船内記録
「……お前、まだ怒ってんのかよ。」
地球へ戻る為に乗った貨物船の最後尾。
船体を伝う低い振動音だけが静寂を揺らしている。
E958は、腕を組んで端末を見やった。端末の方はと言うと、眉間に皺を寄せて顔を窓に向けていた。
端末の座っている椅子は、彼の状態をモニタリングできる機能が備わっている。
E958へ送られてきたデータは以上の通り。
【心拍数、発汗計測—―……状態:怒り】
原因は分かっていると、E958は自身の左腕を擦った。
前回の地球探査の途中で原住動物から狙われた端末を庇い、左腕パーツが破損したのだ。
それも内部のコードや欠落した部品はすっかり新調され、腕の光沢だけは新品のようだった。
「正直そろそろ替え時だったし、そこまで気にしなくても良いんだが?……まぁ金は確かにかかったけどな。」
排気口からわずかに音を立てて、肘をついた。
端末は、その答えに顔をE958に向けるが視線は下げたまま、口を開く。
「そうじゃない……。」と小さく首を振った。
「じゃあ、なんだよ。なんでお前は怒ってる?」
E958は手に顎を乗せて、観察するように端末を見た。
「……私の事は、庇わないでくれ。」
そう言いながら端末は顔を上げると、E958のカメラを見つめた。
「あくまで私はあなたの端末に過ぎない。あなたのパーツ修理費の10分の1のコストで作成される、ローコストなのが私の利点だ。そんなものを庇って怪我をしていたら――……資金の無駄遣いだ。」
端末は眉を寄せて服の端を握りしめた。
E958は顔を僅かに上げる。
「俺たちは完全に機能停止したら、緊急用ビーコンが出るからそれで回収されるんだわ。正直それ位破損させられた方が保険効くし、その方が良いんだけど……おっと話が反れたな。」
そう言いながら、座席に座り直すと再び腕を組んだ。
「俺たちの記憶はクラウド保存されているから、いくらでも回復できるわけ。けどお前らは違うだろ?基本血を流しすぎたら駄目。栄養・水分不足も駄目。病気は……治る場合もあるが最悪壊れる。」
E958は「あぁ」というと端末に向けて、軽く指を指した。
「お前らの場合は……死ぬって奴か?」
端末は僅かに目を開いた。
その様子からでも十分わかるように、モニタリング結果も困惑が伝えられた。
「……枝番2が壊れてから、人間に関するデータやら地球で発行された書籍データを色々と閲覧した。結果的に俺が理解できたことは、お前らは完全に壊れたら治らないって事だ。」
E958は両手の指を絡めて、目線を下げる。
「社の共有フォルダで端末作成会社とうちとの契約内容を確認したけどな。お前ら端末は俺らの知らない所で死んだらそのまま放置。星の環境リセット作業で死体ごと消えるんだってよ。」
「……私を含めたすべての端末たちは生まれた瞬間から、貴方たちとやるべき作業、使命、自分たちがどういう立場なのか知識として入っている。貴方の簡易感情プログラムを煩わせる事項ではない。」
E958を無機質な瞳で見据え、端末はまるで台本があるかのように言葉を紡いだ。
「瘴気を除去する作業をするために、人間らしい感情もこの身体には備わっている……だが、それを貴方に発露すれば人工とはいえ人間である私は新たな瘴気になるかもしれない。」
端末は胸元を強く握りしめた。服に皺が寄る。
「—―……貴方たちの邪魔をしたくない。だから、どうか道具でいさせてくれ。」
苦しそうなその表情に、息遣いに、言葉に――E958は処理遅延を起こした。
端末とのコミュニケーションツールとしてダウンロードする規定になっている簡易感情プログラムがその感情を理解できなかった。処理装置が熱を持ち始める。
E958は、黙って端末の様子を観察した。
排気口から冷却音が小さく鳴り始める。
しかし処理は終わらなかった。E958はその作業を一時保留にする。
「……わからない。なんでお前はそんな表情をする……?」
その言葉に端末は肩を落とし、唇を噛みしめて俯いてしまった。
発熱を抑えるためにモニタリング結果の受信を一時的に休止した。
おかげで数値的な観点で端末の感情は分からない。だが、E958は彼の表情から悲しんでいると推測した。
「お前の作成の度、俺の同行をしてくれる先輩がいるんだが知っているか?」
唐突な話題の変更に困惑しながら、端末は目をE958に向けた。
「……A840様、か?」
「そう、あの先輩元々向こうの内勤じゃなくて地球探査班なんだよ。欠員補充で俺はこっちに来たわけ。」
「それは、何故?」
E958は、端末の表情に変化があったことに少しだけ内部温度が下がったような感覚を覚えた。
「……先輩の探査に同行していた端末が、不慮の事故で意識不明。回復待ちなんだよ。」
「それは――……何故?その端末は破棄して新しいものを手配するべきでは?」
端末の予想通りの回答を聞きながら、E958は窓枠に肘をついた。
「そんなこととっくに上から打診は受けてる。だけど先輩はずっと断ってるよ。端末の稼働限界まで粘るんだとさ。」
「待った、私の作成の度に貴方に同行ということは……。」
「そう、もう10年ずっと待ってる。その端末との活動は確か30年くらいだったから、お前らの稼働限界の50年まで残り10年、ずうっと待つつもりみたいだぜ?」
端末は信じられないといった表情をした。
「なんで……そんな……。」
「—―……愛着、だってさ。確かにお前らは瘴気を片す道具かもしれないが、俺たち機械が根っからお前らを道具扱いしているなら、わざわざ端末保有条件に、簡易感情プログラムをダウンロード義務にしないっての。」
まるで人間の溜息のように、排気口から空気が漏れた。
「管理しやすいように端末は基本番号と枝番で管理はされているけど、俺たちは……――俺はお前の事をただの道具だとは思っちゃいない。そもそも簡易感情プログラムを「友人」で設定しているって伝えたろ。」
呆然としている端末を横目に見ながら、E958は窓の外に顔を向けた。
深い暗闇に細かい星が輝いている。
そして目的地である地球は、鈍行の貨物船だとしても残り1時間ほどだろうと予測できる程度には近づいていた。
「……俺たちと端末の決まり事で、“名前を付けない”ってのがあるのは知ってるか?」
そう尋ねながら窓の暗闇越しに端末を見つめる。端末は、もちろん。と頷いた。
「利用規約に記載があることは知識として――」
「お前を今日からノヴァと呼ぶ。」
端末は一瞬動きを止めて、E958を怪訝な顔で見つめた。
「今、名付けることは禁止されていると――」
「これは名前じゃない、愛称だ。先輩も勿論やっていた。」
E958はそう言いながら端末に向き直る。まっすぐ彼に焦点を合わせた。
「お前が道具でありたいと伝えてきたんだ。俺もお前を道具だとか人間とか以前に愛着を持っていると伝える。この愛称はその証明だ。」
「そんなの……屁理屈だ。」
端末は手で顔を覆いながら小さく呟いた。「そうだな。」とE958も軽く返答する。
手から顔を上げてE958を見つめた端末は口を開く。
「枝番1や2に愛称をつけた事はないのか?」
E958は、その質問の意図を理解できず暫く黙っていたが、やがて静かに首を横に振った。
端末は「……そうか。」と静かに言うと目を閉じた。
静寂が再び船内に広がる。発熱状態が落ち着き、アラームの受信を再開したE958に知らせが届いた。
【船内に水分を検知—―影響:小】
E958は慌てて顔を上げるが、検知された水分は目の前から観測した。
細かい水の粒がふわりと宙に浮かび、その一つ一つが地球の光を反射している。
「……ノヴァ、どうした?」
そう尋ねられた端末は目から水分をこぼしながら、窓に顔を向けると息を吐いた。
口元には微かに笑みがこぼれている。
「なんでもない。ただ、星が綺麗だと思ったんだ。」
E958は同じ方向を見る
青く光る星がそこにあった。
「—―あぁ、そうだな。」
感情を出さないようにしている人間とどんどん人間っぽくなっている機械




