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これから



 柔らかな陽が差す窓辺で、ムギはそっと目を開けた。


 足元ではマムートがもそりと起き出し、頭の上ではワトゥマがころりと寝返りを打つ。


 寝台の脇には、透き通った輝きを取り戻した杖と、ピポグリフの筆記具とが横たわり、ムギの目覚めを待っていた。

 ゆるりと起き出し、みんなで身支度を調える。


 ムギが留守にしていた二ヶ月の間、森の隠れ家はヴァルド家がしっかり管理してくれていた。居心地の良さにこだわった小さな家は、王都から戻ってすぐに、ムギを日常へと連れ戻してくれた。


「よし、今日も一日元気に行こうね。マメタ、わたあめちゃん」

「ああ」

「はいですの!」


 日課の散歩へ出かける前に、扉の内側に掛けたドライフラワーにムギは決まって微笑みかける。

 今は離れたかの人へ――、どうか健やかでありますようにと祈るとともに、自分自身も背中を押されるような思いで、扉を開いた。




最終章『モブになれなかった創造主』






 ヴァルド公爵が正式に後見人となり、ムギの生活は少々変わった。

 森に住まうことは許されたものの、当然ながら周囲に警備の兵が配された。麦穂の乙女の安全のみならず、引いては獣人の尊厳を守ることに繋がるため、ムギは甘んじて受け入れた。


「おはようございます、麦穂の乙女様!」

「本日は赤栗芋が収穫時を迎えております」


 庭先に出ると、数人の兵がきびきびと敬礼した。武装して居並ぶ姿こそ、ものものしくはあるが、普段はこうして何気ない言葉を交わしてくれる。隣人のような存在だと思えば、さほど怖いものではなかった。

 作物の様子を教えてくれた女性兵士に、ムギも明るく応える。


「ありがとうございます、フレンダさん。まずは、お散歩とお洗濯を済ませてしまおうと思います。それから収穫して、ご飯にしますね」

「はっ! でしたら、洗濯はわたくしどもがいたします!」


 すっかり水場が整えられて、いつでも家のそばで洗濯や水浴びができるようになった。それだけで随分助けられているのだが、彼らは何かとムギの世話を焼きたがる。

 毎度のことながら、ムギは笑顔で断った。


「皆さんは〈麦穂の乙女〉の警備に来たんですから、それ以上にお仕事を増やしたら、わたしが怒られちゃいますよ」

「そんなことはございません。ムギ様の身の安全を守りながら、お力添えするようにと――国王陛下並びにヴァルド公爵閣下より仰せつかっております!」

「でしたら、気が向いたらで結構ですので、わたしに護身術の稽古をつけてください」

「はぁ、稽古でございますか?」


 いつの日か、怠けていたなと笑われてしまわぬように――。ムギは小さく笑って、歩き出した。



 ***



 ムギの前を妖犬が行き、後を兵たちがついてくる。

 散歩に加わる顔ぶれは、彼らの他にもいた。

 木々を伝ってリスが、葉を掻き分けて野鼠に野兎が、仲間に入れてと言うようにムギの周りに集まる。

 ムギは彼らを受け入れて、しばし散歩を楽しむと、決まって「お家にお帰り」と伝えた。すると彼らは素直に森のそこかしこに姿を消す。

 そのすべての後ろ姿を見送って、ムギは困った顔をする。

 鑑定眼は、彼らが一様にチャームにかかっていることを、正直に教えてくれていた。


 ムギは今、無自覚に発動してしまうもふもふチャームを、制御するすべを探している。

 そのひとつとして試しているのが、自身に結界を張る方法だ。


 いろいろと試してみて、ムギの結界は以前よりもずっと強力になっているとわかった。外側からの攻撃を防ぐだけではなく、内側から叩いたくらいでは壊せず、魔法も貫通しない。使いようによっては、結界を張った対象を閉じ込める、檻としても代用できる。

 ならばチャームはどうかと、森の動物たちを相手に実験しているのだが、なかなか思うような成果は得られていない。


「うーん、内からも外からも遮蔽されてはいるんだけどなぁ……。息苦しくなったりしないのは、空気は通り抜けられるってことかな? そうすると、チャームはフェロモンのようなものってことになって……」


 ムギは腕組みして、考え込む。

 するとワトゥマが、しゅんとうなだれた。


「ワトゥマもお力になれたら、よかったんですけれども……」


 首元で、神殿から認定を受けた初級魔封術師の証が、きらりと光を放つ。


「魔封じは封印術ではなく、悪いものを遠ざける術だからな。ムギの力に効果がないのは、チャームが悪くないって証拠だ。そんなに気に病むなよ」


 つん、と鼻面を押し付けて励ましてくれるマムートの額を、ムギは微笑んで撫でた。

 心配をかけてごめんね、そう口からこぼれそうになるムギの手の平が、ふわふわとした毛に沈む。心地よい温もりに、本当に伝えたい気持ちが湧き上がり、言葉が自然と調えられていく。


「心配してくれて、ありがとう。でもね、大丈夫だよ。これはね、わたしがこれからもノルファリアで生きていくために、やらなくちゃいけないことで、やりたいことでもあるの」


 いつか何も持たないムギになって、会いにいくと誓った。

 ルーファスの隣に立つからには、もふもふチャームに限らず、女神に与えられた能力に頼らないで、自分で生きる力を身につけたい――。ムギはそう奮起していた。


「今の結界では、お互いに手を取ることもできないし、魔力の繊細な調整が必要なのかな? よし、いろいろ試してみよう!」


 もう一度、結界を張り直そうとするムギを、マムートが制する。


「今日はこのへんにしておけ。洗濯に芋掘り、やることは他にもあるだろ?」

「そうですの、ムギ様! お腹の虫が鳴いたら、力も湧きませんの。帰って、お芋掘りしましょう。ワトゥマ、穴掘り得意ですの!」

「お前が泥んこになったら、ムギの仕事が増えるじゃないか」


 くすりと笑って、ムギは肩の力を抜いた。


「そうだね、お腹も空いたし帰ろうか。ありがとう、マメタ、わたあめちゃん」


 展開しかけていた結界を、杖の珠に込める。何かあった時のために、少しずつ杖に魔法を貯めておくことにした。

 今のところ、珠に蓄えられているのは、守護魔法と回復魔法だ。

 マムートは攻撃魔法も込めろと勧めてくるが、万が一にも暴発したらと思うと恐ろしく、ムギは試す気にもなれない。炎の魔法なんて込めた日には、安心して眠れないことだろう。


 まだまだいろいろなことに自信が持てないムギではあるが、自分にはこれが合っている――。そう思える選択が、少しずつ増えてきた。

 大切なことを教えてくれた、小さくて大きな存在が、尻尾を振って前を行く。その後ろを歩きながら、穏やかな日々に幸福を噛み締めた。


 そのわずか、数分後。


 落ち葉を激しく踏み分けて駆け上がってくる、喧しい足音が森に響いた。

 山の中腹を警備している兵の一人が、慌てた様子でフレンダに駆け寄る。何かあったようだ。

 すぐにフレンダが伝言を引き継いで、ムギのもとへやって来た。


「麦穂の乙女様、大変です。聖女……いえ、もう聖女ではなく魔女でしょうか。ええと、とにかく元聖女が下に来て、ムギ様に面会を求めているそうです」

「ええっ!?」


 リリベルはセヴナールらとともに、いたずらに世を乱したとして投獄されているはずだが――。


「いかがいたしますか」

「い、行きます! 行って、直接お話ししたいです!」


 王太子妃の庭で別れたきり、声も聞けていなかった。どうしていたのか心配じゃないわけがない。

 フレンダも追い抜く勢いで、ムギは山道を駆け下った。



 ***



 登山道を塞ぐ兵士らの向こうに、街道に停まる行商隊の一団が見えた。

 簡素な仕立ての幌馬車は、この辺りの住民がよく使うものだ。馬車から降りて、兵とやり取りしている者たちも一様にそれらしい身なりをしている。

 しかし、体格や振る舞いに、隠し切れない軍人の気配を滲ませていた。


 聖女リリベルは今や大罪人。護送中に、民衆の心を騒がせぬための配慮がなされたのだろう。すると、彼らに四方を囲まれ、大人しくしている野良着の少女が、リリベルで間違いなさそうだ。

 ムギが一目散に駆けていくと、少女はすぐに足音を聞き分けて、ぴょこんと飛び跳ねた。


「ムギさん! ご無沙汰しています!」


 頭のてっぺんで無造作に結った藤色の髪が、尻尾のように元気に揺れる。初めて会った時の、神官見習いの姿を彷彿とさせる明るい笑顔に、ムギは呆気に取られながらも、少しほっとさせられた。


 ムギがそばに来るまで、リリベルは元気に手を振り続けた。

 目一杯に腕を伸ばしても、袖口からは指先がちらりと覗く程度にしか手が出てこない。そのだぼついた服は、兄弟のお下がりを着回している子供らしく()()()()()()()。この中で一番、変装をものにしているのはリリベルだった。


「お、お元気そうで何よりです……! 投獄されたと聞いて、心配していました……」

「それなんですけど、聞いてくださいよぉ」


 ささやかな声で、リリベルはムギに耳打ちする。


「僕ってば逮捕されるって聞いて、臭い飯がどんなものか楽しみにしていたんですけどね? ノルファリアの皆さんと来たら、禁錮というより謹慎のような扱いをしてくれて……。罪人とは思えない待遇でした。もう、本当に頭が上がりません…… あ、ご飯も普通に美味しかったです」

「そ、それはよかった……? あ、あの、でも、投獄中のリリベル様がどうしてこちらに……?」

「僕の判決が早々に下りまして、王都から追放されたんです」


 兵たちの手前、しゅんとうなだれた様子を演じてみせるが、目の奥には未体験の出来事に爛々と輝く活力が漲っていた。

 商人風の身なりをした部隊長が名乗り出て、ムギに一礼する。彼は、はきはきとした喋り方で、リリベルの言葉を継ぐように、書状を読み上げた。


「聖女リリベルは、セヴナール、アミゼルドの両名に利用されたものと判断され、酌量により減刑されました。王都より追放……及び、麦穂の乙女のもとで向こう十年の下働きが、王より命じられております」

「えええっ!? な、なんでそんな判決に!?」

「それはですねぇ。グランツェル公爵がお口添えくれたからなんです」


 リリベルの一言に、ムギはどきりと胸を鳴らす。


「麦穂の乙女のもとにいれば、どんな種族、大罪人であろうと、毒気を抜かれてしまうだろう――だそうです。ふふふっ、僕もムギさんはそういう人だと思っていますよ」

「グランツェル公爵様が……そんなことを……」

「今回のことで白紙になってしまいましたけど、僕……あの猫耳イケメン公爵になら、心まで女の子になって抱かれてもいいって思えました……」


 リリベルは白桃のような頬を薔薇色に染めて、もじもじと身を捩った。

 セリフィオラの空の下では、くだんの色男がぶるりと身震いしたに違いない。


「だ、だめです! か、解釈違いなので!」


 ムギの叫びで、木陰に隠れた動物たちが一斉に飛び上がった。

 そんな騒がしさの中、ムギの物語はひそやかに、新たな局面へと舵を切り出したのだった。


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