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すれ違い


 アミゼルド神殿長――予想だにしていなかった名に、ムギは耳を疑った。

 初めて神殿を訪れたとき以来、姿を見かけてはいない。それでも、威厳と品格を兼ね備えた立ち姿は、強く記憶に焼きついている。

 だからこそ、簡単に信じられなかった。


「どうして……神殿長ともあろう御方が、マリエルを貶めるようなことを?」


 獣人との架け橋となったマリエルは、ノルフィディス信仰において、豊穣神ノルの使いとして神格化され、いまや祈りの対象でさえある。

 それをよりによって、官能小説の登場人物にあてがうなど――神殿を預かる者のすることとは到底思えない。


「彼の思惑は、正直ボクにもわかりません」


 リリベルは静かに視線を伏せる。


「創作だと伝えてくれるよう、何度も訴えました。でも……聞き入れてはもらえなかったんです」


 ムギは、リリベルが盗聴対策をしている本当の意味に、やっと気付いた。

 そうなると、付き添いとして侍らされた神官たちが、単なる側仕えではないことも自ずとわかってくる。


(あやめ先生が、真実を洩らさないように監視しているんだ――)


 ムギはぞっとした。

 聖女に気に入られ、こうして密談を交わしている自分(オルジュ)も、アミゼルドにとっては要注意人物と認識されていてもおかしくない。

 少なくとも、警戒の網にはすでに引っかかってしまっている気がした。


 それだけではない。

 リリベルだって、話せばムギを巻き込むとわかっていたはずだ。それなのに、何の前置きもなく口を開いた。

 可憐な笑みが、今となっては少し怖いとムギは思った。少し天然な水無月あやめ像の崩壊を、認めざるを得なかった。


 いつの間にか、蜘蛛の糸に絡め取られてしまったようで、不安に息を詰めたムギの頬を柔らかな風が撫でた。

 風に乗って漂う香りが、鼻先をくすぐる。緊張をほどくような、落ち着いた香りだ。


(ラベンダー……)


 胸の奥で跳ねる鼓動を落ち着かせるように、ムギは手帳を撫でる。

 ここにいるはずもないとわかっているのに、なぜか今は無性にその顔を見たかった。ただそれだけで、安心できる気がした。


 香りに誘われるように、ムギはそっとテラスの縁へと歩み寄った。

 手すりからそっと身を乗り出し、下を覗き込む。

 敷石の小道を行く、庭師の姿があった。手押し車に積まれた鉢植えの中で、ラベンダーに似た薄紫の花木が風に揺れている。


(そうだよね。こんな所にいるはずない……わかってたのに)


 苦笑で口許が震えるのに気付き、自嘲を隠すようにムギは視線を逸らした。

 隣に、いつの間にかリリベルも並んでいて、庭師の背中を目で追いながら呟く。


「王太子妃様の庭へ、植え替えられるものだと思いますよ」

「王太子妃――」


 ムギの執筆した本編では、マメタの死から十数年後、わたあめの回復士としての活躍を補足するエピローグに、王妃として名前だけ登場する程度の存在だ。


「あやめ先生は、お妃様のお名前をご存知ですか?」

「はい。アリーシャ様です」

「アリーシャ……」


 どこかで聞いたような名だが、ムギが創作したものとは違った。


(そう……だよね。わたしの書いたもののままなら、王妃になるのは獣人さんの血を汲む家の姫君だったもの。この世界では王家に歓迎されず、別のご令嬢が王太子妃の座に就いてもおかしくはない、か……)


 理屈では考えられても、割り切るのにはしばらく時間がかかりそうだった。

 ムギが黙り込んでしまい、不意に生まれた沈黙を埋めるように、リリベルは言葉を紡ぐ。


「妃殿下の心をお慰めするために、お気に入りの紫の花を、いつでも庭に咲かせているという話ですよ」

「慰める……?」

「王太子ご夫妻は、ご成婚から一年も経っていませんが、王太子のガレリウス様は今、こちらの城にいらっしゃらないんです」

「……ご結婚したばかりで、離れ離れに?」

「ええ。外交使節団に同行され、現在は国外に滞在中だそうです」

「確かに、それですと……王太子妃様は、お寂しいでしょうね」


 心を痛めるムギの様子に、リリベルは薄く苦笑を滲ませた。

 考え込むように視線を空へ向けたかと思うと、手すりをぎゅっと握り、ぐいと上体を後ろへ倒す。まるで重心を風に預けるような、子どものような仕草だ。


 しばらくするとリリベルは、手すりをぱっと離した。小さな体はふわりと傾ぎ、そのまま石床に倒れてしまいそうになる。

 思わずマムートが駆け寄るも、リリベルはくるりと身を翻して、自ら体勢を整えた。一連の動きが、まるで優雅な舞の一部のようだ。

 彼女にはそういう――他人の目を惹きつける天性の魅力が備わっている。


 ムギに向き直ったリリベルは、もはや無邪気の一言では片付けられない、愛嬌のある笑みを浮かべていた。


「ムギさんは……()()()()()()かただと思うから、相談させてほしいんですけど」


 何か含みを感じる言い方だった。

 ムギは答えを探すように視線を彷徨わせ、手すりをそっと握りしめる。だが、リリベルはムギの答えを待つことなく、言葉を続けた。

 必要なのは了承ではなく、問いに対する答えなのだ。有無を言わせない強さが、笑顔から滲む。


「結婚の話でいうと、実は今――ボクにも、ふたつの縁談が持ちかけられていまして」

「ええっ!?」

「話がまとまっても、ここでのボクはまだ十二歳ですから、実際に嫁ぐのは先ですけど」

「お、お相手は、どんなかたなんですか?」


 一人は、三大公爵家の筆頭――グランツェル公爵家の現当主だという。

 リリベルと大きな歳の差はあるが、家臣や領民からの信頼も厚い人格者だそうだ。

 一見、申し分ない縁談相手に思えるが――ムギはノルファリアの設定をもとに、頭の中で計算問題に向き合っていた。


(本来の筋書きなら、未来の王妃様を育んだ公爵家だ……。この時代の公爵は彼女の父なはずだから、お年はもう五十歳を過ぎていたはず……あやめ先生が十二歳なら……)


 肌が粟立って、ムギは身震いした。

 貴族社会ではよくあることと言えども、手放しに祝いにくい案件だ。


「あの……グランツェル公爵閣下にお会いしたことは?」

「直接ご紹介されてはいませんが、城内で何度かお見かけしたことはあります。猫耳のいい男でした、わりとタイプです」

「ち、ちなみに……もう、おひとかたは……?」


 返答に困って、ムギはそう尋ねた。

 リリベルはムギが話に乗ってきてくれたのが嬉しいようで、もったいぶらず滑らかに答えた。


「身上書に添えられた似姿は、こちらもなかなかのイケメンなんですよ。トラの獣人で、ワイルドな雰囲気です」

「え、えっと……ご出自は?」

「ふふっ。それがですねぇ……」


 なんと驚いたことに、もう一方は隣国のロアールから持ちかけられたもので、お相手は第八王子だという。

 両国の国交は断絶状態だと聞かされていただけに、ムギの驚きは大きかった。

 しかし――驚きながらも、この縁談が持ち上がったわけは、なんとなく察せた。


(ロアールは一度『マリエルの手記』を撤回するよう求めて、ノルファリアに断られている……。マリエルの生まれ変わりとも言われる聖女を王室に招き入れることで、事実上和解したと示そうとしているんじゃないかしら……)


 そしてノルファリア側も、王宮に獣人を多数残し、今回のロアールからの要求を突っぱねずにいることから、頑なに和解を拒んでいるようには見えない。

 つまりこの縁談は、どちらを選んでも――リリベルが獣人と人間の架け橋となり得る。それは真実、マリエルの再来を思わせる展開だった。


 ムギは込み上げてくる高揚感に気付いて、己を律した。勝手な願望を押し付けて、リリベルに重責を負わせるわけにはいかない。

 リリベルが城に留め置かれているのも、そういった難しい立場からなのだと、ようやく合点がいった。


「それで……あやめ先生のお悩みは……どちらを選ぶか、ですか?」

「ええ。アミゼルドに言わせれば断固拒否一択なんですけどね。ボクはこの話、どちらも悪くないと思ってまして、アミゼルドを宥めながら返答を延ばしてもらっています」


 ムギは意識して、高揚する気持ちを抑えているが、リリベルは隠そうともしなかった。獣人との和解を、彼女も本気で考えてくれているのだと、ムギは嬉しく思った。


「わたしで力になれるのなら、一緒に悩ませてください!」

「わぁ、嬉しいです! じゃあ早速なんですけど――」


 リリベルの言葉に、ムギは身を乗り出して耳を傾ける。

 ここで二人で出した答えが、エンシェンティアを創り直すのだと、淡い希望を抱いていた。だから――。


「どっちを選んだら、おもしろいと思います?」


 耳を疑った。

 目の前のリリベルは、こんな時だけ、皮肉なほど無邪気な笑みを浮かべている。

 その無垢な瞳が、ムギの胸にひどく冷たい風を吹き込ませた。


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