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奪還編 奪われた死①

 澄み切った冬空を見上げてみれば、ちらほらと風花が舞う。

 晴天の空から振り降りる雪の欠片。

 強い風によって、どこか遠くから運ばれてきた。

 その正体を知るからこそ驚きもしないが、知らぬ者が見れば、晴れ空に舞う雪を異質の存在と思うだろう。

 10年ほど前に廃業した総合病院の駐車場の片隅の止めたパトカーに寄りかかって空をあげながら、宮野署生活安全課巡査狩野泰之は掌に落ちてきた風花を見ながら、先ほど廃病院の中に入っていた男女2人の姿を重ねあわせる。

 男性は大柄でがっちりとした体格。短めに刈った髪や隙の無い身のこなしは格闘家を思わせるものだった。

 女性の方は、肩から裾にかけて細やかな雪結晶模様が縫い込まれた着物を身に纏った絶世の年若い美女。

 男の方はまだこちら側。自分達と同じ側だと思えるが、女性の方はどこかの令嬢としか思えない気品と華やかさを持っていた。

 そんな2人が連れ立って封鎖されていた病院に入ってから、既に30分は過ぎているが、外から見ている分には特に何が起きている様子も無く平和その物だ。



「部長。あの人ら一体何者なんです? なんだってこんな所に。最近は警備もしっかりしてるから肝試しで入り込むようなガキもいない場所ですよ」



 不審感よりも興味が勝る口調で狩野は、同じように暇を持てあましていた巡査部長の新沢へと煙草を差し出しながら尋ねた。

 一昔前までなら廃病院となれば、近所の中高生やわざわざ遠出してきた大学生らの恰好の肝試しスポットとなったものだが、最近は事故や事件の温床になるのを防ぐために、厳重に封鎖されて、センサー類も完備されている。

 そのおかげか、ここの病院が廃業してからは、日に二、三回、近くの交番勤務の署員が警らがてらに外から見回りに来るくらいで、特に事件など起きてはいなかった。

 それが今日は署長からの直々の指示で、あの不自然な2人組をこの廃病院までの送迎を仰せつかった次第だ。



「お、悪いな。狩野はあの手の連中は初めてだったか……ふぅぅっ……ありゃ特殊な案件を扱ってる連中だな」



 高校進学した娘の予備校代で最近小遣いが減らされていた新沢は、礼を言いながら差し出された煙草を一本引き抜いて、それを上手そうに吸いながら軽く答える。

 新沢も彼らが何者かを聞かされた訳では無いが、何年も勤務していれば、今日の美女のように不可思議な雰囲気を身に纏う連中が、現場へと出てくるという話を聞いたことがあり、新沢自身も数度はその場に立ち会った事がある。

 


「特殊な案件……アレですか。表沙汰に出来無い囮捜査やら、違法捜査とかの」



 あの二人が令嬢役とそのボディーガード役と言われればしっくり来る。

 狩野の脳裏にはハリウッドめいたスパイ物が浮かぶ。

   

 

 

「そっちじゃ無くてあれだな。よく判らない事件だ。現場は狭い屋内なのに明らかにその部屋には入りきらない巨大な獣に食い荒らされた死体やら、さっきまで燃えていた焼却炉の中から凍死体が見つかったとか色々な」



 新沢は携帯灰皿に灰を落とすと声を潜め、昨今のスポーツ新聞でも扱わないようなネタ記事めいた事件を口にした。



「……なんすかその都市伝説は」



 話を煙に撒こうとしているのかと疑いの目を向ける狩野に対して、新沢は特に何を言うわけでも無く煙草を吹かして、空を見上げる。 

 見上げた空には、降ってはすぐに消える儚い風花がちらほらと舞い続けていた。














 2階奥の手術室へと続く通路にはうっすらと埃が積もり、打ち付けられた戸板の隙間から日差しが洩れいる。

 その日差しに照らし出される八百万の神の一柱。

 世の繋がり。縁を司る剣神である縁は極めて不機嫌であった。



「遅い。あの木偶の坊は何をしておる」



 契約者であり、己に仕える神官でもある楠木が入っていた空間への扉を睨み付けた縁は、言葉の端々に苛立ちを隠そうともせず杯をぐいっと空けた。

 満たされていた酒を一気に飲み干すと、空中に置いていたとっくりを掴むと手酌で注ぐとまた一息で飲み干してしまう。

 先ほどからこの調子で既に十数杯は開けているだろうか。



「ふふ。楠木様があちらに行かれてからまだ10分ほどですよ。やはり縁様は楠木様が可愛くてしょうが無いのですね」



 苛立ちを募らせる縁の横で、親指から伸びる糸を指に絡ませて玩んでいた玖木姫桜がクスクスと楽しげな笑みを見せて笑う。

 口では何時も厳しいことを言いながらも、誰よりも楠木の身を案じているのは、他ならぬ縁だ。 

 極めて不安定な結界空間に楠木が一人で赴いていることが心配でしょうが無いが、それを素直に口にするのは沽券に関わるのだろう。



「黙れ。玖木の娘。お前にだけは言われとうは無いわ。紐なんぞつけおってからに。この程度の異界ならば自力で行かせて帰らせればよかろうに」 



 姫桜の右手から伸びた紐の反対側の端は、待合室と書かれたプレートが掛かる扉の中心付近で、水面に垂らした釣り糸のように沈み込んでいる。

 この紐の先は楠木に縫い付けてあり、帰る際の目印であり、異常を知らせる命綱としての役目を持っていた。

 楠木が向かった先は、今回の召喚被害者とその妻が閉じ込められた時間流が捻れ、同じ時間軸を延々と回り続ける事になった異空間だ。

 繰り返されるのは、事故に遭った夫が死を迎えるまでの時間。

 死せる定めの者の魂の一部を、分け御霊召喚によって他世界へと連れ去り、同じ者が2つ存在した上に、片方は生きていて、片方は死んでいるという矛盾を生みだす。

 さらに本体を異空間へと閉じ込め、夫の死を受け入れられない妻の心を核として、ループする世界が生み出されている。

 この異空間に夫婦が閉じ込められたのは、現世において十数年前のこと。

 異界を内に孕んだ病院では、漏れ出した事で時間の流れがずれたり、死んだはずの者が出歩く姿が見受けられる等の怪奇現象が徐々に増えていき、完全閉鎖されるまではさほどの時間は掛からなかった。 

 この異空間は、腕の立つ術者でも迂闊に手を出せぬほど精巧で繊細な物で、解除も出来ないような場所に、楠木が一人で向かった、向かえた理由は至極単純。

 楠木の力が弱いからだ。

 ちょっとした拍子で崩れ崩壊してしまう異界であるが、素の力で言えば一般人に毛が生えた程度の楠木ならば、何の問題は無い。

 一方で縁はといえば、傍目で見れば童子人形にしか見えない大きさではあるが、その身に秘めたる力は極めて強大。

 そして姫桜にしても、人の身をした化け物である玖木一族の頭領。

 この一人と一柱が乗り込めば、泡沫の木っ端世界なぞ一瞬で砕け散ってしまう。助けるべき者たち事。

 そんな事は縁とて百も承知だ。



「妾の怒りの大半は、この件を企ておった輩に憤りを感じておるからじゃ。人の死を、紡がれし縁の終わりを汚しおって。悪逆非道な輩にはその報いを与えてやらねばならん」



 苛立ちを隠せないのは、自分の寵愛(本神は絶対に認めないだろうが)する神官である楠木を心配する気持ちが強いのもあるが、それ以上に今回の事件が縁の逆鱗に触れる案件だからだ。

 この世の繋がり。人と人を繋ぐ絆の力。縁。

 それを司る神である縁にとって、繋がりの終焉である死は、特別な物。

 世と交わり積み重ね、紡ぎあってきたその絆は良縁であれ、悪縁であれ。

 その者が生きてきた証であり、その者の全て。

 その尊ぶべき死を奪い、あまつさえ繰り返させる所行は、縁にとって極めて不愉快で許しがたい行いであった。



「左様でございますか……それにしてもこの結界を作り上げ、死を奪った者は何を思っているのでしょうか?」



 笑みを引っ込めた姫桜は表情を改めると、目を細め閉まったままの扉へと意識を向ける。

 現世より切り離した空間の時間流をループさせる。

 一口にそうは言っても、かなりの高等な術。

 しかも10年以上にわたって未だに稼働し続ける術に使われる力は膨大な量になる。

 ループを重ねれば重ねるほどに、現世との時間流のズレ、歪みは巨大になり、結界を維持するにはより大きな力が必要となる。

 それだけの事をする価値。そうしなければならない意味を姫桜は見いだすことが出来ない。

 被害者である夫婦の経歴は、至って平凡で普通の物。

 何の変哲も無く、異能の力を持つわけでもない。

 凡庸であり、夫の死とて、ただの事故として終わるはずの、言ってしまえばありふれた話だ。

 そこまでして夫の死を回避させようとする理由がわからない。



「……それが判らないから行くしか無いんだろ姫さん。お待たせいたしました縁様。どうもご心配をおかけしましたようで」   



 不意に扉の表面に波紋が走り、身をかがめながら楠木が扉の中から抜け出してきて、縁へと深々と一礼する。

 糸を通して縁達の会話は楠木にも聞こえていたので、何時もなら過保護な心配する縁に対して軽薄な笑みでも浮かべ軽口の1つも叩いてみせるが、楠木が浮かべる表情は硬い。

 


「遅いわたわけが。首尾は」



 契約者が浮かべる表情から、事態が切迫している事を察した縁は、叱責を最小限に留めて本題へと入る。



「供物は預かってまいりましたが、あまり時間がありません。積み重なった死への絶望からか、心が死にかけています。結界の核となる奥さんの心が終われば結界が消滅します」



 供物を、夫との絆を捧げた彼女が耐えられるのは、あといくつの死か。

 ただ機械的に頷き、心ここにあらずといったその表情は、既に死の領域へと半ば足を踏み入れている者の顔だった。



「奥方様だけでも引き抜くことは出来ますでしょうが、それでは旦那様の方が報われません。行き場を失った魂は輪廻から外れ、霧散消失しますでしょう。奥方様の心も壊れたままですね。さて縁様いかがなさいますか?」



 口元に手を当て笑みを隠した姫桜は、わかりきった答えを縁へと問いかける。

 死を迎えた、迎える夫の運命を避けることは出来無い。

 それこそ世の理を壊してしまう。

 確実に救える者を助け、死にゆく者を見捨てるか?



「ふん。妾がその様な事をさせるか。行くぞ楠木。玖木の娘よ。捕らわれた者達を救う為に、奪われた死を取り戻すぞ」



 意地の悪い姫桜の問いかけに、力強く答えた縁は、一瞬でも時間が惜しいとばかりに何時もの定位置である楠木の右肩へと飛び移ると、その耳を引っ張って早く行けと急かしていた。

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