包囲網ネット・特定と季節の巡り
ヘッペ忽必烈の進撃は止まらなかった。
京子が放流する、かつて壁のシミにだけ捧げていた真理どくごりの数々。
• 【埃で作るダウンジャケット。……ふん。積もればそれは、防寒具アーマーへと昇華する。】
• 【ペヤングは二口で食え。三口目はもはや惰性ルーズだ。】
• 【枯葉に擬態する玉ねぎの皮。……貴様、剥がされた後の孤独プライドを考えたことはあるか。】
これらすべてが、乾いた砂に水が染み込むように、現代人の空虚な心にバズり散らかした。
「……ふん。世界が、ついに私の知性インテリジェンスに追いついたようだな」
講義室の片隅。京子は、茶髪の毛先を指で弄りながら、不敵な笑みを浮かべていた。
だが、その背後で、佐藤(仮)がスマホの画面を凝視したまま、不気味に呟いた。
「……き。きっききき。……キサキョン。さぁーあ。あのさーあ。……バレ。……あの。……うん。バレてる。バレてる感じが。そこはかとなくね。そこはかとなーい。……そんな感じで。来てる。来ちゃってる? ……うん。」
「……は? バレているだと? 何がだ」
「……噂。ルーム。……キャンパス。……『ヘッペ忽必烈』。……アイツら。アイツら、じゃない? ……あの。……変な。変な、三人組。……指。指差されてる。……見られてる。……見られてるのよ。僕たち。……うん。」
佐藤(仮)は、周囲の視線を敏感に、いや、もはや「知っていた」かのように察知していた。
「あはは! 佐藤くん、自意識過剰すぎだってばw」
サオリがいつものように、あっけらかんと笑い飛ばす。
「キサキョンがヘッペ様なんて、誰も思いもしないって! こんなに可愛い茶髪の女の子なんだよ? ギャップありすぎw」
だが。
京子の胸の奥で、不気味な心音が鳴り響いた。
(……待て。この感覚。……この、周囲の空気がじわじわと熱を帯び、自分の居場所が削り取られていくような、不快な感覚……)
「……まずい。……何だ、この。……すごく、デジャヴな感じがする。……私は、前にも。……前にも、こうして追い詰められたことが……?」
京子が自らの記憶の深淵アーカイブをまさぐろうとした時、隣の佐藤(仮)が、感情の消えた声で追い打ちをかけた。
「……バズ。バズり。……バズ・ライトイヤー。……もとい。……バズり。季節。……移ろいゆく。……移ろいゆくのよ。……巡る。……うん。……季節。季節外れの、靴下。……もうすぐ。……もうすぐね。……脱ぐ。脱ぐ時が、来る。……うん。」
佐藤(仮)の言葉は、まるで京子の擬態という名の仮面を、ゆっくりと剥がしていく指先のようだった。
「……何、を……言っている……」
「……ふん。バレているだと? 佐藤(仮)よ、貴様の眼球レンズは腐っているのか。……いいか、真の覇者ハーンは、疑念すらも光輝シャインで焼き尽くすのだ……!」
京子は、佐藤(仮)の不吉な予言を振り払うように、翌日、さらなる**「武装コーディネート」**を施して登校した。
いつもの地味なメガネをコンタクト(装着に1時間かかった)に変え、茶髪をさらに巻き、流行りの「シアー素材」とかいう透ける服を羽織る。
それはもはや擬態を超えた、**「過剰装飾デコレーション」**だった。
「お、おはよう……サオリ。……今日の私は、一段と……可憐キュートだろう?」
「ええっ!? キサキョン、今日どうしたの!? めっちゃ気合入ってるじゃん! モデルさんみたい!」
サオリが目を輝かせて飛びつく。京子は心の中で(勝った……!)とガッツポーズを決めた。
だが、背後から忍び寄る「佐藤(仮)」の声が、氷のように冷たく突き刺さる。
「……やりすぎ。やりすぎね。……君。君だよ。キサキョン。……盛り。盛りすぎ。……デコトラ。……一番星。……うん。……隠してる。……隠しきれない。……漏れてる。……ヘッペ。……ヘッペ臭。なにそれwヘッペ臭?ヤバいね……ぷんぷん。……うん。」
「なっ……! 貴様、私の芳香フローラルを何と心得る!!」
京子は必死に「女子大生」として振る舞った。
食堂では「パンケーキ食べたい……わね」と震える声で注文し、映え写真を撮るためにスマホを構える。
だが、その時。
隣のテーブルから、ヒソヒソという毒針ノイズが聞こえてきた。
「……ねえ、あのアカウント……『ヘッペ忽必烈』。最新のポスト、見た?」
「見た見た! 『埃で作るダウンジャケット』でしょ? あれ、絶対この学部のやつだって。文体がさ、ほら、あそこにいる……」
京子の心臓が、ドクンと跳ねた。
必死に巻いた髪が、冷や汗でしおれていく。
「……気のせいだ。……これは、集団幻覚エリュシオンだ。……私は、如月京子。……ただの、普通の、どこにでもいる……女子大生……」
京子は自分に言い聞かせるように、震える指でパンケーキにフォークを突き立てた。
その姿を、佐藤(仮)が慈悲あわれみに満ちた目で見つめている。
「……抗う。抗うね。……君。君だよ。キサキョン。……重い。重いのよ。……仮面。……鉄仮面。……デュマ。……うん。……もう。……もうすぐ。……割れる。……パリン。……ね。」
「……うるさい。……黙れ、佐藤(仮)……!! 私は……私は、まだ……!!」
京子の叫びは、華やかなカフェの喧騒にかき消された。
彼女が必死に守ろうとしている「擬態」という名の砂の城は、もう、足元から崩れ始めていた。
私は如月京子だ!京子なのに…ねぇ




