第3話 排除の論理
吾輩は散歩が好きである。
雨の日でないかぎり、隆が散歩に連れて行ってくれる。
四国に来た当初は早朝の散歩だった。家の周囲を一周する。途中、小学校の通学班と出会う。
「うわ、でっかい犬」
子供たちは驚いていた。遠巻きに見ている。
「盲導犬なんだよ。エヴァンって言うんだよ」
隆が紹介してくれた。通学班に付き添っているママさんやボランティアさんも、関心を示している。
翌日から子供たちは
「おはよう。エヴァン」
と声をかけてきた。
吾輩も元気な子供たちと会うのが楽しみになった。
家の裏に保育所がある。夕方など、保育所から帰る子供たちとたまに顔を合わす。小学生と違い、あの子たちは吾輩のシッポに興味を示す。
「シッポ、シッポ」
キャーキャー、騒いでいる。吾輩もサービスでシッポを振ってみせる。
子供たちはすぐ慣れてくれる。海外では動物の特性に早くから着目し、動物介在教育が行われてきた。中でも、我ら犬族は重要な役割を果たしている。
そういえば、吾輩の仲間には、キャリア・チェンジし、スクール・ドッグの道を歩むものもいる。補助犬以外にもセラピー・ドッグなどとして、ますます活躍の場が広がりそうだ。
哀しいことに、理想と現実にはギャップがある。
隆と買い物に出かけたことがあった。アルコール、つまり酒のアテか何かを買うつもりだったのだろう。
吾輩は軽快に歩いた。食料品店の自動ドアが開くと、前に店員が立っていた。
「何が欲しいの」
訊かれて、隆が答えた。
「サバの缶詰」
どうやら店のオーナーらしい。
「買ってきてあげるから、外で待っといて」
隆が盲導犬のことを説明している。
「分かってるの。でも、ウチはだめなの」
いくら言っても聞き入れない。
隆は何も買わなかった。
吾輩と隆はもと来た道をトボトボと歩いて帰った。
同じようなことが、ある観光地の売店でもあった。
お土産を買いに寄ると、レジ係が吾輩にいち早く気づいた。
「あー、犬は外に繋いでおいて」
レジ係は聞く耳を持たなかった。
近くの商店街で、隆がお好み焼き屋に寄ろうとした時もそうだった。
隆は例によって、不特定多数の人が出入りするところでは盲導犬の入店を断れないと説得にかかった。
「そんなことくらい分かってます。でも、ここは違うの」
店主は頑固一徹だった。話せば話すほど、けんか腰になっていた。
隆は昼食を家で取ることにし、タクシーで得って来た。
行きつけの飲み屋でさえ、隆が盲導犬ユーザーになったとたん、出入禁止にされた店があった。
「これからは、もう来んといてほしいの。お金はいいから、それ飲んだら帰って」
老店主は冷たく言い放った。
どうも店の看板を出すことに伴う、社会的責任の自覚に欠けるように見受けられる。
隆の亡兄の法事の帰り、一行が食堂に入ろうとした。ここでも断られた。隆の長女が散々掛け合った結果、カウンター席ならいいということになった。
やむなく、カウンターとテーブルの二手に分かれて座った。あれでは、せっかくの昼食が台無しだった。
食事を終えて外のトイレに行くと、中学二年の紗耶香ちゃんが噴き出した。
「ペットお断り ただし介助犬等を除く」
という貼り紙がしてあったらしい。
長女が店の本部にメールしていた。隆が一言。
「『ペットお断り ただし補助犬(盲導犬・介助犬・聴導犬)を除く』に訂正した方がいい、と伝えておいて」
もちろん、犬アレルギーなど難しい問題があることは吾輩も承知している。
この前、新しい歯科医院に同行した。とても歓待してもらい、吾輩は治療を受ける隆の横に控えていた。
後日、院長と歯科衛生士の目が腫れ、顔がむくんだ、と聞かされた。そもそも、アレルギー体質なのは分かっていたはずだ。吾輩たちが歯科医院に入ろうとした時、相談してもらえば、隆もドライバー役の奥さんも、何らかの対応策を考えただろうに。吾輩も心苦しかった。
二〇〇二年、身体障害者補助犬法が施行された。吾輩たちがやっと法的に認知されたものの、世間への浸透はいまだしの気がしてならない。
それでも、希望はある。
県では人権教育を推進していて、その講師を隆も委嘱されている。県下の小学校・中学校などに出かけ、隆の場合は視覚障害や盲導犬をテーマに話す。みんな真剣に聴いている。目の輝きがまったく違う。
「この子たちが大人になる頃には、日本の社会も変わっているだろうな」
吾輩は毎回、確信を持つ。
つらつら思うに、吾輩たち動物同様、人間も幼少期からの訓練、しつけ、教育が不可欠のようだ。
吾輩が四国に着任した頃、新型コロナが流行し始めていた。やがて、第何波・第何波と襲ってきた。ワクチン接種の大合唱が始まり、接種していない人間はまるで「非国民」扱いされた。
四国のある県では、感染者数が比較的少なかったことからか、県外ナンバーのクルマが入ってくるのをチェックしようという動きがあった。
県外者への警戒はエスカレートした。どこかで、誰かが目を光らせていた。このため、吾輩の近所でも、都会から息子や娘がクルマで帰るのを嫌がっていたものだ。
県外ナンバーに乗る県内在住者にも被害は及んだ。駐車場などで、クルマへのいたずらが相次いだのである。自衛のために発案されたのが「県内在住者です」のステッカーだった。クルマを離れる際、フロントガラスなどに貼っておこうという苦肉の「アイディア商品」だ。
吾輩はコロナの時ほど、人間社会のあやうさを感じたことはなかった。
あの騒動において、何がファクトで何がフェイクだったのか、感染症が小康状態にある今のうちに、徹底検証しておく必要がありそうだ。
これは、次世代に積み残してはならない課題だ。