プロローグ【リライト】
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リライトしました。
狼の顔をした男が、異形と喧騒に満ちた街の雑踏を歩いている。
牙が覗く口に紫煙をくゆらせ、灰色の毛並みと錆色の瞳が、夕闇に沈む通りと溶け合っていた。
長く伸ばした髪はひとつに束ねられ、歩みに合わせて尾のように揺れていた。
軍用のカーゴパンツに白シャツ。
羽織っているジャケットから覗くのは、肩から吊るしたサスペンダーと脇に下げた大型のリボルバーが収まる革製のホルスターが、この男が暴力が身近な世界の住人であることを語っている。
目的地に着いたのか、年季の入った重厚な木製ドアの前で止まる。
名残惜しげに煙を吐き出し、吸殻をぽとりと落として踏みつけてからドアをゆっくりと押し開け、地下へと続く薄暗い階段に足を進める。
階段を降りた先には、計算された暗さの照明が演出する格式を悟らせるバーだった。
壁に飾られる写真やアナログ盤や、邪魔にならない際に置かれたピアノも、この時代には珍しい”本物”しかない。
会話の邪魔にはならず、かと言って静かすぎない音量で、いつの時代から流れ続けているのか、色褪せないジャズの旋律が、空間にゆったりと漂っていた。
十人も入れば、満席になる店内で、狼顔の男は、迷いなくカウンターに腰を下ろす。
生身の人間がバーテンダーとしてグラスを拭く手を止めて、注文を促す。
「グレノズの13年をロック」
男の声は獣の唸りを連想させる低いバリトン。
バーテンダーは無言で頷くと、背後に並ぶ酒達が自らを誇り、選ばれる事を待っているかの様な棚から、一本を両手で迎え、丸く整形され灯りを返す氷が鎮座する曇りのないロックグラスへ注いでいく。
氷が琥珀色の海でくるりと回るのを眺めてから、くっと半分程流しこむ。
牙並ぶ口内と長い鼻で広がるスモーキーな香りを楽しみ、喉を鳴らす。
ゆっくりと下すグラスの中で、誇らしげにからん、と氷が鳴る。
「相変わらず、美味そうに呑むな。お前は」
隣の席に座る、どこか草臥れ、毛量はあるがまだらな白髪が目立ち、黒縁のメガネをかけた男が、親しさが滲む小さな笑顔で話しかける。
「やっぱりこれだろ。久しぶり、軍医」
狼顔は言葉と共に、残り僅かな琥珀色揺れるグラスを掲げ、草臥れた男が飲むビールジョッキとかつんと合わせ、男達は同時にぐっと飲み干した。
「いつ街に戻ってきたんだ?」
上品に無駄なく注がれたビールを片手に、草臥れた男ーードクターが話す。
「二ヶ月くらい前だな。色々準備が必要で、声掛けるのが遅くなった」
狼顔はそう言って、胸ポケットから名刺を取り出し、カウンターの上に置く。
「もっと早く呼べただろ」
口を尖らせながら名刺を取ったドクターが、黒縁眼鏡を上げてじろりと睨む。
「…”オオカミ探偵事務所”?」
「おぅ、探偵のオオカミだ。そう呼んでくれ」
にやりと獰猛に口角を上げて笑う狼顔の男ーーオオカミは、照れを隠す様にダブルで注がれた酒をくいっと多めに飲んだ。
ドクターとオオカミはそれから他愛も無い話を肴に小さく盛り上がる。
何杯目か、ドクターの顔がほんのり赤みを帯び、目が据わり始めた時、ぽつりと懐かしさの中に少しの罪悪感が混じった声で、溢す。
「…もう十年になるか」
半分程小さくなった氷をグラスを揺らして、回しながらオオカミが返す。
「あんたにこの顔にしてもらってから?それとも 死にかけの俺をあんたが助けてからか?」
「…私は職務を全うしただけさ。この十年で、私をドクターと呼ぶ人も、だいぶ減った」
「…まだ軍に?」
「こちとら、まだ軍に籍を置いてる。今じゃ“プロフェッサー”なんて呼ばれてるがな」
「へっ。ヤブ医者に乾杯」
グラスの中身を互いに空け、二つのグラスが、カウンターの木に乾いた音を落とす。
「この街に帰ってきたのは何年ぶりになる?」
「三年ぶり、になるな。旅をしながら色々学ばせてもらったよ」
「…彼女、フェリシアには?」
ドクターの一言。
オオカミの表情が曇る。
獣の顔に、ひどく人間らしい影が差した。
悲しみと寂しさ、そして、そんな自分を嗤うような眉の動きだけが、かすかに揺れていた。
「いや、帰ってきた時に寄ったが居なかった。…そこからは帰ってない」
「…臆病な仔犬ちゃんめ。まぁせっかく帰って来たんだ、折を見てちゃんとしろよ」
子を叱咤する親を彷彿とさせる優しさが乗った言葉に、オオカミは肩をすくめて返事として、席を立つ。
じゃあ、と声を掛けようとした時、あと一杯を注文したドクターが、思い出した顔でオオカミへ顔を向ける。
「そういえば最近、妙な噂を聞いたぞ」
「なんだよ。ついに宇宙人でも現れたか?飲み過ぎも程々にしとけよ」
「“笑顔が捨てられてた”ってよ」
オオカミの表情が硬くなり、眉がぴくりと動いた。
「……頭じゃなくて?」
「さあな。あくまで噂さ。ま、探偵稼業なら気をつけろよ」
「俺の首なら、誰かの家の壁にでも飾られてるだろうよ」
「その時は、泣きながら挨拶しに行ってやるから、安心しろ」
「うるせぇよ。またな、”ドクター”」
肩に軽く叩き、酔いを感じさせない足取りで階段を上がっていく後姿に向けていた笑顔をすっと潜め、硬く冷たい声で男は呟いた。
「——帰ってきたのか。馬鹿野郎が」
それは、静かに置かれたジョッキの泡と共に消えていった。
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