追憶の平井川と大仏の沈黙
大学内の「ヘッペ探し」から逃れるように、如月京子はサオリと佐藤(仮)を連れて、西多摩の深淵・日の出町へと降り立った。
「わあぁ! 空が広い! キサキョン、ここが地元!? すごい、空気が美味しいね!」
サオリが武蔵引田の駅前で大きく伸びをする。その無邪気な笑顔に、京子のトゲトゲした心が一瞬だけ融解メルトした。
「……ふん。当然だ。ここは選ばれし者ローカルのみが踏み入ることを許された、隠れ里サンクチュアリだからな。……佐藤(仮)、貴様はどうだ。我が故郷の霊気エーテルに圧倒されているか?」
「日出る国の、大東京の、ここが中心!
「日の出町」だぞ。」(思い込み)
「……き。き。……。……うん。……匂う。……匂うね。……君。君だよ。キサキョン。……土。……草。……泥。……あと。……玉ねぎ。……うん。……ヘッペ。……ヘッペの。……ゆりかご。……揺れてる。……ギィ。……ギィ。……うん。」
佐藤(仮)は、駅前の封鎖されたロータリーを眺めながら、まるで**「知っていた場所」**を再確認するように、ゆっくりと首を傾げた。
三人は、“何もない”街をのんびりと歩き出した。
鹿野大仏を見上げ、「……ふん。この巨躯ビッグ・ボディの前では、SNSの炎上インフェルノなど、ちっぽけな火遊びスパークに過ぎんな」と強がる京子。
その後、彼らは平井川の河原へと向かった。
さらさらと流れる川音。冬の終わりの、冷たくも柔らかな風。
「ねえ、石、誰が一番遠くまで飛ばせるか勝負しよ!」
サオリが河原の石を拾い、勢いよく投げた。ポチャン、という音が響く。
京子も、無意識に石を手に取った。
(……ああ。そうだ。私は、ずっとこうしていたのだ。大学デビューなんて、茶髪なんて……本当は、この河原の石のように、ただそこに実存あるだけで良かったのではないか……?)
一瞬、擬態のメガネが曇った。
隣で、佐藤(仮)が水面を見つめたまま、独り言のように呟く。
「……石。……波紋。……広がる。……広がって。……消える。……うん。……君。君だよ。キサキョン。……今。……今だけ。……如月京子。……女子大生。……お散歩。……うん。……幸せ。……ハッピー。……ハピネス。……イズ。……ア。……ウォーム。……ガン。……ビートルズ。……うん。……でも。……もうすぐ。……日が。……日が、暮れる。……ね。」
「……佐藤(仮)。貴様、たまには風流ロマンなことでも言えんのか」
「……言ってる。言ってるよ。……終わり。……終わりの。……美学。……うん。……君。君だよ。キサキョン。……この。……この河原。……上流。……上流には。……うん。」
京子の心臓が、跳ねた。
佐藤(仮)の指差す先には、夕闇に溶け始めようとしている、あの**「日の出町のボロアパート」**の影が見えるような気がした。
「……あ。……あはは! さあ、そろそろ帰ろう! 寮の門限もあるしな!」
京子は、引きつった笑顔で二人を促した。
この時、京子は気づいていなかった。
サオリと笑い合い、佐藤(仮)の不気味な予言を聞き流しながら歩いたこの穏やかな道が、
「普通の女の子」として過ごした最後の休日になることを。
私は如月京子だ!枯葉に埋もれたままでいたかった玉ねぎの皮だ!!




