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「ああ、つまらない――。結局、すべてを投げ出して、リタイアと来ましたか。わたしの退屈を払拭してくれるような人間は、いないのでしょうか」
微睡みから覚めない、ぼんやりとした頭に、相変わらず勝手なことばかり言う、あの人の声が響いた。
「まぁ、いいでしょう。次の転生者に期待しましょう」
カラン、カラン――。
大当たりの鐘の音がして、視界が拓ける。
全宇宙に祝福されて生まれてきたに違いない、完全無欠の美貌を纏った彼女が、わたしの前に現れた。
虹色の瞳が、少しだけ見開かれたように見えたのは、わたしがそうあってほしいと望んだからかしら。
「おやおや、これはどうしたことでしょうか」
驚くというよりも、おもしろがるような口ぶりだ。女神様に、まじまじと顔を覗き込まれた。
「わたしは確かに、あなたの魂を削除したはずですよ。消えた存在が、ここに来るのは不可能だというのに」
「それはきっと――」
もう鑑定眼は使えないけれど、あの瞬間に感じた幸福感が、胸にまだ残っている。
わたしは、確かな自信を持って言い切ることができた。
「女神様のルールを、わたしの幸運が上回ったんでしょう」
「まったく、してやられました。神のみぞ知る――などという言葉もあるのに、わたしの予想を裏切るとは」
「自分の生き方は、自分で決めるものですから」
女神様が虹色の瞳を、大きく見開く。
ああ、初めて見る表情かもしれない。退屈させない――なんて大見栄を切ってしまったぶん、少しほっとしてしまった自分に気付く。
やがて、苦笑にも呆れ顔にも見える顔で、女神様は肩をすくめ、仕切り直すような咳払いをした。
「それでは、お決まりのご挨拶といきましょうか。――わたしは変換の女神。あなたの死に際の後悔を、力にして授けましょう……おや?」
女神様の瞳がますます大きく開かれる。だけどさっきまでと違って、どこか爛々とした煌めきを宿し、長い睫毛をしばたたかせる。
「あなた、なんの後悔も持っていませんね。随分、さっぱりした顔をしています。それでは力を授けられませんよ?」
「はい、それで……――いいえ! それが欲しかったんです。何も持たない、ありのままのムギとして、もう一度みんなと出会うために」
「では、行きなさい。あなたの心の赴くままに」
空間が筒状に形を変え、あの日と同じ、脱出シューターの要領で、わたしの体を「あの世界」へと送り出す。
「ありがとうございました、女神様」
「こちらこそ。ムギ、最後にひとつ――。わたしを出し抜いたあなたに、祝福を授けましょう」
流れる星の海を振り返ると、女神様は一度だけ、優しく微笑んだように見えた。
困った時には強く願いなさい、と女神様はわたしに力の使い方を教えてくれる。
「時間を遡り、失敗をやり直す力です。あなたなら、間違いは起こさないでしょう」
「……いいえ、必要ありません」
わたしはもう、女神様を振り返らなかった。
「わたしのパソコンのバックスペースは壊れていて、上手に後戻りができないのは、慣れているんです」
人生も同じ。後戻りはできないから、紡ぎ続けるんだ。
失敗も後悔も抱いて、歩き続けよう。わたしの道を――。
***
「……ひぃぃぃぃいいやぁぁああ!!」
星々と一緒にどこまでも落ちていく体に、ふわりと温かな風を浴びたように感じたのも、束の間――。唐突に、叩きつけられるような衝撃が襲った。
激しく弾ける水音が一瞬だけ聞こえた後は、鼓膜を水圧で塞がれて、ごぽごぽとこもった音がするばかり。
どこか、水のある場所に落ちたんだ。飲まれるように、深く、深く沈んでいく――!
必死でもがいて、どうにかこうにか水上を目指すけど、わたしの足ってこんなに重かったっけ? 腕の力も、体力も、こんなに頼りなかったんだっけ!?
ま、まずい……。再転生数分にして、人生終了の予感が……。
だめだ、ムギ。ここで、弱気になったらいけない。
少し怖いけれど、目を開いて水中を確かめた。
手を伸ばした先に岸壁が見える、そこから水草も生えている。もう少し手を伸ばしたら、水草を頼りに上まで上がれるかもしれない。
あとちょっと。
もう少し――。夢中で水中を掻く。
でも、これ、進んでいるのか退がっているのか、わからない!
(だ、だめかも……)
息がもたない。
いよいよ絶望に苛まれた時、視界に誰かの手が飛び込んできた。
掻き分けられた水草が揺れて、いくつもの水泡が水面に上っていく。
そしてわたしも――。ふいに現れた手に、引っ張られ、とうとう甘い空気に触れることができた。
「ぷはっ……! はぁっ、はあっ……! い、生きてるっ……!?」
もうどこも動かせそうにないくらい、体の感覚が麻痺している。このまま眠ってしまえそうに、まぶたが重い……。
息をするだけで精一杯の、脆弱な体だけど、わたしらしくて愛おしい。
「た、助けてくださって、ありがとう、ございますっ……」
四肢を投げ出したままで申し訳ないけれど、助けてくれたひとに、どうにかお礼を伝えようと声を絞り出した。
ばさりと布を広げるような音がして、すぐそばに腰を下ろす気配がする。
「オマエ、こんなところで、何してるんだ?」
聞き覚えのある声だ。
はっとして、重たいまぶたをこじ開ける。お日様の眩しさに驚いて瞬きをした途端、髪から滴る雫が目に入って視界が滲んだ。
「大丈夫か?」
手拭いか何かで、優しく顔を拭いてくれる。
輪郭がぼんやりしているけど、わかる。この子は……あの子だ。




