線。

 大男が僅かな苦笑を口元に浮かべる一方で、美女は全く気にせず静かに歩んでいく

 さほどの苦もなく自動改札の前に辿り着くと大男が胸の内ポケットからカードケースを取り出し、銀色に鈍く光るカードを取り出し、背後の美女へと振り向き一言、二言話しかける。

 男の言葉に軽く頷いた美女は腰帯からぶら下げた巾着の口を開いて中から同じ色のカードを取り出した。

 大男はそれを見てから自動改札へと向かいカードをかざし通り抜け、次いで女性も男の後を追って改札を抜けていく。

 だがこの時少し勘の効く者がいれば、違和感を覚えただろう。

 改札口を抜けた途端に二人の放つ威圧感と存在感が極端に弱まっていた。

 二人にあれほど好奇の視線を向けていた周囲の者達も既に興味を失い各々家路へと足を急ぎ、タクシー運転手は客はまだかとぼやき、男子高校生達は元通りの雑談を再開しはじめる。

 急に気配の弱まった異質な二人。だがそれにたいして誰も違和感を覚えない。

 いつもの夕暮れの駅前。ただ混み合う雑踏だけがあった。











 人が行き違うのがやっとな狭い踊り場と上下に続く薄暗い階段が姫桜の前に出現していた。

 両側には茶色い壁。つい先ほどまで前を歩いていた楠木やカードをかざした自動改札機の姿はない。

 どうやら楠木はこの階層とは違う場所へ転送されたようだ。待っていればどうせすぐに来るだろうと姫桜は踊り場へと移動する。

 薄汚れた雑居ビルの一角のような場所であっても、姫桜が立っているだけでどこか華やかに感じさせる。

 玖木姫桜という女性はそれだけの存在感……空間すらも従わせる力を持っていた。



「本当に……無駄に凝っておりますね」


  

 ここに来るのはもう四回目だが、いつも同じ感想を抱かされる。

 姫桜は右手に持ったままのカードを見る。

 先ほど自動改札に触れさせたカードは、JRで使われているSuicaなどの主要なICカード同じ大きさ。

 表面はシルバーの鏡面処理が施されており姫桜の顔を映すだけで、何も情報は記載されていない。

 裏側には日本語表記とローマ字表記の姫桜の名前が刻印されているだけの飾りっ気のない物だ。

 これは正式に『特三捜救』の一員となった姫桜に支給された日本国異界特別管理区第三交差外路への正規の通行証である。

 第三交差外路への入り口。それはJR、私鉄、主要路線、僻地を問わず全国の駅の改札口だ。

 鉄道と駅というキーワードを発動条件にして発生する転移陣。

 大仰すぎる仕掛けを施したのはそれを茶目っ気と宣う一人の女性。

 国鉄からJRに変わるときのどさくさ紛れに、当時はまだ政府未公認で非合法だった第三交差外路への転送陣を各地の主要駅へと設置したのを切っ掛けに、某鉄道ゲームのノリで拡張していったそうだ。

 自動改札が主となる前は特製の定期券型呪符を洒落で使っていたそうだが、年々増えていく関係者に合わせて作るのが面倒になったので、特製のICカードにデータをコピーしての簡易製造という。

 これは昔気質の術者達(秘術を神聖な物と位置づける者達)にとっては忌々しい事この上ない挑発といっていい。

 姫桜を初めとする玖木一族が本来所属していた異能を代々受け継ぐ名門家系が統べる日本国異界特別管理区第二交差外路『特二』のお歴々が、『特三』を毛嫌いする理由の主要因の一つだろう。

 『特三』はとにもかくにも型破りな交差外路として知られている。

 第三交差外路がいつ出来たのかは定かではない。ただ気づいたら存在していた。

 いつの間にやら発生して徐々にはみだし者が集まり異界へと渡り、異界より来訪者が訪れ、それを危険視した『特一』『特ニ』の度重なる侵攻や妨害行為もはね除けて異界への道を開き続けてきた。

 ついには日本公認の地位まで掴み、正式な交差外路と認められてしまった。

 集まる者もまた一風変わっている。

 名門家系のはぐれ者。

 一代だけの超常者。

 なんの力も持たないただの一般人。

 国を捨てた異国の者。

 ありとあらゆる人種が集まり……世界の理が違う遙かに遠い異世界の者達すらも常駐している。

 現世にいくつも存在する交差外路の中でも来歴は異端中の異端。

 忌み嫌う者は今でも多く、姫桜も道化共の巣窟と昔は蔑んでいた……それが今では。 

 



「名門玖木の当主たる私も落ちるところまで落ちましたわね」


 

 姫桜はクスクスと笑いながら心にもないことを呟く。

 今が楽しくてしょうがない。

 それが姫桜の正直な心情だ。

 姫桜だけでない。弟や玖木に連なる者達。皆が九鬼としての軛を解き放たれ今を楽しんでいる。

 そんな自由を楽しめるようにしてくれたのも…………

 

 

「姫さん。ここにいたか。動かずにいてくれて助かるよ。はぐれたら困るからな」



「一本道ではぐれるか戯け。否……此奴の場合遊びでやりかねんか? ええい! とにかく貴様は此奴に甘すぎる!」



 階下から上がってきた楠木が姫桜へと声を掛け、肩に腰掛ける縁は小言をクドクドとしながら楠木の耳を引っ張っている。

 この騒がしい一人と一柱が姫桜をこの場所へと導いてくれた。



「楠木様。縁様。お待ちして降りました。私一人投げ出されてあまりの寂しさで泣きそうになりました」



 口元に笑みを残しながら姫桜は下手な泣き真似をして見せると楠木がにやっと笑った。

 


「なら大丈夫だ。ここは面白いからな。つい最近模様替えした所だし。すぐに笑うさ……さてと行こうか」



 楽しみにしてなと呟いてから楠木が階段を登りはじめ、姫桜もその後に続く。

 緩やかな階段を薄暗い灯りの下に上がっていくと、不意に楠木が首だけ振り向いて姫桜に目で謝る。



「本当なら今日は再調査の後は事務所に戻って姫さんの着任挨拶と歓迎会のつもりだったんだが、悪いが予定変更だ。着いたらすぐに向かう」


 

「いえ。お気になさらず。判っておりましたから……楠木様は女子供にだけはお優しいですからね」



 姫桜が意地の悪い声で答えて見せると、楠木が勘弁してくれと言いたげに頭をがじがじとかいた。

 楠木が筑紫姉妹の願いを……悲痛で切実な祈りを受け取った以上、一刻でも早く叶えるために動くことは判りきっていた。 

 姫桜の目の前をふさぐ壁のような大きな背中。

 この背に背負える想いはいかほどの物だろうか。

 絶望、悲哀、憤怒。

 親しき者を攫われた者が抱く悲痛で重い感情を楠木は依頼人から譲り受け背負い続ける。

 ただの人間には過ぎたる重圧だろう

 だがこの男は決して潰れない……それは姫桜もよく知っていた。

 


「……あらそうすると私は女としてみられておりませんのかしら? こんなに尽くしておりますのに。今日も楠木様のご命令通り周辺を調べておりましたのに忘れ去られましたし、それともこれが巷でいう放置プレイという物でしょうか? 後で特三の皆様方に挨拶ついでに尋ねてみますね。それとも特二の長老方の方がいいでしょうか?」


 

「悪かった。戻ったら派手にやるから勘弁してくれ。特二に姫さんをそんな扱いしているなんて思われたら命が幾つあっても足らねぇっての……さてとそろそろ室長に最終連絡を入れとくか」



 姫桜のクスクス笑いに楠木はばつが悪そうに頬を掻いてから、携帯を取りだしてどこかへと電話を掛け始める。



「楠木です。今戻りました……えぇ姫さんも一緒です…………いえ。さっきも言ったとおり公園から直接向かいますよ……だから許可の方と向こう側に連絡を……宴席のキャンセル料?……だからまだ予約は取るなって……いやいやそこは室長の誠意って事で……はっ?! 八菜さんも来るつもりだった!? っていうか幹事!? ……イベントも準備って……なにやってんだあの人は。そんなに暇じゃねえだろうが」



 電話の向こう側からは姫桜にも聞こえるほどの大きさで女性の怒鳴り声が響いてくる。

『勝手なことするな』やら『どーすんのよ準備終わってるのに』と漏れ聞こえる声はどこか悲痛だ。



「やれやれ与太者共が。玖木の娘よ。喜べ。どうやら特三は親玉を筆頭にお主を大歓迎のようだぞ」

 

 

 携帯から漏れ聞こえる怒鳴り声を煩わしく思ったのか縁が辟易とした顔を浮かべ姫桜の肩へと移ってくる。

 


「あら。それは嬉しいですね。何度か殺し合いになりかけた方もいらっしゃいますのに」

 


「ふん。奴らがそれくらいのことを気にするか。その筆頭が楠木じゃがの。全く……たった一度お主の気まぐれで命を救われたくらいで完全に気を許しおってからに。終いには引っ張り込みおって。何度お主の所為で死にかけたか。忘れておるのではなかろうな……」



 縁がぐちぐちと愚痴をこぼしながら、苛立ちを現すかのように姫桜の耳を引っ張る。

 


「仕方ありません。楠木様の存在は邪魔だったんですもの……昔の私からすれば本当に忌々しいくらいに。幾度か陥れたのも立場の相違という物ですよ。『戒めの九鬼』としての理念に従ったまでです」



 耳を引っ張る心地よい痛みに姫桜はクスクスと笑い声を漏らした。

 



「ちぃ……判っておるわ。お主らがお主らのやり方で現世を守ろうとしてたのは。ただしここは『特三』お主もここの一員になったのじゃ。妾達のやり方に従ってもらうぞ」



「それはもちろん。今の私は身も心も楠木様の下僕ですので……あら。縁様に私は嫌われていると思いましたのに、お仲間と思っていただけていたとは。玖木姫桜光栄の至りです」



「白々しい……楠木と貴様の今の縁が良き物でなかったら、縁切りしてやるというのに」



 縁は膝を組みあごに手を当てて不満げな顔でぶつくさと文句を言う。

 どうやら姫桜の答えが手応えがなさ過ぎてつまらないようだ。



「背後の一柱と一人。これから実戦だってのに揉めてるな。縁様もいい年なんだから新人虐めしないように。あと姫さん。上司と部下な」



 いつの間にやら電話を終わらせていた楠木が振り返って苦笑を浮かべている。

 どうやら電話をしながらも姫桜達の会話には耳を傾けていたらしい。

 姫桜の肩から飛び立った縁は楠木の後頭部を一発蹴りつけてから、その肩へとまた戻った。



「ふん。貴様が此奴を躾けぬから妾が苦言を呈したまでよ」



「これから姫さんには俺を守ってもらうんだ。なるべくご機嫌伺いしとかねと命に関わるからな」



「えぇ……おまかせください。私が楠木様をお守りいたしますので」



「楠木! 情けないことを申すな! 玖木の娘も嬉しそうな顔を浮かべるでないわ!」



 縁の怒声に肩をすくめていた楠木が不意に足を止める。

 薄暗い階段の登り切ったに明るい光が差し込む入り口が見えていた。

 会話に夢中になっているうちに、いつの間にやら階段の一番上まで上がっていたようだ。

 彼等と交わす会話が楽しく、姫桜はもう少し階段が続けばいいのにと心の隅で思っていた。



「っと、着いたな。さすがの姫さんもこれはちょいと驚くぜ」



 楠木が秘密基地を自慢する子供の楽しげな笑みを浮かべていた。










「……」



 階段から外へと出た姫桜は眩しさに顔の前に手をかざして光を押さえると、間武tらを細めてしばし光に目を慣らす。

 水気を含んだ冷たい風が頬を撫で、僅かな草花の香りが鼻孔をくすぐる。

 20秒ほど経ってから姫桜がゆっくりと目を見開き周囲を見渡す。

 どうやらここはすり鉢状になった公園の底に作られた東屋のようだ。

 よく手入れのされた花壇には色とりどりの花が咲き乱れて、周囲には幾つもの樹木が植えられている。

 しかしその季節感はバラバラだ。

 春の菜の花が黄色を染めて咲いていたかと思えば、その横では夏の薄紫色の朝顔が蔓を伸ばし、秋のキンモクセイの甘い香りが漂い、冬の梅が枝一杯に白い花を咲かせている。

 ふと姫桜が背後を振り返ってみると先ほど上がってきたばかりの階段は消え失せていた。

 


「あら……普通ですね。以前お邪魔させていただいた時は確かバベルでしたでしょうか? 砂漠の中に天に届くような塔がそびえ立っている様に驚きました」



 東屋の外でにんまりとした笑みを浮かべている楠木に、姫桜は些か拍子抜けした感想を伝える。

 季節を無視した艶やかな草木の共演は確かに見事な物だが姫桜がそれほど驚愕を覚えるほどの物ではない。

 楠木がこの程度のことを自慢するだろうかと姫桜は小首をかしげる。



「そりゃあたぶんドルアーガ。バベルは元ネタの神話の方だな。ありゃあ八菜さんが懐ゲーに嵌っててた時の構造なんだが、内部にエレベーターつけねぇし、謎解きが多すぎるわで身内には大不評だったな……ほれ姫さんこっちだ。視線は地面に向けてくれ」


 

 うんざりした顔の口元に笑みを浮かべた楠木が手招きをして姫桜を呼び寄せる。

 楽しげな楠木の顔を見るにどうやら本命はまだまだのようだ。

 姫桜はクスクスと笑いながら一体どのような物を見せてくれるのだろうと楽しみに思いながら足元を見ながら楠木へと近付く。



「さて姫さん……ご覧あれ」



「………………」



 弾んだ声で楠木が空を指さす。指につられて空を見上げた姫桜はしばし言葉を失う。

 空が丸かった。

 丸い空には張り付く大地があった。

 逆さまの大地には木が生い茂る森が点在し、森からは巨大な水路が延びている。

 水路はいくつにか枝分かれして森の外に広がる農地へと水を運んでいる。

 農地の傍らには牧草地まであるのだろうか。ごま粒のような点で動く家畜の群れまで見えた。

 農地を両断するように石畳が敷かれ、石畳の道は農地を頂点とし曲線を描きながら左右に伸びていく。

 道の先には背の低いビル群で形成された商業街や繁華街が姿を現す。

 球状になった世界の内側に存在する世界。

 


「……相変わらず恐ろしいまでの事を平然とやってのけるみたいですね。特三の管理人である金瀬八菜様は」



 自分が立っている場所の正体にようやく気づき理解した姫桜は、思わず止まっていた息を吐きだす。

凄いがあまりにも馬鹿馬鹿しい光景に呆れるやら感心したりといった所だ。







「まぁな。いつも通りっていえばいつも通りだがよ。戻ったら挨拶にいくか」



 珍しく素の驚きの顔をさらしていた姫桜の様子に楠木は破顔する。

 肝の据わっている姫桜を驚かせるのは並大抵の事では難しいのをよく知っているからだ。

 自分の思い描いた世界を自由自在に……しかもたった一人で作り出し、維持管理すらも平然とこなす人に似た何か。

 正体不明の女性であり、希代の遊び人。そして異世界への誘い人。

 日本国異界特別管理区第三交差外路管理人であり『異界創』と呼ばれる金瀬八菜。

 この世界は一人の女性が、世界の半歩外に作り出したまるでおもちゃ箱のような箱庭世界である。



「元ネタは地球内部空洞説ってやつだな。本当は深夜アニメのロボット物に嵌って宇宙コロニーを作りたかったみたいなんだけど、次期世界構想選挙の投票で負けてな。こっちになった。八菜さんは相当残念がってたけどな」



 八菜が自由自在に作れる世界といっても、そこは利用する側の意見もある。

 どうせやるなら面白くしようという発案で不規則に開かれる世界構想選挙は特三の名物企画の一つとなっている。

 あるときは蒸気の煙漂うスチームパンクな機械都市。

 またあるときは呼吸できる水で満たされた海底都市。

 はたまたあるときは足元を溶岩の川が流れる火山都市。

 その時折に脈絡なく姿形を変える特三は、とらえどころのない管理人である女性と何処かだぶる。

 


「ふん。あの戯け異神め。最終的には『ころにー落とし攻防戦』とやらのイベントも画策しておったようじゃ。負けて当然じゃ。そんな物に付き合わされる妾の身になれ……この間など、どこぞの小娘を引き込んで伝説の勇者ごっごとやらをやりおって。お供の妖精役なぞやらされたのじゃぞ。この妾が」



 つい先日も八菜の悪ふざけに付き合わされた縁が忌々しげに呟く。

 普段の巫女服ではなく水着のような薄手の服を着せられた上に背中に羽の飾り物をつけられたのだが、それがよほど嫌だったらしい。



「あの格好は縁様に似合ってたけどな…………まぁそれはともかくだ。姫さん改めて歓迎するぜ。特三にようこそな」



 楠木はにやっとした笑みを浮かべ姫桜に笑いかけ……そして表情を改める。

 ここは既に異世界への道の始点であるからだ。

 異世界へと移動する力さえあれば今すぐにでも跳ぶことができる。

 この道の先に助けるべき人。連れ帰るべき人達がいる。

 奪還者である楠木勇也が生きる今がある。

  

 

「こちらこそ改めてよろしくお願いたします。楠木様。縁様。玖木姫桜の力。ご存分にお遣いください」



 楠木の雰囲気が変わった事を察した姫桜も薄い笑みを浮かべつつも背筋を伸ばして小さな会釈で返す。



「ふん……歓迎してやる。じゃから気合いを入れて励め。玖木の娘」


 

 勝ち気な笑みを浮かべた縁が姫桜に答えてから、楠木の肩を軽く蹴って身体から離れた。

 そのまま音もなく空中を移動した縁は楠木の前でピタと止まると、真正面から楠木の目を見つめる。



「楠木。控えよ」



 楠木に命じた縁が普段は押さえている絶大な神格を開放していく。

 ピシリピシリと音を立てて大気が震える。

 噴水の水が波を立ててざわめく。

 神気をはらんだ縁の声が周囲の空間を清めて瞬く間に清廉な空間へと浄化していく。

 黒瞳が徐々に神の力を含む銀色に染まっていく。

 その目は深い。

 楠木を見つめる小さな瞳は楠木の全てを飲み込んでも決して埋まることのない虚無の深さだ。

 この深さが縁の持つ底知れぬ器を示す。

 これから始まるのは儀式。

 崇め奉る神である縁の慈悲を奪還者として、そして神官として請う神聖なる儀式

 縁の命に従い楠木は片膝を着くと深々と頭を垂れる。



「妾が選びし神官楠木よ。妾の目的をつげよ」



 荘厳たる声が楠木の全身を揺さぶる。

 嘘偽りは許さぬと楠木の魂までも縛り付ける。

 だが縁に欺く虚偽などない。

 縁の問いかけに楠木は懐へと手をいれて折り畳んでいた懐紙を取り出しゆっくりと開く。

 納められているのは先ほど捧げられた優菜の髪。そして優陽の帽子だ。

 二人の姉妹の思いが込められた父親との大切な縁を宿す絆その物。

  


「二人の娘の切なる願いを受け、偽りなる悪縁を斬り真なる縁を再度紡ぐ為。向かうは十二の聖書が森羅万象の理を統べる世界『カルネイド』 我が神。救心神刀『退魔捜世救心縁』 我にお力をお貸しください」



 髪と帽子を載せた懐紙を楠木は両手で縁へとさっと差し出す。



「承知した」



 縁が力強く頷き答えると共に一陣の風が吹いた。

 風が懐紙の上で渦を巻いたかと思うと、乗せられていた髪と帽子がさらさらと風化していき、風と一緒に縁の身体へと吸い込まれていく。

 あっという間に懐紙の上から髪と帽子が消え失せた。

 縁が軽く目を閉じる。

 髪と帽子に籠められた『縁』。

 そして楠木の伝えた地の真名。

 二つを合わせ異界への道を開くために集中していく。

  


「捉えた……………ふん。半人前が。口上だけは多少は様になったと褒めてやるわ。ではいくぞ」



 しばらくして目を見開いた縁は口調とは裏腹に満足げな顔で一つ頷いてから楠木の肩へと飛び乗る。 



「そりゃ縁様にあれだけ仕込まれりゃね……姫さん失礼」



 縁の褒め言葉に楠木は嬉しげに笑みを返して立ち上がると、姫桜に一言断ってから腰に腕を這わせて抱き寄せる。

 姫桜も何も言わず楠木へとぴたりと身体をつける。



「では参るぞ……真なる縁を辿り道を開く。我は八百万の御霊にして絆を司る一柱……世を断絶する壁に在りし道よ! 我らを導け!」



 縁が強い言霊を込めて両手を振り下ろすと共に、二人と一柱はこの世界から消え去った。



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