奪還編 記憶無き奪還
無料大数に存在する世界が一つファイット。
ファイットは10年もの長きに渡った大戦争が終わったばかりの世界だ。
全世界規模で繰り広げられた大戦は、いくつもの国を滅ぼし、またいくつもの新国家を作り出しはしたが、明確な勝者と呼べるものが出現しないまま、痛み分けという形で終戦と相成った。
良質な鉱石と、優れた工作技術で知られるナイルズ共和国も国としての形はかろうじて保っていたが、積み重なった戦費と、働き手となる男が軍へと取られた事による国力の低下で、財政状況がぼろぼろとなった国の一つである。
主要産業である採掘と工業の再建による財政立て直しは急務となったが、膨大な戦死者を生み出した戦争により、人員の補充もままならぬ状態となっていた。
そこで共和国の首脳陣が目をつけたのは、此度の戦争で返るべき国や土地を亡くした者達。
所謂戦争難民を国民として受け入れ、新たなる労働力へと転換することであった。
だが安易なその政策は、財政を立て直す為のカンフル剤ともなったが、同時に治安の悪化と新旧住民の軋轢を生み出す諸刃の剣であった。
ナイルズ共和国ラーケン地方ベルトリラン。
天然の要害であり大陸のカーテンとも呼ばれる大山脈の麓にその都市は存在する。
戦争の最前線は遙か彼方。
鉱山と精錬所。搬出用インフラ設備や付随する工場群は一切の被害無く戦争を乗り切ったベルトリランだったが、戦争初期は工業力維持の為に免除されていた鉱夫、工員達への徴兵も長引く戦争によって撤回され、終戦時には最盛期の半分以下まで生産量が減っていた。
疲弊した国内生産力を回復させる戦後復興を目指すナイルズ共和国にとって、施設自体は無傷のベルトリランを復興政策の要として重要視するのは当然の事だった。
各戦線へと駆り出されて運良く生き残った復員組や、職や住居を求めた難民が政府の政策によって新たに送り込まれて、工業都市は往年の賑やかさを急速に取り戻しつつあった。
多くの下級鉱夫や工員達が住まうベルトリランの下町には夜は無い。
戦後復興の名の下に三交代制24時間フル稼働を続ける鉱山や工場は、大量の労働者達をいれて、そしてはき出していく。
「はーいご注文ありがとうございます。ブレッドとワールサワーバターですね。少々お待ちください。そちらのお客様はショートにグルーブジャムでしたね。お待たせいたしました」
そんな下町にある小さな路地の一角のパン屋クレソンベーカリーに、夜の帳が落ちはじめた夕刻になって明るい売り子の声が響く。
くすんだ茶色の髪を肩口で切りそろえた看板娘にして副店長ロアナ・クレソンは、カウンターの前に立つ鉱夫から煤に塗れた小銭を受け取りながら満面の笑みを返しつつ、バスケットに刺さる大人の腕ほどもある長いパンを横目で数える。
先ほど追加が焼き上がったばかりだが、今日の売れ行きは好調で、この在庫では些か心許ない。
「かーさん! ブレッドあと30本! 追加40よろしく!」
後ろを振り返ったロアナは、この店の店長兼パン焼き職人である母のリスタ・クレソンへと、一番人気のロングブレットの残り在庫を知らせて追加を頼む。
近場の工場は混雑防止のため交代時間を少しずつずらしている。
このピークは後1時間ほど続くはずだ。
今の時間から焼きに入れば、焼きたてを次の交代労働者に提供できるはず。
齢17ながらすでに一端のパン屋売り子としてそこそこの経験を積んでいるロアナは、頭の中で今日の売れ行きとこの先の販売予想を弾いていた。
「はいはい。40ね。他のパンとか添えつけ類はまだ大丈夫?」
「うん。大丈夫。このまま閉店までギリギリいけるっしょ。いざとなったら神速ロアナをご披露してあげるっての」
キビキビとした声で返す母親に、笑いながら答える間もロアナの両手は休むこと無く動き続け、カウンターの前に立ち並ぶ客から注文を受けとり、硬貨を受け取りパンを袋に詰めて、釣り銭と一緒に渡していく。
流れるような客捌きと常に笑顔とカウンターの在庫を絶やさず営業を続けるその様からか、常連客には愛着とからかいをもって神速の売り子とロアナは呼ばれていた。
「おいおい相変わらず元気だね。何時ものでまだ伝わるかな」
列の後方から親子のやり取りを懐かしげに見ていた中年鉱夫が自分の順番が来てカウンターの前に進むと笑いながらコインを差し出す。
「あっ! スードさん! お帰りなさい! かーさん! ガブン鉱穴のスードさん!」
戦争に駆り出されて南方の戦線へと出兵していたなじみの常連客に、ロアナは目を丸くして驚き、慌てて厨房の母親に伝える。
だが母に話しかけている間もロアナの手は動き、スードが何時も買っていた、ブレッドと、香りのいいトエナの実を炒ってから潰してバターと混ぜたこの店名物のトエナバターを詰めていく。
「あら! すみません。ちょっと待っててくださいね。すぐいきますから!」
「いいって、忙しいだろ。また今度改めて挨拶に来るよ。奥さん。戦時中はうちのかかぁが世話になったってな! ありがとうよ! またこれからちょくちょく寄らせて貰うさ! わりぃな。ちょっと挨拶してたんだわ」
パンの入った袋を受け取ったスードは粉で汚れた手を拭いて厨房から出てこようとするリスタに大声で礼を伝えると、後ろで待っていた客に詫びをいれ、すぐに列を譲った。
安い、美味しい、そして美人母娘がいる。
下町の人気店クレソンベーカリーは今日も大繁盛していた。
最近はようやく落ち着いてきたが、長く続いた戦争の影響で共和国内の物価は未だ高止まりだ。
贅沢品や嗜好品はともかくとして、それが生活基盤に関わる食料費となると大問題。
クレソンベーカリーも原料費の高騰で、値上げを何度となく余儀なくされたが、その値上げ幅は、常連客がもう少し上げた方が良いんじゃ無いかと心配するほど、値上げ幅は低い物だった。
店の経営に余裕がある訳では無いが、主食であるパンまで一般庶民には手の出ない値段するわけにはいかなかった。
店を開くとき夫と決めた経営理念である、安くて美味しい物を下町のみんなに提供するという趣旨から大きく外れてしまう。
売価を抑えるために、従業員は雇わず、種類は絞り、営業時間は縮小してとあの手この手でこの3年間、リスタはなんとか店を守り通してきた。
ロアナの父であり、リスタの夫でもある初代のパン焼き職人兼店長だったアルゴは本部付従軍調理師として出征しており、他の出征者が続々と帰還してきた後も、戦後処理を行う部隊に食事を提供するために勤務地だった要塞に残っており、他の者より帰還が遅れていた。
だがそれも先日までの話。アルゴから2週間前に届いた手紙で、ようやく戦後処理も一段落が付き部隊縮小に伴う動員解除の対象と選ばれたので、今月中には帰れるという物だった。
「…………今月は何とか黒字ね」
帳簿付けを終えたリスタは掛けていた眼鏡を外して、綱渡りの経営ながらもこのままの売り上げを維持できれば今月は何とか凌いだと安堵の息を吐きながら肩をもむ。
アルゴが帰るまで店を守れたのは偏にリスタの努力とそして、
「かーさん。年寄り臭いよ」
このこまっしゃくれた娘のおかげだろう
「父さんが帰ってきたらがっかりしない? おばさんになったとか。もうじき帰ってくるんだしちょっとは化粧したら」
リスタが帳簿付けをしている間に、店内の清掃を一手に引き受けていたロアナがモップの柄に顎を乗せてにししと笑いながら、化粧っ気も無く粉塗れの服のままで肩を叩く母親の姿をからかう。
「親をからかわないの……全く誰に似たんだか。そういうあんたはどうなのよ。最近エミリオ君と良い雰囲気だって警備隊長さんが言ってたわよ。ようやく春が来たのかしら。今日はこの後馬車デートの予定でしょ」
母親のカウンターにロアナは憮然とした顔を浮かべ眉をしかめる。
ロアナの生まれた頃からの幼なじみであるエミリオは、悪ぶっているがちょっと気が弱いところもある。
女ながらもガキ大将気質だったロアナの喧嘩相手でも有り、未だにエミリオの勝ちが無い事は近所では有名な話だった。
「げっ! 無い無い。エミリオなんてあたしの子分だって! それにデートじゃ無くて配達サービス! 第一趣味じゃ無いって。あいつ警備兵になったは良いけど稽古だけで毎日ヒーヒーいってるわよ。あのへなちょこエミリオなんて」
「ちーす。夜食取りに……おいこら。いきなり挨拶だな」
母親の言葉をロアナが顔を真っ赤になって否定しはじめた瞬間、店の扉が開き、件の主のエミリオが姿を表した。
夜警巡回のために下町地区詰め所へと待機する警備兵の夜食は、クレソンベーカリーの特製パンと決まっており、買い出しは今年入ったばかりで一番下っ端のエミリオの仕事だった。
いきなりへなちょこ呼ばわりの罵声を浴びせられたエミリオのこめかみが引きつっているのを見て、ロアナはしばし固まってから、
「あ…………ようこそクレソンベーカリーへ!」
ご近所で天使の笑顔とまで言われたいと思っている精一杯の作り笑顔で、全力でごまかしに入った。
だがそんな今更の作り笑顔に騙されるほど、幼なじみの関係は浅くない。
「んなでごまかせるか! 他に言うことあるだろうが! あと誰がへなちょこだ!」
「あんた」
「だからって素で答えんな!」
「あぁっ!? じゃあどうしろってのよ! ごまかしゃ怒るし、素直に言っても怒る! あたしに何させたいのよ!」
「謝れよ! 普通!」
ロアナが美人看板娘と評判なのは確かだがそれはあくまでもお客様の前。
エミリオの当然な要求に対して、逆ギレをかます傍若無人な下町女番長は健在だった。
娘の春はまだまだ遠いのだろう。
子供のような口喧嘩を始めた二人は放って立ち上がったリスタは、詰め所へと持っていくための商品を取りに厨房へと向かった。
「寛大なあたしに感謝しなさいよ。営業時間外のサービスなんだから。ってな訳で御者はいつも通りあたしね」
荷馬車の御者席に座ったロアナは口では不満げに言いつつも、その顔が楽しげなのは気のせいでは無いだろう。
楽しみと言っても、馬車を操れるのがその理由の大半なあたり、活発的なロアナらしい。
「この間みたいに街中で飛ばすなよ。夜つっても人通りが多いんだからよ。それに瓶詰め保存食なんかも積んであるんだから割るなよ」
荷台に押し込められたエミリオは、ロアナが聞き入れるかどうかは非常に微妙ながらも、注意をしておく。
エミリオが抱え込む籠には堅焼きパンと豆スープ。それ以外にも大瓶に詰まった特製ジャムが荷馬車に積み込まれていた。
今日は週に一度の保存食買い出しの日でもあり、この後も数件の食料品店を訪れて、保存の効く食料を中心に詰め所へ運び入れる予定だ。
「ごめんね。何時も迷惑かけるわねエミリオ君」
「あー気にしないでくれよおばさん。ロアナが付いてくれば荷物番にどっちが残れるから正直に言えば助かってる。このところちょっと放置していた荷馬車から荷物がかっぱらわれたとか多いから。警備隊の食料が盗まれましたなんて洒落にならねぇよ」
「警備隊の荷馬車でも盗まれるの?」
エミリオの言葉に、リスタの顔に不安な色が浮かんだ。
復興に伴う人口流入はベルトリランに活気を取り戻して入るが、同時に治安の悪化も引き起こしている。
復員してきたは良いが、戦場のストレスで酒浸りになっていた為に首にされた元鉱夫。
祖国を失い、この国に流れ着き工場労働者となったが、文化や風習の違いが肌に合わず辞めてしまった異邦人。
戦争で親を失い戦災孤児となった多数の子供達。
食い詰めた者達が徐々に増えてきているのは、リスタも肌で感じている事実だ。
昼間ならまだ安心だろうが、その時間帯は工場や鉱山を行き来する荷馬車がひっきりなしに行き交っていて、原則工業関係以外の荷馬車は街中への立入が禁止されている。
結果日が昇る前の早朝か、今のような夕刻から夜に入った時間帯のみに制限されていた為、治安を護る警備隊が規則違反をするわけにも行かず、暗がりが増えて多少危ない時間帯ながらもこの時間が仕入れ時間に指定されていた。
「無人で放っておく方が悪いのよ。だからエミリオ、不届き者が出てもあたしに任せときなさい。毎日小麦粉こねている乙女の力を見せてあげる」
だが心配性な母親と違い、剛胆な娘の方はケラケラと笑って、その細いながらもしっかりと筋肉がついた腕を恥じらいも無く晒してみせる。
遊びたい盛りの年頃の娘に、男でもきついパン屋の仕事で束縛している事を、リスタは多少は気にしているが、娘の方は違うようだ。
父や母の仕事を幼い頃から見てきたロアナは、近所で評判のパン屋の娘という事を誇らしく思っており、跡継ぎで有り一人娘である自分がその手伝いをするのは当然の事だと受け止めていた。
「俺、警備兵なんだけど……廻る店は全部大通りだし、馬車には俺が残るから心配すんなっておばさん。いつも通り後でちゃんと送り返すから」
頼りになされていないことに憮然とした顔を浮かべたエミリオは、無鉄砲な娘を心配そうに見るリスタを見て、安心させるように何時もの言葉を伝えた。
「二度手間だから良いわよ。帰りはあたし1人で十分」
「俺がどやされるんだよ。お前、”外面”だけは良いから先輩らにもファンが多いからな」
「そりゃそうでしょ。美人の母さんの血を引いたあたしは下町一番の看板娘なんだから。母さん行ってくるね。鍵は持ってるから、扉は閉めといて。じゃ飛ばすわよエミリオ。しっかり掴まってなさいよ」
エミリオのこぼした皮肉に気づいていないのか、それとも気にすらしていないのか、ロアナは母親譲りの整った顔立ちで母親に自慢げに笑って見せてから、馬へと勢いよく鞭を入れた。
「おまっ! 人の話聞けよ!」
「大丈夫! 大丈夫!」
とことこと歩き出した馬に、さらに鞭を入れようとしたロアナを慌てて止めるエミリオの叫びを残しながら、騒がしくも楽しそうにする娘達が大通りの角を曲がるまで見送ってからリスタはため息をはき出す。
「エミリオ君に愛想を尽かされたら、絶対泣くことになるのに、判ってるのかしらあの子」
あのジャジャ馬っぷりは誰に似たのだろう。
もう少し女の子らしいこともやらせるべきかと、娘の将来に不安を感じながらリスタが店の扉に手を掛け、
「えっ!? だっ!?」
「さ、騒ぐな。はぁはぁ。こ、殺すぞ」
ドアノブに手を触れた瞬間、呼吸が荒れてドスの利いた男の声とともに乱暴に口を塞がれ身体を抱きしめられる。
店の脇の裏口へと繋がる暗がりから飛び出してきた男は、そのまま半分開いていた扉から、素早く店の中に入ると後ろ手に乱暴に扉を閉め錠を掛けた。
いきなり襲いかかってきた暴漢に、リスタの身体はこわばり、声を出すことも出来無い。
男の衣服は袖口がぼろぼろになっていてすえた臭いが伝わり、口を塞ぐ手は薄汚れており、まともな人種では無い事を嫌でも知らしめる。
店の売り上げを狙った押し込み強盗か、それとも食べ物を狙ったのか。
どちらにしろ相手の声は切羽詰まった興奮状態で、何をされる変わらない恐怖心でリスタは全身をこわばらせた。
「あ、あんた、あのクソ野郎のアルゴの女房だな。そうだな」
暴漢が夫の名を出すが、口を塞がれ、しかも恐怖心から動けないリスタには答えることが出来無い。
答えが返ってこないことに苛立った男がリスタを拘束していた腕を乱暴に振るって、店のカウンターにリスタを叩きつける。
「っ! だ、誰ですか!?」
きつく叩きつけられ背中にはしる痛みを我慢しながら顔を上げたリスタは、初めて男の顔を見る。
リスタには見覚えの無い男だ。
痩せこけた顔で頬には傷が有り、正気を失っているのか、目は淀み落ち込み、興奮状態で息が荒いでいる。
「そうだろ! あぁっ! そうだよな! あの野郎のブローチの顔だな!」
男はリスタの声など聞こえていないのか自分の懐から、その薄汚れた全身に比べてやけに小綺麗なブリーチを取りだし、蓋を開けると、その中身とリスタの顔を見比べていた。
そのブローチにはリスタは見覚えがある。
特徴的なデザインは常連の工房職人が夫であるアルゴが戦場へと行く際に選別とお守り代わりにと家族写真を納めるために作ってくれた品で、アルゴとリスタ、ロアナの持つ世界に3つしかない代物だ。
「そ、それはアルゴの! な、なんであ」
「や、やっぱりり、そうか! そうだな! あ、あの野郎の所為で俺は!」
「い、いやっ!」
リスタが思わず見せた反応が悪かった。
男の興奮状態は最高潮に達し、その顔が怒りと狂気に染まり、リスタへと乱暴に手を伸ばして、その服に手を掛け乱暴に引きちぎろうと、
「ふっが!」
暴漢の顔にいきなり拳が打ち込まれて、その身体が勢いよく弾き飛ばされて、商品棚へとぶつかりがらがらと棚の上に飾ってあったディスプレイが崩れ落ちる。
「だ、だれ?」
リスタの横に忽然と男が現れていた。
見たことも無い変わった服装をしているその男は倒れ込んだリスタからは見上げるように大きい巨漢。
短髪の黒髪で、感情を感じさせない無表情で自分が殴り飛ばした暴漢を見据えており、リスタには、一瞥もくれない。
娘達を見送っている間に裏口からでも侵入してきたのだろうか?
だが正体不明なその男にリスタは、暴漢以上の恐怖心をなぜか覚える。
その男の周囲には、この世の物と思えない不可思議な空気が醸し出されていた。
『姫さん。消音と人払い結界』
男はリスタの問いかけにはなんの反応も見せず、独り言を、しかし誰かに向かって言うかのようにつぶやいた。
はっきり聞こえながらも、薄紙を何枚も通したかのように遠くもある男の声に合わせて、その影から浮かび上がるように1人の美女が姿を現す。
『はい。全て滞りなく敷設しております。こちらが例の?』
影から現れた美女は巨漢とは違いリスタを見るとにこりと微笑んだ。
だがその一目を引きつけ男を誑かす絶世の美貌の裏に、隠しきれない邪悪さが潜んでいる事を一目でわからせる物だ。
『………………』
美女の問いかけにも男は何も答えない。
「な、なんですか!? 貴方たちは!?」
リスタの問いかけは誰ではない。
虚空から現れた2人組は常の理に存在する物ではなく、極めて異質な存在。何物であるかさえ判らない。
先ほど娘を見送ってから僅か数分しか経っていないのに、リスタの足元ががらがらと崩れ落ちていた。
『ふふ。我が主が答えられないようなのでお答えしましょう。私たちは”正義の味方”です……そうですよね楠木様』
美女がクスクスと楽しげに笑ってそんな巫山戯た台詞を返してから、情欲に染まった瞳で嬲るように痛めつけるように囁き巨漢に同意を求めた。
『…………』
『つれないお方……さてお眠りくださいな』
何も答えない男に言葉だけは残念そうに漏らしながらも、美女は満足そうに微笑みを見せてから、リスタの目を見つめ囁く。
『目が覚めたときには…………』
恐怖心に満たされていたはずのリスタだったが、美女の囁きと共その意識は急速に落ちていき、すぐに気を失っ
「ねぇエミリオ。ここの空き家ってなんだっけ?」
女性ながらもその腕を見込まれて今年警備隊に配属されたロアナは、台帳を片手に一件の家を指さし、同期の同僚であり義兄弟のエミリオに問いかける。
錆びついた看板から見るにパン屋のようだが、人が住んでいないことは一目瞭然だ。
最近の治安悪化に伴い、空き家に流れ者が住み着いている事例や、犯罪の温床になっていることも有り、ベルトリラン市内の空き家の調査が行われており、下町生まれの2人はこの周辺の捜索を行っていた。
「ほらアルゴのおっさんっていただろ。お袋がよく買ってきただろ。クレソンベーカリーのパン」
生まれたばかりでエミリオの家の前に捨てられていたというヘビーな生い立ちながらも、基本的には気楽かつ剛胆な妹(ロアナ曰く姉)にあきれ顔を浮かべる。
好物だったくせになんでそうきっぱりと忘れられるのだろうか。
「ん~。あぁ思い出した! 美味しかったのよねここのパン。なに潰れちゃったの?」
「お前ほんと失礼だよな。アルゴさん戦争に行っちまったからな……一応この間まで休業中だった」
「え……亡くなったの? やっぱり戦争で?」
エミリオの過去形の物言いに、ロアナの顔が引きつる。
「従軍調理師だから戦場に出ることも無くて生き残ったらしいんだけど、物資の横流ししていた同僚を告発した逆恨みで先日に殺されたってよ。お前も変な正義感で首……ってなんで泣いてんだよ?」
正義感で行動して殺されてたんじゃ割が合わない。
突っ走る傾向がある妹にほどほどにしろよと警告しようとしたエミリオは、いきなりぼろぼろと涙をこぼし始めていた妹にぎょっとする。
「えっ……なんだろう。食べられないと思ったら悲しくなった……とか? うん、あたしらしい」
ロアナ本人も何故いきなり涙が流れたか判らないのか困惑した表情を浮かべていたが、ごしごしと涙を拭き取るとすぐに自分らしい理由を見つけて、笑って見せた。
「……お前な。調査するところ多いんだからサクサク行くぞ。早くしないと昼飯にありつけなくなるっての」
「ふふん。大丈夫。お姉ちゃんに任せなさい。いくわよエミリオ。あたしらが一番に終わらせるよ」
調査に時間が掛かりすぎて詰め所に帰るのが遅れたら、まともな食事にありつけないと心配するエミリオに対して、ロアナは強気に言い切り先陣を切って駈けだした。
「お前が妹だろうが!」
騒がしくも仲がよい義兄妹として下町でも有名な2人は、今日も元気に見回りを再開した。