奪還編 奪われた死④
岩山壁面に掘られた入り口から、その内部へと入る。
どのような手法を使って掘ったのか、円形になった通路の岩肌はつるっとした滑らかな面をみせている。高さはあるが横幅が狭く足元も丸くなっているので歩き難いことこの上ない。
先をいくクラトリアと名乗った翼を持つ老女をみれば、地には足をつけず僅かに浮きながら移動している。どうやら元々歩行での移動を前提とした建物では無いようだ。
時折通路の上下に垂直の穴がぽっかりと空いているが、こちらは階層移動用だろうか。
穴に落ちないように手も使いながら飛び越えつつ、楠木は脳裏に構造図を描いていくが、横方向だけでは無く上下への分岐も多く、まるで迷路のような作りが城塞の一種と悟らせる。それもあえて外敵者を招き入れて殲滅目的で作られた砦だと。
この世界【楽園】はその名の通り、個人個人が理想とする、もしくは楽園という言葉から受けるイメージに基づき、見える世界を映し出す、心象投影型世界。
ならこの砦を理想とするクラトリアは、なにをもって外敵を排除する意思をみせた砦を楽園として捉えたのだろうか。
『XIXdX xDeT』
無言で前を行く人物の内心を想像していると、不意に移動をやめたクラトリアが意味として聞き取れないノイズとなった言葉を二言ほどつぶやく。
楠木達が纏う異世界滞在用の高位結界『理之転』は、対象が発した意思を言葉として自動翻訳する事が出来るが、それはあくまでも相手がこちらに伝えようとして何もせずに発した意思のみ。
クラトリアが隠そうとして、何らかの手段を講じ発した意思までは翻訳はできない。
楠木は微かに身構えて左肩に担いだ竹刀袋の紐をしっかりと握りしめ、その後ろで微笑を浮かべる姫桜の足元の影が不自然に伸びて、楠木の影に触れて一体化する。
警戒をみせる2人と違い、楠木の肩に腰掛けた縁は天井へと目を向けた。
すると縁が見上げた辺りの天井に忽然と穴が開いた。岩肌がスライドした隠し扉という感じでは無く、それこそいきなり出現した。
先ほどの詠唱は、この隠し通路を産み出すための物だったのだろう。異界の術とはいえ、力の流れに敏感な縁は気づいていたようだ。
『ここから上へと上がりますが、私がお連れいたしましょうか?』
自分を警戒する来訪者に対して、振り返ったクラトリアは不快を覚えるでも無く柔和な笑顔を見せる。
「いえ、それには及びませんので。姫さん。頼めるか」
「畏まりました……影や道陸神、十三夜の牡丹餠、さあ踏んでみいしゃいな♪」
こちらも表面上は笑顔で断りを入れた楠木についで姫桜が頷き、幼子のように歌い上げると、先ほど楠木の足元に伸びていた姫桜の影が、今度は薄い円盤状に広がり、そのまま実体化した。
影踏み鬼の童歌を用いた躁影術によって産み出された影は、姫桜の意思の元、二人と1人を乗せたまま音も無く浮かび上がる。
「先ほどのクラトリア様の歌声はカナリアのようで心地よいので、私も思わず唄ってしまいました」
クスクスと笑いながら姫桜は影の縁をゆらゆらと揺らめかせてみせる。
姫桜の力なら、わざわざ唄わずとも自分と楠木くらいを持ち上げる影を作るのは造作も無いが、力の一片をみせたのはクラトリアへの警告の意味合いが強い。
自分達の前で術を使うときは次から一言を言ってからにしろと。そしてもう一つ楠木へ伝える意図を含ませていた。
『まぁ……問題はなさそうですね。では私に続いてお上がりください』
姫桜が垣間見せた力量に少しばかり驚きの色を浮かべたクラトリアだったが、その警告に気づかなかったのか、それとも気づいていても無視したのか、そのまま翼を軽く振って産み出した通路を垂直に上がっていく。
楠木が無言で頷くと、姫桜が産み出した影もクラトリアに続いて上昇通路に入って、昇っていく。
灯り取りの窓もない暗い上昇通路の内側壁も、先ほどまでと同じくつるりとした表面を晒していて、指一本さえも引っかける出っ張りは無く、まるで鏡のようだ。
上を見上げればクラトリアが相当な勢いで昇っていく。当に岩山の高さを超えているはずだが、その先には暗闇が続き先は見えない。
どうやら見た目と中の広さには、大きな差があるようだ。それ以前に広さや大きさという概念さえも、思い描いた者が自在に変えられるとすれば、まず考えるだけ無意味だ。
しかしこれだけの高度。不意に足元に縦穴でも出現させられ奈落の底に落とされたら。
姫桜ならばともかく、自分だったら……干しイカのように潰れた自分自身という背筋に寒気が走る想像が脳裏をよぎり、自分の弱さを再確認した楠木は、この世界が不死世界だと思いだし皮肉気で自虐的な苦笑を浮かべる。
この世界ならば、死なないなら場何時もより無茶が出来るか……ただしそれが本当に不死だと言っていいものであるならばだが。
強くなる疑念を意識しながら思案していると、クラトリアがゆっくりと速度を落としていく。
上をみればいつの間にか、ほどよく明るい光がこぼれ落ちてくる出口が見えていた。その穴から出ると、小部屋へと繋がっていた。
小部屋には大きめのテーブルと、翼が引っかからないようにか背もたれは無く肘置きだけが両脇に作り付けられた椅子が対面上に3つずつ置かれている。どうやら応接室のようだ。
近くの窓から見下ろせば、先ほど歩いて来た小道が、不自然に揺らぎながらも伸びている。
昇って来た距離から考えれば計算が合わないが、どうやらここはクラトリアが最初に姿を見せた部屋と見て間違いは無い。
『生活階層へと到着いたしました。たいした物はお出しできませんが、お茶でもしながら互いの情報交換のためのお話を致しましょう』
黄泉戸喫。黄泉の食べ物を食べてしまった者は、現世へと帰られなくなるという故事がある。それは異界の理を己の体内へと取り込むと言うこと。
もし相手に悪意があれば、その術中に易々と嵌まってしまうことだろう。
「あぁ。それはありがたいです。世界ごとに異なるお茶を頂くのが、私の最近の楽しみですので」
部屋の片隅の戸棚から茶器らしき壺やカップを取り出したクラトリアの少し変わった椅子への着席の勧めに、楠木もまた表面上の笑顔で答えを返す。
だからあえて相手の真意を窺うために楠木は受け入れる。姫桜達に比べて弱い自分の役割は、姫桜に頼まれずとも、鉱山のカナリアだと自覚しているが故だ。
表面上は穏やかなままの情報交換はつつがなく終わりを迎える。
楠木側から提供したのは、違法召喚された夫と、その術式によって発生した現世側の歪みに捕らわれた妻という、死を奪われた夫妻の詳細情報。
クラトリアからは、彼女が原初派と自称するそもそものこの世界で行われる召喚式に関してだ。
「……縁様。姫さん。クラトリアさんの説明からこの世界の有り様。不死の仕掛けをどうみる?」
出された茶を一口飲んだ楠木は、まずは同行の1人と一柱に意見を求める。
この楽園世界の目的。死に瀕した勇者、聖女を救い、他世界の平和を守るため産み出されたという召喚システム。
死に瀕した者を召喚し、死の運命から外れた世界で癒やした後に送り返す。それがこの楽園世界で行われている召喚式という話だが、それにはいくつかの疑問が残る。
夫妻は勇者や聖女と呼ばれるような存在ではない。たいした力など特筆して持たない。つまりは極々普通の一般人であり、その家系にも兆候さえ見られない。
更なる疑問は召還システムの差異。この世界で発生するはずの召喚式とは夫妻の状況が些か以上に異なる。
「視点を自とみるか、他とみるか。自の視点であるならば朽ちた肉体から抽出した魂を、別の器に入れかえる魂魄転生等いくらでもあろう。他の視点であれば、逐一の違いも無く模倣した人形でも用意すればよい。周りからみればその者がいると変わらぬと感じるであろう。しかし妾からすれば、そのどちらも真縁を斬り捨てられた死と変わらぬ。だがわざわざ癒やしてから送り返すという手段を踏んでおる以上、そのどちらでも無さそうであるな」
「ですが今回の召喚式は魂魄分け身。召喚者の魂魄の一部のみを攫い、魂魄と肉体は現世に残すという変則召喚式。先ほど聞かせていただいたお話の術式とは、些か異なりますね」
「現世側にループ空間を作っている理由も不明だな……クラトリアさん。貴女も召喚者ですよね? 貴女も同じ状況だったのですか」
心象風景であろうがこの岩山を描き出すクラトリアの意思の力の強さ。それは聖女と呼ばれるにふさわしいはず。ならば彼女もまた召喚された聖女ではないかと鎌を掛けてみると、クラトリアはあっさりと頷き、次いで首を横に振る。
『私の時とは違います。貴女のお察しの通り、私はこの世界の理により、私のみならず、故国も救われた者です。私の時は死に瀕した肉体ごと召喚され、彼らと一体化することで生きながらえました』
穏やかに話していたクラトリアの全身のほとんどが一瞬で崩れ、不定型なアメーバー状の存在へと変わる。唯一残ったのは顔の左半分だけだ。
『彼らには意思と呼べる物はほとんどなく、他者の精神や存在に感化して同化しやすい性質を持ちます。宿主を己の一部と認識し欠損部分の修復もおこなってくださいます』
見た目は醜い化け物と変わったクラトリアだが、残った左目だけでも判るほどに、隠しきれない感謝の色を乗せて慈しむように優しげな声を発する。
「その姿……限りなく原初の理に近しい存在か。だが何故この者共が無量大数世界の内側におる。こやつらは理外。世界の外側、解け合った改変力の波にたゆたうものであるはずであろう」
縁はこの生物の存在に心当たりがあったのか、すぐにその存在を探り当てる。
それはそれぞれ異なる理を持ち独立したそれぞれの世界の外側に広がる世界。
現世が法則が決まった固体化した世界であるならば、それは気体。
定まった理など無く、無限無尽に姿を変えて存在する世界を変える力。世界改変力によって出来上がった無限世界。そこに生まれるはずの生物ですらない生物だと。
『無尽蔵に思うがままに姿を変化させる外の世界と、その者の心象心理によって姿を変える内の世界の1つ。どこか似ていると思いませんか?』
縁の質問には直接答えずクラトリアは言葉を紡ぐが、その口調からおそらく重要な話なのだろうと2人と一柱は無言で聞き入る。
『かつてこの世界に小さな穴が、ほんの針の一刺しほどの小さな穴が開いたそうです。ですがそれは外と繋がった穴。全てを解かし尽くす外の世界と混じり、外と同じく溶け合い形を無くす世界と変貌していく。ですが死を恐れる者、死から逃げ出したいと思う者と同化した彼らが世界を遮断する壁となり穴を塞いだと。まだ私が召喚された頃には、残っていたこの世界の元の住人、私に自らが同化していた彼らを与えてくださった方達が教えてくれた話です』
クラトリアが話して聞かせるのは、世界の終焉の1つ。理を無くし瓦解し、外の世界に溶け合う形での終わりだ。
この楽園世界はその定めから何とか救われたが、それでも崩れかけた為、思うがままに形を変化させる世界に変貌してしまったと。
「……今の話からすると不死を譲れると解釈していいですか?」
『はい。この世界で死なないというのは彼らと同化した存在だけとなります。彼らにも限りはあります。ですが強き意思の力を持ってすれば同化を解除したり他者から奪い取ることも出来ます。もしくは長年彼らと一緒に歩むことで、彼らと同じ存在へと変貌していきますので増やすという方法もあります。私もその1人で、こうやって形だけは取り繕うことが出来ますが、残った意思も消えれば彼らと同じ者となるでしょう』
意思の力によってか、崩れかかった身体からクラトリアが徐々に姿を取り戻していく。だがその顔には先ほどまでの微笑と違い、悲しみの色を含んだ憂いが生まれはじめていた。
『私は生まれ故郷の世界では、長く生きすぎ異端となりましたので、ですからこの楽園世界に戻り意思が消え去るその日まで、私と同じような方々の手助けをと考えておりました』
この世界によって救われたから、同じ境遇の者達を救う為の存在となったと。それがクラトリアが原初派と名乗る理由。
『ですが今ではその様な事も出来無くなりました。違う考えを持つ方々によって、私に宿る彼らや、他の戦う意思を持たぬ者から彼らを奪おうと妨害を受けております。稀少な彼らを外へと持ち出す様な輩からは取り上げてしまえと』
「なるほど……この城塞は他派閥から身を守るためですか。他の派閥について教えていただいてもよろしいでしょうか?」
『不死をもって他世界への侵略を果たそうと覇を求める者。己の世界への復讐を求める者。もしくは人工的に穴を作り新たな彼らを再び招き入れようと画策する者。様々な考えをもつ方達が争いを繰り広げています……あなた方の世界から召喚された方については、隠れ住むだけの私共では情報はあいにく持ち合わせておりませんが、彼らの勢力範囲内に産み出されたいくつかの街に情報提供をしてくださっている協力者がいらっしゃいます。街への行き方と彼らへの紹介状をお渡しすることくらいならば、ご協力できます』
そう言ってクラトリアが懐から取りだしたのは、指の爪ほどの大きさの石の欠片がいくつかと、古びた指輪が1つだった。