書き手
リリベルの追放から数日して、ノルファリア国王はセヴナールらの罪を正式に公表した。
リッシェル公爵家は取り潰しを免れなかったが、その一族の処遇については慎重な調査が進められている。
ノルファリアが真に豊かな国となるためには、思想を弾圧するのではなく、多様な価値観の中で調和を目指すことが重要だと、王太子ガレリウスらが強く訴えたという。
それと同時に、神殿内部の大規模な見直しが行われた。
幸いにも、アミゼルドらの目的を理解したうえで積極的に加担していた神官は、王都とリッシェル公爵領に属する神殿内のごく一部にとどまっていた。
その他の多くは、神殿長の威光に魅せられ、まるで神に仕えるように、彼の手足となっていただけだという。
信仰心が向かうべきものを見誤っていなかったか──その再確認を促すため、神学者らが主導となって、神官らの信仰姿勢と資質の再評価を進めている。
これらに伴い、『新訳ノルファリア正史』は、事実無根の虚構として回収・発禁処分となった。
一方で、まさしく『正史』であった元々の歴史書の再周知が急がれている。そちらは教育機関への働きかけなど、ヴァルド公爵家が中心となって取り組んでいるとのことだ。
とはいえ、獣人たちの信頼がすぐに取り戻せるわけではない。
一部の人間が明確な悪意をもって彼らを貶めたという事実は、容易に拭えるものではないからだ。
隣国ロアールとの関係修復に向けた調停には、グランツェル公爵家が名乗りを上げ、獣人と人間双方の和解に尽力しているという。
「ノルファリアは、これからが踏ん張りどころですね」
マッシュした赤栗芋を詰めたパイを切り分けて、ムギは食卓についた。テーブルの真ん中には、リュシアナからの〈手紙〉が一輪咲き誇る。
ムギの言葉に、余ったマッシュポテトを匙で頬張っていたリリベルが、神妙に頷き返した。カモミールとリコリスの香りがする茶で、芋の繊維をごくんと飲み込んでから、リリベルはほっと息をついた。
窓の外では、警備兵らの焚く篝火が揺れている。彼らもちょうど夕飯どきだ。
麦穂の乙女の警護任務にあたる兵たちは、ムギの動向と周囲の気配に目を光らせてはいるが、家の中にまで踏み込んでくることはない。監視ではなく、あくまで護衛――その一線を保ってくれる配慮を、ムギはありがたく思っていた。
長らくアミゼルドの監視のもとにあったリリベルは、特に自由を満喫しているふしがある。元々の性格に加えて、その居心地の良さからか、口数は誰よりも多かった。
「ボク、ここに来る前にリュシアナ様とお話する機会をいただきまして、例の草稿を翻訳してお見せしたんですけど」
「えっ。マリエルの手記原本という名の、あの……え、え、えっちな小説を……ですか!?」
えっちとはなんぞや、と妖犬たちが首を傾げるが、ムギは気付かなかったふりで、赤栗芋パイのワンテュール掛けを並べた。
鼻がひくつくや、妖犬たちは皿に向き合うのに夢中となり、それ以上追及されることはなかった。
「そ、それで……リュシアナ様はどんな反応を?」
「いやぁ、リュシアナ様には刺激が強かったようで、卒倒されちゃいまして。羊のお兄さんに、大目玉を喰らっちゃいましたよぉ」
「当然ですよ!」
監禁、束縛、執着、依存、偏愛――。
そんなタグだらけの作品を読ませて、ガレリウスとの関係に悪い影響を与えたらどうするのだと、ムギは要らぬ心配をしてしまう。
しかしリリベルはどこか誇らしげだ。
「目が覚めたリュシアナ様にも、きっちりお叱りを受けました!」
「な、なんで嬉しそうなんですか……」
「真っ直ぐに叱ってくれる人って、貴重じゃないですか。cucuちゃんも、ムギさんも、ボクにとって特別な存在なんですよ? まぁ……、cucuちゃんにはよく『お叱りが通じない』って言われますけど」
なんでかなぁ、と本気か冗談かわからない仕草で、リリベルは小首を傾げる。
蘭子に同情して頷きそうになるのを、ムギはぐっとこらえた。
ハーブティーの湯気を、ふうっと吹き消すように息を吐くと、リリベルは少し声の調子を落とした。
「それに……、リュシアナ様は怒るだけじゃなくて、心配もしてくれたんですよ」
「心配?」
「ボクみたいにいたいけで、天使と見紛うような可愛い子供が、何であんな話を書けたのかって。ありもしないリリベルの生い立ちを慮って、胸を痛めてくれたみたいで」
リリベルは珍しく、自嘲を滲ませて微笑む。
「ああ、このひと優しいな。すごく素敵だな。仲良くなりたいな――そう思うほどに、自覚したはずの罪悪感が、改めてちくちくと刺さってきます。ボク、本当に愚かなことをしてしまったんだなって……」
「これから……やり直せます。償いたいと思う気持ちは、きっと届くはずです」
「償い……かぁ。そう言えばリュシアナ様が、ボクの表現が好きだって仰ってくれました。過激描写がなければ、もっと読みたいとも。ロマンチックな物語を書いたら、喜んでくれるかな?」
ムギは今度こそ、何度も頷いた。
「そうですよ! 素敵な物語を書いて、エンシェンティアでも人気クリエイターになりましょう、リリベル先生! 混乱の渦中にある人々の心に寄り添えるような、温もりを持ったお話でお返しするんです!」
そんなことを思いついたのは、ムギ自身が水無月あやめの描くハッピーエンドを求めていたからかもしれない。
リリベルの瞳に、きらりと輝きが蘇る。
「でしたら、ムギさんのほうが適任じゃないですか。正史に伝わるマリエルとレックスの物語――あれはムギさんの原作なんですから、それをノルファリア向けに改めて書き起こしてはどうですか?」
蘭子経由でムギの原稿を読んだリリベルは、マリエルの物語はまさしく獣人たちとの「友愛」の象徴であると、自信たっぷりにムギの背中を押す。
しかしムギは、きっぱりと首を横に振った。
書きたくないわけではない。マリエルたちの魅力が、ムギの解釈通りに伝わったら嬉しいとも思う。だが……。
「わたしだったら――。正史が二転三転して何を信じたらいいか分からなくなっている時に、『これが本当のマリエルのお話です。めでたしめでたし』って言われても、またかなって疑いたくなっちゃうというか……。もうお腹いっぱいですって気持ちになるかもしれません」
そんなふうになったら、マリエルに申し訳が立たないと、ムギは苦笑する。
「だから、もうこれ以上――マリエルたちに手を加えちゃいけないと思うんです」
諦めではない。マリエルを愛してくれるノルファリアの民を信じて、ムギは静かに微笑み直した。
リリベルは、眩しいものを見るように目を細める。
「ムギさんは、本当に自分の作品を大切にしているんですね」
「うっ……。大人気の水無月あやめ先生を前に、ずぶの素人がお恥ずかしい限りです……」
「素敵なことですよ。そんなムギさんだから、どうしても確認しておきたいことがあります」
声の調子で、空気が変わったのを感じ取ったムギは、食べる手を止めて背筋を伸ばした。主人に倣い、妖犬たちも静かに座り直す。
リリベルはそれから口を開いた。
「現在進行形でネオンノベルズに、オールミートこと〈こめっこ〉が連載している小説……。あれと、今後どう向き合うつもりですか? ムギさんが盗作を訴えたいと言うなら、cucuちゃんも協力を惜しまないつもりでいます」
「……訴えられるんですか?」
「かなり厳しい条件にはなりますが」
リリベルは、なるべく穏やかに聞こえるような言葉を選んで、ひとつひとつムギに教え聞かせた。
創作における著作権は、文章表現そのものには適用されるが、物語のアイディアや構成、設定の類には保護が及びにくいこと――。
ムギの小説は現在ネット上に公開されておらず、こめっこの創作との類似点を、第三者の視点で公平に証明する手立てに乏しいこと――。
仮に訴えを起こしても、ムギのほうが「後出し」だと疑われる可能性は否定できないこと――。
「アカウントを消してしまったのは、悪手でしたね」
リリベルは語尾を濁すように言うが、それでも十分に重たいひと言だった。
「それでもムギさんが自分の創作を守りたいと願うなら、cucuちゃんは全力で動いてくれるはずです。どうしたいですか?」
「そうなったら……訴訟を起こすのは、わたしの父か母になりますよね?」
「そうですね。著作権は原則として相続人に継承されますから……。ムギさんの場合だと、ご両親が訴えを起こすのが自然です。cucuちゃんが訴える――のも不可能ではありませんが、ご両親から権利を譲渡、もしくは委任していただく必要がありますね」
ムギはしばらく何も言わずに、考え込んだ。
それから、躊躇うようにゆっくりと首を振った。
「父と母には、穏やかに暮らしていってほしいんです。もう心配はかけられません」
リリベルの表情が、わずかに曇った。
「じゃあ、酷なことを言いますけど、こめっこがこのまま連載を続けて、今後もしかしたら大ヒット作になって世に出ていくかもしれない……。それでも納得できるんですね?」
「できないかも……しれません」
どっちを選んでも、後悔する――いつものムギが首をもたげる。
「心情としては、とても、とても、とっても……! 悔しいし、悲しいですけど……! だけど……生まれ変わって、こうして悠里さんに出会わなければ知らないままだったことですし。わたしに選べる現実的な選択は、訴えられない――しかありません」
唇を噛みながらも、ムギに消沈した様子はなく、次に顔を上げた時、そこには微かな笑みが浮かんでいた。
「本当なら知らないはずだった事実を知れたことには、きっと意味があるはずです。女神様の言うように、人間の想像力が世界を創る糧になるなら……。こめっこさんのストーリーをなぞろうとするように、エンシェンティア側からも想像力で抵抗できないかな、って思うんです」
「えっと、つまり? ムギさんは何をするつもりですか?」
「何もしません。何もしませんけど、ここからノルファリアがハッピーエンドを迎える未来を、たくさんたくさん想像します」
かつて夢中で筆を執っていた時の高揚感が、少しずつ胸に蘇る。エンシェンティアの幸せを願うことにかけたら、ムギは誰よりも得意なのだ。
リリベルは困ったように笑う。
「わかりました。cucuちゃんには、明日伝えますね。とりあえず今夜一晩、もう一度よく考えてみてください。……それじゃあ、ご飯の続きにしましょうか!」
「ワトゥマ、おかわりですの!」
「俺もだ」
明るい声と温もりに支えられて、ムギもパイを口に運んだ。香ばしい甘さが、心を穏やかにしてくれる。
虫の声もない、静かな夜がゆっくり、ゆっくりと更けていった。




