依頼篇 山奥の名医①
本日4月18日早朝。広陵市笹谷において、医師筑紫亮介さん(45)の住居兼診療所を焼く火事が発生しました。
この火事によって筑紫さんの住居兼診療所が全焼。
筑紫さんの長女優菜さん(17)と次女優陽ちゃん(6)は自力で避難し無事でしたが筑紫さんは逃げ遅れたと見られ、現在捜索が続けられております。
筑紫さんは若い頃からNPO法人国境なき医師団へと参加し、帰国後は無医村へと志願赴任していた事から『山奥の名医』の愛称で親しまれていました。
筑紫さん宅の焼け跡からは筑紫さんの遺体は発見されず、所在は未だ不明なままです。
筑紫さんには多額の借金があった事が判明しており、警察では筑紫さんが何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査を開始したとのことです。
『山奥の名医』の黒い疑惑。
筑紫亮介医師が理事の一人として以前に名を連ねていて破綻した『限界集落医療振興財団』には詐欺、出資法違反容疑で捜査が今も続けられており、捜査関係者の一部からは自宅に多額の火災保険が掛けられていたことから、保険金目的の自作自演ではないかと………………
「筑紫どうしても無理か? 最後の玉竜旗をお前も楽しみにしていただろ……それに生活面は援助してもらえるなら、引退する夏までは部活を続けても良いんじゃないか」
「すみません。小学校に入学したばかりの妹の面倒を見る時間と少しでも学費の足しにするためにアルバイトの時間が必要なんです。とても剣道を続けられる状態じゃなくて。先生に大将に選んでいただいた玉竜旗を諦めるのは……みんなに迷惑を掛けないためにも退部させてください」
生徒指導室の椅子に腰掛けて対面する困り顔の部活顧問に対して、筑紫優菜は申し訳ない気持ちで長いポーニーテールが机につくほどに深々と頭を下げる。
『玉竜旗を広陵に』
毎年7月下旬に福岡でおこなわれる高校剣道三大大会の一つ玉竜旗全国高等学校剣道大会。
常に目標は高く優勝を目指せ。
元は東京の強豪校にいたという顧問の口癖となっている言葉だった。
優菜も感銘を受け鍛練を重ねてきたが、今の状況では剣道はこれ以上続けていけそうになかった。
信頼していた人に騙され医療財団詐欺の主犯とされかかった父は、みずから借金を被ってまで被害者の方々に弁済をしていたぐらいのお人好しだ。
金銭感覚に乏しい父に代わり優菜が辛うじて廻していた家計は借金だけでも大変だったのに、今回の火事と父の失踪で完全にパンクしてしまった。
だが不幸中の幸いと言うべきか、人望だけはあった父のおかげで、親類や近所の患者さん。それに以前父が赴任していた村の方達からのカンパで高校卒業までの生活を援助してもらえる事にはなっている。
今借りているアパートの大家のおばあさんも父の患者の一人で、部屋を格安で貸してくれた上に優菜達の保護者にまでなってくれた。
おかげで姉妹揃って施設に入る事もなく、慣れ親しんだ街から引っ越しをせずに済んだ。
周囲の人に恵まれていることに優菜は深く感謝すると同時に、ここまで援助をもらいながら今まで通りの高校生活を過ごすのは申し訳ないと思ってしまう生真面目さがあった。
学生の本分として学業に励むのは当然のこととしても、それ以外の空き時間は、たった一人の家族となってしまった妹の為と、少しでも生活費兼学費を稼ぐための時間に当てると心に決めていた。
とても今までのように部活動に割いている時間はとれそうもない。
「まぁ待て。ほら親父さんがひょっこり戻ってくるかもしれんだろ。そうなればいくらかは好転するだろ。決めるには早くないか?」
面倒見のいい顧問の言葉は、優菜を気遣っての物だろう。
だが顧問の慰めが優菜には痛かった。
父は行方不明なのではない。この世にもういないのだと優菜は漠然と感じている。
あの日。火事があった朝。優菜たちの目の前で父は燃えさかる炎に包まれて忽然と消え去った。
父を一瞬で消し去った火は瞬く間に周囲に燃え移り、優菜は妹である優陽を連れて逃げるだけで精一杯だった。
一瞬で炎に包まれ父が消えたという優菜の証言を警察も消防も保険会社も親類も信じてはくれなかった。
可哀想に火事で恐慌状態に陥り幻覚を見たのだと、口をそろえて慰めて来るだけだった。
しかし優菜はあの光景が幻覚だったと思う事などできない。出来るはずもない。父が消え去ったのを確かにこの目で見たのだから。
しかし声高に主張する度に哀れみの目をむけられた。誰にも信じてもらえないとこの二ヶ月で優菜は学んでいた。
だから信頼する顧問に対しても真実を告げず優菜は頭を下げるだけに留める。
「いえ……もう決めましたから。本当に申し訳ありません。妹を迎えにいく時間なのでこれで失礼します」
優菜は立ち上がると横に置いてあった長年愛用していた竹刀と防具一式を担ぐ。
愛用の道具達は部室に置いてあったために難を逃れたが、これを身につけるだけの余裕が再び訪れるのはいつになるのか……そんな日がまた来るのかすら今の優菜には判らない。
「筑紫。籍はそのままにしておく。いつでも戻れるからな」
扉へと手をかけた優菜の背に顧問が呼びかけた。
振り返った優菜は何も答えず、ただ深々と一礼をしてから生徒指導室を後にした。
筑紫優陽は困っていた。
高い高い木の天辺の枝に引っかかっている自分の帽子を見上げて、どうしていいのかわからず半べそをかいていた。
帽子は風に飛ばされたのでも、優陽自身が引っかけたのでもない。
同じ小学校に通う男の子達に小学校近くの公園まで無理矢理に連れ出され、被っていた通学帽子を木登りの得意な男の子によって天辺に引っかけられてしまったのだ。
優陽は虐められていた。
その原因は至極単純だ。
憶測と悪意に満ちた週刊誌の記事。
噂話で話す父母達。聞く子供達。
保険金詐欺疑惑のレッテルを貼られた父。
父=悪者。そしてその父の娘である優陽も悪者。
子供達の単純で拙い判断力が、優陽を悪者だから成敗するという正義という名の虐めにあわせていた。
小学校の先生達に泣きつけば少しは収まるだろう。だがそれは出来ないと優陽は子供心に思っていた。
(お姉ちゃん……泣いちゃう……そんなのいや)
姉には知られたくない。知って欲しくない。
優陽達の目の前で父が消え去った日から、姉が何度も泣きそうになるのを堪えて頑張っている姿を見ていた。
大好きな姉をこれ以上悲しい目に遭わせたくない。
それにあの帽子は優陽にとって大切な宝物だ。無くすわけにはいかない。
優陽はごしごしと目をこすって涙を拭うと、何とか自分で木に登って帽子を取ろうと決意する。
早く取って学校に戻らないと姉が迎えに来てしまう。
地面に座り込んで靴と靴下を脱ごうとしたとき、優陽の目の前が暗くなった。
「こらこら。そこの泣いてるちび……まさかと思うが横の木に登ろうとかしてないだろうな? 危ないから止めとけ」
いつの間にやら優陽の横に見上げるほどの大男が立っていた。
短く刈った髪。春用の薄手のコート。その下には少し窮屈そうにスーツを着込んでいる。
背中には姉の持つ竹刀袋によく似た長細い袋を担いでいた。
大男はどこか意地悪な目で優陽と横の木を何度も見比べてから、にやりと笑う。
これは無理だろうとでも言いたげだ。
「……おじさん誰?」
優陽の率直な物言いに大男の顔が引きつった。
どうやらおじさんと呼ばれたことがかなりショックのようだ。
「お、おじ……25ってもうあれなのか……通りすがりの正義の味方のお兄さんだ。前半は忘れてもいいからお兄さんの部分は覚えとけ。ちびっ子」
だがすぐににやっと笑うと、泣いている優陽を慰めるように乱暴に頭をなでつける。
優陽の数倍は身体は大きくて口調も乱暴。人見知りな所がある優陽は見ず知らずの大人を普段なら怖く感じるが、この大男は不思議とあまり怖いとは思えなかった。
「……帽子。取らないとダメなの……宝物」
だからだろうか?
優陽は帽子が取れなくて困っていることを大男に伝えてみた。
大男の目線が帽子を優陽の指指す先を辿り木の天辺へと向く。
弱い風でフラフラと帽子が揺れる。ただ引っかけてあるだけのようだが、自然と落ちてくるのは期待できそうもない。
「ん。あれか。お前が自分でやったのか?」
優陽は無言で首を横に振る。
その目にじんわりと涙が浮かび、優陽がめそめそと泣き始めると慌てた大男はしゃがみ込んで頭をさらになでつけた。
「泣くな泣くな。なんか俺が泣かせてるみたいだろうが……ったく。しょうがねぇな。どうせ悪ガキ共だろ。まかせろ取ってやるよ。その代わり『お兄さんお願い取って』って頼んでみろ」
優陽の目を真正面から見据えた大男は、意地悪な笑みを浮かべてみせる。
優陽におじさんと言われたことが気になっているようだ。
姉の優菜よりも年上の大人はずなのに、その顔はどこか子供っぽい。
「お兄ちゃん……お願い優陽の帽子を取って」
「よし任せとけちび。じゃねぇな。ユウヒ?ってのが名前でいいのか」
「うん」
「判った。お兄ちゃんに任せとけ。ユウヒ」
優陽の頼みを大男は快諾してから横の木を再度見上げた。
どうやって取ろうかと思案しているのか腕を組み、木をつぶさに観察しはじめる。
「途中の枝が細いな。俺が登ると折れるな……姫さん……は無理か。力を使わせるのは論外。かといって登ってもらって着物が破れたりした日にゃ何を請求されるか。縁様は……雑用をさせるなって怒るわなぁ。あの刀神様はほんとに日常でつかえねぇな」
大男はぶつぶつ言い、たまに人の悪い笑顔を浮かべる。
なにやらとても楽しそうだだが優陽の帽子を取ってやろうという気持ちが子供の優陽にも伝わってくるくらいにその目は真剣だ。
真面目に楽しんでいるとでも言えばいいのだろうか。
「そうなると……怒鳴られるの覚悟でいくか。慣れ親しんでるのが一番ってな」
考えが纏まったのか大男は頭を掻いてからにやりと笑う。
片膝を突いて背中の長細い袋を降ろすと幾重に巻きつけていた紐をほどいていく。
大男が袋から取り出した物を見て優陽は不思議に思い首をかしげる。
「それって竹刀?」
胴がほっそりとした手元から剣先まで真っ直ぐ伸びる竹刀。しかも真っ黒だ。艶々と光沢が輝く墨で染め上げたような漆黒の竹が使われている。
姉の持っている物とは形も色が違うが、その形はどう見ても竹刀だった。
「お。ユウヒよく知ってるな偉いぞ。ちょいと特殊な竹刀だけどな。縁って銘のな」
「えにし?」
「おう。関係とか繋がりとかを現すって言葉だな。まぁ。ここでユウヒにあったのも何かの縁ってな」
大男はカラカラと楽しげに笑うとすっと立ち上がって竹刀を右腕に持って一振りしてから帽子へと目をむける。
姉は竹刀も刀だと言っていた。まさか竹刀で木を切るつもりなんだろうか。
優陽が見上げていると大男は全くの予想外の行動に出た。
「おりゃっ!」
大男は右腕を大きく振りかぶったかと思うと、いきなり竹刀を空中に向けて投げつけた。
黒い竹刀はくるくると回りながら宙を飛び瞬く間に木の天辺まで到達する。
上手に投げられた竹刀が切っ先で優陽の帽子を弾き飛ばした。
弾き飛ばされた帽子と勢いを無くした黒い竹刀が全く別の方向へと落ち始めると、大男は自分の竹刀には目もくれず、風に流される優陽の帽子を追いかけはじめた。
巨体のわりに動作は機敏だ。
大きなスライドであっという間に帽子の真下に着くと、コートの裾を軽く翻してジャンプして地面に落ちる遙か前に優陽の帽子を空中で軽々とキャッチする。
「お兄ちゃん凄い!」
優陽の歓声に大男は帽子を高々と掲げて答えた。
無事に取れたことが我が事のように嬉しいのだろうか、晴れ晴れした笑顔を浮かべている。
「破けてないよな……っと優に陽で優陽ね……ん?」
帽子が無事なのか確かめ始めた大男は内側に書かれた優陽の名前を見て呟き、何か気になったのか目をつぶって軽く考えてからポンと手を打った。
「おぉ……こりゃほんとに縁ってやつだな。やる気が出るわ」
小さく感嘆の声をあげた大男が優陽を見て興味深げに一つ頷いた。
優陽を見る瞳は怖いほど真剣な色を浮かべていたが、優陽が気づく前にすぐに楽しげな色に戻っていた。
「ほれ優陽。取ってやったぞ」
「うん!」
大男がこっちに来て取りに来いと手招く。
笑顔を浮かべた優陽が大男の横に走り寄ろうとした時、鋭い声が公園に響く。
「優陽!」
それは姉。優菜の声だった。
小学校の図書室で待っているはずの妹がいつの間にやら姿を消していたと聞いた時、優菜の顔面は蒼白に染まった。
父が消えてから下世話なマスコミや怪しげな者達から話しかけられたは一度や二度ではない。
そんな輩は優菜は相手にせず追い払ってきたが、ひょっとしたら黙りの優菜に業を煮やし優陽の方に接触してきたのかもしれない。
小さい優陽には父が消えた朝の記憶は辛すぎる。今でも夢でうなされているくらいだ。
それに父が訳も分からずいなくなってしまったのだ。もしかしたら優陽まで…………
想像したくもない最悪の予想に、優菜は気がついたら小学校を飛び出していた。
当てもなく飛び出した優菜だったが、なぜか優陽の声が聞こえたような気がしその方向へとひた走っていた。
微かに響きなんと言っているのかも判らない声。だが絶対に妹の物だと判る。理由は分からない。でも確信していた。
声が聞こえる方向へとひた走った優菜は公園へと辿り着き、そしてこの世で最後の家族になってしまった妹を見つけを大声で呼んでいた。
次いで妹が大事にしている帽子を持つ巨漢の姿を目にすることになり、優菜の心に怒りの火がつく。
「あんた! あたしの妹を勝手に連れ出してなにしてんの!!!!」
優陽は良い子だ。待ち合わせをしているのに勝手に抜け出したりしない。状況から考えればこの巨漢が優陽を連れ出したに決まっている。
一瞬で結論づけた優菜は背中に手を伸ばすと大切にしていた防具を投げ捨てる。
次いで竹刀袋を引きちぎるように無理矢理外して中から愛用の竹刀を引き抜き、そのまま一気に距離を詰めて右上段からの袈裟切りを打ち下ろした。
しかし優菜の渾身の一撃は、見た目とは裏腹に機敏な動きを見せる巨漢に簡単に躱さえた。
それどころか切り上げから突き。さらに右袈裟で再度打ち下ろしと優菜が打ち込む追撃もひょいひょいとかわしていく。
「いやいや。っと。ちょっと待て。なんか誤解があるぞ」
何を言い訳がましい。
巨漢が何かを言いつのろうとするのを無視して優菜がさらに追撃しようとし、
「楠木ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!!!!!」
優菜よりも遙かに強く鋭く怒気を秘めた声が周囲に響きわたる。
あまりの怒りの強さに優菜の動きも思わず止まった。
怒声に反応した巨漢がなぜか空を見上げ、顔を青ざめさせる。
「げ! 縁様。ちょい待て! 訳ありのうえ今取り込みちゅ! っが!!」
巨漢は何かを言いかけていたが、次の瞬間矢のような勢いで天から降ってきた何かが喉元に食い込み、苦痛の声をあげて弾き飛ばされていた。
地面に倒れ込んだ大男の首筋から離れると”それ”は音もなく空中へと浮かび上がる。
「貴様! 妾の神聖なる宿りを投げつけ、あまつさえ小娘の帽子を優先するとは何事じゃ! 我が神官としての心構えを骨の髄まで叩きこんでくれる!」
「え…………?」
優菜は呆然とし驚きの声をあげる。
古めかしい巫女装束を身につけ世にも恐ろしい形相で巨漢を睨みつける掌大の年若い少女が空中に浮いていた。
あまりに現実味のない少女の姿に、自分は白昼夢でも見ているのかと疑ってしまう。
「……お人形さん?」
いつの間にやら近付いていた優陽にも同じ物が見えているようだ。首をかしげている。
人にしてはあまりにも小さすぎる。
人形にしてはその肌の色艶や血色の良い唇が生々しすぎる。
みた事のない生物。たとえるなら羽のない妖精とでもいえばいいのだろうか。
姉妹の様子に怒り心頭といった表情で怒鳴っていた少女が反応した。
「ん? なんじゃお主ら妾が見えておるのか……待てこの気配は……木偶の坊! 接触は後日という話では無かったのか? とっとと立て説明せよ」
優菜達の顔をまじまじと見た少女は眉根を顰めると、空中を歩くように移動し未だ倒れて咳き込んでいる巨漢の頭へと近づき蹴りつける。
「ごっ!……ほっ!……無茶しないで貰えると大変ありがたいんですけどねぇ。偶然ですよ偶然。たぶん例の姉妹だと思いますけど、ちょっと写真と違うから……ちょい待っててください。確認しますんで」
最初に蹴りつけられた喉をさすり巨漢は立ち上がると 地面について汚れたコートを軽く手で払いながら言うと、宙に浮かぶ小さな少女が鷹揚に頷く。
スーツの襟元をただした巨漢は優菜へと目をむけるそして深々と一礼する。
「お二人は筑紫亮介さんのご息女。筑紫優菜さん。それに妹の優陽さんですね? 私は日本国外務省特殊事案担当局に務めています楠木勇也と申します。どうぞこちらをご確認ください」
巨漢……楠木と名乗った男は名刺と顔写真が載った身分証明署を提示し、優菜へと差し出す。
手帳サイズの身分証には男が言った所属名や名前が記され、いくつかの印章が押されていた。
「お兄ちゃん……なんか違う人みたい」
急に改まった口調となった巨漢を見て、優陽が目を丸くする。
先ほどまでの乱暴で気安い口調から、使い慣れていないと優菜にもすぐに判る下手な敬語。
さらに不信感を強めた優菜は一歩前に出て優陽を背中に隠し、手に持っている竹刀を再度突きつける。
「……嘘っぽい。何が目的? この小さな子って何者?」
こんな身分証を見せられても、本物かどうかなんてただの女子高生である優菜には判断のつけようがない。
空中に浮かぶ人間ではない少女を連れた正体不明の人物の言う事など、信じられるはずもなかった。
それに不可思議なことは……炎に消えた父親の事を嫌でも連想させて、余計に苛立つ。
「ふん。ガラでもない格好つけしおって、全く無意味ではないか。時間の無駄じゃ」
少女が小さく鼻を鳴らし無駄なことをしていないで話を進めろと巨漢を剣呑な瞳で睨みつける。
「そうは言いますがどうみても怪しいでしょうが俺。つーか縁様が主に。だから態度を真面目にしてみたんだけど…………今更あんま意味ねぇわな」
がしがしと頭をかいた楠木は元の口調に戻すと、受け取っても貰えない名刺をくしゃっと握りつぶして身分証を無造作にポケットにしまってから優菜へと再度目をむけた。
「外務省職員ってのは嘘だが一応日本の公務員で仕事は警察関係みたいなもんだと思って欲しいんだが……無理っぽいよな。悪い。ちょっと待っててくれ」
睨みつけてくる優菜に対して苦笑を浮かべた楠木はコートのポケットから携帯電話を取り出すと飾り気のない携帯を太い指で器用に次々にボタンを押していく。
どうやらメールを作っているようだ。
「とりあえず本物の警察を呼んで俺の身元保証してもらうから。お嬢さんも知っている人にするからよ。やれやれ先に所轄署に挨拶回りしておいて正解だったな……目立たない方が良いか。サイレンは単なるパトロール中って事にしてもらってと……」
ぶつぶつと呟きながら楠木がメールを手早く製作し送信する。
それから10分も経たずに黒と白のツートンカラーのパトカーが公園へと姿を現した。