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〈幕間〉


「ぬぁあにぃい……!? 麦穂の乙女の、正装を見繕えだとぉ……?」


 イローネの城に、地の底から這い上がるような、ローディスの声が響いた。

 王都から緊急招集がかかったヴァルド公爵に代わり、留守を預かっているところに、さる人物から協力を仰ぐ旨の報せが届いたのだ。

 わざわざ〈聴き手〉を使って知らせてくるほど、緊急の用件だ。心して読み進めていたのだが――。


「ぬぁぁあぜ、僕が麦穂の乙女などのた、め、に……! 貴重な時間を割かねばならんのだ!」


 ローディスにとっては気乗りのしない案件だったため、正直すぎる声が次から次へと漏れてしまう。

 ムギにかかずらって、妖獣たちのための時間を削られるなど、彼にしたら何より面白くない。絶対に取り合わないつもりで、淡い花の香りがする便りを事務机に伏せた。


 そのまま、へそを曲げてしまいそうな彼に、ジェゾはすかさず、もう一通の手紙を差し出す。もしもの時にはこれを――と、添えられていたものだ。

 ローディスは煩わしげに、封を切る。一通り目を通したら、突っ返すつもりか、おざなりに書面に目を滑らせた。


「こ、これは……! 差出人はワトゥマではないか……!」


 便箋には、これでもかと犬の足跡がスタンプされている。肉球の形、皺の入り方から、ローディスは即座にワトゥマのものだと判別した。

 二枚目、三枚目と、すべての便箋に目を通すと、彼は突然立ち上がった。


「ファムプールへ馬を出せ、すぐにだ! 王都へ向かわねばならん!」

「はっ、急ぎ手配いたします。しかし……失礼ながら、ローディス様。そちらの手紙には、なんと?」

「知りたいか? ふふん、そうか。そんなに知りたいのか。ならば、教えてやろう!」


 ローディスは寧ろ、聞いて欲しそうだ。ジェゾが聞き役に徹して先を促すと、得意げに胸を張る。声を整え、ワトゥマの肉球文字を読み上げてみせた。


『ムギ様とおそろいのお洋服が着たいですの!』


 ムギのことは、いざ知らず。されど、ワトゥマから直々のお願いとなったら、話が違う。

 こうしてローディスも、(きた)る日の準備に向け、喜んで身を投じることとなった。



 ***



「イローネから、良い返事が届きました」


 耳を澄ませていたテオが、傍らを見上げて柔らかく微笑んだ。ヴァルド公爵家からはすでに馬車が出され、明日の夕刻にはファムプールからセリフィオラへ着くという。


「そうか」


 ルーファスは、そうなることを見越していたかのように一言だけ返し、離宮の外門へ近づいた。番兵と少しやり取りをすると、すぐに踵を返して来た道を引き返す。

 すると背後で、こほん――と、咳払いが響いた。振り返ると、同行する羊頭のシュメルが、わざとらしく「失敬」などと前置きして、口を開く。


「お会いにならず、よろしいので?」


 口に出さずとも、誰を指しているのかは明白だ。ルーファスは耳先の毛束を敏感に揺らし、離宮の奥を見遣るように眼差しを向ける。


「待つ、と言ったからな。それに、麦穂の乙女は大事な儀式の準備中だろ? 集中を欠いたら悪いからな」

「何もわたしは、麦穂の乙女様に――とは申しておりませんが?」


 主人を食うようなすまし顔のシュメルに、ルーファスは肩をすくめる。


「まぁ、今回の件が落ち着いたら……、声くらい聞きに行くつもりではいるよ」


 どこか照れを孕みながらも、清々しい笑顔で彼は王都屋敷へと帰って行った。

 番兵の一人が、言伝を伝えるために宮殿の中へと向かう。すると、近くの生垣がガサガサと揺れ、小さな人影が飛び出した。

 大きなローブに葉っぱをたくさんつけたまま、軽快な足取りで番兵のあとをついていく。小さな背中には、藤色の髪が尻尾のようにるんるんと揺れていた。



 ***



 十日後、すべてに決着をつけるため――。

 ムギは、自分の力が及ばないところは、たくさんの人の手を借りた。おかげでムギ自身は、大事な魔法の練り上げに時間をかけられている。


 儀式の成功を祈り、杖を掲げるそばには、妖犬たちが片時も離れず寄り添っていた。時折り、視線を交わして微笑み合うと、胸に温かな思いが込み上げ、自然と力が漲った。


「少し休んだらどうだ?」

「ワトゥマ、おやつ持って来ますの!」


 マムートが気遣うや否や、ワトゥマはもう駆け出していた。ムギはふっと肩の力を抜き、杖を片付けて待った。

 すると、いくらもしないうちに、ワトゥマが戻ってくる足音があった。厨房へ向かったにしては早いので、マムートと顔を見合わせる。

 扉を押し開けて飛び戻ってきたワトゥマの背には、〈聴き手〉に扮したリリベルが乗っていた。

 彼女たちの後ろを、侍女たちが追いかけているのだが、一歩歩いては屈む不思議な動きをしている。どうやら、エプロンに葉っぱを拾い集めているようだ。


「ムギさんに差し入れです」


 リリベルが、小さな包みをムギに手渡す。ローブに葉っぱがたくさんついているのを見て、ムギは侍女たちにそっと頭を下げた。

 大通りにある人気の菓子店の包みだ。離宮の外に出られないはずのリリベルが、買いに行けるはずもない。ムギは不思議に思って、首を傾げた。


「誰か、いらしていたんですか?」


 リリベルは何も答えない。試すような含み笑いで見上げてくるので、ムギは包みをためつすがめつした。特に変わったところはないが、鼻を近づけてみたところ、砂糖の甘い香りの中に、ふわりと漂う花の香りに気がついた。

 固まった緊張がほどけるような、優しい気持ちがムギの胸を満たす。包みをそっと抱くと、まだほんのり温かいような気さえした。


「ガ……――グランツェル公爵様が、いらっしゃったんですね?」

「はいっ。庭の空気を吸わせてもらっていたら、鉢合わせそうになって、思わず隠れちゃいました。もう、ボクったらすっぴんなのにぃ、急な訪問は困りますよねぇ」


 そんなことを言っておどける。曰く付きの間柄ゆえ、さすがのリリベルも不用意な接触は避けたかったのが本音のようだ。


「それで、葉っぱだらけなんですね」


 ムギは小さく吹き出して、髪に絡んだ蔦の葉を取ってやる。


「お元気そうでしたか?」

「はい、健康的で野生味あるイケメンぶりが、天井知らずでした!」


 リリベルは、身振り手振りを混じえて、外門での様子を伝える。番兵から言付かった侍女が報告するよりも、もっと具体的かつ臨場感たっぷりだ。

 ムギが思わず口許を綻ばせると、リリベルはふと腕組みして小さく唸った。


「この戦いが終わったら……って、昔なら完全に死亡フラグでしたよねぇ」

「え、縁起でもないこと言わないでくださいっ……」

「でも逆にあからさますぎて、今どきは生存確定演出扱いですよね!」


 にかっと笑うリリベルに、ムギはほっとしたような、困ったような微笑みを返す。


 すべてがうまくいったら――。

 緊張で、手が震えそうだ。ムギは菓子の袋をしっかり抱き直して、祈るように空を仰いだ。






 〈幕間〉 終

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