依頼編 奪われた死
また今日も1日が始まる。
変わらない1日が。
何も変わらない。変わらない。変わりようが無い。
朝に出かけていったあの人はいつも通りだ。
その背中しか見送れない。
追いかけようとしても扉が開かない。
電話をかけても繋がらない。
玄関の扉が閉まって5分40秒後まで、部屋の中からは出ることが出来無い。
そして時刻が来て、近所の奥さんがインターホンを盛んに鳴らし、主人が事故に遭ったとがなり立てる。
原因はわかっている。知っている。何度も聞いた。
「居眠り運転のトラックが突っ込んだ」
扉を開けて駆け込んできた奥さんの機先を制して、その事実を口にする。
奥さんは気が焦っているのか、私が言い当てたことにも気づかず、早く病院へと背を押し、促されるままに家を出る。
緊急搬送された病院まで向かうタクシーのナンバー。
事故と聞いて、精一杯早く着こうとしてくれる運転手さん。
降り出してきた雨。
全てが変わらない。
ただ呆然と外の光景を、見慣れた、見慣れてしまった光景を夢見心地のまま眺める。
「はい……主人の物です。間違いありません」
病院についてすぐに所持品から身元の確認をされ、横目でちらっと見ただけで無感動に答える。
確かめる必要なんて無い。驚く必要もない。
ひしゃげた眼鏡のレンズは粉々に砕けている。
大切にしていたお財布は血にまみれている。
判っている。
知っている。
繰り返し、繰り返される光景は何百回、何千回すぎても変わらない。
緊急オペが始まったという看護師の声を聞きながら、家族待合室の何時も座っている椅子へと腰掛ける。
ここから14時32分までただひたすらに呆然として過ごす。
それはあの人が死亡する時間。
あの人が終わる時間。
その時がくるのを待つ。
何をしても変わらない。
何をしても終わらない。
それはもう判っている。
判ってしまっている。
最後に会えれば終わるのだろうか?
顔さえ見ればあの人は本当に死ねるのだろうか。
それすら判らない。
なんでこんな事になったかと考えるのすら億劫になり、唯々部屋の片隅にかかった古い時計を見つめて無意味な時間を過ごす。
時計の針がぐるぐると回る様を眺める。
唯々流れる。
昼が過ぎ、だんだんと、だんだんとその時刻が近づいてくる。
この先は判っている。
オペ室のランプが消え、あの人が死んだと聞かされ、私は意識を失う。
会えないまま。死に顔さえ見られないまま。
そしてまた1日が。
変わらない朝が始まる。
ぐるぐるとぐるぐると。
変わらない1日が。抜け出せない1日が……
ふと気づく。
家族待合室の入り口に誰かが立っている。
黒いスーツを身につけた巨体の若い男性だ。
サラリーマンやビジネスマンといった雰囲気では無く、どこか怪しげで、その背には細長い袋を担いでいた。
「失礼いたします。深山千尋さんでよろしいでしょうか?」
こんな男は今まで出て来ただろうか?
それすら思い出せない。
ただ自分の名を呼ばれたので、機械的に頷くだけだ。
いつから寝ていないのかすら判らなくなって靄がかかったような頭。
そこに響く怪しげな男の声は、次の瞬間にこういった。
「取り戻しませんか? ……奪われてしまった旦那さんの死を」
死を奪われた?
そんな変な事を言うこの男は死神なのだろうか?
頭がおかしくなった自分が見た幻なのだろうか?
判らない。
だがここから抜け出せるなら、もう一度死に顔でも会えるならば。
そう思い頷くことしか出来無かった。