5 勅命
「その顔を隠したお姿、首席紋章官殿ですかな? 帝国の闇を司るあなたが、このような祝賀の席に一体何用でしょう?」
祭壇の前までやって来た首席紋章官に、ルドルフが余裕の笑みを浮かべながら言った。
首席紋章官は、そんなルドルフを無視したまま、大司教に尋ねた。
「大司教よ、この両名の婚約の儀は、神の名の下に完結したか?」
「い、いえ。両名はそれぞれ神に婚約を誓いましたが、まだ指輪を填めておりませんので……」
それを聞いた首席紋章官は、小さく頷くと、クルリと参列者の方へ向いた。
面布に隠された顔で参列者を睥睨するかのように見回すと、首席紋章官は、手に持っていた羊皮紙の巻物を広げた。
巻物の表紙は深紫。金糸で帝国の紋章が装飾されていた。その意味するところを知る一部の大貴族が、息をのんだ。
首席紋章官が、静まり返る参列者に落ち着いた声で告げた。
「これより、皇帝陛下の勅命を申し伝える。奉勅伝宣、臣民悉く奉戴せよ」
「一同、謹聴!」
近衛兵の隊長が、首席紋章官に続き大声で号令をかけた。近衛兵が威儀を正し、参列者が慌てて直立不動の姿勢になった。
首席紋章官が、静かだがよく通る声で勅命を読み上げた。
「此度の公爵家及び男爵家の婚約の儀、公爵嫡男において婚姻意思欠缺の事実ありたるにつき、当該婚約は破棄せらるべし」
「なっ!?」
首席紋章官の後方で聞いていたルドルフが絶句した。勅命により、ルドルフとエマの婚約が強制的に破棄されたのだ。
ルドルフは、怒りのあまり、首席紋章官に背後から掴みかかろうとしたが、周りの近衛兵に阻まれた。
「ど、どういうことだ、首席紋章官! 俺に婚姻の意思がないだと? 何を根拠にそんなデタラメを……」
首席紋章官が後ろに振り返り、面布越しに静かに言った。
「この偽装婚約式の後、あなたは辺境伯令嬢との秘密の婚約式を行う予定ですよね?」
「ど、どこでそれを……」
「他の根拠も全て話しましょうか? 皇帝陛下に対する大逆の謗りを免れない陰謀の数々……ここで公にすれば、その全てが陛下の耳に入ってしまいますよ? まあ時間の問題でしょうが」
「あ、ああ……」
ルドルフが頭を抱え、その場に跪いた。そこに辺境伯令嬢が血相を変えて走り寄る。
「どういうことなの、ルドルフ! 私たちは一体どうなるの?!」
「うるさい! お前のせいだ! お前があちこちで俺との秘密の婚約を言い触らすから……」
「そんなこと言い触らしてないわよ! あなたが間抜けだから話が漏れたんでしょ?! 私は何も悪くない。あなたみたいな無能とは今日でお別れよ!」
「どちらが無能だ、この能無し女! こっちから願い下げだ!」
祭壇の前で薄汚く罵り合うルドルフと辺境伯令嬢。その横で呆然と立ち尽くしていたエマに、首席紋章官が小声で話し掛けた。
「向こうへ行こう、エマ。ここは君に相応しくない」
「え?!」
驚くエマの手を取り、首席紋章官は人だかりが出来始めた祭壇から離れ、大聖堂の隅、柱の陰に移動した。
† † †
「ギリギリになってしまってごめん、エマ。陛下への上奏に時間がかかってしまって」
「し、首席紋章官様??」
「あ、ごめん。これじゃ誰か分からないよね」
首席紋章官が、面布を外した。5年前の面影が残りつつ、凛々しく成長したアルベルトの顔がそこにあった。
「あ、アルベルト……」
エマの目から涙が溢れた。アルベルトがエマの体を抱き締めた。
「君が公爵家で受けた仕打ちは、全て知ってる。助けるのが遅くなってごめん、本当にごめん……」
アルベルトの体は震えていた。アルベルトの目から涙が流れ落ちた。
「アルベルト、ありがとう……本当にありがとう!」
エマは、アルベルトの背中に手を回し、ギュッと抱き付いた。華奢だが引き締まった背中。優しい温もり……
エマは声を押し殺し、アルベルトの胸の中で静かに泣いた。