おまけSS「じぶんであるくの」
木の葉が、ひらひらと降ってきた。
地面に伏せた彼の鼻先に、綺麗に二枚重なって、ちょこんと乗る。嗅覚を鈍らす葉っぱを、彼は鼻息で、ふんっと吹き飛ばした。
鼻先が引くつく。
樹影を揺らして吹き抜ける風に、しっとり濡れた土の匂いが混ざり始めたのを、彼は敏感に嗅ぎ分けた。
すっくと起き上がり、木の根元にお座りし直すと、樹上に鼻先を向ける。黒に赤茶と白の混じった巻尾は、地面を撫でるようにふりふり揺れる。
「ブランシェ、じきに雨が降り出す。もう帰ろう」
枝葉が、がさがさと返事をした。
ややあって、小さな女の子が幹を滑り降りてきた。風になびく黄金色の髪は、木陰に射す陽光を思わせる。
話すよりも歩き出すほうが早かった子供は、よっつになった今ではすっかり、木登りもお手のものだ。ちっとも怯えた様子がなく、楽しそうに着地まで華麗にこなした。
「お前の母さんが初めて木登りした時は、肝を冷やしたものだけどな」
あれはユカの実を採ろうとした時だったな、と語る彼に、ブランシェは握り拳を差し出した。小さな手のひらに、ぷちぷちとした食感が美味な、カランの実が握りしめられている。
「うえで、とったの。マムタにあげる」
「あのな、ブランシェ。何度言ったら覚えてくれるんだ。俺はマムートだ」
「はい、マムタ。これ、いちばんおいしいよ」
ブランシェは聞く耳持たずで、他のものより少し小ぶりな実を摘み上げ、マムートの口元に押し付ける。
マムートはやれやれと、温かなため息をついた。今日も、名前を正すのは無理そうだ。
「どうして、これがおいしいと思うんだ?」
「アリさんが、いっぱいのとこにあったの。アリさんは、あまくておいしいのみつけるの、じょうずでしょ?」
利発そうな眼差しをしたブランシェは、母譲りの思慮深そうな海色の瞳を輝かせ、マムートがカランの実を食べるのを待っている。
「ありがとう。後でお前の母さんと一緒に食べるよ。それより今は、早く帰ろう。雨がそこまで来てる」
「おとさまと、ににさま、だいじょぶかな?」
頭のてっぺんで元気に上向いていた耳が、しょんぼり伏せられてしまう。マムートは安心させるように、ブランシェの頬を舐めた。
「オルジュたちならきっと、もうとっくに雨雲に気付いて、帰り足だ。一人前の狩人は、天気だってちゃんと読んでる。お前の父さんがついているんだから、大丈夫さ」
「ほんと?」
「ああ、本当だ。さぁ、ブランシェ、急ごう。俺の背に乗れ」
小さい体を低くして、可愛い姫君に差し出すも、ブランシェは激しくいやいやした。
「や、なのー。じぶんで、あるくの」
そして、ずんずんと歩き出す。
ちょっと頑固なところも、母譲りだな――とマムートは再び柔らかな息を吐いた。
裏庭から続く森の、そう深くないところには敷石が敷かれ、子供でも安全に歩けるようになっている。真っ直ぐ行けば、じきに屋敷が見えてくるので、マムートも慌てて追いかけはしない。
程なく、裏庭に戻ったブランシェを出迎える温かな声がした。
「おかえり、ブランシェ」
ブランシェの母は、書き物をしていた手を止めて、柔らかな風合いの革の手帳を閉じる。
ゆったりと歩み寄り、娘を抱きしめた後、マムートを手招いた。
「今日もお守りをしてくれたのね。ありがとう、マメタ――」
《END》




