キラキラ転生街道、Uターン回避。
◇ ◇ ◇
拐われてから、救出されるまでの間に起きていたことをムギが知るのは、もう少し後になってからだった。
王太子ガレリウスが極秘裏に帰国を果たし、リュシアナを取り巻く奸計を告発すべく動いていたこと。その行動を支えていたのが、ルーファスを始めとした、市井に紛れた仲間たちであったこと。
そして、いざ王都へ凱旋中だった彼らが、ムギの救出に現れた理由に、マムートが大きく関わっていたことも――。
王都を目前に、二頭の妖犬から事の次第を聞かされたルーファスは、すぐさま王太子と作戦を練り直した。セヴナールの関与を疑いながら、確たる証拠が得られずにいた彼らにとって、これは逃せない好機だった。
即座に隊を編成し、麦穂の乙女の救出とセヴナールの拘束に乗り出そうとする一方で、マムートは聖女リリベルの保護を強く願い出たという。
『裏で糸を引いている奴を告発するなら、聖女の証言が不可欠だ』
『アミゼルドは知らないが、セヴナールは往来で、あんな立ち回りをするくらいだ。邪魔になったら、聖女の命だってなんとも思わないんじゃないか?』
『俺の主人は、自分のことより他人の心配をするやつだ。きっとあいつは、自分を助けて欲しくて、俺を送り出したんじゃない。俺に、獣人と人間の絆を紡ぎ直すための、最後の希望を託したんだ』
そう言ってマムートはひとり、リリベルのもとへ向かった。その独断先行が功を奏し、リリベルはセヴナールの刺客から逃れられた。
そして、アミゼルドの罪を告発する証言が得られたのだ。――リリベルはその後、徒らに民を惑わした魔女として騎士団に引き渡されるまで、マムートやヴァルド家の妖獣に守られて、静かに断罪の時を待っていたという。
聖女の糾弾により事態は急転した。ヴァルド家からの訴えも後押しとなり、ノルファリア国王はリッシェル公爵セヴナールと神殿長アミゼルドの捕縛を命じた。
そうして正式に、騎士団による麦穂の乙女救出作戦へと至ったのである。
王家が、獣人と人間の信頼回復を望んでいることを示すため、隊の指揮は王太子ガレリウスが執った。グランツェル公爵ルーファスは、獣人の威厳を示すため、より獣に近い姿で作戦に参加したのだった。
そして――。
セヴナール一派の捕縛から数日後。
セリフィオラにもいよいよ秋の訪れを感じられるようになった祭りの最終日、ムギは国王直々に王城へと招かれた。
◇ ◇ ◇
「麦穂の乙女ムギ、前へ」
謁見の間に、宰相の声が響き、明瞭に名が呼ばわれる。
ムギは短く息を吸い、緊張を隠しきれない声で応えた。ローディスに徹夜で叩き込まれた作法で、広間の中央へと進み出る。
白と緑のダイヤ模様の床の中央には、真っ青な絨毯が縦に長く引かれ、王に拝謁を許された者だけが踏むことを許される。その青さは、セリフィオラの街を海まで走る川の流れを思わせた。
粛々と絨毯の上を歩きながら、浴びせられる好奇の視線に、ムギは身を削がれるようだ。
左手には名だたる官僚や将校が――、右手には上座からルーファスと家宰を始めとしたグランツェル公爵家と、次いでヴァルド家の面々が居並ぶ。
そんな人物たちに囲まれて、緊張しないほうが難しい。ムギが萎縮して小さくなりかけると、ヴァルド公爵の隣から、他とは違う圧のある視線が投げられた。
ローディスだ。ムギに礼儀作法を叩き込んだスパルタ教師が、無言でレッスンのおさらいを念で届けようとしている。これはまずい――と、ムギは改めてしゃんと背筋を伸ばした。
力が入りすぎたところで、ふとローディスの隣に侍る二頭の妖犬と目が合った。彼らは尻尾こそ忙しなく振れど、お行儀よくお座りしてムギを見守ってくれていた。それを見たら、程よく力が抜けて、ムギはしずしずと王のもとへ歩んでいけた。
青きせせらぎの果て、麦穂の流れ着く先に――。
玉座は設けられ、国王夫妻と王太子夫妻がゆったりと微笑みながら待っていた。
「ム、ムギと申しますっ……。謁見の栄に浴し、恐れ多くも拝謁つかまつりますっ」
矯正に次ぐ矯正で身につけたカーテシーで、作法に則り礼を捧げる。指先こそ震えていたが、重心をぶらさず優雅にまとめてみせた。
背中に刺さっていた、ローディスの刺々しい眼が和らぐのを感じ、ムギはほっと胸を撫で下ろす。第一関門は、どうにか突破できたらしかった。
座したまま、ノルファリア国王が静かに口を開く。特段張り上げることもなく透る声は、場を支配する力を持っていた。
「遠き地より訪れし乙女よ。まずは許しを請わせてほしい。我が国の混乱に巻き込み、そなたの身を危険に晒したこと痛惜の念に堪えぬ。まことにすまなかった」
王に続き、王妃と王太子夫妻もムギに頭を下げた。王族が公の場で平民に謝罪など、異例である。だが、臣下らに動揺の色は見られず、それがこの場における総意であることを物語っていた。
声を発するのも恐れ多く、ひたすら恐縮するムギに、王は穏やかな眼差しを向ける。
「そなたの立場を思えば、この場に立つことがどれほどの重荷であるか、察するに余りある。無理を承知で、それでも一目まみえ、直に言葉を届けたかったのだ」
思いがけず心深く沁み入る言葉に、ムギは瞬きをした。
王の声は重々しいのに、不思議と息がしやすい。柔らかくもどっしりとした――その響きには、森を支える大樹のような安心感があった。
「そなたの本意によるものでなくとも、結果として我らはそなたの存在に救われた。礼を言うぞ」
セヴナールらの罪は、収穫祭ののち公にすると王は宣言した。事が事だけに慎重を期し、公表までの調整にはしばらく時間を要するが、獣人の信頼回復に努めるという。
王の言葉が途切れた合間、隣に控えていた王太子が静かに前へ出た。父王が促すように頷くと、ガレリウスは澄み渡る声を、淀みなく響かせた。
「わたしからも、礼を言わせてくれ。あなたのおかげで、リュシアナの名を取り戻せた」
寄り添い合う王太子夫妻の仲睦まじく、心から喜びを噛みしめる姿に、密かに涙を拭う家臣らも多かった。
ガレリウスは続ける。
「手段に過ちはあったが、セヴナールの言を妄言と一蹴するのは尚早だろう。わたしたちがノルファリアをどう導くべきか――。今後はより、人間と獣人、そして周辺諸国との対話を重ねて、決定する所存だ」
ガレリウスが一礼して席へ下がると、王が再び言葉を継いだ。
「して――。そなたには国の憂いを祓った功績を讃え、ひとつ称号を授けたい。〈麦穂の乙女〉――うむ、王家の良き隣人として、これ以上ふさわしい名もあるまいな」
王に謁見し、二、三……言葉を頂戴したら、謝辞を述べて退室……と聞かされていたムギは、大いに驚いた。
思わず漏れた素っ頓狂な声は、祝福と賛同の拍手喝采にかき消える。知らされていなかったのは、ムギだけだったようだ。
王が手を掲げるのを合図に拍手がやむ。あとは宰相が引き継いで、称号に付随する特権を読み上げた。
ひとつ、麦穂の乙女は王家の賓客につき、一部区画を除き、王城への出入りを自由とすること。
ひとつ、尊き存在ゆえ、王の名のもとに身辺警護の従者を授けられること。
ひとつ、王都で開かれる式典などの折りに、王族と民とを繋ぐ象徴として、特別席にて登壇する栄誉を得られること。
特権が読み上げられるごとに、ムギの顔が青ざめていく。王城の解放は、リリベルとの密談を重ねていたことを責められているように聞こえるし、護衛も監視にしか思えない。何より三つ目は特に、受け入れ難かった。
承諾の返事を求められる段階になって、ようやく発言権を得たムギは、心の中で何度もスパルタ教師に謝りながら、震える声を絞り出した。
「お、恐れながら……っ! わたくしには、余りある名誉でございます!」
当然ながらに、ムギが「ありがたき幸せ」と面を伏せるものだと思っていた場はざわつく。
「ご承知のことと思われますが、わたくしの力は使いようによっては、非常に危ういものであります。私欲のために使うつもりはありませんし、利用されるつもりもありません。ですが現状……この力は、自分自身で制御できるものでもないんです……」
後でローディスには、きついお叱りを受けるに違いないが、ムギにはどうしても伝えねばならないことがあった。
「王家の皆々様がこれから、獣人さんと新たな関係を築こうとしている隣に、わたしのような存在があれば、要らぬ憶測や新たな火種を落としかねません。ゆえに……、恐れながら称号は辞退させていただきます」
「余の決定に、異を唱えるか」
王の声が、初めて強張る。
ムギは恐れをなしながらも、主張は取り下げない。ローディスのお叱りどころか、首を刎ねられても文句は言えないが、深く頭を下げて陳謝した。
「ひ、ひぇっ……も、申し訳ございませんっ。ですが、こればかりは何卒ご容赦を……」
何度も何度も頭を下げるムギを、王は黙して見下ろした。隣に座る王妃までもが、珍妙な生物を見るような目でムギを見る。王妃が扇の下で何やら囁くと、王は神妙に頷いた。
どう処刑しようか決まったのだろうと、ムギはいよいよ覚悟を決めた。こうなったら最期に、マムートたちを思い切りもふもふしたい、と振り返ろうとした時だ。
玉座から、くぐもった笑い声が漏れた。
ムギが顔を上げると、国王夫妻が和やかに言葉を交わしながら、笑んでいる。
「なるほど……これが〈麦穂〉か」
「やはり、実際にお目にかかると、滲み出るものが違いますわね」
重苦しかった空気がやわらぎ、周囲にもほっと息をつく気配が広がった。戸惑うムギに、王妃が嫣然とした笑みを傾ける。
「〈麦穂の乙女〉の風説譚は、汐風に乗って宮廷にも届いておりますのよ。ガレリウスの弟妹たちも、今もっとも夢中になっている物語とか。本日、参席かなわぬことを、たいそう悔しがっておりましたわ」
汐風――の言葉に、ムギはぎくりとした。
港街ファムプールの妖魔退治は、ムギの存在を伏せて奏上されたはずだ。
しかし、巷にはヤックを始めとした、多くの語り部たちがいる。彼らが情熱的に紡ぐ麦穂の乙女の姿は、人々の口から口へと旅をして、こうして王の耳にも届いていたのだった。
「噂に違わぬ、謙遜深き乙女よ。――そなたのこうべが、重みに耐えかねて地に伏してしまわぬよう、称号はひとまず預けておくとしよう」
王はゆるやかに顎を撫で、口元に微笑を浮かべる。
「とはいえ、そなたをこのまま手ぶらで帰すわけにはいかぬ。余の威信にも関わるゆえな。ふむ……、これまでもヴァルド家には世話になっていたと聞くが――。どうであろう。これを機に、正式に麦穂の乙女の後見人として、名乗りを上げてはくれぬか、ヴァルド公」
指名されたヴァルド公爵は、静かに一歩前へと進み出て、きびきびと礼を返した。こればかりは予定になかったことだろうが、公爵の言葉に迷いはない。
「はっ、この上なき光栄に存じます。麦穂の乙女というかけがえなき存在をお託しいただくからには、ヴァルド家の名に恥じぬよう、誠心誠意お支えして参ります」
再び謁見の間を、賛同の拍手喝采が満たす。
ぎょっとするのは、今度はムギだけではない。ローディスもだ。
追い討ちをかけるように、王妃からはこんな言葉も投げかけられる。
「あら、まあ、そう言えば……。ヴァルド家のご嫡男ローディス殿は、まだご独身でしたわね? 風説譚では、〈麦穂の乙女〉との甘やかな結びつきが語られておりましたけれど……ふふ、あちらの真偽やいかに? いっそ、その噂、まことにしてみてはいかがかしら」
すると、それまで静かに見守っていたグランツェル家に、にわかに動きがあった。公爵ルーファスが大仰に咳払いして、一同の関心を集める。
ムギもそっと彼を見やった。今日は数日前に見た獣らしい姿ではなく、ムギが見慣れたヒトに近い顔立ちだ。髪の間からは、三角の耳が覗く。
見慣れた顔貌とはいえ、森の中と印象が大きく異なるのは、身を包んだ装いによるところが大きい。黒を基調とした礼服は、重ねられた銀糸の刺繍が、グランツェル家の格式を物語る。
「僭越ながら、王妃様。ローディス殿とは旧友のよしみで、わたくしから一言申し上げたく存じます。彼にはすでに、心に定めた姫君がいらっしゃるご様子――」
「その通りだ、ルーファス殿! 今日ばかりは意見が合うな!」
思わずだだ漏れたローディスの心の声を、ジェゾらが押さえつける。王族の御前であるのも忘れ、下手したらこの場でワトゥマを紹介しかねない。公爵の名誉を守るため、彼らも必死だ。
「さて、ローディス殿の意中のお相手の話は、のちの夜会のお楽しみにいたしまして……。〈麦穂の乙女〉は、自らの手柄をことさらに語ることもなく、慎ましくあられる御方。浮ついた噂など、きっと本意ではございません。ここはひとつ、その清らかなご意志を汚すことなきよう、お取り計らいいただければと存じます」
王妃の対面も保ちつつ、場を取りなしてルーファスは控えた。
玉座の脇から静かに見守っていたリュシアナが、ふっと目元を和ませる。
(まったく。お兄様ったら――)
扇で隠すように口元を押さえるも、肩がわずかに揺れている。
さも冷静を装って言葉を尽くしているが、そこに私情は挟んでいまいか。すました顔の公爵に、そう問うてみたかった。




