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声を掬いて、救い手となる


 薄氷(うすらい)が剥がれる、甲高い音が響いた。その刹那――。

 雨雲を裂いて、白い鳥が飛来した。いや、どうやら人間のようだ。真っ白なローブの裾とともに、緑がかった金の髪が翻る。

 羽根ペン型の杖に風を受け、舞い降りるその姿は、神の遣いさながらに神々しい。

 軽やかに降り立ち、すっと顔を上げたのは若い女だ。


「あ、あなたは――!」


 ムギと妖犬たちは、その顔に覚えがあった。何の因果か、初めて会ったのも、ちょうどこの場所だ。


「下がってください」


 〈聴き手〉のイスカは短く言い放ち、身の丈ほどもある杖を掲げた。ペン先を軽やかに動かして、宙にいくつもの円を描く。


 光の粒を纏って輝く輪は、重なり合って美しい紋様へと姿を変える。それは結界のひび割れたところから、水の中へ染み込むように滑り込んで行った。

 淡い光が、精霊の気配を静かに包み込む。すると、それまで暴れていた水の塊が、ぴたりと動きを止めた。

 イスカの手が、耳の高さに掲げられる。


『我らは〈大地の声を聴きしもの(ファリス・リオルー)〉の心を受け継ぎしもの。清き水の祖よ、静まりたまえ。鎮まりたまえ』


 精霊に届ける特別な言葉で、イスカが語りかけると、水がほのかな光を宿した。水の中を、まるで蛍が舞っているかのようだ。

 ムギは息をするのも忘れて、その光景を見つめていた。


「結界を解いてください」


 イスカの静謐な声に、ムギははっと我に返る。魔力を断つと、蜘蛛の巣のように張り巡らせた結界が、音もなくほどけた。

 水を閉じ込めていた、堅固な結界()も弾け飛ぶ。精霊の息吹が通う水は、まるで何事もなかった素振りで、時を遡るように山の奥へと帰っていった。


 そぼ降る雨の中、風の音に耳を澄ませるイスカの背中は、どこか寂しそうだった。

 兵たちの介抱をマムートたちに頼み、ムギは彼女にそっと声をかける。


「お、お久しぶりです、イスカさん。ファムプールでは、稀有なお力をお貸しくださり……、今もまた助けていただきました。ありがとうございました!」


 振り返ったイスカは、儚げな後ろ姿に反し、眉根を寄せて怒りをたたえた表情を隠そうともしなかった。


「わたしは、あなたを助けたつもりはありません。精霊の声に従ったまでです」


 つんとした声音には、少しだって親しみは込められていない。まだローディスのほうが、可愛げを感じられる。

 びくびくしながらも、ムギは折れずに向き合った。


「精霊に、何が起きているんですか?」

「我を忘れて、暴走しているのです。大地に淀んだ怨嗟や憎悪といった負の情念を取り込むと、精霊の気が乱れ、このような事態に陥ります」

「よくあることなんですか?」


 イスカの口ぶりが落ち着いていたため、ムギは悪気なく尋ねたのだが、紫色の瞳は途端にきつく吊り上がった。


「そうさせないために、わたしたちがいるんです」

「す、すみませんっ……」

「いえ……こちらこそ、失礼いたしました」


 ムギの無垢な瞳に、イスカは大人げなさを恥じる。気を落ち着かせるように、長く息を吐いた。


「精霊が暴走すること自体は、大地の自浄作用のようなもので、異常ではありません。ですが……」


 暴走するまでには兆候となる声があり、〈聴き手〉たちは鎮めの技で、未然に防いできたという。


「先程のものもそうですが、〈聴き手〉が後手に回ってしまうほど、暴走までの周期が早まっているのです。エンシェンティア全域で一斉に……だなんて、前代未聞です」

「そんな! すでに世界中で、こんなことが起きてしまっているんですか!?」


 重々しく、イスカが頷く。

 地面が割れ、家畜が飲まれた。木々に薙ぎ払われ、棲家を失くした。炎が一人で歩いている……など、そんな報告が各地から上がっているという。

 〈聴き手〉が総出で飛び回っても、精霊を鎮めるのは追いついていないそうだ。

 ある村では、妖魔を退治する感覚で異変を退けてしまった。すると井戸は涸れ、収穫を間近にした作物も、根から腐るように枯れてしまったという。


「どうしたらいいんでしょうか……」

「今後、何ができるのか――。その答えを、我々はあなたに問いたい」

「え?」

「わたしとともにおいでください。〈聴き手〉の頭領が、麦穂の乙女をお待ちです」





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