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奪還篇 山奥の名医⑥

 ディアナはリドナーの言葉の意味が分からない。

 自分がリドナーを信頼していない?

 そんなわけがない。そんなはずがない。

 リドナーは顔も覚えていないほどに幼い時分で両親を失いひとりぼっちになってしまったディアナを、遠縁の娘だからと引き取ってくれた大恩人だ。

 リドナーの実の息子であるミオレイドとまったく変わらない無償の愛情を注ぎ、持ち合わせた力に歪み道を違えぬように厳しく叱って育ててくれた。

 リドナーがどれだけ大切に育ててくれたかは本人であるディアナが一番判っている。

 自分がリドナーを信用していないはずがない。そんなはずがないはずだ。

 だが……しかし……

 否定の言葉を心中で繰り返しながら自らのここ数年の行いを振りかえる度に、ディアナの顔は蒼白になる。

 否定しようとして思い出せば思い出すほどに、逆にリドナーの言葉が真実になる。

 リドナーを信じられないから、根も葉もない噂を信じた。

 リドナーを信じられないから、大好きなミオレイドと一緒に過ごす道は他にないと出奔した。

 リドナーを信じられないから、せっかくできた家族と引き離されたくないと力で抗って見せた。

 リドナーを信じられないから、自らの力のみでチクシリョウスケを帰そうと固執した。

 ディアナはリドナーに指摘される今の今まで自らの行動は、頭ごなしに命令してくる親に反抗したくなる子供気持ちの延長線上のような物だと思っていった。

 無意識に信じ込んでいた。

 だが違う。

 子にとって親とは、例えどれだけ離れていようと道を違えようと、心の奥底で繋がり信頼するべきはずの存在で無ければならない。

 自ら子を傷つけ殺すような親でもない限り、その関係は絶対に変わらない。

 リドナーはディアナを実の子と同様に育ててくれた。

 両親の顔も覚えていない自分にとってリドナーは実の親と変わらないはず。

 なのに心の奥底では信じ切れていなかった。



「自覚……しただろ。あたしも他の奴に指摘されるまで気づいてなかったけどさ。ディアナ。あんたはあたしのことを昔は様付け。正式に弟子にした後は師匠って呼んでた……『お母さん』って呼んでくれたことは一度もなかったね。あたし以上にファランに懐いてたけどずっとおじさんのまま。小っちゃいときからヒントは転がってた。気づけなかったあたしも間抜けだね」



 リドナーが皮肉気で自虐的な笑みを口元に微かに浮かべた。なんでこんな簡単な事に気づかなかったのだろうと。

 幼いディアナの僅かな示唆や言動から、聡いリドナーなら気づくことができたはずだ。

 

 

「あ……あたし……そ、そんなこと」



 自らが抱く不信感を自覚し、それでもディアナは否定しようとする。

 しかしその力ない声は震え青ざめた表情と輝きを失った石の目は、己が発する言葉を明確に否定し、やがては口も力を無くして止まる。

 心底から敬愛し、心の奥底で不信感を抱く。

 リドナーに対する矛盾したディアナの真の感情が無残にも姿を現し、恩人を疑ってしまう自分への嫌悪感が、姫桜によって打ちのめされていたディアナの精神をさらに奈落へと落としていた。

 無言となった両者の間を沢のせせらぎと木々の梢が風に揺らされて擦れ合う音が静かに通り過ぎる。

 ディアナとリドナー。

 養女と養母。

 弟子と師匠。

 男と駆け落ちした娘とその男の母。

 違法召喚者と管理者。

 過去は近しい存在であり今は相反する存在。

  


「あんたが気にする事じゃない。悪いのは全部あたしなんだよ」



 沈黙の均衡を破ったのはリドナーだった。

 リドナーの言葉はディアナを慰める優しさための物でない。

 硬く重く響く声は断罪者の物だ。



「あたしがあんたに抱いている負い目が物心ついてた頃のあんたにもばれてたんだろうね。だから信じてもらえなかっただろうね」



断罪するべきは自らの罪。

 下手をすればディアナとの全ての関係を失うかも知れない最後の手札をリドナーは開きはじめる。

 愛する娘と真の信頼関係を結ぶために。



「………………」



 リドナーの硬い表情に気圧されたのか、ディアナは黙ったまま不安げな表情でリドナーを見上げる。

 ディアナにはリドナーが負うべき負い目とは何か判らない。

 


「あんたが遠縁の娘だ。だから引き取ったって言ってきただろ。でも本当は、あたしとあんたは血なんて一滴もつながってない。正真正銘赤の他人なのさ」



「っ!? じ、じゃぁ…………や、やっぱり……あたしが聖人になれるかも知れないだけの力を持ってたから!?」



 リドナーの告白にディアナが悲痛な声をあげた。

 自分の価値は力だけ。力があったから引き取られただけ。

 悪意に満ちた噂が真実であったのか。

 幼き頃より噂を耳にし、聖人候補となった頃により聞こえてきた陰口に何度傷つけられただろう。

 寄る辺を失った絶望にディアナの心は捕らわれかける。



「それは否定しないよ。あんたには聖人になれるだけの器の持ち主だってのがあったから引き取ったのは間違いないからね…………でもねそれだけじゃ無いよ。あんたはあたしに……あたしとファランにとっての希望なんだよ」



 ディアナの言葉を肯定したリドナーだがその離別の言葉とも思える声とは裏腹に、岩風呂の縁に跪いてディアナの頬へと手を伸ばして優しく撫でる。

 温かく柔らかく優しい手はディアナにとって懐かしい手。

 寂しく不安な夜に泣くディアナを寝付くまで優しく抱きしめてくれた手。

 聖人である為に多忙な予定をこなしながらも、子供達のためにと手料理を作り続けてきてくれた手。

 ディアナが良いことをしたときは褒め、悪さをした時には叱ってくれた手。

 千の言葉よりも明確で確かな感触。

 リドナーの手が絶望の淵へと立つディアナを強く掴み引き戻す。


  

「私は聖人として義務を終えて異界からこっちに帰ってきて調子に乗っていた。自分はちゃんと義務を果たした。これからは押しも押されぬ聖人として勤めを果たしていける。異界で過ごしたことで十八才も年が離れちまった地味で老けた幼なじみより、もっと若くていい男を紹介してくれるって下世話な連中をぶっ飛ばす程度にね」

 


 リドナーとファランが同い年の幼なじみであったこと。

 しかしリドナーが聖人となり異界へと渡ったことで18才もの年齢差が開いてしまったことはディアナも知っている。

 下手すれば見た目だけなら親子ほどに離れてしまった両者は、それでも強い絆に結ばれた夫婦であることは側にいたディアナからすれば今更説明されるようなことでもない。

 本題へと入る前のワンクッションといったところだろう。。



「ミオも生まれて何もかも順風満帆って思っていた矢先に、大掛かりな違法召喚事件がこの世界で起きたのさ。攫われたのは山奥の村が丸々一つ。そこに住んでいた村人百人近くが一気に消えちまったんだ……聞いたことがないって顔をしてるね。そりゃ当然さ。あんまりに事が大きすぎたんで隠したからね。一つの村が山津波に飲まれて壊滅ってね」



「そ、それって!?」



 百人もの人々が異界へと攫われた話などディアナには聞き覚えが一切無い。

 そんな大事件が起きていたのならば、聖人候補であった時に過去の重要な事例としてディアナは教えられていたはずだ。

 一般市民だけでなく、やがては世界を管理するかも知れない聖人候補にすらも隠すほどの重大事件など聞いたことがない。

 しかし山津波に飲まれた村の話はよく知っている…………他ならぬリドナーより聞かされた話。

 


「そう……あんたが生まれた村だよ」



 自然災害によって壊滅した村で唯一生き残った幼児が、遠縁の聖人へと引き取られ、眠っていた才能を発揮し、やがて最年少の聖人へと到る。

 まるで御伽噺のような人生。

 それがディアナの知る自らの生い立ちだった。

 


「攫った連中の目的は終局を迎えた世界で自分達の皇子を生き残らせるため『最後の一人』。世界その物に存在昇華させること。目的達成のために連中は闇雲に、それこそ数万の世界と道を繋げてたくさんの人を攫っていった」



 世界が熱を失い終わるその瞬間。世界すらも上回る意志を手にする者は世界そのものとなり永久不滅にあり続ける。

 元世界が有す全ての力と能力そして記憶を持ってして。

 無量大数世界における上位存在。超高密度世界干渉力存在。所謂神と呼ばれる者達とは生まれは異なりながらも神と並び時に超える者。

 それが最後の一人。別名『異神』と呼ばれる者達である。

 

 

「攫われた連中は、その皇子を強大化させるために次々に食われていった。でも被害世界もただ指をくわえてこまねいてたわけじゃないさ。被害世界で連合を組んでその世界へと攻め入った。事態収拾と再召喚を防ぐためにあたしはカルネイドに残っていたが、ファランを筆頭に手練の魔導騎士達をあたしも派遣した。ただ相手も当然予測して対策済みでね。多世界でも名が轟く猛者共に封鎖されたポータルポイントと、優秀な術者が数百人集まっても破れないほどの結界によって強化された断絶壁に阻まれて進入もできない膠着状態で一進一退の攻防戦になったのさ。向こうからすりゃ時間稼ぎさえできればいいんだからあたし等の方が断然不利さね」



 ディアナにとって現実味のない話を淡々と語るリドナーだが、その顔に浮かぶ後悔と懺悔を含んだ悲痛な表情が真実だと嫌でもディアナに悟らせる。



「現地時間で三週間ほど経ったときに内側から結界が破壊されて事態が動いた。結界を破壊したのは、どうやって侵入不可世界に入ったのかは知らないけど偶然にもあんたがやられたクキの姫さん。侵入可能になったところで一気呵成に攻め落としたが時既に遅しってやつでね。召喚被害者は判明しただけでも三百万以上の生命体………………でも生き残ったのはたったの83人しかいなかったんだよ」



 リドナーが奥歯をぎりっと音が立つほどに強く噛み締める様は、無念と怒りを噛みつぶそうとしているようだ。

  

   

「そして生存者の中にカルネイドの住人が一人だけいた。それがあんたなんだよ。ディアナ…………本当にすまなかったね。あんたが一人になっちまったのは、あんたの両親や家族を救えなかったあたしの所為なんだからね」



「そ、そんな! そんなの、し、師匠の所為じゃないでしょ!? だって悪いのは攫った世界の人達でしょ!?」



 呆然としていたディアナだったが、リドナーの言葉に我に返り反論する。

 あまりに聞いていた話と違いすぎるので未だ自分の事とは思えない。だからこそある意味客観的に判断できる。

 今の話でリドナーに否はないはず。やれる事をやろうとしていたはずなのに。

 なのになぜそんなに後悔に負けそうな表情を浮かべるのか。



「異界との関わり合いを管理し異界の脅威から民を守るのが、四月の書の聖人であるあたしとファラン達配下の魔導騎士の役割さ。その観点からすれば大勢を攫われちまった段階で大失態。召喚者のほとんどを助け出すことすらできず死なせちまったなんて言い訳のしようもない罪だよ……あの時に打てた手の中じゃ精一杯だと今も思っている。だけど同じくらい後悔もしている。誰一人死なせず取り返せた手もあったんじゃないかって」



 ディアナは気づく。聖人が持つ重さ。そして自分が行った無断召喚が罪である理由を。

 人が健やかに生きていくために世界を管理し環境を整える。聖人の役割は突き詰めれば、全ては当たり前である日常を守るため。

 そして召喚とはその当たり前である日常から、無理矢理に一片をはぎ取る行為なのだと。


 

「でも………………後悔に潰される事は無いよ。あんたが生きてくれていたから。一人だけでも助けれた。だからあんたはあたしにとって希望なんだよ」



 ディアナの頬に添えていた手を首へと回したリドナーが自分の服が濡れるのもかまわずディアナの頭を胸へとそっと抱き寄せた。

 リドナーからどこか懐かしい匂いをディアナは感じる。

 それは記憶にもないほど昔の香り。

 自分の事情もリドナーの思いも知らず、物心もつかない無垢な幼い時代。

 無邪気に無意識に唯々何も考えずに、世界でもっとも安心できた場所の香り。

 

 

「……っぅ…………ひっく…………」



 リドナーの胸の中でディアナは小さく嗚咽を漏らし出す。

 自分が力があったから引き取られただけ。

 このままでは家族と引きはがされるのではないか。

 玖木姫桜という化け物によって与えられた心の傷。

 ディアナの心の中にあった不安が一気に和らいでいく。

 この人は……リドナーは……何があってもディアナを守ろうとしてくれると理解したから。

 


「悪かったね。こんな大事なことを黙っていて。あんたに信用してもらえなくて当然だよ」 


「っぅ!? ぅぅぅぅぅ!」」



 違う。リドナーが謝ることではない。信じ切れなかった自分が悪い。

 そう言いたくても言葉にならないディアナは、ただ必死に首を横に振ってリドナーの言葉を否定しようとした。












「あんたね……あの状態で身体を動かされたら風呂に落ちるに決まってるだろ」



 抱きしめていたディアナが首を振ったことでバランスを崩して風呂の中に落ちたリドナーは、服も濡れてしょうがないと開き直って今はディアナと肩を並べて一緒に湯船に浸かっていた。

 二人の服は既に汚れを除去して近くの木に掛けて温かい風を当てて乾かしている。

 服が乾くまでの間、裸体でいるのもアレなのでとリドナーは湯に浸かっていた。二人で入っても足を伸ばせるほどに広く作っていたファランにはとりあえず感謝と胸の中で謝辞を述べる。



「ご、ごめんなさい」



 伸び伸びと風呂につかっているリドナーとは対照的に、先ほどまで泣きじゃくっていたのが気恥ずかしいのか、横のディアナは顔を背け背を丸める。

 

 

「っふぅ。真っ昼間から風呂ってのは気持ちいいね。っとそうだ。放置しとくのも可哀想だね。ファラン! あんたも入るかい!?」



「ち、ちょっと待って、師匠!?」



 ゆっくりと伸びをしながら気持ちよさそうに身体を伸ばしたリドナーが、近くの大木の裏で見張りをしているファランに向かって、とんでもない事を言い出してディアナは慌てて振り向く。



「リドナー。余計な気を使うな」



 リドナーとディアナのやり取りの間もずっと気配を殺して沈黙を保っていたファランも、さすがに放置できなかったのか低い声で返事を返した。

 動揺する二人を尻目にリドナーは平然としたものだ。



「ん? ほらあたしのわだかまりは解けたけど、あんた等はまだみたいだからね」



 人の悪い笑顔を浮かべたリドナーが告げる。

 気を使ってやったとでも言いたげだが、ディアナ達の慌てふためく姿を見て楽しんでいるのは間違いない。



「わ、忘れてた。こういう人だった」



 最近の関係から失念していたが、リドナーの可愛がり方を思いだしてディアナはどんよりとする。

 ともかくからかうのが大好きなのだ。今日リドナーに見せたディアナの失態や弱みは一生物のネタにされるだろう。

 


「あたしが忙しいときはファランが小さい頃のあんたとミオを風呂に入れてたんだよ。今更何を恥ずかしがるんだい」



「だ、だっては、恥ずかしいし、それにおじさん……お、怒ってるでしょ」 



 父親代わりといえ男性であるファランと一緒に風呂はこの年にもなるとさすがに恥ずかしい。

 それ以前に先ほどファランに無視されたディアナとしては気まずいにもほどがある。

 下手すればリドナーよりもファランの方が怒っているかも知れないのに。



「怒る? あーさっきのあの態度かい。ないない。ありゃ気まずいだけだよ。だろあんた?」



 手を横に振ったリドナーが、判ってるんだよとファランの方へと声をかける。



「………………」



 しかしファランは今度は沈黙を保ったままで何も返事を返さない。

 返答なしと見切りを付けたのかリドナーはディアナへと向き直った。

 


「まったく。しょうがないね父親は。娘の事となるとからっきしさね」



「ど、どういうこと?」



 先ほどからのファランの態度は怒っているようにしかディアナには思えないのだが、リドナーから見ればまったく別の物に見えるようだ。

  

 

「ありゃあんたのこと目に入れても痛くないほどに可愛がってたからね。だけどあんたが出奔したときに叩いちまっただろ。あんたとミオがいなくなったのは自分の所為じゃないかってずっと気にしてたのさ。んでいざ目の前にしたら今度は嫌われているんじゃないかって不安で、どう話しかけていいのか判らずじまい。逆に女房のあたしの方は気にもしないんで苛立ってるってわけさ……まったくいい年した男が情けない」



 情けないというわりには、ファランの心情を暴露するリドナーは実に楽しげだ。

 しかもわざとファランに聞こえるか聞こえないかの小声で言っているところがまた性格が悪い。

 ファランからすれば何を吹き込んでいるのか気が気でもないだろう。



「じ、じゃあおじさん。あたしのこと嫌ってないの? こんなに迷惑掛けたのに」



「当たり前さ。この風呂だってそう。あたしは身体を拭ける程度の湯を沸かしといてもらうだけのつもりだったのに、こんな大層な物こしらえてるだろ。昔からあんたには甘いんだよ」



 何を当然と言わんばかりにリドナーがディアナも知らなかった昔話を暴露し始める。

 まだ小さかったミオレイドとディアナが初めて二人で街へと出かけたときに、心配で姿を隠してついていった話。

 同僚から娘が結婚して寂しくなったと愚痴を聞かされて、ディアナが誰かに嫁ぐ日を想像して一日中気を滅入らせていた日の話。

 なら息子であるミオレイドと結婚してくれればいいと思い、聖人になるであろうディアナにふさわしい伴侶となるようにミオレイドを鍛えようとして怪我をさせて、リドナーに怒鳴られた話。



「終いにはあんたが聖人として異界に赴くときに悪い虫がつかないか不安で、ミオが魔導騎士になれなくて無理なら、自分が護衛の長を務めるって言い張るんだよ。まったく親バカここに極まれりって所かね。ただあたしとしてもファランが付いていくなら、余計な心配はしなくていいから反対はしなかったけどね」



「でもそれじゃ師匠とおじさん。また離れ離れになっちゃってたのに」



 ディアナが聞いていた悪意有る噂。

 ディアナとミオレイドを引き離すために、リドナーが聖人の勤めを果たせと強要していたというのとは真逆の物。

 むしろディアナのために、リドナーとファランが離れる事になっていた。



「息子と娘二人が幸せになるためさ。親なんて踏み台で十分、まぁ、カルネイドは他の世界と比べて時の流れが速い世界だからね。あんた等は年齢が離れるかも知れないけどあたし等は逆に近付いたかもしれないね。爺の相手なんて勘弁だから丁度いいってね…………って、本当にもっと早くにあんたにいろいろ話しておけばって後々何度も思ったよ」

 

  

 笑いながらリドナーが最後にぽつりと呟いた。

 そうこれは仮定の話。

 ディアナが出奔せずに、聖人として義務を果たそうとしていれば有ったかも知れない今の話だ。

これから先どうなるか、ディアナには判らない。

 リドナー達はディアナを悪いようにはしないだろう。今は心の底から信じられる。

 だがあの玖木姫桜がどう動くか判らない。

 筑紫亮介を帰す気があっても帰せない状態にある以上、玖木の殲滅が現実で起こるかも知れない。

  


「まったくまだ不安かい。だからファランは怒ってないっての。うちの旦那はもしあたしが死んでミオがいなければ、あんたを後妻に迎えようとしかねないくらいにあんたのこと気に入ってるからね。まったく年下好きなロリコン旦那だよ」



 ディアナの不安を勘違いしたリドナーが冗談めかして溜息をついたとき、ファランが隠れている木の方でがさっと音がした。 

 











「いい加減にしろリドナー! 俺はそんな不純な気持ちでディアナを見た事などない!」


 

 リドナーの冗談とは判っていたが、さすがにたまりかねたファランは身を隠していた木の後ろから姿を現し怒声をあげた。

 姿を現したがディアナの方を直視しないように顔を背けているのが、ファランの性格でありディアナに対する気遣いだ。

 元々幼なじみとはいえ十八才も下になったリドナーと結婚した当初は、いろいろと言われたのが今でもトラウマとなっているファランの弱点を、当の本人であるリドナーが容赦なく突いてくる。

 


「はいよ。なら黙ってようかね。後はあんたにおまかせさね。言いたい事あるんだろ。あたしは先に上がってクスノキの所に行ってくるよ。痺れを切らせて姫さんが暴れ出したら目も当てられないからね」



 ファランをわざと怒らせて場に引っ張り出したリドナーは、後は我関せずとざばっと風呂から上がると、指を鳴らして身体に付いた水滴を文字へと変えて全てふるい落とした。

 


「っく。もうすこし時と場合を選べ。今でなくても良かっただろうが」



 仲を取り持とうとしてくれるのはありがたいがいくら何でも今はない。

 リドナーの目論見通りに引っ張り出されたファランは唇を噛む。

 いつも手玉に取られどうにも頭の上がらなかった幼なじみとの関係は夫婦になった今も変わらない。むしろ年齢を積み重ねる事に酷くなっているような気もする



「おじさん…………」



 リドナーから説明されても、やはり直接ファランからの言葉がなければ不安なのだろう。心細そうなディアナの声に、ファランは息を吐き出し一呼吸置いてから頭を下げる。



「すまなかった。あの時叩いてしまって。ディアナの不安をもっと察してやるべきだったのにな」   



「ううん。今ならおじさんがあの時怒った理由が分かるから……謝るのは勝手に召喚するなんて言って、実際にやっちゃったあたしの方。ごめんなさい」



「いやしかし。あの時のディアナは事情を知らなかっただろ。ちゃんと説明していなかった……」









(全部のわだかまりは解けたと。クスノキには感謝だね。でもやっぱり警戒すべきは姫様の方じゃなくてあっちかね)



 互いに謝りだしたファランとディアナを横目に、リドナーは服を着ながらこの先に打つ手を思案する。

 謳われる実力と異名から玖木姫桜が恐ろしいのは判っていたが、問題はその姫君を従えている男の方。

 楠木勇也にリドナーは脅威を感じていない。

 力という点では楠木は警戒するまでもなく弱いはず。肩に乗っている縁という神からもたいした力を感じない。

 しかしほんの数日でディアナの事情を調べ上げ、状況を予測し、もっとも効率的なえぐい手をつかって説得可能状況まで持っていた手腕を持っている。

 簡単に懐に入り、いつの間にやら主導権を握り、流れを支配する。悪知恵が回る性格の悪い男。

 楠木に対する評価からは警戒すべき男だと思うのだが、どうにも楠木にはそんな感情を抱けない。

 つまりリドナーは楠木を信頼しているのだ。出会って間もない異世界人を。

 異界を相手に交渉をする役割であるリドナーにそう思わせる手管が恐ろしい。

 そしてさらに恐ろしいのが楠木の方もリドナーを信頼しているということだ。

 違法召喚を起こした世界の召喚管理をする役割にあり、その違法召喚主であるディアナの師であるリドナーを。

 もしリドナー自身が同じ立場であれば、そのような人物を信頼し最後の詰めなど任せはしない。自分で最後までやろうとするだろう。

  


(まったくニホンって国は敵にしたくないね。あんな化け物共を抱え込んでいるんだから)



 姫さんと一緒にしないでくれと嫌がる楠木の顔を思い浮かべながら、リドナーは湯に浸かる。

 ディアナの話では召喚によって攫った筑紫亮介を返す気はあるが、筑紫自身の状態が一筋縄ではいかないようだ。

 帰したいけど帰せない。

 筑紫の状態がどれだけ難しい状況なのか、異界関連事項管理者であるリドナーには簡単に予想が付く。

 それは楠木達にも変わらないだろう

 現状では今は返還不可能と言われて楠木がどういう手に出るか、リドナーは読み切れずにいた。




















「まぁ何とかなると思うんで。だろ縁様?」



 大分待ちぼうけを食わされた楠木だったが、戻ってきたリドナーから話を聞いて特に問題なしだと頷いた。

 事が荒事ならともかく、奪還であるならば自らの専門分野。召喚者の送還不備程度でうろたえていては奪還者など名乗れない。



「ふん。できるじゃ。楠木。貴様は妾の力を疑っておるのか」



 もっとも肩の縁はそれも不満のようだ。

 できて当たり前。不安など微塵もないと強気な声で楠木の耳を引っ張った。



『思ったより軽いね。あんたら』



 まさかここまで簡単に問題なしと言われると思っていなかったリドナーが呆れかえっている。



「大丈夫ですよリドナーさん。楠木様と縁様は基準がおかしいので。私共が無理だと思ってもいつも何とかしてしまいます」



 リドナーの様子に姫桜はクスクスと笑いながら答える。こと奪還であれば楠木達に不可能はないとでもいいたげだ。

 もっとも姫桜の楠木達に対する信頼は虚構の物ではない。実際に目にし、自らも関わったからこその信頼だ。 



「じゃあとりあえず嬢ちゃんとファランの旦那と合流して村に行きましょうか。サボってないでそろそろ仕事しないと縁様に怒られますし、姫さんのご期待に応えなきゃいけないんでね」



 軽薄な口調で楠木は右肩の縁に向かってにやりと笑い、左肩に担いでいた竹刀袋を担ぎ直した。

      

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