3 不思議なお茶会
「これは相当大きなお屋敷だな……」
エマの父が感嘆の声を漏らした。
エマたちの乗った馬車が着いたのは、公爵家にも引けを取らない大きな館だった。広い庭園には、色とりどりの花が植えられていて、一年中、花を楽しめるようにしているようだった。
館の中に案内されたエマたちは、カーテンが締め切られた薄暗い部屋に通された。
部屋の中央には長テーブルがあり、テーブルの手前には蝋燭が置かれていたが、奥にはなく、部屋の向こうは暗くてよく見えない。テーブルの奥には、既に席に着いている人影が見えた。
服装からすると男性のようだが、暗くて顔は判然としなかった。
「申し訳ありません。我が主は皇帝陛下から首席紋章官を拝命しておりますゆえ、顔をお見せすることが出来ず……ご容赦くださいませ」
館の執事が深々と頭を下げた。「首席紋章官」の名を聞き、エマたちは息をのんだ。
首席紋章官は、紋章の授与や貴族の系譜を管理する帝国の高官だが、皇帝の密命により貴族の不祥事を秘密裏に調査し、爵位の剥奪等を皇帝に上奏する仕事もしているという噂があった。
……顔を見せられないということは、噂はやっぱり本当なのかな。
エマが緊張しながら両親とともにテーブルの手前の席に着くと、テーブルの向こうから声がした。若い男性の声だった。
「このような形でのおもてなしとなり恐縮です。先程のお詫びに、少しでもお茶を楽しんでいただければ幸いです」
その声はとても優しく、心が落ち着くように感じられた。エマが少しホッとしていると、テーブルにお茶と焼き菓子が用意された。
派手さはないが上品な茶器に、美味しそうなお茶と焼き菓子の香り。
薄暗がりの中、不思議なお茶会が始まった。
† † †
「そうだったのですか。公爵家との婚約の打ち合わせの帰りだったとは。皆様にお怪我がなく何よりでした」
エマの父から経緯を聞き、首席紋章官が申し訳なさそうに言った。
「いえいえ、こちらこそ首席紋章官様にお怪我がなくて良かったです。こうしてお茶会にまでお招きいただき光栄です」
エマの父がティーカップをテーブルに置くと、笑顔で応じた。
首席紋章官の判別としない顔が、エマの方を向いた。
「婚約者である公爵のご子息の為人はいかがでしたか?」
「あ、はい……公爵家のことをとても大事にされているお方かと……」
エマは言葉を選びながら答えた。
「そうですか……」
首席紋章官がポツリと呟いた。しばしの沈黙の後、首席紋章官が再び口を開いた。
「お茶はいかがでしたか? せっかくですので、最後に少し庭園を散歩しませんか?」
「素晴らしいティータイムでした。感謝申し上げます。それではご厚意に甘えて」
エマの父が応じ、一同が立ち上がった。
暗い部屋の奥から首席紋章官がこちらに歩いてきた。エマより少し背が高いくらいの小柄で華奢な体つき。顔は帝国の紋章が刺繍された面布で覆い隠されていた。
首席紋章官と館の執事に案内され、エマたちは美しい庭園を散策した。
しばらくすると、いつの間にかエマは首席紋章官と2人きりになっていた。
首席紋章官が、庭園に咲く一輪の花を指で優しく撫でながら、口を開いた。
「この度のご婚約、おめでとうございます」
「あ、いえ……」
首席紋章官の温かみのある声に、エマは思わず頭を下げた。
面布で隠された首席紋章官の顔が、エマの方を向いた。
「幸せになれそうですか?」
首席紋章官の優しく、そして真摯な声色に、エマはすぐに答えられなかった。
公爵の館でルドルフに言われた酷い言葉がエマの脳裏をよぎり、エマの目に涙が浮かんだ。
しかし、エマがルドルフと結婚しなければ、男爵家の未来はない。どんなに辛い未来が待っていようとも、結婚するしかない。
エマは、目から涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、首席紋章官の面布で覆われた顔を見つめた。
「我が男爵家のため、がんばります!」
エマはニッコリ笑ったが、我慢しきれず、一筋の涙が頬を伝った。
首席紋章官がハンカチを取り出すと、そっとエマの頬を拭った。
初めてなのに、初めてではないような、心が温かくなる感触。
不思議に思ったエマが首席紋章官に尋ねようとしたそのとき、エマの両親が執事と一緒にこちらへ歩いて来るのが見えた。
エマと両親は、首席紋章官に礼を言うと、馬車で宿へと向かった。
首席紋章官は、馬車から見えなくなるまで、館の門前でエマたちを見送っていた。