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モブもたくましく生きている

 一度にいろいろなことが起こりすぎて、すっかり目が冴えてしまったムギは、何度目かわからない寝返りを打った。

 宵闇がとっぷりと村の隅々まで覆って、人々が寝静まった頃、喉の渇きを覚えて部屋を出た。

 我慢できればそれでよかったが、どうにも落ち着かず、ムギは水を求めに階下へ向かった。


 フロントからこぼれる薄明かりが、階段を朧げに照らしている。微かに人の気配を感じたムギは、ほっとするような緊張するような複雑な心持ちで、静かに口を開いた。


「あの……」

「――っ!!」


 フロントにいた毛糸の帽子をかぶった女性が、ムギの呼び掛けに飛び上がって慄いた。その拍子に、座っていた椅子が倒れてしまう。

 激しい音とともに、腕の中で眠っていた赤子が身を揺すってむずがり出した。


「す、すみませんっ」


 ムギは声を抑えて弁明するが、赤子はもう火が点いたように泣き出してしまった。

 すると騒がしさに眠りを妨げられた宿泊客たちが、寝ぼけ眼をこすりこすり階段を降りてきた。

 女性は我が子をあやすよりも先に、帽子を目深に引っ張り直してから客に頭を下げた。


「快適な眠りを妨げて、申し訳ございません。申し訳ございませんっ」


 まるで許しを請うように頭を下げる彼女を咎める者は、誰もいなかった。あまりに必死なものだから、文句を言いたそうな顔をしていた者まで戸惑っているくらいだ。


 少しして、異変に気付いた宿の主人が奥から現れた。足元にはあの柴犬も付き添っている。

 主人は宿泊客らに朝食を一品増やす旨を伝えて詫びると、その場を和やかに収めてしまった。


 二階の扉が次々に閉まる音に、夫人はほっと胸を撫で下ろした。赤子も母の様子が落ち着いたのを感じ取ったのか、再び微睡み始めた。


「す、すみません……わたしが驚かせてしまったから」


 ムギは申し訳なくて、何度も頭を下げた。

 すると夫人も負けじと頭を下げる。


「いえっ、違うんです。お客様はちっとも悪くありません。わたしがぼんやりしていただけですから!」

「でも、もっと驚かさない声の掛け方があったかもしれません。すみません、すみません!」

「こちらこそ、すみません!」


 どちらが先に顔を上げるか、謝罪の根比べをしているかのようだ。

 ぺこぺことするあまり、夫人の目深にかぶった帽子が滑り落ちた。

 栗色の髪がこぼれ、頭頂部からぴょこりと小さな耳が顔を出す。音に敏感な様子の外側を向いた耳は、栗鼠(リス)のそれを彷彿とさせた。


 夫人は慌てて帽子を被り直したが、その怯えようが寧ろ、見間違いでないことを証明していた。

 彼女は、獣人だったのだ。

 夫人を庇うように、宿の主人はムギとの間に進み出た。


「驚かせてすみません。ご覧の通り、妻は獣人でして……いまは人目をはばかって暮らしています」


 ()()()、という言葉が正史が塗り替えられる前後を基準に語られていることは、ムギにも察せられた。


「ノルファリアは、我々のようなものには生きにくい場所になってしまいました。わたしたちは何もしていないのに。どうして……」


 夫人は青白い顔で、声を震わせる。顔を合わせた時からずっと怯えっぱなしだ。

 ムギは彼女になんと声をかけたらいいか分からない。それなのに沈黙が怖くて、余計なお世話と思いながらも口を開かずにいられなかった。


「む、村にお住まいの方々はご存知なんですか?」

「モルノの獣人は妻だけではありませんから……」


 男性はごくごく声を抑えてそう答えると、床につきそうなほど頭を下げた。


「ムギさん、どうかこのことは胸に秘めてくださいませんか。わたしたちは生まれ育った故郷で、静かに暮らしていたいだけなんです。お願いします」

「だ、大丈夫ですから……っ、頭を上げてください」


 ムギは彼らにかける言葉を失った。

 こんな時になんと言うのが正解かわからないのはムギにとって「いつも通り」だが、それだけではない。

 彼らの存在がどういうものか、履き違えていたことに気付いたのだ。


(わたしがいま、この世界に入り込んで物語を読んでいるのだとしたら……この人たちはきっと……モブだ)


 世界の輪郭を示すため、「はじまりの村」に配置された人員だ。

 彼らの名前を知らなくても、物語の進行に影響はない。村を出ればもう、その人生に関わることもない――それがモブという舞台装置だ。


 ムギは心のどこかで、モブになれば誰にも関心を持たれず、あらゆる責任から逃れられるような気がしていた。そんな存在になりたいと願っていた。

 だがそうではなかった。

 モブであろうと花形であろうと、彼らは確かにここに存在し、()()()()()。物語が次のフェーズに移行しても、彼らの生活はこの場所で続いていくのだ。


 そんな当たり前の現実にも目を背けていたことに気付いて、ムギはたまらなく恥ずかしくなった。


「あ、あのっ……わたし、わたしは……っ。異国から来たので、いまのノルファリアのことを、まだよく分かっていません……。でも、みんながみんな獣人さんを嫌っているわけではないと知って、少しほっとしました。わたしはマリエルとレックスの友愛の物語が、その……大好きだったので――」


 ムギはしどろもどろになりながら、どうにかこうにか想いを言葉にしようと頑張った。


「石像がないのは残念ですが……、このモルノ村の人間と獣人さんの絆が壊れずにいることを、とても嬉しく感じていますからっ……! だから絶対に言いふらしたりしません。心の中でお二人をずっと応援し続けます! だから……お名前を教えてくださいませんか」


 その他大勢のモブになりたい気持ちに変わりはない。

 創造主だからと、物語を書き換えるような大それたことをする気もないが、この世界を生きるものたちにもう少しだけ、真摯に向き合いたいとムギは思った。

 これがその第一歩だ。


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