お忍びデート
いくつかの想定外こそあったものの、ムギはつつがなく謁見の間を辞した。
控えの間では、ナルスとヴィゴーが待っており、労うようにムギに上着を着せ掛けた。袖を通しながら、ムギはマムートたちを待つ。
数時間後には、王太子主催の夜会が予定されている。だがムギには、ヴァルド家の侍医より出席の見送りが言い渡されていた。
先日の一件で受けた心の傷が癒えぬうちに、夜会までは負担が大きかろうとの配慮である。
ほどなくして、ヴァルド家の一同とマムート、ワトゥマが控えの間へと戻ってきた。
夜会の準備に追われるヴァルド公爵に代わり、ローディスがムギを王都屋敷まで送り届けるという。
支度が調うや、ローディスとムギは護衛や妖獣たちを伴って、城の門を後にした。
◇ ◇ ◇
城門の外に出て、ムギがリリベルに会う際に利用していた船着場へと向かう。
王城と屋敷とを往復するには、わざわざ船着場を経由せずとも、城門から屋敷まで直通できる馬車のほうが効率的だ。それを押して船を選んだのには、理由があった。
馬の蹄音や車輪の揺れが近づくたび、ムギの脳裏に事故の記憶が蘇る。無意識に胸は苦しくなり、震えが止まらなくなってしまうのだ。
ところが、船着き場に到着してすぐ、櫂を握る船頭が慌てた様子でローディスに頭を下げた。
「たいへん申し訳ございません。不備がございまして、こちらの船はただいま点検中です。あいにく、代わりのものも出払っておりまして……」
「……ふん、ならば仕方がない。歩いて帰るぞ」
言うより早く、ローディスはすでに歩き出している。すぐさま、ナルスとヴィゴーも含めた護衛が周囲に展開した。
ムギも、置いていかれないよう後に続くも、少しばかり違和感を覚える。ローディスが文句の一つも言わないなんてことがあるだろうか。何か企みがありそうな予感がする――ムギは否が応にも疑り深くなっていた。
訝しむ気配を感じ取ったか、ローディスが振り返りもせずに言い放つ。
「ちょうどいいことに、今日で祭りも終わりだ。見納めながら歩くのもよかろう」
それは彼なりの気遣いなのか、それとも――。
測りかねながらムギが坂を下ったその先で、ローディスたちは忽然と姿を消した。収穫祭最終日の喧騒に溶けるように消えてしまい、ムギはぽつんと取り残される。マムートとワトゥマさえ、姿が見えない。
祭りの陽気なざわめきを間近に感じながら、ひとりぼっちの不安に右往左往していると――。
一人の男が、真っ直ぐにムギへ向かって歩いてきた。
幾分か、動きやすそうな衣服に装いを改めたルーファスだ。人混みに紛れるためか、ヒトの形を取っている。
彼は、少しわざとらしい仕草で優雅な一礼をした。
「これは麦穂の乙女様。ヴァルド家の御一行が、お探ししておりましたよ。わたしでよろしければ、お屋敷までお送りいたしましょう」
それでムギも合点がいった。
冷静に辺りを眺めてみれば、そこかしこに両家の護衛たちの息遣いが感じられる。きっとローディスや妖犬たちも、上手に隠れているに違いない。そしてムギの反応を楽しんだり、固唾を飲んで見守ったりしているのだ。
ムギの一番苦手なタイプのドッキリだ。
恥ずかしいやら、少し腹立たしいやら……。ムギが黙り込んでいると、ルーファスはその手を取って、にやりと笑んだ。
「ご体調が優れませんか? でしたら、抱えてお連れいたしましょうか」
「いっ、いいえ、けけけ結構ですっ……! 自分で歩きます!」
「それでこそ、俺の小鹿さんだ」
声の調子も、顔つきも、ほんの少し変わった。芝居じみた貴族の仮面を外し、森で親しんだ彼がそこにいる。
ムギはふっと息をついた。繋がれたままの手から、安心感がじわりと胸まで広がる。
「あの……」
「ああ、悪い。麦穂の乙女様相手に、気安かったな」
「そ、そうじゃなくて……。あのっ……」
解かれそうになる手を、ムギはぎゅっと握り返す。
長かった夏が終わり、セリフィオラに吹く風は秋の匂いを連れている。それなのに、ムギは耳まで熱いように感じた。
「わ、わたし……今日は王様にお会いして、とっても、とっても緊張して疲れています……っ。だから、ゆっくり歩いてもいいですか? その……はぐれないように――できたら、このまま……」
ルーファスは一瞬だけ、目を見開いた。けれど、それをすぐにやわらかな笑みに変えて、小さく頷く。
言葉はなく、どちらからともなく歩き出した。
互いに、繋いだ手を離そうともしなければ、強く握り返すこともない。足並みを合わせ、祭りの雰囲気に笑みを交わす。
そうしているうちに、だんだんと心もほぐれ、二人して屋台を冷やかしたり、催しに飛び入りで参加してみたりなどもした。
今だけは、身分も立場も忘れて、残り少ない収穫祭を目一杯楽しんだ。
やがて、夕刻も迫り始め、遠回りの帰り道にも先が見えてきた。
祭りの締めくくりに、中央広場で催される「夕べの輪舞」へと、見物客の足は向かう。皆、すでに踊り出したくてたまらなそうな、軽快な足取りだ。
それに逆らうように、ムギたちはゆっくりと歩いた。
もう少し――、あとわずかな時を、繋いだ手の中に留めていたい。
どちらが願ったわけでもなく、ふと足を止めると、ちょうどそこは花売りの出店の前だった。売り子の男が、最後の書き入れ時とばかりに声を張り上げる。
「さあさ、皆様! 夕べの輪舞のお相手に、お花のご用意はお済みですか? さあ、どうぞ。お手に取ってご覧ください!」
小さな花束や、コサージュにアレンジした花々が並ぶ。彩り豊かな店に、ムギの目も自然と惹きつけられた。
売り子は大喜びで、ムギに商品を売り込む。
「いかがでしょうか。こちらの淡い桃色の花など、可憐なお嬢様にお似合いですよ」
髪飾りに仕立てた品を、鏡とともに勧めてきた。困って苦笑いしか返せないムギを隠すように、ルーファスが店先を覗き込む。出来上がった花束を指差し、店主に声をかけた。
「ここの花は一輪ずつ買えるか?」
「ええ、もちろん。お好きなもので包み直しますよ」
「ならば、包まずともよいから、これとこれ……。それから、これをもらえるか? ああ、花茎は少し短めに整えてくれ」
何かを耳打ちされた店主は、お任せあれとばかりに胸を叩いて、てきぱきと指定の花を用意した。
ふんわりと丸みのある杏色の中輪の花に、白い小花、それから麦の穂が差し出される。ルーファスはそれを、ムギの耳の上に丁寧に挿した。
「ほら、こっちのほうが顔映りがいいだろう?」
鏡を覗いて、ムギは思わず目をみはった。
杏色の花は、元気で愛らしい印象を与えると同時に、ムギの空色の髪を引き立てる。そこに白い小花が繊細さを添えて、上品な仕上がりだ。
麦穂は肌に触れないように、結えた髪の結び目に飾れば、編み込んだリボンを巻いたようで凝って見える。
どれも、ムギが自信のなさから蓋をしてしまいがちな美しさを、引っ張り上げるかのようだ。
店主も思わず、感嘆の息を吐く。
「いやいや、わたしの勉強が足りず、お恥ずかしい! お見事です。本当によくお似合いですよ!」
「いい花が揃っていたおかげだ。また来年も寄らせてもらおう」
代金を受け取った店主は、それは嬉しそうに「毎度あり」と二人を送り出した。
***
ムギが観覧した演劇用の舞台は撤去され、広々と整地された広場には、すでに人々がごった返していた。
「さすがに、この中に君を投げ入れる気にはなれないな」
これだけの人に揉まれては、護衛の目が届く範囲にも限界がある。人混みのどこかから、そんな合図を受け取ったのだろう。ルーファスはわかっているとでも言うように、明後日の方向に手を振った。
そっと人の流れから遠ざかるように、ルーファスはムギの手を引いて歩き出す。少し離れたところで、広場を眺める観衆に混じった。
やがて、一人が楽器を奏でると、そこかしこから多彩な調べが上がり始めた。それは次第に一体となって、曲を紡ぎ出す。
老いも若きも手を取り合い、歌い踊った。広場から溢れた人々も手に手を取って、セリフィオラを抱く輪が繋がっていく。
ステップも作法も定めなどない。終宴の刹那――限られたこの時間を楽しむための余興に、これほどふさわしいものはなかった。
夕陽に染まる人々の笑顔に、ムギは胸を掻きむしられるような美しさと、切なさを感じた。そこに獣人もいたならば、どんなに幻想的だろうと、思いを馳せる。
空には、フェルリッド国立学院の尖塔から、炎の魔法が打ち上げられた。日が傾くほど、炎は鮮やかな花を空に描いて、王都に華やかな夜を誘い込む。
この魔法が終わったら、神殿の鐘が鳴って収穫祭は締めくくられる。
(ああ……もうすぐ終わりだ……)
こめっこに書き換えられた物語では、今日はグランツェル公爵が、王政に反旗を翻す日だった。
ムギの思い込みで勘違いしていたところはあったが、現実のグランツェル公爵は今こうして隣にいる。エンシェンティアを、悲しい物語の軌道から逸らすことはできたはずだ。
これから、この世界をハッピーエンドへ導いていくのは、ムギではない。王太子ガレリウスやルーファスたちの役目だ。
ノルファリアの明日を思い、ムギはルーファスの手を、初めて強く握った。そして――。
今、伝えなければ後悔する思いを、すべて言葉にする覚悟を決めた。




