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わたしのあしで


「もしかして、ポーラちゃん……?」


 ふんわりとした服の袖口から覗く腕は、羽毛に覆われている。よく見たら、裸足の爪先は立派な蹴爪が生えた鳥の足だ。

 やっぱりそうだ。この子は、ユナのカポル騒動で出会った、セイレーンの子だ。


 あの時の切羽詰まった気配がなくなって、少しだけ背が伸びたように見える。それに、とても元気そう。ほっとしたような、温かな喜びが胸に広がってくる。

 でも、そう感じたのはわたしだけみたい。ポーラちゃんは、急に低い声を出した。


「……オマエ、なんでアタシの名前知ってる? アタシ、オマエ、知らない」

「えっ……」


 ムギだよ、と言いそうになって、ふと思った。今のわたしって、前のわたしと同じ姿なのかな?


 さっきまで溺れていた水辺に寄る。

 なるほど、ここは池だったみたい。空と山並みを写した水面は、天然の鏡のよう。わたしは水面に顔を寄せた。


 そこに映し出された姿は、自分だとはわかるけれど、初めて見る顔だった。


 池よりも深い、海の色をした青い瞳は、ちょっと前まで鏡で見ていたそれと変わりないし……。顔のパーツも、麦穂の乙女ムギとそんなに変わっていないと思う。

 だけど微妙に……絶妙に違う。鼻筋や頬の輪郭が、前のわたしより少し大人びているのかな。


 それに何より、髪の色……。

 晴れた空を映したような、鮮やかな水色じゃなくて、優しいミルクティベージュ。

 ぐっと落ち着いたというか、なんというか。現世のムギ――二十五歳の大津麦に寄せているような感じがする。


 エンシェンティアの中でも、かなり地味で、素朴な印象かもしれない。

 数ヶ月かかって見慣れた少女ムギの姿に、愛着がないと言ったら嘘になるけど。これはこれで、なんだかすごく落ち着く。


「おい、オマエ、何者だ」


 はっ、いけない。

 そうだよね。これじゃ、前に会ったムギとはわからないよね。ポーラちゃんにしたら、かなり不審者だ。


「えっとね……。少しだけ、ユナの町にいたことがあるんだけど、覚えてないかな?」

「知らない」

「そっかぁ、ちょっと寂しいなぁ……。でも、ポーラちゃんが元気そうで安心した。カーラちゃんは、今日は一緒じゃないの?」

「オマエ、カーラを心配してくれるのか?」


 妹さんの話題を振った途端、ポーラちゃんはぱっと顔を輝かせた。

 今は近くの村で、二人して働いていること。ポーラちゃんが外へ洗濯に来ている間、カーラちゃんは村で煮炊きのお手伝いをしているんだと教えてくれた。

 確かに、ポーラちゃんはシーツや衣類を畳んで大きな籠にしまっているところだ。池の周りには野花が咲く原っぱが広がっている。ほのかに甘くて、すっきりした香りがする。


「ここに干すと、いいニオイになるんだ」

「ふふ。そのお布団で寝たら、ぐっすり眠れそうだね」

「そうだ。うちの宿屋は、よく眠れるって評判だ。だって夜には、ポーラとカーラで歌っ……」


 ポーラちゃんは急に口を噤んで、誤魔化したいのか口笛を吹いた。……セイレーンっていうのは、内緒にしたいみたい。

 わたしが知らぬふりをしていると、ポーラちゃんはほっとした顔に戻った。


「それで、オマエ、こんなところで何してたんだ? すっぽんぽんで」

「えっと、いろいろあって……って、えっ!? すっぽんぽん!?」


 自分を見下ろしてみる。

 肌色だ! これっぽっちも布らしきものがない、添加物不使用、装備品ゼロの天然色だ!


 な、なんでこんな……はっ。まさか――。


「な、何も持たない、ありのままのわたしって、こういうことなんですか……」


 相変わらず曲解が過ぎる彼女は、きっと今も、どこかで笑っているんだろうな。もう、笑うしかないや。


「……っくしゅん!」

「これ、着てろ」

「わぁっ!」


 頭から布をかぶせられた。


「宿の寝巻き。何もないより、きっとマシ」

「あ、ありがとう……! だけど、わたし、一文なしで」

「だったら働いて返せ。宿のご主人、きっとそう言う。宿屋、猫の手も借りたいくらい忙しい。ポーラは鳥人(とりびと)だけど」

「ふふっ、そうだね。じゃあ、わたしも村まで一緒に行っていい?」

「ああ、こっち。ついてきて」


 立ちあがろうとしたら、全身が筋肉痛みたいにギシギシ言った。


「大丈夫か? ポーラ、オンナひとりくらいなら連れて飛べる。掴まれ」

「ううん、大丈夫。時間はかかるけど、自分の足で歩きたいの」

「そうか? なら、先に行ってるぞ。アレを目印に来て」


 ポーラちゃんが指差す先には、オレンジ色の三角屋根と大きな風車が見えた。

 風が渡る空には、虹色の光の帯がたなびいている。


 急ぐ旅じゃない。

 ひとつずつ越えていこう。

 その先に、会いたいひとたちが待っているから――。


 一歩一歩ゆっくりと――歓びを噛み締めるように、わたしはノルファリアの大地に踏み出した。










『麦穂の乙女はゆっくり歩く』  おわり




長い長い物語を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


日々ごまんと生まれ、消費されていくWeb小説へ、わたしなりの愛を込めて。


本編はここで一区切りとなりますが、ムギの物語はこれからも、ゆっくり続いていきます。

この後のモルノ村での出来事や、マムートたちのその後、再会については別の場所でひっそり書いていこうかなと。


そんなまどろっこしいのはいいから、結果だけ知りたい!という方のために、

いろいろ飛び越えた少し先の未来を、次ページにておまけS Sとして公開します。

ムギの未来を想像する一端として、お楽しみいただければ幸いです。


それでは、またいつか。

皆様のご多幸をお祈りいたします、ですの。



2025/07/18 川乃千鶴

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