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依頼篇 山奥の名医③

 強い存在感を放つ女性を、不躾と想いながらもつい注視していた優菜と女性の目が合う。

 優菜の視線に不快感を感じている様子は見せず女性はにっこりと微笑んで会釈した。

 女性が浮かべるのは汚れを知らない清楚な笑み。

 しかし仕草の一つ一つに艶やかな色気がにじみ出る。

 聖女と妖婦。相反する印象を優菜は抱く。

 呆然としていた優菜は慌てて頭を下げ、隣で呆気にとられていた優陽も釣られて軽く頭を下げていた。



「あら…………」



 ついで和服美人は黒瑪瑙の瞳を驚きで見開き声をあげる。

 楠木がいることに今気づいたと言わんばかりの態度だが、ラッシュ時の駅でも目立つであろう巨漢の楠木を見落とすはずがない。

 女性はあまりにも白々過ぎる驚き顔のまま、

 

  

「楠木様でしたか。どこの怪異が下劣な嘲笑をあげているのかと急ぎ来てみれば。野蛮で粗野な声で気づくべきでした。申し訳ありません。下僕である私を忘れた上に見捨てる最低で低脳な独活の大木といえど主。判らなかったとはお恥ずかしい限りです。また仕置きでしょうか? 楠木様からの罰であればどのような恥辱でも受け入れますのでお見捨てないでくださいませ」   



 辛辣なことを宣い、悲しげに顔を俯けつつも小さく舌を出し、最後には目元へと袖を当てて泣き真似をしながらクスクスと鈴の音のような忍び笑いを漏す。

 先ほどまでの神秘的な雰囲気からがらりと変わり楠木を心底楽しそうに罵倒し始めた。

  


「あー姫さん忘れていたことは謝る。好きな物頼んでいいから俺の悪評をねつ造する遊びは勘弁してくれ。あと主と下僕じゃなくて上司と部下な」



「貴様はこやつに甘すぎるのだ。少しは怒れ」



 笑顔で辛辣な言葉を投げかけられた楠木は怒るどころか苦笑混じりに椅子から立ち上がって済まなかったと頭を下げている。

 むしろ縁の方が苛立った様で、先ほどまでの優しげな表情から一変してしっかりしろと怒り楠木の耳を引っ張っている。



「今回は俺が悪いって。玖木姫桜くききおう。今回からチームを組むことになった俺の部下だ。でだ姫さん。此方が筑紫さんの娘さん達だ。説明の途中だからとりあえず座ってくれ」



 今だ呆然としていた優菜達に向かって端折った説明をしてから、楠木は隣の椅子を引いて手招くと、姫桜がこくんと頷く。



「店主様。私は京都山織の栗蒸し羊羹。それと狭山の手もみ茶をお願いいたします」



 店の奥に向かって注文をしてから姫桜が裾を乱さず静々と歩む。

 絵に描いた様な令嬢然とした立ち居振る舞いや歩き方が姫桜の育ちの良さを感じさせる。

 姫桜がゆっくりと腰を下ろすのにあわせて楠木が椅子をそっと前に押す。上司と部下といったが、まるで姫桜の方が主で楠木の方が従者のようだ。


 王と雑兵。


 二人の姿を見た優菜はそんな言葉を思い浮かべていた。  



 











「さて楠木様。それでご説明はどこまで進んでいるのでしょうか? いつもお仕事優先の楠木様のことですから、ほとんど終わってますよね」



 ネズミをいたぶる猫のような微笑みをうかべながら姫桜がたずねる。

 しかも姫桜はなぜか蒸し羊羹に添えられていた楊枝を楠木にむけて差しだしていた。



「とりあえず異世界と召喚あたりまで……姫さん勘弁してくれ。真面目にいきたいから」



 ばつが悪そうな顔を浮かべた楠木が爪楊枝から目を逸らすと、姫桜がまたも目元を隠して下手な泣き真似をはじめた。



「初めての街で右も左も判らず心細くか弱い私を見捨てるほどの時間と引き替えなのですから、当然全ての説明を終わっているのかと思えばまだそれだけとは……楠木様。大男総身に知恵は廻りかねとはどういう意味でしたかしら?」 

  


「…………1回だけな」



 深い溜息をついてから苦虫をかみつぶしたような顔をした楠木は楊枝を受け取った。

 肩に腰掛ける縁が甘い顔をしおってときつい目で楠木を睨みながら耳を引っ張っている。

 楠木は薄切りになった羊羹をさらに半分に切り一口大にすると、姫桜の口元へ差しだし、



「あーんして」



 苦悩している楠木をそれはそれは楽しそうに姫桜は見つめ右手で口元を隠しつつ羊羹を口に含む。

 人に食べさせてもらうなど不作法も良いところのはずなのだが、姫桜がおこなうと愛嬌と優雅さを感じさせる。



「帰るわよ優陽」

  


 左手で机を叩いた優菜は椅子を蹴り倒すように勢いよく立ち上がり、突然の姉の怒声に目をぱちくりとさせていた優陽の手をとる。

 自分はこんな巫山戯た茶番を見させられるために付いてきたわけではない。

 父のことを心配している自分達を馬鹿にしているのかと、楠木をキッと優菜は睨みつけてささっとここを立ち去ろうとテーブルの上の伝票を引っ掴む。 



「待て待て。ここから先が重要なんだよ。姫さんもあとでちゃんと謝るから勘弁してくれ」



 優菜の右腕を掴んで慌てて止めた楠木は、ついで姫桜に懇願するように頭を下げる。

 


「仕方ありませんね」



 僅かに舌を出した姫桜が童女のような笑みを浮かべて楠木の手から楊枝を取り上げすっと目を閉じた。

 店内の空気が変わる。

 悪寒と恐怖が優菜の背中を駆け上がり優菜の全身に鳥肌が立つ。

 優陽も怖がっているのか小さく震えながら優菜の手をぎゅっと握ってきた。



「大変失礼いたしました。改めましてご挨拶させていただきます。玖木家現当主玖木姫桜と申します。非礼はお詫びいたします。どうか席についてくださりますか?」



 目を見開いた姫桜が巫山戯ていた先ほどまでとまったく違う凜とした声と鋭い眼光を発する。

  


「っ……判っ……りました」



 震える声で答え優菜は席に戻る。

逆らうことの出来ない存在。逆らえば殺されると身体が自然と理解する。



「だから遊ぶなって……姫さんしかも趣味が悪い。優陽が怖がってるじゃねぇか」



 だと言うのに楠木は全く気にもせず冷徹で恐怖感を醸し出す姫桜に手を伸ばすと頬をつねりあげた。



「子供にだけはいつもお優しいことで。そのお優しさを私にもう少し向けていただければより尽くしますのに」



 楠木への文句を楽しそうに漏らしながら姫桜が目をつぶると場を支配していた恐怖が霧散する。

 どうにも疲れた顔を浮かべ楠木は優菜へと目をむける。



「悪い。俺の凡ミスで姫さんを放置してたお詫びだったんで勘弁してくれ……これこの通り」



「判ったから……続き。きかせて」



 テーブルに手を着き頭を下げる楠木を見ながら、優菜は中断していた話の続きを促す。

 胡散臭く元々無かった信頼も限りなく零に近づいているが、父の行方を知るためだと優菜は我慢する。



「悪いな話の腰折れまくって……俺たちは親父さんが召喚された世界までは掴んでる。専門的な話になるんで省略するが、痕跡が通常より遙かに多く残ってたからすぐに判ったんだ。いなくなって二ヶ月で居場所を発見するなんて滅多にない。少なくとも一年はかかる。十年、二十年経ってもどこの世界に召喚されたか判らないってのもざらでな。だから……不幸中の幸いってやつだ」


  

 楠木は深く息を吸う。何か強い感情を飲み込んでいるようだ。

 居場所がすぐに分かった事が幸いなど楠木は微塵も思っていないのだろう。

 


「だからあとは乗り込んで、召喚先世界での居場所を探り助け出すだけだ。ただ厄介な事が一つ。親父さんが親父さんの姿でいる可能性が極めて低い。本来の状態。この世界での姿形のままだと異物として世界に弾かれる。召喚世界に合わせた姿形や存在に召喚主に変えられてる事が多い。あんまりその状態が続くと馴染んで元に戻すのが難しくなったりするが……俺が絶対に何とかするから安心しろ」



「安心しろって。そんな話を聞かされて……安心なんて出来るわけないでしょ」



 優菜は呆然と呟くしかなかった。

 父が全く別の存在になっているかもしれない。

 この話のどこに安心しろと言うのだ。

 

 

「まぁ、そうだわな。どういや信じて……」



「具体例をお見せしましょう。あの子も楠木様にお会いしたがっておりますし」


 

 楠木が頭をがじがじと掻いていると、横の姫桜がクスクスと笑い出しぽんぽんと軽く手を叩きだした。



「げっ! 姫さんちょっとまって! 今はあいつは喚ぶな。空気を読まないんだから」



 楠木の制止を無視して姫桜が楽しげに詠声をあげる。



「鬼さん此方。手の鳴る方へ」


  

 姫桜が詠い上げた直後、テーブルの上の姫桜の影がざわめいた。

 影はまるで空気を入れた風船のようにふくれあがっていき瞬く間にサッカーボールほどの大きさになると影が弾けた。

 弾けた影の中には縁と同じ位の体長で和式の鎧を身につけた若武者が立っていた。

 若武者の額には白く尖る角が生えている。小さいが鬼と呼ぶべき物なのだろうか。

 影が弾けて鬼が登場するいきなりの超常現象に優菜と優陽が呆気にとられていると、鬼が目を見開き姫桜に対して膝を着いた。



『姉上お呼びですか。桜真おうま。姉上のお呼びとあらば、いついかなる場所においても駆けつける所存』



 やけに時代がかった口調でそう言った桜真と名乗った鬼が一礼する。

 喚びやがったと額を押さえる楠木や、楠木に諦めろと言わんばかりに肩を叩いていた縁の姿に桜真が気づく。



『これは縁様。それに楠木殿もお久しぶりにございます』



「相変わらず暑苦しい奴じゃな。鬼となりてもかわらんのお主は」



『しかり。例え姿形は変わろうともこの桜真。己が心を貫きます故に』



 縁の嫌みに対して鬼は全く気にした様子がない。と言うよりも嫌みとも思っていないのだろう。

 鬼は優陽と優菜の方を向いて一礼する。



『初めてお会いする方々もいらっしゃるようで。拙者玖木桜真にございます。以後お見知りおきを』



「え……えと……優陽です」



 優菜は呆然と桜真と名乗る鬼をみていたが、優陽は少し躊躇してから自己紹介を返した。



『優陽殿とおっしゃるか。ふむ良き名にございますな』


 

「……久しぶりだな桜真。随分そっちに馴染んだみたいだな。楽しそうじゃねぇか」 



 妙にテンションの高い暑苦しい桜真を楠木がジト目で見る。

 桜真の挨拶が終わるまで話しかけるのを待っていたのか、それともあまり話したくなかったのだろうか。



『なに。多少狭いですが住めば極楽という物でしょう』



 破顔一笑した桜真はカラカラと笑う。



「此方は私の正真正銘の弟。桜真です。いろいろありまして異界の存在である鬼になってしまったのですが、楠木様と縁様のお力でほぼ元に戻りました。今は完治するまで別世界におります」



『ふむ。これも全ては玖木総崩れの危機よりお救いいただいた楠木殿と縁様。そして仮初めの異界を用意してくださった特三の八菜様のおかげ。我ら玖木一党。特三の方々の為とあらば命も掛ける所存ですぞ。楠木殿も己の武の無さを恥じることなく、我らをいつでもお遣いくださいませ。楠木殿の強さとは心にあります。剣には我らがなりましょうぞ』



「良かったのう楠木。貧弱なお主を守ってくれるそうじゃぞ。妾の神官であるお主を……なんたる屈辱」



「奪還前に弱いって事ばらすなよ。不安がるじゃねぇか……悪気がねぇのがさらに質が悪い。へいへい。俺が悪いんだよ」



 縁に睨まれた楠木はもう好きにしてくれと捨て鉢の笑い声をあげる。



「……弱いって」

 


 優菜は唖然とする。

 190㎝は優に超える巨体。

 首回りまで太くなりスーツ越しにも判る鍛え上げられた身体。

 公園で優菜の連撃を軽々と躱した反射神経。

 何よりも父を取り戻すと語った自信ありげな言動。

 楠木は己の実力に自信があるのだと思っていた。



「お兄ちゃん弱いの? だって公園で凄かったよ」



「いいか優陽。異世界にはな。素手で岩山を砕く強力や刀一本で流星を切る化け物がうようよいるんだよ。ただの人間で勝てるわけねぇっての」



 優陽の率直な物言いに楠木はにやりと笑って答える。

 その笑みは自分が弱い事を恥じる負け犬の笑いではない。

 どうしようもない事に対しても、それがどうしたと笑ってみせる不敵な笑みだ。



「この楠木様は争い毎に関してはそれこそ足手まとい以外の何者でもなく心苦しくはありますが、おとなしく私の背中に隠れてがたがた震えていて欲しいくらいのお荷物です」



 クスクスと笑いながら姫桜が鈴のような声で楽しげに楠木をこき下ろし始めた。

 楽しげな幼女のような笑みが印象的だ。

 


「まぁ事実なんだが姫さん。もうちっと言い方ってもんを」



 苦笑を浮かべる楠木をちらりと見てから、姫桜が悪戯好きな猫の様な笑みを優しげで微かな熱の籠もった微笑へと変化させた。



「ですが異界に攫われた方。異界に染まった方を奪還する事に関しては、我が主の右に出る者はいません」



「…………褒めるか貶すかどっちかにしてくれ。反応に困る。あと上司と部下な」



 急な姫桜の褒め言葉に楠木は大きな手で自分の口元を隠すように頬を撫でる。

 手の下に秘められた感情は何か。

 褒められた事に緩む唇を隠しているのか。

 貶された事を耐えるための歯ぎしりを隠しているのか。

 ……それとも全く別の表情か。

 この楠木という男はどうにも読めない。

 快活に笑い、人の悪い笑みを浮かべ、苦笑で真意を誤魔化す。

 この男が見せる表情は種類は違えどほとんど笑みで形成されている。

 喜怒哀楽。人の感情を表す4つの中で、喜を出す割合が異常に多い。

 しかし先ほど優菜たちの父親の真実を告げた時、その瞳を染めた怒と哀の色は深すぎて、強い衝撃を覚えた。

 だが悲しみを隠すために無理矢理に笑っているのかというと、また違うような気がする。

 確かに無理に笑っている様も見受けられるが、妹の優陽に向ける柔和でからっとした笑みは心からの物だろう。

 暗く深い怨念を抱えながらも、心から笑う事も出来る。 



「とにかくだ。確かに俺はこの天才怪物様共と比べるのも恐れ多いほど弱い。だが切り札を一個だけ持ち合わせてる。でもこいつを発動させるには条件がある。その為に……」



 自分の事を弱いと断言しながらも楠木は強気な笑みを浮かべ、横に立てかけていた竹刀袋をちらりと見る。

 おもむろに姿勢を正し表情を引き締めると強く優しげな眼光で優菜と優陽を見つめた。

 


「筑紫優菜さん。筑紫優陽ちゃん。あんた達の協力が必要だ。親父さん筑紫亮介さんは絶対に俺たちが奪還してみせる……だから俺を信じてもらえないか」



 優菜と優陽の顔を真正面から見つめ言い切った楠木は、テーブルに額が着くほどに深々と頭を下げる

 目。

 顔。

 声。

 そして姿。

 楠木の存在その物が、優菜たちの父親を助けるという言葉が嘘偽りのない物だと強く物語っていた。


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