重い扉はみんなで開く
翌朝早く、テオが再びムギのもとを訪れた。
今度はイスカではなく、より小さな〈聴き手〉を連れている。子供のようだ。
子供用に仕立てたりはしないのか、身の丈に合わないローブを纏っている。そのせいで、フードを被るというよりも、頭からフードに食われてしまっているように見えなくもない。
「ふふ、可愛い……」
ムギが思わず顔を綻ばせると、小さな〈聴き手〉は周囲の制止も聞かずに、テオのもとから飛び出した。
小さな爪先が、大きすぎるローブの裾を踏んづけて、つんのめる。ムギに抱き留められるまでの一連の動作は、流れるように自然だ。
子供は、まるで親にでも甘えるかのように、ムギに縋り付いた。
「ムギさぁん! 無事でよかったですぅ! もう会えないかと思いましたぁ!」
頬擦りした拍子に、真っ白なフードが落ちて、元聖女リリベルの姿が露わになった。
侍女らが引き剥がそうとしても、リリベルはムギにべったりくっついて、離れようとしない。禊ぎのために下働きに出ているというのに、すっかり主人に懐いてしまった子供を、完璧に演じていた。
テオが疲弊した顔で苦笑をこぼす。
「神殿で拝謁した姿とは、随分と印象が異なって驚きました」
彼がそう言うのも無理はない。
好奇心旺盛な性格ゆえに、〈道〉でも危うい瞬間が幾度もあり、離宮までの道すがらでさえ、ちょろちょろとして落ち着きがなかったという。
一応の保護者として、ムギは申し訳なくなる。
「す、すみません。無理なお願いでしたのに、ありがとうございました」
「いえいえ、わたしは何も。すべては陛下の寛大なお計らいと――、良きほうへ向かうよう、後押しくださったリュシアナ殿下のおかげです」
「リュシアナ様まで……。本当に、感謝してもしきれないほどの恩を、わたしは……」
深く頭を下げるムギを、テオは穏やかに見つめた。それから朗らかに、退室を告げる。
「では、わたしは少し……いいえ、多分に疲れましたので、一度下がりますね。謁見の時間には、お迎えに上がりますので、それまでどうぞごゆっくり」
テオが去っても、リリベルはムギに引っ付いたまま離れない。
それでムギは、侍女らにも部屋の外で控えてもらうよう頼んだ。幼い子の緊張を解くためと言えば、侍女らも素直に従ってくれた。リリベルの演技力の賜物である。
いつもの顔ぶれだけが残ったのを確かめると、リリベルもやっとムギから離れた。そして、いたずらっ子にお似合いの八重歯を覗かせて、強かに笑んだ。
「呼んでくれて、嬉しいです。それで、ボクに話って?」
ムギはこくりと頷き、決意の眼差しで向き直る。
「不躾だとはわかっていますが、蘭子さんもお願いできますか? お二人に――、水無月あやめ先生に、お話があるんです」
常ならぬムギの気迫に、リリベルは鳥肌が立つような高揚を覚えた。すぐさま、蘭子を〈もしもし〉で呼び寄せ、ムギの言葉に耳を傾けた。
***
ムギは、女神に会ったことと、自分が描くこれからの筋書きを、二人に話した。女神との対話で、ムギの計画が実現可能であると、確認が取れていることも併せて伝えた。
リリベルが、窺うようにスマートフォンを覗き込む。画面の向こうで、蘭子は黙り込んでいた。手にしたエナジードリンクのステイオンタブを、開けるでもなく爪で弾く。
カチッ、カチッ――と、乾いた音が、静かに時を刻む。しばらくして、蘭子はスチール缶の蓋を開けた。シュワっと炭酸が弾けるのと一緒に、押し出すような息を吐く。
『アタシは構わないよ。というか、賛成。躊躇わずに、やったらいいよ』
蘭子の返答に安心した様子で、リリベルもぱあっと顔を輝かせた。
「ボクも! 今からわくわくしてきました! すごいことを考えますね、ムギさん」
拒絶されることも覚悟していたのに、二人からは予想外に力強い後押しが返ってきた。これには、ムギのほうが戸惑ってしまった。
「ま、待ってください。本当に、いいんですか? 自分から言っておいて、おかしな話ですが……。わたしの思い描く未来が実現してしまったら、もうお二人は、水無月あやめとして活動できなくなるかもしれないのに……」
はっきりと口にした瞬間、想像が本当に現実となる実感が湧いて、ムギはぶるりと震えた。
「無名の……、それも今後、日の目を見ることもないわたしの空想を守るために……。お二人が築いてきた、水無月あやめの未来を取り上げると言っているんですよ?」
水無月あやめの作品を心待ちにしている、大勢のフォロワーのアイコンが頭をよぎる。ムギの決断は、自分のエゴのために、彼らから「推し」を奪う行為だ。
それに、水無月あやめを好きだったのは、ムギも同じ――。一瞬、決意が鈍りそうになった。
だが、当の〈水無月あやめ〉は画面越しに顔を見合わせて、あっけらかんと笑っている。
蘭子はエナジードリンクをごくりと飲んだ。口許を無造作に拭ってから、軽やかに口を開く。
『あのねぇ、ムギさん。そもそも水無月あやめは、悠里が事故にあった時点で、一度は活動終了を覚悟したんだよ』
当時の連載作品に区切りがついたら、筆を置くつもりでいたそうだ。
ところが、思わぬ形で相方の存命を知り、今日まで活動を続けてこられたのだと、蘭子は語る。
『だからさ、三年前のあの日から今日までは、本当なら有り得ないボーナスステージ。水無月あやめにとっての、チートなんだ』
「あはっ。cucuちゃんったら、ボクと同じようなこと言ってる」
リリベルの嬉々とした声を受けた蘭子の眼差しは、意外に思えるほど温かい。
『安心しな、ムギさん。アタシら自身に、清算する時が回って来たってだけだよ』
「そうそう。ボクたち、こんな特殊なユニットですから、いつでも跡を濁さず飛べるように、準備はしてあるんです」
ENaで抱えている連載作品は脱稿済みで、その他に長編数作のストックがあるという。水面下で進行中の商業契約も蘭子名義、書き下ろしSSまで入稿が済んでいるそうだ。
リリベルは自信満々に、大きなローブの袖を翼に見立てて、ぱたぱたとはためかせてみせた。
子供らしい愛らしさと、男気を感じる頼もしさのギャップに、ムギは思わず吹き出してしまう。笑えるのに泣けてきて、くぐもった声で礼を言うのが精一杯だ。
『で? それはいつやるつもり?』
「はい、えっと……。魔法が完成するまで、最短でも十日はかかる予定です。これから王様にご相談して、いろいろと準備をさせてもらうつもりですが……」
『十日か……』
蘭子は自身のスマートフォンと睨めっこして、しばし思案を巡らせた。やがて、思い切りをつけるように息を吐くと、こう切り出した。
『文芸マーケットって、知ってる?』
「行ったことはありませんが、プロアマ問わず参加できる、自作の小説や詩集の即売会……みたいなイベントですよね?」
『そう。その文マが十日後に開催される。……こめっこはそこに、例の小説の試し読みと番外編を出品するつもりらしいよ』
蘭子が掲げたスマートフォンの画面上には、こめっこ……オールミートからのイベントの告知が表示されている。
出品作品の概要に目を通し、ムギは愕然とした。
『◇◆文芸マーケットに参戦します!◆◇
……書き下ろし番外編では
マムートの幼少期のエピソードを初公開
秘密の場所に隠していた宝物が台風で流されてしまい、取り戻そうと焦った少年マムートは、増水した川に落ちてしまう。助けに入ったのは、父トゥルガ。
本編では勇ましいマムートの可愛らしい幼少期と、彼のアイデンティティを築いた、父子の絆を描く書き下ろしSSです!
◇◆作者本人が手渡しで販売いたします!◆◇
気軽にお声がけください(創作秘話など口を滑らせちゃうかも!)』
ひどく胸がざわつく。言葉が出ないとはこのことだ――怒りと悲しみが限界を超え、ムギは虚脱感さえ覚えた。
そのエピソードは、ムギが生み出したマメタと、切っても切り離せない一節だ――。今となっては、この世界のマムートとムギの絆を繋いでくれた、何重にも大切な話になっている。
がくりと肩を落とすと、マムートとワトゥマが心配そうに見上げてくる。彼らを安心させるように抱きしめることで、ムギは自分を慰めた。
『ムギさんが訴えないと言った以上、アタシにできることはないけど。文マには、行くつもりだよ。直接会って、こいつの真意を確かめたい。同じ世界でエンタメを提供する身として、どんな意図があるのか知っておきたい。……いいかな?』
蘭子の瞳の奥で、沸々と怒りが燃えている。それは彼女の、創作者としての誇りのように、ムギには見えた。
「……わたしも、知りたいです。すみません、蘭子さん。どうぞ、よろしくお願いします」
『ああ、アタシはアタシで勝手にやらせてもらう。あんたらはあんたらで頑張れ。理不尽に負けるな』
「誰に言ってるの、cucuちゃん。負けるわけないよ。こっちには創造主様がついてるんだから!」
リリベルの自信たっぷりな笑顔に、ムギは勇気をもらい、はにかみながら頷いた。
***
話がまとまったところで、ムギは一度、外の空気を吸いに表へ出た。
好奇心の塊のリリベルが、一緒に行きたいと言うものだと覚悟していたのだが、どうやら大人しく部屋に留まってくれるつもりらしい。蘭子と積もる話もあるのだろう。
自由に散策を許されたのは、離宮の内庭に限ってだが、それにしたって十分すぎるほどの広さがあった。
広大な敷地もさることながら、見応えのある植栽を眺めているだけでも、あっという間に時間が過ぎてしまう。庭園をぐるりと一周しようとしたら、王との謁見までに、とても間に合いそうもなかった。
それでも、気持ちを整えるには、これ以上ない場所だった。柔らかな風が草花を撫で、ムギの背中もそっと押してくれる。
前を向けばマムートが……、隣を見ればワトゥマが……、いつものように尻尾を振っていた。
(きっと、この話は、今しかできない――)
ムギは植え込みの陰に腰を下ろすと、そっと二頭を呼び寄せる。
「マメタ。わたあめちゃん」
妖犬たちは、すぐさまそばに寄ってきて、小首を傾げた。ムギの眼差しは、込み上げる愛しさを隠しきれない。
背を丸めるようにして、二頭に視線を合わせたムギは、ぽつりぽつりと口を開いた。
「これは賭けになるから……あまり人には言えないの。だから、二人にだけ話しておくね。……ううん。二人には、話しておきたいの」
言葉を選びながら、ゆっくりと、確かな意志をもってムギは続けた。
「わたしは一度、この世界を自分の手で消してしまった。それがずっと、どこかで後ろめたかった。だけど今、この世界と本気で向き合って、生き直すチャンスをもらったから、今度は自分の足で歩いてみたい……歩こうと思うの」
ムギの意志を尊重するように、二頭は大きく尻尾を振る。
「俺はどこまでも、ムギについていくぞ」
「ワトゥマもですの。ムギ様とずっと一緒ですの」
「ありがとう。二人に恥ずかしくないご主人様でいられるように、頑張るね。そのために、まずは十日後……。すべてがうまくいったら、わたしは――」
風が、ほんの少しだけ強く吹いた。揺れた草花のざわめきが、ムギの言葉を優しく包み込む。
その先を語る声は、もう風の中に消えていた。
最終話「(現時点でタイトル非公開)」に続く




