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奪還篇 山奥の名医⑧

「うぁううぅ!? ゃぁぁっぅ!?」



いきなり見知らぬ人が大勢押しかけてきたことに驚いたのか、それともリドナーの怒気を敏感に感じ取ったのか老婆の膝の上で目を丸くしていた赤ん坊が、いきなり火が付いたように大声で泣き始める。

 これでは五月蠅くて話を続けられない。

 親である若夫婦は実母兼姑の強い視線に睨まれていて動けずにいた中、実父兼舅が動いた。

 


「……ミオレイド。部屋を貸せ。その子の部屋はあるか? 寝かしつけろ」



「は、はい。寝室に。廊下の右手側です。準備してきます」



 有無をいわせぬ口調でつげるファランの声に、固まっていたミオレイドが慌てて返事を返すと慌ただしく廊下へと出ていった。

 慌てふためく息子の様子に軽く溜息を吐いてからファランは、老婆へと近づいて一礼する。



「ご婦人すみませんが子供をしばらく別の部屋に移したいのですがよろしいでしょうか?」



「坊さぁ。まじめぇな話すんよ邪魔しちゃいかんよぉ。坊の部屋さもどよぉ」



「うぅうううぅっ!? うぁぅ!!!」



 老婆が差しだした赤ん坊をファランが受け取ろうとしたが、赤ん坊が余計に愚図り始めた。

 人見知りする性分なのか足をばたばたさせながら、小さな手で老婆の服を掴んで嫌がっている。

 よほどこの老婆に懐いているのだろう。



「……申し訳ありませんがご一緒に来ていただけますか。この子は貴女がご一緒の方が落ち着くようなので」



 初対面とはいえ自分の孫に嫌がられ微妙な表情を浮かべたファランだったが、このままでは部屋に運ぶのも一苦労と思ったのか老婆に同行を願い出る。



「あいよぉ。坊こちらぁさまぁあ坊の爺様なんよぉ。怖がったやいかんよぉ」


 

 ファランの頼みに快諾を返した老婆がゆったりと立ち上がりながら、赤ん坊をあやし始める。

 まだ物心もつく前の赤ん坊が老婆の言葉の意味を理解できるはずもないが、老婆の柔和な笑みに安心を覚えたのか泣き声が少しだけ治まった。



「感謝します。リドナー仕事を優先しろ……クスノキさん達はこちらにかまわず話を続けてください。失礼します」



 今だ眉間に皺を寄せてディアナを睨んでいるリドナーに溜息混じりの苦言を呈してからファランは老婆と赤ん坊を伴い廊下へと出て行った。



「判ったよ………ディアナさえいればこっちの話は進むからね。男同士で腹割って話てきな」



 ファランの忠告に自分だけ怒っているのも馬鹿らしいとリドナーは肩の力を抜くと手をひらひらと振りながら見送る。

 


「クスノキ。話の腰を折って悪いね。続けとくれ。ディアナに問いただすのは後にするからさ。”いろいろ”と話してくれるんだろうね」



 怒らないのであれば逆に楽しむのがリドナーの流儀。

 いろいろと面白い事を聞き出して一生物のネタにしてやろうと目に怪しい光を灯らせていた。

リドナーの視線の意味に気づいたディアナが青白い顔を浮かべていた。






「お気遣いどうもっと……さてと筑紫先生とこのまま意思疎通はできるのかい嬢ちゃん?」



 嫁姑のやり取りをにやにやと見ていた楠木だったが、話を振られ表情を僅かだけ真面目にしてディアナへと問いかけた。



『あ……え、えとこのままじゃ無理。先生の表紙をめくって真ん中の頁をトントン、トンって軽く叩けば先生と話せるように設定してあるの。話せるっていってもここじゃ無くて先生の内面世界だけど』



 ディアナは首を横に小さく振ると、自分が使った召喚法と今の筑紫の状況説明を始めた。



 ディアナの使用した召喚術は、召喚者をカルネイドに順応させるために一度カルネイドの基本である文字に全存在を変換。必要な知識部分だけを複写して召喚者を即座に返還するという召喚術だ。

 しかし術の制御もしくは根本的な構成に間違いがあったのか、複写までは成功したがその後の返還は発動しなかったらしい。

 このままでは召喚者筑紫である文字が拡散し、カルネイド世界の中に混じり合いそうだったので、写本作成の力を応用し書物化しまとめ上げたそうだ。

 さらに本来とは大幅に異なる肉体に引き摺られて精神が変調をきたさないように、本の中に小さいながらもイメージ通りの肉体が持てる別空間を作り出して筑紫の意識をそこに常駐させているらしい。

 周到に準備をしていても相当な離れ業だが、ディアナはとっさの判断でそれだけのことをやってのけたらしい。





 


「なるほどね……リドナーさん。あんたん所の嫁さん相当やるわ。これならそう手間も掛からず何とかなりそうだ。勝手に婆ちゃんにされた事は大目に見てやってくれ。後ついでに無断召喚の件もそれなりに。まぁ異世界人のおれらが口出しする話じゃないけど、証言ならいくらでも”協力”させて貰うわ」



 ディアナの説明を一通り頭の中で整理し終えてた楠木は口元を歪めた人の悪い笑みを浮かべると、リドナーならこの意味を分かってくれるだろうと提案する。



『協力ね……後が怖いことになりそうだ』



 被害者側だというのに簡単にディアナの免責を望む楠木にリドナーは呆れていた。

 楠木が売ってくる恩は曖昧。場合によっては虚偽の証言すら引き受けると言外に含ませている。

 ディアナを庇おうと思えば思うほど、貸しが強くなる弱みにつけ込む悪辣な提案。

 だがリドナーはなぜか楠木の提案に不思議と嫌悪感を感じてはいなかった。



「さすが楠木様。相変わらずの卑劣な誑し込みですね」



『いつもこの調子かい……まったく姫様と同等以上に性質が悪いだろあんた』



 クスクスと微笑を浮かべる姫桜を横目で見ながら、リドナーは心からの感想を洩らす。

 だが当の本人は無言で心外だとばかりに苦笑で応えるとテーブルの上に置かれた筑紫の側へと近付き、近くの椅子を引き寄せて深々と座った。



「さて縁様。行きましょうか」



「うむ。いつでも良いぞ」



『えっ? もういくの!? 精神世界だから、ま、まだ注意点とかいろいろあ、あるんだけど。勝手が違うし、移動するのもイメージだから難しいんだけど』



 ディアナの説明を疑いもなく信じ早速行動に移ろうとする楠木と、迷いもなく頷き返した縁を見てディアナが引き留めようとする。



「精神世界なら幾つか行ったことあるから大丈夫だって心配しなさんな。じゃあ姫さん留守番は頼んだ。魂抜けた肉体じゃ何時世界の外に弾き飛ばされるか判らないからよ」



 空っぽになる肉体の保持を頼む楠木が左手を差し出すと、姫桜がにこりと微笑み手を受け取り指を絡めながらやんわりと握った。

 それだけで楠木の肉体を異世界に留めるための結界『理之転』の術者が縁から姫桜へと変わる。

 これで楠木の魂は縁の保護。そして肉体は姫桜の支配下に置かれ守られることになる。



「はい。お気を付けて。楠木様のお体は命に代えてもお守りしておりますので」



 一見聖母のようにも見える無垢な笑みを姫桜が浮かべる。

 しかしその目だけは巣から落ちてきたひな鳥を見て舌なめずりする蛇の目だ。

 その証拠に絡めた姫桜の指の爪は鋭く尖り楠木の掌に浅く突き刺さりうっすらと血を滲ませている。

 しかし傷口から血が垂れることはない。

 まるで舌で舐めとるように姫桜の指が傷口の上を艶めかしく動き血を吸い取っていた。



「……酒泥棒に酒蔵の留守を頼むような不安があるの」



 姫桜の指の動きに縁は苦虫を噛みつぶしたように眉根をひそめる。

    


「つまみ食いくらいならいいさ。では……失礼します」



 表情を改める背を正して楠木は、筑紫である本にに向かって一声を掛けてから一礼する。

 筑紫からは見えているのか聞こえているのかすらも判らないが気分の問題だ。

 指先が表紙をめくり、ディアナに教えられた頁を叩いた瞬間、楠木の意識は引っ張られるような感触とともに暗転した。














「楠木。ついたぞ」



 縁の声に我に返った楠木は先ほどまでいた室内ではなく、見覚えのない場所に立つ自分に気づく。

 目の前に扉が一つあるだけで、周囲は夜のように真っ暗闇。

 しかも闇の方を見ても霧が掛かったかのようにぼやけており、どうにもあやふやで現実感がない。

 夢の中のような物だと思いながら、手を二、三度開いたり首を回すイメージを作ると、それに合わせて手や首が動く。

身体が動くのを確かめてから自分の身体を見下ろしてみると、いつもの黒いスーツを着込んでいる。

 右肩に目をむければ、遊んでいるなといわんばかりに眉を顰める縁が鎮座する。



「問題なしです。さてと……」



 いつものつもりで動けばいいと特に気を張る必要もないと感じた楠木は軽く深呼吸を一つしてから腕を伸ばして扉を軽く三度ノックする。 



『どうぞ開いていますよ』



 すぐに扉の内側から中年の落ち着いた男性の返事が返ってきたので、ノブに手を伸ばして扉を開いて楠木は室内へと進んだ。

 


「何かありま………………』



 部屋に入ると四十半ばほどの白衣姿でメガネを掛けた中年男性が、椅子に座り振り返った体勢で楠木の顔を見て呆然とする姿が真っ先に目に飛び込んできた。

 人の良さそうな優しげな目と少し濃いめの顎髭。背はさほど高くないがそこそこに鍛えられた体つき。

 資料や写真で見ていた筑紫亮介本人の姿、特徴と一致する。

 男から目を逸らして室内へと目をやれば、ここは何処かの田舎の診療所といった趣の部屋となっていた。

 古めかしいデザインの体重計や身長計。

 男の目の前のデスクの上には聴診器や血圧計が置かれ、部屋の隅には簡易な診療台。その横の棚にはカルテが整然と並ぶ。

 


「この男が筑紫で間違いない。これがおそらく此奴の精神原型。一番落ち着く空間なんじゃろうな」



 この診療室は筑紫の心象風景を元にできたバーチャル空間のような物。

 縁の説明を自分の中でかみ砕いた楠木は、とりあえず懐から名刺代わりのカードを取り出し指で弾く。

 精神世界であろうとカードの効果は変わらない。

 なにせ精神のみでできた世界程度そこら中にゴロゴロと転がっている。

 そんな世界の住人とも交渉し己の身分を示すカードの力は遺憾なく発揮される。

 淡く光り出したカードが筑紫へと情報を送り始めると共に楠木は口を開く。

 


「初めまして。私は日本国異界特別管理区第三交差外路特殊失踪者捜索救助室所属専任救助官楠木勇也ともうします。貴方はS県広陵市にお住まいの医師筑紫亮介さんでよろしいでしょうか?」

 


 普段はつかわない真面目な言葉遣いを窮屈に思いながら楠木は、呆然とした様子の筑紫へと挨拶を兼ねた最終確認をする。

 


『は、はい。私が筑紫ですが……日本人……あの……あなたもこちらの世界に……召喚されたのですか』



現実味がわかないのか楠木の問いかけに、筑紫は呆然とした声で応えた。

 だがそれは当然の事なのかもしれない

 現世では一部の者達を除き、異世界が実在することは知られてはいない。そして異世界に関わる組織のことも。

 異世界カルネイドに攫われここで数年を過ごした筑紫も、まさか異世界へと助けに乗り込んでくる者達が現世にいたなど夢にも思わないのだろう。



「いえ、私は貴方のように違法召喚行為により異世界へと連れさられてしまった国民の皆様の捜索救助を専門とする特殊機関所属にしております国家公務員です。筑紫さんの娘さんである優菜さんと優陽さん。お二人のご依頼を受け貴方を迎えに参りました」



 だから楠木は嘘偽りがないことを証明するために力強い言葉で筑紫に答えると、深々と一礼した。

 自分の言葉に嘘偽りはないとその堂々とした立ち居振る舞いで示す楠木の姿に、筑紫が困惑から驚きへと表情を変えていく。

 


「……優菜と優陽が…………すみません……いきなりで……なんて言っていいのか……信じられなくて」



「お気持ちは判ります。簡単ではありますが貴方が召喚されてからの経緯と現状を説明させていただきますがよろしいでしょうか?」



 自分が初めて異世界の話を聞いた時どんな表情を浮かべていたのだろうか。

 頭の片隅をよぎる記憶を押さえ込んだ楠木は、召喚被害者への接し方としてマニュアル化された流れに沿った説明を開始した。











「…………とにかく娘達が無事で良かったです」



 時間の流れが違いこちらでは二年もの月日が流れたが、現世ではまだ二ヶ月しか経っていない。

 筑紫の召喚時の余波で火事が発生し、診療所と住宅が全焼した。

 いきなり姿が消え死体も見つからないことから保険金詐欺を企てていたという悪評が立っている。

 二人の娘は経済的に困窮状態に陥りそうだったが近所の住民や、筑紫自身の知り合い達に助けられて何とか生活を続ける事ができている。

 楠木の説明を最後まで聞き終えた筑紫は、家の全焼や自分の悪評など気にもせず、二人の娘が無事だった事に安堵の息を吐き出した。 

 説明の最中も何度も驚いてはいたが、我を忘れて取り乱したりも無かった。

 優しげな外見とは裏腹にによほど肝が据わっているようだ。



「縁様どうですか?」



 説明する間、筑紫の身体に触れていた縁へと楠木は目をむける。

 精神体とはいえ筑紫に直接触れる事で、その召喚術のかかり具合や構成を縁は読み取っていた。



「ふむ……やはりな。小娘が力任せにやりおった所為で通常の召喚よりも、『偽縁ぎえん』がより複雑強固に結びついておる。その所為で送還術式が発動せんようじゃ。しかも一部は『真縁しんえん』。それも強き良き物へと変化しておるぞ」



 楠木が説明する間に、反応を探っていた縁が小さく頷いてから手を離すと、自分の定位置である楠木の右肩へと戻ってくる。

 眉根を寄せるその表情はあまり芳しくない。

 


「すみません。偽縁とか真縁とは? お教え願えますか」



 見た目は人形のように小さく外見もまだ少女といえる縁に対して、筑紫亮介は礼節を弁え畏敬の念の籠もった言葉で尋ねた。

 縁が八百万の御柱。所謂神であると伝えてはあったが、どうやら筑紫亮介は楠木の説明を額面通りに受け止めているようだ。

 


「偽縁とは、お主をこの世界に縛り付ける鎖であり無理矢理につないだ物。真縁とは善悪を問わず相互の関係から自然と結ばれた物と思え。偽を斬り、斬れた真を結ぶことで妾達はお主を元の存在へと戻す事ができる。しかしこの世界で二年もの年月を過ごしたために偽縁が真縁。しかも良縁になっておる。お主がこの世界で周囲の者に恵まれた証ともいえる。じゃが皮肉なことにそれがお主の帰還の妨げとなっておる。偽縁とは無理矢理に繋げた物であり見極めるのは容易い。じゃが真縁となった物と、元からある真縁の見極めは極めて難しくなるのじゃ」



 友情や愛情といった正。

 憎しみ妬みの負。

 方向の違いはあれど、相互の結びつきが縁を形作る。

 当初はディアナによって結びつけられた偽物の縁も、この世界で過ごすうちに真なる縁へと変化を遂げていた。

 楠木達が一刻でも早く奪還をしようと急ぐのはこれが理由である。

 時間が経てば経つほど、召喚先の世界での結びつきは強くなり真縁と化し、逆に元の世界との縁は薄くなっていく。

 楠木がおこなう奪還とは元の正しき縁を紡ぎ直し一気に存在その物を元の状態へと戻す術。

 断ち紡ぐ対象が増え、さらに真偽入り交じれば難しくなるのは必然。

 

 

「『四心平常』だけだと、無理ですか?」 

   


「うむ。ちときついの……斬るべき真縁と繋げるべき真縁。残すべき真縁が複雑に絡み合っておる。見極めには集中が必要じゃ。その為には『平常心是道びょうじょうしんこれどう』の心構えでいくべきじゃな」

 


 神官にして担い手である楠木が、喜怒哀楽の四感情を均等とした状態である四心平常にする事で、縁を見、縁を斬り、縁を結ぶ力が発動する。

 通常の状態ならば四心平等で十二分な力となる。

 しかし筑紫の状態では、さらに上に存在する平常心是道の心構えが必要だと縁が断言する。

 平常心と呼ぶが、冷静沈着である事を意味するのが、平常心是道の心ではない。

 喜ぶべき時には喜び。

 怒るべき時には怒り。

 哀しむべき時には哀しみ。

 楽しむべき時には楽しむ。

 これが本来の人の心。

 己が感じるままに振る舞う事が自然な状態である。

 だが強き感情は時に人を惑わし進むべき道を見失わせる。

 強き感情を発しながらも、常たる己を見失わず、自然のままに心を任せる。

 神たる縁に同調し、より強い力を引き出すための、悟りとも言うべき心構え。

 己を突き動かす力の源流は、奪われた怒りと哀しみであることを楠木自身もよく判っている。

 だがそれだけではない。

 帰ってくると信じるから、絶望せずに再会の日を楽しみに待てる。

 いつか取り戻す日が来れば、無上の喜びとなる事を知っている。

 そんな未来を求め信じるからこそ、楠木勇也は怒哀に支配された修羅とならない。

 喜怒哀楽全てを併せ持つただの人として進むことができる。 

 

 

「判りました。やりますか……では筑紫先生。私達はこれから外に戻って先生の帰還のための準備を始めます。今日中には現世に戻れるようにいたしますが、何か問題はありますか?」



 四心平常だけならばさほど準備はいらないが、平等心是道となると精神集中のための時間も必要となり、何より縁より賜る力の桁が違う為に、力を暴走させないために幾つか準備が必要となる。

 半日ほど必要かと見積もって筑紫へと楠木が告げると筑紫が驚きの声をあげた。



「き、今日中…………そうですか」



 しかしそれは喜びから来る驚きの顔ではなかった。声と表情には何処か心残りがあると強く感じさせた。

 筑紫の現状。残された姉妹とその苦境。

 短時間ながら話した事でより精度高く推測できる筑紫の人柄と思考。

 それらを総合的に見て楠木は、筑紫は帰還を望んでいると確信している。



「筑紫先生。失礼ですが……ひょっとしてご帰還を望まれませんか?」



 だがあえて判りきっていた答えを楠木は問いかける。

召喚者がこの世界に対する心残りが強ければ、奪還儀式が失敗する可能性もあがる。

 不安要素は極力取り除いておきたい。それは楠木の本音だ。



「い、いえ。それはありません。ただ村の方々の今後やミオレイド君とディアナさんがどうなるのか気になりまして。私の召喚が違法行為ということですが、ディアナさん達にもいろいろ事情がありましたから」

 

 

 せっかく助けに来てくれたのに困惑する表情を浮かべて、楠木の気分を害させたと思ったのか筑紫がすまなそうに頭を下げる。



「こんな状態の私は知識しか提供することができませんが、だからこそミオレイド君やディアナさんに伝えてあげたい技術や経験がまだ残っているんです……でも娘達の為にも帰るべきだとは判ってはいます。しかしこちらの方が時間の流れが速いなら、もう少しだけとも…………まったく父親失格ですね」



(随分と人の良い親父さんだなこりゃ。そりゃ真縁にもなるわ)



 残してきた娘達と同じくらいディアナやミオレイド。そして村の人々が心配でしょうがないと顔に書いてある筑紫を見て楠木は心中で呟いた。

 筑紫亮介の医師としての経歴は、若い時分は薬も買えず満足な医療を受けれない最貧国へと赴き、結婚して帰国した後も過疎化が進み老人ばかりとなり病院もない限界集落へと赴任している。

 妻であり優菜達の実母が死去した後は子供達のために町医者となったが、その根は私よりも公の人。

 筑紫の目には、この年寄りばかりで錆びれ満足に治療も受けられない山奥の村がどう映ったかなど、容易に想像できる。

 おそらくこれがディアナの召喚に筑紫が呼応した最大の理由。

 召喚術とは元を正せば、どうにもならない。どうしようもない。追い込まれた者達があげる助けを求める声。

 そしてその助けに応じるだけの力と魂を持つ者達を結ぶ絆の術。

 助けを求めたディアナの声に、その力と心を持つ筑紫の魂が応え、召喚が成立したのだろう。

 


「そうですか……頭をあげてください。先生のお気持ちは判ります。そういう事情でしたら私共の方でも幾つか手を打ちますし、被害者である先生のお気持ちを最優先させていただきます」



「白々しい。既に幾つも策を弄しておる癖に。この偽善者が」


  

 筑紫に同情的な顔と声を浮かべた楠木を見て縁が舌打ちをして耳元でそっと愚痴るが無視して楠木は芝居を続ける。

   


「私の上役に相談してみます…………」



 筑紫がこういったことを言い出すと予想していた事はおくびにも見せず一気にペースを握ろうとするが、不意に響いたベルの音に語りを遮られる羽目になった。

 愛想も色気もない無骨なベル音が鳴っているのは楠木の上着ポケット。

 携帯電話型の端末がメールの着信を告げていた。



「すみません。ご説明の途中ですかちょっと席を外してもよろしいでしょうか?」



 しかも鳴っているのは最優先を告げる着信音。

 今のこのタイミングで届いたということは先に見るべきだろうと、楠木は筑紫に断りを入れる。



「え、えぇ。どうぞ。私も少し落ち着いて考えたいので……お茶でも入れてきますので」



 筑紫が立ち上がって奥に見える給湯室へと向かうと、楠木はポケットから携帯を取り出し開く。



「なぁ縁様。ここ精神世界だよな。普通メールなんて来るか? ……っていうか実は暇かあの人」



 この世界での姿形はあくまで楠木が持つ自分のイメージ。携帯型端末の本物は外の肉体と一緒にある。

 そんなイメージの産物にメールを送りつけるという無茶苦茶を軽くやってのける存在に楠木は一つ心当たりがあった。

 何でもできるというよりも、できないことはあるのかと思いたくなるほどの常識外の存在。

 メールの送り主は第三交差外路管理人である金瀬八菜だ。



「あやつめ見ておるな……あの道楽異神が。おそらくは玖木の娘の歓迎会が潰れたので新人監査という名目で鑑賞会を開いておるぞ」



 不愉快そうに眉を顰めると、やけに具体的な予測を縁があげる。

 あちらからいわせると数奇な運命に結ばれた同胞。

 縁からいわせると切っても切れない腐れ縁な疫病神件悪友。

 はたしていつから付き合いがあるのかは楠木も知らないが、相当長い付き合いで互いの思考や手の内はよく知っているらしい。



(万事つつがなく思うままに。追伸。明日そちらとの”時計合わせ”をやりますので正義の味方っぽく大団円で)



 八菜から届いたメールの本文は短い。

 要は好きにやれという指示で、むしろ軽い文章で書かれた追伸の方が内容は重大だ。

 相互交流条約。

 犯罪者引き渡し条約。

 世界改変力提供条約。

 一口に異世界同盟といってもその条約はそれぞれの世界事に結ばれその種類も多岐にわたる。

 その中で『時計合わせ』は、極めて世界への影響の大きな大条約の一つ。

 日本だけでなく世界各国の異世界関係各庁との会合や調整をおこなった上に結ばれ、また世界の根源に関わる技術的にも難しい大儀式。 

 本来メール一つで簡単に明日即実行とか伝えてくる類ではない。



「あの道化は…………文ですます内容か! この場におったら殴り倒してやるに! どれだけ苦労すると思っておる!」


 

 これが冗談やはったりの類ならまだいいがやるといったらやるそんなタイプだと知る縁が、右往左往させられる関係者達を哀れみ怒声をあげた。

 


「いやだからメールなんでしょ……でも”時計合わせ”有りか」



 筑紫の心配と村の事情。そしてディアナへと下されるであろう処分。懸案を全てを解決するための仮提案を楠木は頭の中でまとめていく。

 すべては筑紫亮介が戻りたい。戻っても大丈夫だと思わせる為の物。

 その為ならば世界の一つや二つくらい利用してやろう。

 策謀を張り巡らす楠木の口元に浮かんだ楽しげな笑みを見て縁は、どこが正義の味方だと抗議を込めて無言で楠木の耳を引っ張った。


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