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決着


 騎士らの指揮をとる男が、鉄格子をくぐってやってきた。彼の甲冑は頭から足の先まで、他の者らより一際まばゆい輝きを放つ。

 彼の後ろには、二名の従者が控えていた。一人は、アイスホワイトのローブを身に纏った術士だ。聴き手のイスカが身につけていたものと同種の仕立てだが、刺繍や装飾がより上等で、位の高さを窺わせる。

 もう一人は、猫の頭をした獣人だ。鉄格子の外で冑を小脇に抱え、辺りの音や気配に敏感に耳をそばだてている。耳の先から飾り羽根のように長く伸びた毛と、鋭い眼光がイエネコとは違う野生的な雰囲気を醸し出す。


「セヴナール・リッシェル」


 甲冑を身に纏った男が、冑の奥で口を開いた。思いのほか若々しい声だ。


「セリフィオラの往来で、ヴァルド公爵家の馬車に接触し、乗車していた女性を連れ去った事実は認めるな?」

「事故は起こしてしまいましたが、連れ去ったなどとんでもない。怪我をしたご婦人を介抱していただけのこと」

「怪我人に手枷を付ける道理がどこにある」


 苦し紛れの言い訳に、騎士たちですら呆れと侮蔑を、ため息に滲ませた。


「セヴナール。我らは、ヴァルド公爵直々の救援要請を受け、乙女の救出に馳せ参じただけではない。つい先程――王命が下った」


 甲冑姿の若者は、十分に堂々たる姿であるが、なおも威儀を正して告げた。


「貴殿を、獣人蔑視の扇動による秩序破壊、及び国家反逆の罪により拘束する。神殿と結託し、ノルファリアを混乱へと導いたその責、逃れられると思うな」

「お、お待ちください。何をもって、そのような虚説がわたくしに降りかかるというのです」

「聖女リリベルが、神殿長アミゼルドを始めとした神官たちを糾弾したのだ」


 セヴナールの顔色が、目に見えて淀んだ。彼の腹づもりでは、リリベルは既に用済み――今ごろは寝所で骸となっているはずだった。リュシアナがアミゼルドに牽制をかけたところで、セヴナールには些末なことだ。狡猾な彼は、聖女暗殺の罪を獣人になすりつける手筈も整えてあった。

 計画が崩れ始めたのを、やっと実感して無言になった途端、彼の狼狽えようは言葉よりも雄弁だった。


 ローブを纏った術士が一歩進み出て、耳の高さに手を挙げた。聴き手の伝統的な作法にすら、流れるような美しさと品が滲む。


「ファリス・リオルーの名のもとに、この地に住まう精霊を、証人としてお招き申し上げる」


 深く被ったローブの下から、静かな男性の声がした。

 清水のように澄んだ声音に惹かれ、地下牢のあちこちから柔らかな光が集まり始めた。そのいくつかを水晶でできた小瓶に詰めると、彼は再び後ろに控え直した。

 もはやセヴナールに言い逃れの余地はない。与えられなかった。

 観念して脱力する姿を確認し、甲冑を身につけた若者は小さく息を吐く。


「セヴナール、本当に残念だ。愛するひとの名前すら、まともに呼んでやれぬわたしに、貴殿は深く心を尽くしてくれたものだと信じていた」


 青年は、やおら冑を外した。

 身震いするように頭を一振りすると、短めに整えられたブラッドオレンジ色の髪が、松明の炎で燦然と輝いた。セリフィオラの海を臨んで育まれた青い瞳は、精悍な顔立ちに涼やかさを添える。鮮やかな髪と瞳の色は互いを引き締め合って、瑞々しさの中に光る、揺るがぬ意志の強さを感じさせた。

 露わになった素顔に、セヴナールが喫驚する。顔面はますます蒼白となり、亡霊でも見たかのように声を震わせた。


「ガ……、ガレリウス王太子殿下……!」

「……どうした。わたしがノルファリア(母国)にいることが、そんなに驚くことか?」


 帰国を様々な手で阻まれてきたガレリウスは、裏で手を引いていたであろうセヴナールに、鋭い眼差しを向けた。


「グランツェル公爵が、方々駆け回って、帰国を助けてくれたのだよ」


 鉄格子の向こうで、猫頭の獣人が恭しく頭を下げる。流れるような所作は美しく、無駄がない。

 嘘かまことかは判じかねるが、筆入れに公爵家の紋章があったと聞かされていたムギの意識は、自然とその人物へ向かう。

 一瞬、視線が交わった。するとグランツェル公爵は、会釈とも頷きとも取れる小さな仕草で、そっと視線を外した。


 リュシアナの父として思い描いていた姿とは、どこか異なる印象をムギは抱いた。

 獣人の血脈を束ねる当主としての威厳や風格は確かにある。だが、その立ち居振る舞いには、老獪な重鎮にありがちな重々しさは見当たらなかった。

 むしろ、王太子にも通じるような凛とした若々しさと、静謐な意志を湛えた者の気配が漂っていた。


 セヴナールは、地に膝をついたまま顔を引きつらせ、歯噛みした。その視線が、鉄格子の向こうに控えるグランツェル公爵へと向けられる。


「……なるほど。裏で手を回していたのはあなたですか、ルーファス殿。やはり初めから、繋がっていたのだな……!」


 怒気と混乱にまみれた声が、金属を引っ掻くような耳障りな調子で響いた。最後の抵抗とばかりに、筆入れがムギに投げつけられる。それが彼の失態を決定的に印象づけた。

 左右の騎士は無言のまま彼の両腕を取ると、強引に立たせた。


「これ以上、品位を落とすものではない。詳しくは、正しき場で聞かせてもらおう。連れて行け」


 ガレリウスの一声で、騎士たちは統制の取れた動きでセヴナールらを牢から引っ張り出す。聴き手もそれに続いた。

 すれ違いざま、セヴナールはルーファスを睨むように見上げた。


「いずれ、わたしの懸念が正しかったのだと気付く頃、ノルファリアに根を広げたアリーシャ様の血が、民に恨めしく思われることのないよう、祈るばかりです」


 毒を孕んだ声を腹の底から絞り出すセヴナールに、ルーファスは静かに一礼した。


「失礼ながら、彼女はアリーシャではありません。王太子妃リュシアナ殿下です」


 その声音はあくまで礼儀正しく、されど揺るぎない。厳しくも温かみのある声に、セヴナールの苦々しいため息も飲み込まれ、やがては足音とともに遠ざかっていった。


 地下牢には静けさが満ちていたが、ムギの心はざわついたままだ。

 王太子ガレリウスが気遣わしげな様子で話しかけてくるも、耳に入ってこない。足元に落ちた筆入れに視線を落とし、波のようにうねる感情を整理するのに必死だった。

 そんな時――。緊迫した空気を払拭するように、牢へと軽快な足音が迫ってきた。


「もう、騎士の皆様ったら……こちらを忘れて連行してはいけませんの!」


 場に似合わぬ甘ったるい声は、少し喋りにくそうにくぐもっている。犬歯に引っ掛けた鍵束を、じゃらじゃら鳴らしながら、飛び跳ねるようにして一頭の妖犬が飛び込んできた。

 ワトゥマだ。

 朝、見送った時と変わらぬ元気な姿に、ムギは安堵した。同時に、張り詰めていた糸が切れるように、体から力が抜けた。しかし、壁に繋がれた手枷がそれを許さず、両腕をぐいと引かれてしまう。


「ああ、ムギ様ぁ……! あんまりですの! 許せませんの!」

「来てくれてありがとう、わたあめちゃん。わたしなら大丈夫だよ。それよりも、マメタはどこ? ジェゾさんたちの怪我の程度は?」

「皆様ご無事ですの。にに様は訳あってこちらにはおりませんが、ナルス様とヴィゴー様もご一緒ですから心配いりません。さあ、とにかく今は戒めを解くのが先ですの!」


 犬歯から鍵束を振り落とし、ワトゥマは鍵と自分の前足とを睨めっこした。もこもこの前足では、鍵を掴むことはおろか、小さな鍵穴に差し込んで回すなんて芸当はできそうもない。変化すれば造作もないのに、ワトゥマはそうしなかった。

 逡巡して鍵束を加え直すと、尻尾を振りながらルーファスのもとへ歩み寄る。彼の足元にふわりとお座りし、礼儀正しく頭を下げた。


「――ムギ様をよろしくお願いいたします、ですの」


 ルーファスは静かに膝を折る。無言でワトゥマの頭を撫でると、ふっくりした口許に穏やかな笑みのようなものを浮かべた。

 鍵束を受け取って、牢の中へと足を踏み入れた彼は、王太子ガレリウスに一礼した。


「殿下。わたしは麦穂の乙女を連れて、後から参ります。こちらの妖犬ワトゥマとともに、外でお待ちいただけますか」

「ああ。……ルーファス。此度の騒乱――お前には嫌な役回りを押し付けてしまったな」

「いえ。ノルファリアの平穏なる日々が、人間と獣人双方の願いなれば、わたし以上の適任はいなかったでしょう。光栄でしたよ」


 歯を見せて気さくに笑むルーファスに、ガレリウスも微笑み返す。気心知れた様子でルーファスの肩を叩くと、ガレリウスはワトゥマに先導されて牢を後にした。

 それからルーファスは、ゆっくりとだが真っ直ぐにムギのもとまで歩み寄った。足元に打ち捨てられた筆入れを、そっと拾い上げると、かすかに息を吐く。ため息とも苦笑とも違う、少し自嘲を含んだ嘆息だ。


「こんな日が来ないように、身を守るすべを教えていたはずなんだがな」


 さっきまでと打って変わって、砕けた調子の喋り方に、ムギの心のざわつきはいよいよ大きくなった。

 突き放すような言い方だが、温かみのある声音がひどく懐かしく感じるのは気のせいではなかった。その声を聞いた時から、ムギは初対面のルーファスに、ある男の姿を重ねていた。

 ルーファスが鎧を身につけ、腰に剣を穿いていたって、軽装で弓をつがえる姿が容易に思い浮かべられる。獲物に狙いを定める時の、薔薇柘榴石ロードライトガーネットの眼差しは、今ここでムギの腫れた頬を見つめる瞳と同じだ。


「しかし今回は、君の慎重さと胆力に感謝しなければな。リッシェル公の腹の内を明らかにできたのは大きい、今後の聴取も円滑に進むだろう」


 手枷を外すためにルーファスが腕を伸ばすと、ふわりと穏やかな香りが漂った。柔らかく包み込むような、それでいて芯のある――ラベンダーの香りだ。


 カチリ――。

 錠の外れる音で、ムギの心に堰き止められていたものが、一息にあふれ出した。倒れ込みそうになる刹那、ムギはルーファスの胸に飛び込んだ。


 重厚な甲冑の感触が、頬にひやりと冷たい。だが、その奥にある温もりを、ムギは確かに感じていた。

 ルーファスもまた、ムギを力強く抱きしめた。

 まるで、手放したくないと願うかのように、ムギを包み込む。


「――遅くなって、悪かった。もう頑張らなくていいぞ、小鹿さん」


 ファムプールで別れてから、すっかり恋しくなっていた声が、優しく降り注ぐ。ムギの海色の瞳からは、涙の雫が後から後からこぼれ落ちた。



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