ハッピーラスティングストーリー
一区切りがつき、ムギはマムートの背に乗って、王都の空を駆けた。
あちこちで瓦礫が山をなし、セリフィオラは数時間前とはすっかり変わってしまっていた。目を逸らしたくなる光景だったが、逃げ遅れた者がいないか、妖魔が残っていないか――ムギは必死に目を凝らした。
幸い、初動が速かったおかげで凄惨な事態には陥ってはいなかった。同じように、巡回していた騎士たちが、ムギに気付いて「心配いらない」と手を振ってくれた。
離宮の上を飛んでいると、街の様子を窺っていた住民たちが、門から雪崩のように飛び出してきた。
「麦穂の乙女様が……都を守ってくれたんだ!」
「万歳!」
「麦穂の乙女様、万歳!」
歓声が湧き上がる。
あっという間に、眼下には麦穂の乙女を崇める人だかりができてしまった。
ついには国王まで出てくるものだから、ムギも地上に降りるしかない。恐縮しながら喝采を浴びた。
「ムギ! あれが、そなたの言っていた結界か! なんと美しい魔法なのだ」
「お、お気に召していただけて、光栄です」
「あの結界があれば、エンシェンティアは安泰なのだな?」
「それは……」
ムギは言葉を詰まらせ、申し訳なさそうに懇願する。
「陛下、ご説明も兼ねて、わたしから住民の皆さんに、少しだけ思いを伝えてもいいでしょうか」
王はテオらを呼び寄せると、ムギの声が王都の端々にまで届くように命じた。
すうっと大きく息を吸い、ムギは声を張る。
「み、皆さん! 聞いてください!」
白石の舞台に立ったときと同じ緊張が蘇り、喉がかすれて声が裏返りそうだ。それでも、今はまだ逃げ出すわけにはいかない。彼らに、伝えなければならないことが残っていた。
期待に満ちた瞳で見つめてくる人々の顔を、ひとりひとり確かめるように眺めて、ムギは口を開く。
「王都を守り抜いたのは、わたしではありません!」
禍魂を鎮めたのは〈聴き手〉たちで、妖魔と戦ったのは勇敢な大勢の者たちだ。だからムギは、自分ばかりが、やれ救世主だ、英雄だともてはやされるのは、納得がいかない。
「わたしは、本当にたいしたことはしていないんです。空を見てください」
人々が天を仰ぐ。虹色の光の帯が、夕陽を受けて一層眩しく輝いた。
「あれには……精霊さんの暴走や、妖魔を抑えられるような力はありません。これからの皆さんの生活が、理不尽な脅威にさらされることのないように……。エンシェンティアに住まう命が、あるがままにいられるための、お守りです」
物語をなぞらない。ここからが、本当のエンシェンティアの黎明なのだ。
「ですが、結界は完全ではありません。魔法である以上、わたしが供給したぶんの魔力を使い切れば、いずれ消えてしまいます」
人々の顔に不安がよぎり、ざわつき始める。
「だから、皆さんにお願いがあるんです。時々でいいので、魔力を分けてくれませんか? あの光を見上げて、祈ってください。エンシェンティアが、末永く幸せであるように」
本当は、完璧な結界を作ることもできた。だが、ムギはあえてそれを選ばなかった。
ムギは続ける。言葉に、ありったけの願いを込めて――。
「皆さんの祈りが……、エンシェンティアを愛する気持ちが、あの光を輝かせ続けます。この世界を守っていくために必要なのは、英雄でも聖女でもありません。皆さん、おひとりおひとりなんです。まずはここ、ノルファリアから……。祈りが輪となり繋がることを願っています」
伝えたいことは、これですべてだ。言い切ったムギは、ほっと胸を撫で下ろす。
ムギの語りかけに、人々は静かに耳を傾けていた。その眼差しには、驚きと戸惑い、そしてじわりと滲む感動があった。すぐに飲み込めなくとも、誰もが胸の内で何かを感じ取っているようだ。
やがて、ひとりが胸に手を当て、そっと目を伏せる。それを皮切りに、またひとり、またひとりと、静かな祈りを捧げるように頷いた。
エンシェンティアをこれほど想う、心優しき乙女の心に応えたい――そんな想いが、空気に宿ってゆく。
そんな人々の反応を見て、ムギははっとした。
「あっ」
表情が一瞬にして引き締まる。肝心なことを、ひとつ言い忘れていた。
「あっ、あの、でも! 今はまず、暮らしを立て直すことが最優先で……! 魔力の供給は、ご自身の心が落ち着いてから、よく考えて決断してください。わたしに頼まれたからとか、そんなことは全然考えなくていいので!」
それはほとんど、獣人や妖獣たちに向けた言葉だった。
チャームの影響で、彼らはムギの望みをすぐにでも叶えたがってしまう。ムギの意志を反映せずに、彼ら自身の思いのあるがままに、行動を選択して欲しいと心から願った。
「えっと、その……わ、わたしからは以上です! ありがとうございました!」
深々と頭を下げ、ムギはあたふたとマムートの背によじ登る。目を合わせ、頷き合えば、マムートの体は風をまとって、軽やかに空を駆け上がった。
その場から逃げ出しておきながら、人々を振り返り律儀に頭を下げて、麦穂の乙女はどんどん遠ざかっていく。
その逃げ足の速さを、セリフィオラの民はしっかり目に焼き付けた。そして、新たな風説譚が生まれ、後世まで長く語り継がれたという――。




