モブなのに拝まれる――!?
とにもかくにも、いまムギに必要なのは情報だ。
ファンタジー小説で、情報収集に適した場所といったら酒場が定番ではあるが、モルノ村にはその類の施設がなかった。
かろうじて、観光客の増加に伴ってできたらしい宿屋が一軒あったので、ムギは緊張気味に扉を開いた。
宿屋「やすらぎ」は一階のワンフロアにフロントと食堂が併設されているようで、複数の観光客が遅めの昼食をとっているところだった。風車さえ見てしまえば、滞在する理由もない村のはずだが、テーブル席は二つほどしか空きがない。
「いらっしゃいませ。お食事ですか、お泊まりですか」
厨房から出てきた男が、ムギに気付いて声を掛けた。齢は三十手前で、笑顔が柔らかな印象だ。
「えっと、一晩お願いします。食事も、できたら今……したいんですが」
予約もしていないホテルでこんなことを言ったら渋い顔をされるだろうなと、ムギは緊張に声を震わせた。異世界だから許される気がしてしまったが、もしかしたら同等に非常識だったかもしれないと、不安が募る。
だが杞憂だったようで、男性は忙しそうにしながらもゆったりと頷いた。
「でしたら、お部屋のご案内は食事の後で。空いている席でお待ちください」
「す、すみません……」
入り口近くと、階段そばの奥の席が空いていた。奥のほうが落ち着く気がして、ムギはそちらを選んだ。
和やかに食事をする人々の中を、邪魔にならないように気配を殺して進む。……が、それなりに人の目を感じずにはいられなかった。
目当ての席までが、モルノ村まで歩いた距離より長くさえ感じ、これならばすぐに着席できた入り口近くの席がよかったかなと思わなくもない。
転生しても、性格は相変わらずである。
「お待たせしました」
しばらくして出てきたのは、ほんのり黄色みがかった蒸しパンと豆のスープ、川魚の塩焼きだった。
初めての料理であるが、妙に見慣れたそれらをムギはおそるおそる口に運んだ。
蒸しパンは注文を受けてから一つ一つ蒸すようで、しっかりと温かく香りが立っていた。水の代わりに使われた乳のほのかな甘みが、口に広がる。熱々の中心部には、トウモロコシ風味の白餡のようなものが練り込まれていた。
中身に地域差はあるが、ノルファリアでは広く食されているパシュルというパンである。
ムギは自分が創ったモルノ村の郷土料理に、舌鼓を打った。想像通りでありながら想像では補えない優しい温もりに、自然と顔は綻ぶ。
ふと周囲の空気に異変を感じて我に返ると、食堂に居合わせた客がムギに視線を注いでいた。彼らは隣り合ったものと顔を見合わせては、何か囁いて頷き合っている。
(――!?)
何か粗相をしただろうかと、羞恥と不安でムギは縮こまった。
(食べ方が汚かったかな? それとも何かお作法が欠けていた? えっとえっと……)
不安で、蒸しパンのちぎり方も必要以上に小さくなる。ちびちびと食べていると、一人の女が近づいてきた。
恰幅のいい初老の婦人は、見た目よりずっと静かな声でムギに話しかけてきた。
「ねぇ、お嬢さん。パシュル……好き?」
ムギは曖昧にだが頷いた。悪意の有無も真意も不明なうちは、従順な姿勢で盾を張るのが最善策だと思っての行動だ。
「いきなり、ごめんなさいね。マリエル様と同じ年頃の娘さんが、とってもおいしそうにパシュルを食べている姿を見ていたら、おばさん胸が詰まっちゃって……」
女性は感極まった様子で、目頭に手巾を押し当てた。すると、遠巻きに見ていた他のものたちまで涙を流し始めるではないか――。
ムギは仰天して、パシュルを喉に詰まらせた。
「きっとマリエル様も、こうして故郷の味を懐かしんでおられたのだろうにね」
「ああ、おいたわしい」
観光客らはマリエルへの祈りを捧げ、しんみりと涙を流すが、ムギは別の胸苦しさで涙が止まらない。スープでパシュルを流し込み、ようやく息を整えられた。
「ありがとうね。あなたのおかげで、なんだかとても近くにマリエル様を感じられたわ。お邪魔してごめんなさい、どうぞゆっくり味わって」
そう言って女性は席に戻っていったが、ムギはその後も彼らの視線を感じ続けた。拝むように眺められては食べているようでもなく、ひたすら咀嚼と嚥下を繰り返したので、味はもうわからなかった。
***
食べ終えるや、ムギは逃げるようにフロントへ向かった。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。それで、あの……お部屋をお願いできますか?」
「はい。ではこちらにお名前を」
台帳には見慣れない言語が記されているが、鑑定眼のおかげで翻訳されて読めた。そのうえ、書きたい文字は手元にぼんやり浮かび上がるので、それをなぞれば造作なく美しい字が書けた。
「――ムギさん。変わったお名前ですね」
「そっ、そうですか!? わたしの故郷では、穀物の麦の意味で……」
手に汗が滲み出し、ムギの心臓はドクドクと鳴った。
「あのっ、そんなに変でしょうか? 目立ちますかね? いっそ改名したほうがいいですか!?」
「えっ!? いやいや、そんなことありません! すみません、変なことを言って。はい、確かにお名前頂戴しました。それでは一泊と翌朝までの食事に、お湯代を合わせて……」
宿の主人は算盤のような道具で、会計を示した。部屋の鍵と引き換えに、先払いのシステムらしい。
ムギは財布を取り出す感覚で、金銀財宝の詰まった皮袋に手を伸ばして、思いとどまった。
どう考えても、一介の少女が持ち歩いていい資産ではない。要らぬ詮索を受けたくなくて、どうしたものかとムギが悩んでいると――。
「割り込んですまない。一晩軒下を使わせてくれないか? 代わりに仕事を手伝う、なんでも言いつけてくれ」
物語の旅人にはありがちな台詞が、若者の声で紡がれた。
はっとして、ムギは声のしたほうに視線を落とす。
そこにいたのは――。