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起きてしまったこと。これから起きること。



 ***



 こめっこのアカウント自体は、今もENa上に存在していた。しかし、グループが実質上の休止となった(のち)、一度もログインした形跡がないと蘭子は言う。


『過去の発言や交流履歴をもとに、辿れる限り、こめっこの足取りを追ったよ』


 ユーザー同士のやり取りや、書き込みの特徴などから、いくつかのSNSと投稿サイトを巡った末――蘭子はついに、それらしきアカウントに辿り着いた。


「ネオンノベルズ?」


 ムギの転落事故の後にできた、新興の小説投稿サイトだ。こめっこは新天地で、名を「No name」に変えて転生していた。


「このひとで間違いないの?」

『十中八九ね。アイコンを拡大してみなよ』


 名前こそ名無しで味気ないが、アイコンは優しい色合いで、稲穂を描いたイラストが設定されている。ムギを励まし続けた米俵の絵と、タッチが同じだ。

 しかし、それだけが決め手ではない。蘭子は何も言わずに、可能な限り画像を拡大してみせた。

 イラストの端に、小さく片仮名で言葉が添えられている。画質が粗く、潰れてしまった文字をムギは恐る恐る読み上げた。


「オート……ミール……?」


 ムギの背筋を、冷たいものがぞわりと這う。


『……と、思うでしょ? もう一回、よく見て』


 ムギとリリベルは肩を並べ、食い入るようにスマートフォンと睨めっこする。しばらくして、先に声を上げたのはリリベルだ。


「あれ? オートミールじゃなくて……オールミート?」

「な、なんだ……。てっきり、なりすましかと……ぞっとしました」

『あ、そう? これを見ても、紛らわしいで済ませちゃう?』


 蘭子が次に二人を誘導したのは、こめっこらしき人物が投稿している作品だ。

『飼い犬に噛まれて追放された失敗令嬢が、森で出会った忠犬と世界を救って返り咲く話』と、もはやテンプレート化した長いタイトルが冠されている。

 蘭子がかいつまんで解説するあらすじに、エンシェンティアもノルファリアも出てこない。だが、メインキャラクターとして登場する忠犬たちの名は、すっかり耳に馴染んだマムートとワトゥマだった。


 加えて、作品説明に添えることができる作者コメントには、こう書かれている。


――未完のままだった作品を、もう一度新しい形で書き直しました。完結保証。


 果たしてそれが、自作のものか他人のものかもわからない。あえて明記せず、紛らわしいアイコンを掲げているところに、蘭子は悪意を見抜いていた。


『なりすましよりタチが悪いと、アタシは思うよ――』


 オールミートの投稿作は、マメタのエピソードを土台にして、彼のヒーロー性と恋模様を描くストーリーになっていた。

 マメタは「マムート」と名を変え、ムギが大切にしていた妖犬の姿は、犬の獣人へと改変されている。

 物語は、獣人と人間の対立を煽る神殿の暗躍を軸に、現在も連載中だ。その構造は、ムギたちがいるエンシェンティアと、よく似ていると蘭子は評した。


『アタシが調べられたのは、ここまで。こめっこの真意まではわからないし、あんたたちが今いるその世界が何なのか……その答えも見つけられてない』


 蘭子の言葉に、ムギは頭を下げる。


「ありがとうございます。十分です」


 ため息とも、深呼吸ともつかない息を吐いた。


「女神様は、人間の空想をもとに異世界を作ると……そう言っていました。もし、このエンシェンティアが、こめっこさんの物語を土台にしているとしたら……いま起きている対立も、こめっこさんの物語に引きずられている、ってことになるのかも」

「でもそれだと、変ですよ」


 リリベルが首をかしげる。


「こめっこ? オールミート? とにかく、そっちの盗作と思しき話では、エンシェンティアもノルファリアも出てこないんですよ? なのに、ボクたちのいる世界が、《《エンシェンティア》》と呼ばれているのは不自然です」


 リリベルは腕組みして、自身の考えを確かめるように、ぽつりぽつりと呟いた。


「たとえば……グループ内のやり取りで膨らんだ空想も、オールミートの投稿作も、それぞれ別々に、女神が異世界として作っていたら? そしてそれらが、ムギさんの物語をもとにしたエンシェンティアの周りに存在していたとしたら……」

『……引き寄せられて、混ざり合った?』


 蘭子の言葉に、ムギははっと息を呑む。

 解呪の儀式で神殿を訪れたとき、杖を預けた神官が語っていた。強い思念に取り込まれる、引きずられる――その言葉を、今になって急に思い出した。

 

 浸透圧が働くかのように、別々だったはずの世界が、じわじわと重なっていったのだとしたら――。


 不意に、窓の向こうで鐘の音が響き渡った。

 正午を告げる鐘だが、ムギにはそれが、女神の鳴らす当たり鐘の音に聞こえた。

 辺りを見回しても、女神の姿は見当たらない。しかし、なぜか不思議とムギには、彼女が満足そうに笑う顔を想像できた。


「知らなかったとは言え、ムギさんの理想の世界が食われる手助けを、ボクはしていたかもしれないんですね」


 マリエルの手記として発表された小説を、創作だと訂正しきれないとわかるや、リリベルは悪役聖女として立ち回るほうに舵を切った。それが引き金となって世界の混じり合いを促したのではないかと、リリベルは肩をすぼめた。


「償いになんてならないでしょうけど、ボクにできることは何でもさせてください」

『アタシも、悠里の暴走を止めなかった責任がある。こちらからできる支援は任せてよ。ムギさんは今どうしたい? こめっこの連載をやめさせたい?』


 ムギは力なく首を振る。

 胸の奥に渦巻くのは、怒りや悲しみよりも、ただ茫然とした空虚さだった。

 空想と妄想も得意で、悪いほうに思考が転がるのもいつものことだ。だが、こんな事態をどうして想像できただろうか。

 現実感に薄れ、今はまだこめっこを責める気力さえ湧いてこなかった。


「まずは、こめっこさんの……作品……では、どんな展開が用意されているのか知りたいです。女神様のなぞり書きで生まれた世界は、原作のストーリーを辿るように動くことがあるそうですから……」


 起こりうる未来を知って、世界を変える勇者の気概はムギにない。

 せめて、この世界にもハッピーエンドが約束されていると信じたかった。

 ムギの言葉に、蘭子はひとつ頷いた。


『わかった。データはあとで出力して、悠里経由で渡すとして、今はとりあえずアタシが読んだ範囲での解釈の共有……ってことでいい?』

「はい。お願いします」


 蘭子は手元のペットボトルに手を伸ばした。蓋をひねると、ぷしゅっと小気味よい音がモニター越しに響く。

 軽快な音とともに細かに立ち昇る泡が、重たい空気をほぐすようだ。

 唇を軽く湿らせて、蘭子は言葉を継いだ。


『神殿が獣人を貶めようとする意図は、まだ見えてない。でもね、もし本当に土台に引き寄せられるんだとしたら、危惧しなくちゃいけない事件がある。収穫祭の最終日、グランツェル公爵家が神殿を相手にクーデターを起こすんだ』

「収穫祭の最終日って……もう十日もないよ」


 三大公爵家の筆頭グランツェル家の由縁を辿れば、隣国ロアール王室へ辿り着く。由緒正しき、獣人の血脈を持つ家系だ。

 しかし、それ故に、このエンシェンティアでは憂き目を見ることとなった。それはこめっこの物語の中でも、同様らしい。


『蜂起の仕掛け人はグランツェル公爵本人。悠里、アンタの婚約者になるかもしれないおひとだよ』

「ボクが婚約を承諾して、アミゼルドの謀略だって伝えたら、心変わりしてくれるかなぁ?」

『さぁね。一応この事件のエピソードは、公爵の自決で幕を閉じてる。ただ、それをきっかけに獣人と人間の溝がますます深まって、直近の更新分では、近隣諸国を巻き込んだ戦に発展するような匂わせがされてるんだよ』


 ――わたしの物語じゃない。

 ムギは心で叫んでいた。グループに、ガジュ丸が残してくれた一言を、心の拠り所に両手を固く握り合わせる。


「わたしの中のグランツェル公爵は、思慮深く、いくら同胞のためといっても、人々を混乱に巻き込むような決断をするキャラクターではありませんでした。なにが彼に、そこまでの決断をさせてしまったのですか?」

『王太子と婚約していたグランツェル家の令嬢リュシアナが、獣人の血を王室に交えたくない連中の手で、亡きものにされたせいだよ』


 リュシアナ――それが、ムギがノルファリアの王妃のために与えた名だ。光溢れる未来を願い、ルクスの響きから生み出したのだ。


「酷い……。リュシアナは、未来の王妃になるはずの心優しい子だったのに……」


 ムギの震える声に、リリベルが勢いよく立ち上がった。


「cucuちゃん! クーデターの引き金になった公爵令嬢殺害事件が起きたのは、いつ?」

『祭りの初日だよ。始まりを告げる鐘の音とともに行方不明になって、最終日の朝に遺体が見つかるんだ』


 その瞬間、リリベルの顔がぱっと輝いた。希望を見つけたようにムギの手を取り、声を弾ませる。


「ムギさん、事件はまだ起きていません! リュシアナ嬢は、今も王宮内でご存命です!」


 きょとんとするムギに、リリベルの声が力強くかぶさる。


「ボクたちで、クーデターが起こらないようにできるかもしれない!」



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