第1話 初めまして
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」(夏目漱石『吾輩は猫である』・一九〇五年)
と鮮烈な文壇デビューを果たした猫がいた。前世紀の初めのことだ。
吾輩の場合は犬である。無名猫君と違って、れっきとした名前まで持っている。エヴァンという。
くだんの名無し猫君は薄暗いジメジメした場所で、ニャアニャア泣いていたらしい。今日で言うところの捨て猫だ。吾輩の場合は、関西のとある盲導犬訓練所で生まれた。ラブラドールレトリバーとゴールデンレトリバーのミックス犬で、ラブラドールの血が濃い。
きょうだいは六頭いた。生後二か月ほどでパピーウオーカーさん宅に預けられた。パピーとは仔犬のことを指す。仔猫には使わない。ここでは大事に育てられた。目に入れても痛くないというのは、決して大げさでないことを実感した。
一歳になって訓練所に戻った。
盲導犬としての本格的な訓練が始まった。散り散りになっていたきょうだいたちも集まって来た。みんな大きく、立派になっていた。
訓練はけっこうきつかった。盲導犬になるのは三頭に一頭と言われるので、決して楽な道のりではない。
で、残りの二頭はというと、たいていは家庭犬、つまり、お馴染みのペットとなる。
この仔たちは「キャリア・チェンジ犬」と称するらしい。素敵なネーミングだ。希望進路を変更した人間も、こんな風に言っていれば、劣等感をもたずに済んだものを。なんとも人間社会は無慈悲だ。
吾輩のきょうだいたちは、指導よろしきを得て、四頭が盲導犬になった。それはともかく、先を急ごう。
二歳の誕生日を前に、訓練士のクルマで四国に渡った。吾輩は血が騒いだ。いよいよデビューが近づいたのだ。
四国の山奥だった。行った先は壁に巨大なひまわりのモザイク画、庭に土管が立てられ、赤青黄色でペイントされていた。なんだか、わくわくするような住まいだった。
訓練士がガラガラと木製の引き戸を開けた。促され、はやる吾輩は思わず、室内に飛び込んでしまった。待っていたのは、七〇前の男性鍼灸師だった。
吾輩のユーザーは名前を小杉隆と言った。
奥地の村に生まれ、中学を卒業して都会に進学した。以来、都会生活が続き、三〇を前に、七歳下の同郷女性と結婚、一男三女をもうけた。独立開業し、ここまでは、順風満帆。典型的なサクセスストーリーだった。ところが、四〇で目の難病と診断され、失明宣告を受けた。
無理をして仕事を続けるも、限界がきたことを自覚し、四九の時にリハビリ施設に入り鍼灸師の免許を取った。真面目な人間に見えたらしく、患者さんにも恵まれた。
「このまま、関東の地に骨を埋めるのかなあ」
そんな気持ちになっていた折も折、東日本大震災が起きた。
居ても立ってもいられず、災害ボランティアに参加した。被災者を目の当たりにして、これまでの生き方に疑問を覚え、Uターンを決意したのだった。
四国には奥方と三女とで移住した。
生家は廃屋になっていた。旧市街地に土地を見つけ、同級生だった建築士が住居兼治療院を建ててくれた。名前を西山周司といい、一五年ほど前に関西からUターンしていた。
三人家族の田舎暮らしが始まった。それまで大家族だったので、急に寂しくなる。ところが、長女が孫娘を連れて後を追ってきた。
「看護学校に通って、資格を取りたい」
ということだった。
吾輩が小杉家の一員となった時には、孫娘の紗耶香ちゃんは小学三年になっていた。
二〇分ほど歩いて通学していた。過疎地では複式学級が多い中、なんとか単式学級だった。同学年は二人だけだった。隆の頃は一学年五〇人を超えていたというから、過疎化の進行に驚くばかりだ。
以上のようなことを、隆が訓練士と話していた。
吾輩には難しすぎる内容だった。退屈していた。しかし、初対面でもあり、無遠慮にあくびなどできない。吾輩もそれくらいの常識は、持ち合わせているつもりだ。
「じゃあ、ちょっと歩いてみましょうか」
訓練士の助け舟だった。
家の周囲を歩いた。隆の腰が引けている。白杖歩行していた視覚障害者は、まずこの速度に戸惑うとは聞いていた。吾輩は隆に気を遣って、ややスピードを緩めた。
「はい、いいですよ」
訓練士からOKが出た。
一〇日くらいして、生まれ故郷の訓練所で、三週間ほど合宿訓練に入った。
梅雨の季節だった。晴れ間を縫って、歩行訓練に出た。平らな道、デコボコ道、信号のある道などいろいろと歩く、バスや電車にも乗った。ショッピングセンター内も歩いた。
初夏の陽光を浴びながらアスファルト道を歩いた時には、訓練士も隆もきつそうだった。吾輩は人間以上に暑さに弱い。さすがに渇きを覚え、休憩所ではガブガブと喉を鳴らして水を飲んでいた。
吾輩と隆には小さな部屋があてがわれていた。
歩行訓練を終えて部屋に戻り、しばらく休憩すると吾輩の夕食だ。その後、隆たちは食堂に集まる。吾輩などは一気に平らげてしまうのに対し、人間は食事に長時間かける。文化の違いなのだろう。
外出先で何やら買い込んでいた。話の内容からして、アルコールと言う飲み物らしかった。
「前は、飲酒は禁止だったのですよ。まあ、今の時代、そんな固いことを言うのもなんですから」
と訓練士。規制緩和の波が訓練所にも押し寄せていた。
長時間、食堂で話し込んでいる。吾輩はひとり寂しく待つ毎日だった。よく毎晩、続くものだ。
アルコールというものは人間の顔を赤くし、気持ちも陽気にするらしい。
「エヴァン、お待たせ。遅くなってごめんね」
などと吾輩をハグする。明らかにハイになっている。これもアルコールの効用か。実に興味をそそられた。
訓練最終日の前日、昼にお別れカレーパーティが開かれた。この時ばかりは吾輩も出席を許された。
隆がお礼のあいさつで語ったことを記録しておく。まとまりのないスピーチではある。なにぶんにも、セールストークではなく、専門知識とテクニックで勝負する鍼灸師のようなので、そこは大目に見ていただきたい。
☆
私はエヴァンと因縁浅からぬものを感じています。
エヴァンは『新世紀 エヴァンゲリオン』にちなんだ名前と聞きます。名付け親は「勇者になってほしい」という願いを込めたのでしょう。
これは庵野秀明さんの作品です。庵野さんは『シン・ゴジラ』を監督していて、そこに俳優のOが出演しています。
Oは私の高校一年のクラスメイトです。名バイプレーヤー(脇役)とされていましたが、一昨年なくなりました。
若くして花開くも天寿を全うしないまま世を去ったOと違って、私は大器晩成型です。エヴァンという心強いパートナーを得ましたので。これからは過疎地の医療に貢献してまいりたいと考えています。
「なんや、小杉。お前、他人のふんどしで相撲を取りやがって」
Oの声が聞こえてきそうですので、このあたりでお礼の言葉とさせていただきます。
☆
吾輩たちは翌早朝、訓練士のクルマで訓練所を後にした。
お世話になったスタッフたちが見送ってくれた。隆が妙にしんみりしていた。根はそんなに悪い人間ではないようだ。
その日は雨だった。高速道路から見る街並みも、瀬戸の海も鼠色に煙っていた。吾輩は小雨の中を再び、小杉家の庭に降り立ったのだった。